プロローグ『未来への扉』.03
「……」
彼女は釣り上げてしまったそれを
どうすべきか考える。
釣り糸の先にぶら下がっているのは、
灰色の丸い毛むくじゃら。
相当な大物だと思って釣り上げたのだが、
単に毛が水を吸って重みを増していただけのようだ。
濡れたモップの先っぽ、
それを言い表すのにそれが一番適当な言葉、かもしれない。
「食べれるかな?」
せっかく釣り上げたのに
そのまま捨てるのは勿体ない、
という気持ちから思わず呟いていた。
するとその言葉が聞こえたのか、
物体はビクンビクンと痙攣する。
「うわっ、気持ち悪い」
その嫌そうな声に反応して
「食べれるわけなかろうが!」
釣り上げられた状態の物体が
突然くるっと回転する。
そして釣った側と、
釣られた側の視線があった。
「しかも貴様、このぷりちーな私を、
キモいと言ったじゃろ!?
言ったじゃろ!」
「……喋った」
呆然と少女は呟く。
こちら側を向いた汚いモップ……
もとい不思議な生き物。
もこもこの毛皮からぴょこんと飛び出した耳と、
そしてくるっとした大きな二つ瞳。
けれど、ただそれだけ。
手足もないし、しっぽがあるわけでもない。
火の玉に目玉がついたような生き物とでもいいか、
なんとも不思議な形の生き物だ。
生存していく上で必要不可欠な要素が
いくつも欠けていると言わざるを得ない。
正直、どこに口があるのかわからないが、
なにやら怒っているらしい。
「それに汚いモップってなんじゃ、あぁん?
ワシを棒にくくりつけて床でも磨く気か!」
唾を飛ばしながら叫ぶ生き物に、
少女は首を振り、
「ううん、今からもう一度、川に流すだけ」
あっさり告げて、
ゆっくりと釣り糸を川に近づけていく。
「じゃあ、元気でね」
「ひいっ! ワシが悪かった!
水はもう勘弁してくれ! 毛が抜ける!」
じたばたじたばたと
必死に体を揺する様を見つつも、
少女はあまり興味がなさそうだった。
「毛が抜けると、何が残るんだろ」
「あ、冷たい!
おまっ、ホントに落とす気か!
やめろ、やめて、やめてください!」
まあとても泳げるような体には見えない。
流されたらそれこそ海まで行ってしまいそうだ。
着水の時が近づくにつれて手の平を返したように、
涙交じりの声で懇願を始めた。
「わ、ワシは賢獣オレンシアじゃぞ!
拾っておくとなにかと便利じゃ!
王立図書館にも負けない知識量!
宮廷魔道士も顔負けの魔術!
そして明日の天気から運勢、
ちょっと気になる異性の相性まで占えるぞ!」
「……胡散くさい」
「あぁ! 信じておらんな!?
疑りぶかい奴じゃな。
ならなんでも聞いてみい。
ワシが答えてやろうではないか」
自信満々な珍獣に対して、彼女は少し考え、
「じゃあ、私の今の下着の色は?」
「上下とも黒。なんじゃ、
見た目によらず随分と派手じゃな」
何故か当たっていた。
「この変態」
「ちょ、おまっ!
質問したのはお前じゃろ!?
あ、やめ、沈む沈む!」
彼女はため息をつく。
「それに君、意地汚さそう」
「はぁ!?
今までの会話にどこにそんな要素があったんじゃ!
聡明なのは伝わったろうが、
意地汚いってなんでじゃぁ!!」
毛を振り回して叫ぶ毛むくじゃらに、
少女はポケットから何か取り出して見せた。
それは大陸で流通している小さな硬貨。
「それがどうかしたんじゃ?」
「これで、君が釣れたから」
「……え、ワシが咥えてるのって、
ひょっとしてお金か?
確かになんかキラキラしてるとは思ったが」
彼女は頷く。
珍獣は「金に釣られた」と思われているのが、
大変嫌そうな顔をしていた。
「うん。確かめてみたら?」
「ふむ、どれどれ……」
――ドボン。
口を大きく開けた自称賢獣は、
当然、川の中に落ちた。