プロローグ『未来への扉』.04
「ふぅ……酷い目にあったわい」
珍獣は焚き火で体を乾かしながら、
愚痴をぶつぶつ言い続ける。
「助けてあげたのに」
「川から拾い出すのに、
わざわざ蹴りあげる必要はあったのかぇ?」
「だって、触りたくなかったから」
彼女は興味なさそうに、
サーモンをはむはむ食べていた。
自称賢獣は自分の分と目の前に
ぽいっとおかれた生のピチピチしている魚を見つめて、
「あの……ワシ、生はちょっと食べれんのじゃが」
懇願するような声に、彼女は素っ気なく
「火、目の前にあるから自分で焼いたら?」
「お前さん……
ワシが焼けるような体に見えるのかえ?」
「魔術、だっけ。
使えるんでしょ、それで焼けばいいのに」
やれやれと少女は
魚の内臓をさっと抜き取り、
串に差して火の横に置いた。
パチパチと燃えるたき火、
熱で焼けていく魚をモコモコは見つめる。
そろそろ頃合いだから、と少女が伝えようとする。
「ワシはオレンシアの
ファブウルス=K=ラインリースじゃ」
「え?」
「だから、ワシの名前じゃ。
ちなみにオレンシアは種族の名称じゃからな」
突然の自己紹介に、少女は目をぱちくりさせながら
「えーと……ファブ……リース?」
「違う! その間違い方だけは許さんぞ!」
首を傾げながら、「覚えれない」と呟き、
「ん……長いから、リースで」
「もう……それで構わん」
諦めたようにため息をつき、尋ねた。
「それで、おぬしは?」
彼女は少し考えてから、名乗った。
「ヤクモ。ヤクモ=クルミガワ」
まるで興味がなさそうに、ただ一言だけ。
ファルブルス=K=ラインリース……
もといリースは、少女の声のトーンから、
自分の名前が好きではないということを悟った。
「おぬしも、人のことを言えんくらい言い辛い名前じゃろが。そんな名前で呼べん。ワシがリースならば……」
だから、こう言った
「ヤッチと呼ばせてもらおうか。うむ、こっちの方が愛嬌あろうに」
少女は一瞬、何のことかわからないでいたが、
「……可愛くない。リースはセンスがないね」
口ではそう言っていたが、初めて笑った。
その笑顔にリースは、
感情の起伏が薄くて無愛想だと思っていた少女も
歳相応な表情を出せるのだなと思った。
「ねえ、リース。 毛皮、乾いた?」
「うむ、普段のもふもふには程遠いが、
ぼさぼさ程度にまではな」
「そっか」
そう言って、
ヤクモはひょいとリースを持ち上げた。
一瞬、次は焚き火の中に入れられるのかと
本気でビビッたリースだったが、
「よいしょっと」
ぽすんっと、ヤクモに抱き抱えられていた。
リースは「なんじゃ?」と視線で問い掛ける。
「あったかい」
彼女が、嬉しそうに笑った。
リースは、少し照れくさくなり
「……まあ、ヤッチと同じ、ワシも生き物じゃからな」
とくんとくんと、彼女の鼓動が伝わってくる。
「どうして、旅をしてるのじゃ?」
気付ければ、リースはそう問いかけていた。
抱えられて、気付いてしまった。
彼女は旅人なのだろう、
荷物を見てそれはすぐわかった。
けれどあまりにも華奢すぎる彼女は
旅人になんて向いていない。
白くて艶やかな肌、
本当は綺麗に切り揃えられていただろう短い髪。
そしてリースを撫でる手が、
あまりにも「乙女」だ。
まるで、小さな人形を愛でるように、
優しく、慈しむように。
きっと、本当はどこかのお嬢様なのは間違いない。
だというのに、慣れない旅をしている理由はなんだろう。
助けてもらったからという理由もあるが、純粋な好奇心だった。
ヤクモは太陽のいなくなった夜空を見上げ、
「私の占いはよく当たるの」
ポツリと呟いた。
「その気になれば、なんだって知ることができる」
そう言った後、首を振り
「本当はそんなことないんだけど、
私はそう言っていたし、みんなもそう信じていた」
遠い、遠い過去のことのように語る。
「私はみんなが好きだった。
だから街に降りかかる厄災を教えてあげたの。
けどね、誰も信じてくれなかった。
信じちゃいけない話だったから」
上を見る少女の表情は、何もかも諦めた顔。
「だからね、私は故郷の街を出た。
大好きな人たちが、
死んでいく姿を見るのが怖かったから。
私には、そんな勇気はなかったから」
リースは、なんとなく察していた。
まだ話を鵜呑みにしたわけではないけれど、
彼女は『未来を視る力』を
持っていると言っているのだ。
それが彼女の思い込みなのか、
事実なのかはわからない。
だが今はそれは重要なことではないのだ。
リースは「ふむ」と少し考える。
『過去を視る力』」を持つ巫女が
帝国にいるのは知っている。
その力は事象の原因を探り識ることにより、
これからの正しい道を示す力。
それを神の言葉として伝えることで、
帝国は政りを動かしていた。
「ただ、それだけ」
ヤクモは簡単に言ったが、
現実は相当辛い思いをしたのだろう。
もし『未来視』が本当ならば、
少女が持つにはあまりにも大きすぎる。
『過去を視る力』は希望を見出す力だ。
対して『未来を視る力』は絶望を突きつける力
「不幸な未来」を視てしまったら、
人々はあたかもそれ自身の力で
不幸を呼び寄せているように感じてしまうだろう。
それが変えられる未来かどうかはわからない。
人は未来が見えないからこそ希望を抱けるのだから。
「私の居場所は、どこなのかな」
少女は、ただ、
自分がいていい場所を探しているのだろう。
彼女が求めているのは、
そんな当たり前のようにみんなが持っているもの。
――けれど、だからこそ
「ふむ、だが、ヤッチ。良かったではないか」
「え?」
「街を出たお陰で、
この天才賢獣様を助けて差し上げることができたのだぞ。
誇るがいい、後世にまで
語り継ぐ権利を与えてやろうではないか」
「……」
ものすご~く嫌そうな顔をしていた。
そう、それでいいのだ。
ヤクモに憂いを含んだ寂しい顔は、
あまりにも悲しすぎる。
彼女は、何にも囚われることなく自由に生きるべきなのだから。
「うむ、そういえばまだ、金貨を返してなかったな」
ごそごそと体を動かし、
ルアー代わりにされた金貨をぽいっと彼女の手に置いた。
「ねえ」
「なんじゃ」
渡された金貨を見つめていたヤクモだったが、
「これ、どこから出したの?」
「えっ、どこってそりゃあ口……」
正直に言おうとして、はっと気付いた。
考えてみて欲しい。
「さあ、返すよ」と獣が口から金貨を出してきたという光景を。
そりゃあ、粘つく。
どんなに綺麗な金貨でも、唾液でべったべたなら、
気持ち悪いに決まっている。
「やっぱ、リース『は』いらない」
「え、いや、その……」
怪しい雲行きに、身をよじって逃げようとしたリースだったが、
「ぽいっ」
彼女は、あっさりとリースを焚き火に投げ入れた。
「ギィィィィィィィィィィィィヤァァァァァァァァァァァァァァァ!」
火がついて、なんとかもみ消そうと地面を転がり回るリース。
それを横目にヤクモは飲み水で金貨を洗って、懐に戻した。。
「……うん」
彼女は、嬉しそうに笑った。
これが、二人の出会いだった。
『未来視』を持つ少女と、賢獣オレンシア。
二人の出会いは、偶然。
けれどそれは未来への扉が開かれた瞬間だった。
一人と一匹が、これから紡いでいくのは、
未来を変える物語。
どんなに悲しい結末が待っていても、未来は変えられる。
いつだって、ハッピーエンドを描くことが出来るはずだから。
さあ、語ろう。
――優しい物語を。