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特大家族──いい年してアレに夢中  作者: ブラックワン
第三章 「マケナイデ、ゼッタイカッテ」
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8月10日 その6

 ピィッ、と短くホイッスルが鳴った。審判によるポイント認定の合図である。同時に白旗が水平に上げられ、キースの技ありであることが示された。無論、試合は中断することなく続いているため、楓達が旗に目を向けることはない。だが旗の上がる気配で、一瞬キースの気が削がれた。ようやく技ありを取り、楓に先行したことで微かに安心したのかもしれない。


 そこが、激しい練習や実戦を積み重ねてきた人間と、そうでない人間との決定的な差だった。


 楓が矢のような素早さで童人形を動かす。相手の手前で一瞬の静止。直後、ふわりとした柔らかな動きで、童人形の頭を白いウナギの背に軽く載せた。楓流のフェイントである。親指の先に力が入らないため、シークレット・バイスへの移行は不可能。だが何も問題はない。どのみち一度破られた技に再度頼る気はなかった。今の楓にできる最高の必殺技をただ無心に発動させるのみである。


 クール・サムライディング。


 ロデオ(荒馬乗り)に発想のヒントを得た常識破りの大技。


 「サムライディング」とは「SUM」+「RIDING」の造語で、直訳すると「親指乗り」だ。この技にさほど力は要らないし、相手の力がどれほど強くても一切問題にはならない。最初は、相手の親指の上に自分の親指を優しく重ねるだけである。相手を押さえつけるための下向きの力をほぼゼロにすることで、全方向に素早く自由自在に動かせる身軽さを手に入れるのだ。そして、相手に振り落とされないようひたすらに粘る。要するに、カウントが終わるまで、自分の親指の腹が相手の親指の背から離れなければいいという技だった。


 ただし、これは本来、クール・リーディングの発展技である。相手の親指の微細な筋肉の動きを読み取り、それに反射的に反応させて、自分の親指を相手の移動に追随させていくものだ。指先が痺れている今の楓には、完璧なクール・サムライディングは不可能だった。長年培った勘と反応速度のみが頼みの綱である。


 しかし、キースの実力を目の当たりにして、楓は心許なさを覚えずにはいられなかった。この絶好のチャンスさえ逃すようなら、現在の指の状態のままで勝つことはまず不可能だ。七カウント以上押さえきる力を奪われてしまった状況で、唯一頼りとなる技はクール・サムライディングだけだが、とある弱点があるため同じ相手には二回使えない。


 ゆえに。


 楓はためらうことなくもう一つの技を投入した。覇斗との決戦に備えて編み出した新しい技を。クール・サムライディングとの同時使用で一気に大逆転勝利を狙う。


 その名は「テン・タップレット」。一拍を十等分した音符「十連符」になぞらえた技である。楓が当初目指していた「必殺! マシンガン・トーク」という早口技術の完成形だ。通常の七カウントの時間で、十まで一気に数えられる。


 だから、白いウナギが童人形を振り落とそうとして、一回で果たせなかった瞬間、そこであっさりと勝敗は決していた。


「──ななはちくじゅっ!」


 楓の高揚した声が、爽やかに会場にこだまする。ホイッスルが鳴り、審判の赤旗が真上に上げられた。楓が元気いっぱいの笑顔で思い切り右手を突き上げる。


「やったあ!」


 一斉に大きな拍手と歓声が巻き起こった。宮城家の応援団も大喜びだ。


 覇斗も拍手で楓の勝利を祝福する。それを見て楓の笑顏が一層輝いた。


「おめデとう。カエデ」


 キースが残念そうにしながらも、なんとか笑顔を作って握手を求めてくる。戦うために手を握り合ってきた二人が、試合終了後は握手によって友好を結ぶ──これが南波式指相撲の不文律だ。


「ありがとうございます。ギリギリでした。先生、本当に強かったんですね」


 楓はキースの手を両手で力強く握った。


「勝っタとオもっタんでスが。油断したすキにやられまシた。まサかあンな技があっタとは」

「押さえられた実感がなくて、簡単に振り落とせると思ったでしょ。でも、あれがもし決まらなかったら、きっとあたし負けてました。先生の技、とても凄かったです。シビレました。言葉通りの意味で。──ところで先生」

「はイ?」

「あたし、賭けには勝ちましたけど、ピアノはちゃんとやりますから」

「え? もしかして……カエデ……」

「指相撲はやめませんよ。やめませんが、これからは遊びとして普通に楽しむ程度にしときます。その分、ピアノと勉強にもう少し力を入れたいと。ただ、正直なところ、どこまで真剣にピアノと向き合えるか、まだ自分でもよくわかりません。これから指相撲以上に夢中になるかもしれないものを他に見つけてしまったんで……」


 楓は、選手控え席の覇斗の方にチラッと視線を送った。


「──だけど、ピアノは好きですよ。この頃やっと、そう言えるようになりました。なんというか、色々と自分を縛っていたこだわりを捨てて、改めて純粋な気持ちでピアノを弾いてみたら、思いの外、楽しかったってとこですかね」


 そう言って楓が屈託なく笑う。彼女にとってピアノは未だに「日課」のままだ。しかし、既に「指相撲の肥やし」ではない。ピアノを弾いている間だけは、なんの雑念もなく曲と演奏と音に集中することができるようになっていた。しかも、以前と異なり、弾き終えた後に充実感が伴っている。


「今はそレで充分でス。カエデのピアノは確実にいい方向にむカってまスよ。だからもう、ユビズもウをやメろとか固いこトは言いマせん。──まあ、負ケた以上、言う資格もなイんでスが。とニかく、わタしはカエデの選択肢を増ヤすテツダイをしマしょう。ピアノを選べば、カエデはキっといいピアニストになれると思いまス。しカし、他に進みタい道があるナら、それはそれで尊重しマしょう。将来のこトは、カエデが自分自身で決めるコとでス。誰もカエデに生き方を押しつケるこトはできマせん」


 キースは楓に優しく微笑みかけながら、きっぱりとそう言った。


「先生……」


 キースの堂々たる先生っぷりに楓も思わずジーンとしてしまう。


「──とコろでカエデ……」


 突然、キースが神妙な面持ちになった。


「はい?」

「今月、レッスン、ふヤしませン?」


 途端に楓が怪しい者を見るような表情になる。


「……もしかしてお金、厳しいんですか?」

「まコとに面目ナい。一攫千金の当てがハずれタもので」


 キースが恥ずかしそうに頭を掻いた。ちなみに今大会の二位以下の賞金はゼロである。決勝トーナメントに進出しても、表彰状と南波市の特産品「白海老干柿せんべい」が貰えるだけだ。


「──あ、モチロン、最初カら賞金目当てダったっテことはナいでスよ。参加を決メた時はソこソこ余裕がアりましたから」

「ということは、最近またくだらない物、買ったんですね。伝統工芸士作の『美少女フィギュア風・木彫チェスの駒』の次は何買ったんです?」


 楓が白い目でキースを見る。


「いヤあ、『ピンチ』なんでスよ」

「……はあ?」


 キースは「ピンチ(洗濯ばさみ)」と「ピンチ(危機)」を掛けて、うまいこと言ったつもりだったが、楓には全然通じていなかった。これについては楓に全く罪はない。ピンチと聞いて家計に響くような高価な洗濯ばさみを思い浮かべられる者など、誰一人としていないだろう。キースもなんとなくその辺を察したのか、微妙に気まずそうな顏になる。


「とニかくレッスンの件、どウぞよロしく。たノンます。アイ アム ア ファイヤーホイール」

「英語で『火の車』って、そんなんじゃないでしょ!」


 ジョークに逃げたキースは、狙い通りのツッコミをもらい、してやったりとばかりに「ハ、ハ、ハ」と大声で笑った。


続く

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