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特大家族──いい年してアレに夢中  作者: ブラックワン
第一章 「アレ」の達人
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6月10日 その7

 二人のスマートフォンが同時にメールの着信を報せる。覇斗はマナーモードにしているので、楓の物だけ「ゴーン」と派手に着信音が鳴った。お世辞にも女の子っぽいとは言えない厳かな梵鐘の音だ。


「一斉送信。──夕飯の呼び出しだな。もうそんな時刻か」


 覇斗が慌てて壁の時計を見ると、午後六時五十二分を示していた。


「そうね。八分早いけど、きっとご飯ね」


 一応、楓はメールのタイトルを確認する。


「やっぱりそうだわ。──あら、珍しく茉莉花から来てるわね」


 誰が送信したかなど覇斗にはどうでもいいことだった。覇斗が楓に深々と頭を下げる。


「ごめん。アレ、結局一回もできなかったな。窓の外がまだ明るいから、こんな時間になってるなんて思わなかった」

「六月だもんね。でも、あたしはわかってたわよ。このままじゃ中途半端な時間しかできなくて欲求不満になると思ったから雑談にしたの」

「あ、そうだったのか。謝り損だったな」

「ね、夕食の後で、二時間だけ付き合ってくれない? 今日は朝からずっと頭の中がアレ一色だったし、色々と考えてたこともあったから、スッキリするにはどうしても二時間ぐらいは必要だと思うのよ。──いい?」


 上目遣いでそうお願いされると、もはや覇斗の頭に「断る」という選択肢は存在しえなかった。


「いいよ。八時でどう?」

「オッケー」

「ところで、夜に女の子が家族以外の男の部屋に行くのって、この家的には大丈夫なのかい?──仲を疑われて怒られて蹴飛ばされて追い出されるなんてことはないよな」

「大丈夫。お父さんは、あんたがあたしの部屋に来るのはNGだけど、あたしが自分から行く分には一向に構わない、ってスタンスよ。多分ね。そんな気がするわ」

「多分……って言われてもな」


 覇斗は楓の父親・宮城北斗くじょう・ほくとの眼光鋭いゴツい顔と身体を思い出さずにはいられなかった。職業は大学教授なのだが、教え子に付けられた渾名は「組長」である。勤め先は同じ北陸州ながら南波市から遠い新潟の地にあり、それゆえ、毎日は帰宅していない。滅多に出会うことがない分、不意に出くわすと、形相に驚いていつも思わず身構えてしまう。


「気にしなさんな。さ、ご飯行くわよ」


 促されて覇斗は部屋を出た。行き先は二階の食堂。かつての小宴会場を改装した巨大なダイニングキッチンだ。宮城家の夕食は二回に分けられており、だいたい十九時頃と二十一時頃と決まっている。厨房を担当する人間に余計な手間を掛けさせないよう、食べる側はメールが届き次第速やかに食堂に集まり、一時間以内に食べ終わることが決まりだ。また、十九時までに帰宅している者は十九時の部で食べるのが基本であり、どうしても二十一時に食べたい時には前もって厨房に伝えておく必要がある。なお、二回目の食事に間に合わなかった者は、どこかに食べに行くか、自室の調理器具で簡単な物を作って食べるか、お菓子で間に合わせるか、我慢するしかない。


 夕食の調理は、専業主婦の宮城都と、帰宅して手の空いた母親達、料理が得意な居候が当番表に従って協力して行う。飛び入り参加も歓迎である。ちなみに覇斗は、自分の歓迎会の翌日に、全員の分のプリンを作って好評を博した。


 食堂は、源太郎を初めとして多くの家族と居候で既に賑わっていた。この家では家族も居候も同じ部屋で一緒に食事を取る。宮城家における「居候」とは、家賃ゼロで部屋が提供される見返りとして、宮城家のために何らかの労力を提供する約束をした人間のことだ。どんな労力をどのように提供するかは居候本人の裁量に任されている。使用人になる契約を結んだわけではないため、宮城家における家族と居候の立場はほぼ対等だ。約束したことをやりさえすれば、他に就職先を求めたり、遊びに出かけたりすることも自由だった。ただ、誰でも居候になれるわけではなく、以前より家族と深い交友関係のある者だけに限られる。


 覇斗は祖父が源太郎の恩人かつ盟友だったことが縁で、居候として招かれていた。覇斗の祖父・高柳隼介たかやなぎ・しゅんすけは政治家で、かつて首相を二期務めた大物である。源太郎はその後援会長にして、高柳総理の私的政策懇談会の座長だった。覇斗は両親を幼い頃に事故で亡くしたため、ずっと隼介と二人暮らしだったが、隼介は自分が死ぬだいぶ前から、もしもの時は覇斗の後見人になってほしいと源太郎に頼み込んでいたらしい。たった一人の孫に、家族の素晴らしさや大切さを教えてあげたいというのが、隼介の願いだった。


 天涯孤独の覇斗に対して、宮城家は人で溢れ返っている。この屋敷に住民票を置いている家族だけでも、十九人もいた。まずは当主の源太郎。源太郎の長男・宮城東馬くじょう・とうまの妻・都。その次男・速彦。三男・要。


 源太郎の次男・北斗。北斗の妻・リツコ。その長女・楓。次女・みゆき。


 源太郎の長女・平野南花ひらの・さざんか)(平野家に嫁ぐが夫に先立たれ、母子家庭を経て宮城家に合流)。その長女・茉莉花。長男・松之進まつのしん)(覇斗の高校のクラスメイト)。次男・竹之丞たけのじょう)(中学二年生)。次女・花梨花かりんか)(小六女子トリオの一人)。


 源太郎の三男・七瀬西起ななせ・にしき(宮城家分家の七瀬家に婿養子として入るも義父母の死後、宮城家に合流)。西起の妻・はるか。その長女・千春子。次女・美晴子。長男・つくる(中学一年生)。


 最後に源太郎の次女・宮城千鶴くじょう・ちづる(源太郎の養女・小六女子トリオの一人)。


 他に就職先や大学の関係で他所に住む者が四人、金沢市の国立医療施設に入院している者が一人。全部合わせて二十四人家族ということになる。


 さて、覇斗はいつもの如く、男子高校生仲間ととテーブルを共にしていた。といっても自分の他はわずかに二人。同級生の平野松之進、それと速彦である。速彦の服装は黒い麻のシャツとベージュのチノパン、松之進は自転車で帰宅したそのまんまのジャージ姿だった。金色に染めた髪をスポーツ刈りにした松之進は、足が学年で二番目に速いのが自慢だ。入学早々にしてラグビー部の右ウイングの座を勝ち取っている。ただしこのラグビー部は、県大会一回戦敗退以外の成績を収めたことがない。


 定時より少し遅れてきた速彦は、セルフサービスで運んできた自分の食事を丸テーブルに置くなり、こう切り出した。


「高柳、たまたまネットで名前を見つけたんだが、君はもしかして去年の夏も南波市に来てないか?」

「あ、来てますよ」


 覇斗には、速彦が次に何を言おうとしているのか見当がついた。


「じゃあ、去年のアレの全国大会で優勝したのは、やっぱり君なんだな」

「ああ、わかっちゃいましたか。この家でアレはちょっとしたタブーのようになってたもんで、黙ってたんですが……」


 バンとテーブルを両手で叩いて、松之進が急に立ち上がった。


「じゃ、何かい。お前があの楓を一回戦で撃沈したやつだったのか。チクショー、スゲーぜ。尊敬するぜ。この俺が何一つ勝てた試しのないあの化け物の鼻っ柱を、お前が、親友のお前がへし折ってくれたのか。ありがとう。うおお、ありがとう」


 感極まった松之進は目に涙を浮かべ、突如として覇斗を拝み始めた。楓に対して普段どれほど劣等感を抱いていたのだろうか。楓は格別に化け物呼ばわりされるほどの万能人間ではないのだが、楓の苦手とする分野を、松之進はことごとく輪をかけて苦手としているのだった。さらには松之進の得意分野が、楓の超得意分野に軒並み重なるという不運。まことに不憫というほかない。ともあれ覇斗は、松之進の目を見ながら人差し指を口に当てシーッと言った。周りからの視線が気になって仕方がない。


「まあまあ、落ち着けよ」


 速彦が松之進の太ももを後ろから軽くパンと叩く。途端に松之進はピンと背筋を伸ばし、直立不動の姿勢になった。速彦と松之進の関係も何やら色々とありそうだ。


「だいじょっぶっス。落ち着きましたっス」


 言葉遣いも普段と違う。覇斗は、要との散歩において、松之進の喋り口を「お兄さん」の口調に取り入れていたが、まだまだ観察が不足していることを思い知らされた。


 ややあって、気まずそうに松之進が着席する。情けないところを覇斗に見られたと思ったらしい。覇斗が両方の掌を合わせて元気よく「いただきます」と言うと、松之進の表情が和らいだ。


 やっと食事が始まった。ご飯に豆腐の味噌汁、イカの刺身とチキンソテーにサラダという献立である。それに加えて各テーブルには、細かく刻んだ菜っぱの炒め物がてんこ盛りになった鉢がデンと置かれていた。まだ湯気が立ち上っている。


「姉ちゃんの料理だな」


 松之進が言った。なんの葉っぱかな、と覇斗が僅かに鉢を注視したのを感じ取ったようだ。


「茉莉花さんの?」

「この辺の郷土料理だぜ。大根菜の『よごし』だ。姉ちゃんが好きで、大根の葉っぱが手に入ったら必ずこしらえる」

「大根の葉っぱなのか。『よごし』ってどういう意味だい?」

「味噌で汚すからじゃねえか? よく知らんけど。さっと湯がいた葉っぱを固く絞って、刻んで油と味噌で炒める。確かに見た目は悪い。だが、うめえぜ」


 松之進は鉢に添えられたレンゲでたっぷり「よごし」を掬うと、ご飯の上にこんもりと乗せた。


「こうやって食うんだ」


 言うや否や、お椀を持って箸でご飯ごとワシャワシャと思いっきりかき込む。


「ああ、うめえ。覇斗も食ってみろや。──言っとくが姉ちゃんの味付けは味噌だけだからな。油さえちょびっとしか使ってねえ。おっと、白ごまがほんの少し混ざってたか。けど、他にゃなんもねえ。家によっちゃ、もっと複雑な味付けをやってるとこもあるかもしれんが、姉ちゃんのは超素朴だ。そこんとこ考えて食ってくれや」


 松之進は姉の味を褒め称えながらも、お坊ちゃん育ちで舌の肥えた覇斗(松之進はそう思い込んでいる)の口に合わない可能性を考えて、予防線を張りまくった。


(姉思いなんだな)


 覇斗はほのぼのとした気分になり、勧められた通りのやり方で「よごし」を口にした。


「あれ、ほんとにうまいや」

「あー! 信用してなかったな、こいつ」

「でも、うまいな」

「だろ」


 松之進は安心したように言った。速彦も黙っておいしそうに食べている。本当に素朴な味ながら予想を上回るおいしさだったため、覇斗はそれをちゃんと言葉に表して、松之進に伝えようと思った。


「なんと言っても、水分の飛ばし方が絶妙だよね。全体的にしっとり感がちょうどいい。水分を飛ばし過ぎるとカサカサして歯触りが悪くなるし、葉っぱの味も香りも栄養までも損なわれる。反対に水分が残り過ぎるとべチョッとして、葉っぱの味噌煮込みみたいになってしまう。しかし、よく見てほしい。この『よごし』は湿り気の具合が最高なんだ。水っぽさが全くない。なのに葉っぱの表面はツヤツヤしていて瑞々しくさえもある。その上、味噌が炒められることで香ばしさを出し、味に深みを与えてくれているよ。よほど火力調節と炒めを丁寧にやってるんだろうな。──で、味噌の味と香り、味噌の粒、大根の葉の独特な香りとシャキッとした食感、白ごまの風味が相まって、シンプルでありながらなんとも豊かな味わいを醸し出している。そしてそいつが、熱々のご飯と一緒に口に入った時の至福感は筆舌に尽くしがたいね。ご飯の甘み、粘り気、香り、噛み心地、舌触り──何もかもが『よごし』と対極にある。ところが、それらの要素が口の中で渾然一体となった時、まさしくアウフヘーベンとでも言うべき事象が生じ、味のビッグバンを起こして、僕らを無上の口福の世界に誘うんだ。──素晴らしいよ、この料理は。茉莉花さんに大いなる感謝を」


 覇斗がふと気付くと、速彦と松之進がばつの悪そうな表情で顔を見合わせていた。


「いや、褒めてもらって言うのもなんだがな、そこまで絶賛されるほどの味じゃあ……」

「だよな」

「あ、そうですか……」


 今度は覇斗がばつの悪そうな顔をする番だった。


続く

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