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特大家族──いい年してアレに夢中  作者: ブラックワン
第一章 「アレ」の達人
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6月10日 その6

 結局、全てのハガキがボロボロになるまで頑張っても、誰一人として箸は斬れなかった。手品の発表会はそこでお開きである。


「お兄ちゃん、今日は八十点。あの失敗がなきゃ満点だったよ。もっと修行積んでね。それじゃ、また来月頑張って」

「楽しかったよ」

「次回は失敗しないでね。バイバイ」


 それぞれの感想を残して小六女子トリオは帰っていった。美晴子も後に続く。覇斗と一緒の空間を十二分に満喫し、お腹いっぱいになったようだ。


「ハト君、今日もカッコよかった。今まで生きてきて一番幸せな日かもぉ」

と呟きながら、夢見心地といった表情で部屋を出ていく。楓が壊そうとした美晴子の幻想は、恐ろしく頑強で手強いものなのかもしれない。


「今まで、どんなつまんない人生生きてきたのよ」


 傍らで楓が小声でツッコミを入れる。


 賑やかなひとときが終わり、後には、覇斗と楓の二人が残された。年頃の男女が二人っきりで一つの部屋に。勿論二人は家族ではなく、公認の仲でもない。しかも揃って美形である。ところが、その辺りのことを心配する声はどこからも聞こえなかった。むしろ皆が皆「お二人さん、ごゆっくり」といった感じで部屋を後にしている。


 それはなぜか? 次に部屋で行われるのが「アレ」だと、誰もが確信していたからである。ずっとお預けを食らっている楓が、アレ以外のことを求める情景など、誰一人として想像すらできなかったのだ。


 「アレ」──それは二人が互いの手を握り合い、自分の親指で相手の親指を十カウントまで押さえ込むことを以て勝利とする遊び、もしくは競技である。


 すなわち本来の名称は「指相撲」。


 宮城楓は、凄まじいまでに度を越した指相撲フリークだった。


「──お待たせ。それじゃ早速アレやろっか」


 片づけを終えてカーペットの上で正座で楓と向き合った時、覇斗の口調が急に砕けた調子に変わった。手品師はもう店じまいということのようだ。シルクハットと上着はとうに脱いでしまっている。


「ねえねえ、割り箸、どうやって斬ったの? 教えてよ」


 楓から返ってきた言葉は、覇斗の予想とは異なるものだった。


「あれ、自分から寄り道かぁ? いつもは早く早くって急かしてくるのに」

「だって気になるじゃない。トリックあるんでしょ。気になってアレに集中できなくなるのも嫌なのよね」


(いや、楓さんに限ってアレに集中できなくなるなんてことは絶対にないな)

と、覇斗は言おうかと思ったがやめておいた。その代わり、

「タネ明かしを求めるのはマナー違反ですよ」

と、一瞬だけ手品師に戻って真顔で言う。


「ね、ね、教えてくれたら一曲好きなの弾いてあげるからさ」

「え、ホントに?」


 楓のピアノ──それはクラシックファンを自認する覇斗にとっては、大変な魅力だった。楓の腕前は南波市内では相当に知れ渡っている。国内の名だたるピアノコンクールで、幾度となく上位入賞を果たしているからだ。覇斗も最近そのことを知って、一度生演奏を聴いてみたいと思い始めていたところだった。


「じゃ、『幻想即興曲』を。よろしく」

「オッケー。商談成立! 暗譜してるから弾くだけならいつでも弾けるけど、人に聴かせるとなると話は別ね。おさらいの時間が欲しいわ。あさってまで待ってくれる?」

「あいよ」

「それじゃ、教えて」


 楓が興味津々の面持ちで、覇斗の目を覗き込んだ。


「実は、僕が『下手くそな手品師』ということ自体がトリックでね」

「どういう意味? 確かにあんたが下手くそって、全然しっくりこないんだけど」

「失敗するからこそ、怪しまれずにできることがある。考えてみなよ」

「失敗したらできること? 待ってよ。もしかして、あの時? ──あっ、わかった」


 楓の表情がぱあっと輝く。正解に辿り着いた者の顔である。


「あんた、最初の割り箸を撥ね飛ばした後、それを拾わなかったわよね。しかも、みゆきが拾おうとしたのにわざわざ止めて」

「うん」

「で、さりげなくスペアの箸に交換した」

「うん」

「最初の箸は仕掛けがないか全員が確認したけど、交換した後の箸は、最初から終わりまであんた以外ノータッチ。──そっちにだけ予め切り込みを入れてあったのね」

「ご名答。単純なトリックでした。だから、初めに机から離れてもらったんだ。箸を割った拍子に切り込みが見えたら全部台無しなもんでね。──これで納得した?」

「ええ。スッキリしたわ。でも、あんた、毎回そんなことやってんの? わざと失敗して? なんでなの?」

「いやあ」


 覇斗は恥ずかしそうに照れ笑いをした。


「一度、あの子達にジャグリングをしてみせたことがあってね。とっても喜んでくれて、こっちも嬉しかった。──ただね、きりがないんだよ」

「きりがない?」

「『まだ、他にできるのないの?』『もっと凄いのやって』『今のアンコール』『あたしもそれやってみたい。教えて教えて』」

「確かに言いそうね……」


 楓は状況を思い浮かべてげんなりした顔になった。


「で、調子に乗ったあの子達が『手品もできるんでしょ、見せてよ』と言ってきた時、まるっきりできないと言って逃げるのも癪だったんで、とっさにこう返事したんだ。──『僕は手品が下手だ』『下手だから手品を一度に幾つもやるのは無理だ』『同じ手品を二度繰り返すのも無理だ』『派手な見栄えのするやつも無理だ』『それで良ければ何か見せてあげる』」

「えー!」


 楓がいきなりすっとんきょうな声を上げた。


「それ、あんたが本当に言ったの?」

「うん」

「うっそ、馬鹿みたい。それって、結局、ろくに手品ができないって宣言してるのと一緒よ」

「だよな。言った瞬間、しまったと思ったよ。あの子らの言いそうな要望を先回りして潰したら、超下手くそなマジシャンを演じることになってしまった」


 覇斗が苦笑しながら頭をかく。


「迂闊にも程があるわね。いつものあんたのキャラからはありえないことだわ」

「いや、僕のキャラを勝手に作られても困るんだけど」

「訂正しようとは思わなかったの?」

「その時は、まあ、別にいいかって思ったんだ。素人丸出しでたどたどしくやってれば、どうせ一回に一つだけだし、見た目も地味だし、シラけてすぐに飽きてくれるだろうって。──あと、事のついでに演技の練習にもなるかな、と」

「そっか。すっかり、裏目に出たわね」


 楓が口調と表情で軽く同情を示すと、覇斗は大袈裟にうなだれた。


「ああ。失敗した。まさか月一でやらされる羽目に陥るとはなぁ……。正直なところ、次のネタが思いつかない……」


 楓には覇斗が本当に困っているように見えた。トリック披露の時は偉そうにしていたのに、打って変わって意気阻喪している姿は、ちょっと滑稽で愉快である。


「そんなの、普通のマジックをわざと失敗して、次にまともにやって成功すればいいだけじゃないの? 絶対に失敗をトリックに組み込まなきゃなんないってことないでしょ」


 クスクスと笑いながら、楓が助け船を出す。


「え……」


 淀んでいた覇斗の目に光が宿った。


「それか、練習してちょっとだけ上手になったって設定にしとけば? 元々、ホントに下手くそなわけじゃないんでしょ? たった一つの簡単な手品を失敗せずにお手本通りにやるの。あの子らならそっちの方が飽きてくれそう」

「あっ……」


 覇斗の顏に精気がみるみる蘇っていく。


「どう?」

「うん。そうだ、そうだよ。そうすりゃよかったんだ。まるっきり馬鹿みたいじゃないか、俺。今までなんで気が付かなかったんだろうな」

(俺……って言った)


 覇斗が自分のことを「俺」と呼ぶのを、楓は初めて聞いた。


「そうか。最初にやった手品の食いつきが予想外に良かったんで、つい同じ路線で行くことばかり考えてしまってたみたいだ。僕の悪い癖が出たな。──楓さん、助かったよ、ありがとう」


 既に「僕」に戻ってはいたが、楓は高柳覇斗という人間の素の姿にやっと出会った気がした。ちょっと抜けたところのある「素」である。演出ではない人間味がこの人にもあるんだ、という認識は彼女にとって好感の持てるものだった。


「え、別にそんなに大したこと言ってないわよ」

「いや、本当に助かったんだ。僕はね、ちょっとしたきっかけで、すぐ心の視野が狭くなるんだよ。自分の現在進んでいる道だけが唯一の道だと思い込んで、別の道があることを想定すらできなくなる。その結果が今の体たらくさ」


 覇斗がはにかみながら楓を見た。


「へえ、覇斗君て、割と視野が広そうな印象があったけど」

「普段は結構広いつもりなんだけどね。突然変な具合にスイッチが入って狭くなるんだ。どうしようもない」

「自分じゃ修正できないの?」


 楓が不思議そうに訊ねる。覇斗は苦笑いしつつこう答えた。


「実は特効薬がないこともないんだよ」


 楓が目を丸くした。話の流れからいって、当然「自分で修正は無理」という返事が来るものと予測していたのである。

 

「え、そんなのあるの?」

「ああ。僕は、この南波市でとある素晴らしい風景に出会った。心の奥底に響く、とてもいい景色なんだ。それを見ているだけで、自然と意識が解き放たれ、『原点に還る』ことができる」

「原点に還るって?」


 楓があまりピンとこないといった風情で問う。


「物事を始めた最初のきっかけや動機に立ち返って、その時点から冷静に今の自分を見直せるようになるって感じかな」

「ふうん」

「要するに今回の僕の敗因は、そこに行きそびれてたってことに尽きる。日々の忙しさにかまけてね。自転車で割とすぐに行ける距離なのにな」

「この辺にそんないいとこあったっけ」


 訝しげな表情を浮かべる楓に、覇斗は優しい眼差しでこう言った。


「君にもあの景色の良さがわかるといいな。見たくなったらいつでも連れて行ってあげるよ」

「考えとくわ」


 楓はあまり乗り気がしない様子である。無理もない。楓は覇斗より何年も前からこの地に住んでいるのだ。新参者の覇斗にとっては目新しい景色でも、楓にとっては見慣れたものでしかない可能性が十二分にある。また、そもそも精神にそこまで深い影響を与える景色があるということ自体が、彼女には不可解極まりないものだった。


続く

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