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特大家族──いい年してアレに夢中  作者: ブラックワン
第三章 「マケナイデ、ゼッタイカッテ」
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8月10日 その1

 8月10日(日)


 遂に運命の日が訪れた。


 日の出とともに気温が三十度を越える猛暑。アスファルトに陽炎が立つ国道。雲一つない青空とそびえ立つ濃い緑の山々。そこかしこの休耕田に大輪のヒマワリが咲き誇り、アブラゼミのけたたましい鳴き声が雑木林に響き渡る。──そんな暑苦しい風景のど真ん中にある宮城家から離れること十キロ。南波市の中心市街地にやってきた高柳覇斗と宮城楓は、空調の行き届いた巨大なコンクリートの建物の中で、「選手受付」に向かう長い行列に並んでいた。


 優勝賞金百万円。「第二回・南波式指相撲全国大会」は、前回の規模を遙かに上回るスケールアップを果たし、会場の南波市市民体育館は、朝から百二十八名の出場者と多数の観客でごった返している。


 北陸州からは地元枠ということで先着応募者八十名がエントリーしていた。残る四十八名が抽選で選ばれた他州からの応募者だ。


 一見不平等なようだが、大会を盛り上げるためには致し方ない面もあった。何しろ大会の知名度が低くて、地元民以外の観客がほとんど見込めない。しかも、観客のほとんどは身近な選手の応援のためにやってくるのである。地元の選手を減らせば観客も激減するのは明らかだった。そうなってはわざわざ大会場を借り切った甲斐がない。見かけは盛大になったものの、まだまだ地域振興のイベントの域を越えず、本当の意味の全国大会には程遠かった。


 しかし、出場者にしてみればそんな舞台裏はどうでもいいことである。指相撲に深い思い入れのない大多数の者にとっては、楽しく遊びながら百二十八分の一の確率で百万円が貰える、またとないラッキーチャンスイベントだった。そして、ごく一部の者にとっては、己の日頃の修練の成果を試す、唯一の真剣勝負の場なのだ。


 大会の形式は前回から多少変更されていた。予選は、三十二人ずつ四つのブロックに分かれてのトーナメント戦で、試合は公式ルールから一分短縮されて二分間一本勝負で行われる。それに伴い、技あり三つで一本という特別ルールが適用された。これらは、大会の大規模化により、総試合数が増加したために採用された試験的な時間短縮措置である。


 決勝トーナメントにはこの特別ルールは適用されない。各ブロックの勝者による準決勝と決勝は、本来のルールに則って行われる。すなわち、三分間一本勝負であり、技あり五つで一本だ。


 ここ南波市では古くより独自ルールの指相撲が盛んに行われてきた。その独自ルールを総称して「南波式」と呼ぶ。全国大会と銘打ったのは今回を含めて二回目に過ぎないが、それ以前から地区のイベントレベルの小さな大会は幾度となく開催されていた。南波式のルールは度々改良を加えられており、「技あり」の制度と「三分間の試合時間」が採用されたのはごく最近のことである。このルールには、指相撲という単純な遊びに若干の複雑さと戦略性を加味して、一層心躍るスリリングな競技を作り上げるという目的があった。


 そもそも指相撲において、十カウントと七カウントではその達成難易度に雲泥の差がある。時間に換算すれば僅かゼロコンマ数秒の差。ところが、弱者が強者と相対した時、その差は途轍もなく大きなものとなる。


 例えば、弱者がワンチャンスを生かして強者をまともに押さえ込んたとしよう。いかに力の差があろうとも、強者が現状を認識し、次のアクションを決定して弱者の親指を撥ねのけるまでに、最低でも三カウント分の時間が掛かる。弱者の側が工夫して抵抗すれば、さらに数カウントは稼げるだろう。ゆえに七カウントは、弱者にとって充分に実現可能な数字である。だが、よほど幸運が重ならない限り十カウントまでは無理だ。通常の指相撲で、弱者が強者に勝つ術はほとんどない。


 南波式指相撲独特の「技あり」の制度は、弱者に可能なぎりぎりのカウントである「七カウント」を、勝利に繋がる有効ポイントとすることにより、弱者に対して勝機を与えるものだった。「一本勝ちまでに技あり五本を要し、技ありの数で大差がついても、十カウントによる一発逆転の目がある」ため、技あり狙いの弱者と一本狙いの強者との間で、最後まで息の抜けない緊迫した試合が展開されると期待されたのである。三分間という長めの試合時間も、「技あり」の制度を効果的に機能させるためのものだ。決着までに必要な攻防の回数や様々な駆け引きに要する時間などが、総合的に勘案されていた。


 とはいえ、物事はそう理想通りには運ばないのが常である。昨年の大会では優勝者の覇斗によって、全試合三十秒以内一本勝ちを成し遂げられてしまっていたのだから。


 ちなみに弱者の戦法としては、「とにかく相手の攻撃を避けることに専念し、隙を衝いてピンポイントでカウンターを狙う」のが一般的である。ただし、相手の指が届かない位置(エスケープゾーン)に十秒以上入っていた場合、反則として相手の側に技ありが与えられるため、一定の間隔で必ず攻撃に身を晒さなければならない。この辺りの駆け引きが南波式指相撲の醍醐味であり、工夫のしどころだ。


 なお、試合時間内に勝負が決着しなかった場合には、当然、技ありの数の多い者の優勢勝ちとなる。同数の際は、時間の都合上、ジャンケンで勝ち残りを決めるが、優勝決定戦だけは再試合が行われることになっていた。


「うまい具合に分かれたわね」


 受付でもらった大会パンフレットを見ながら、楓は安堵したように言った。隣には覇斗がいる。二人とも着慣れた普段着姿だ。別段、動きやすい服装というわけではないが、平常心で大会に臨むにはふさわしい恰好だった。


 パンフレットには対戦表が載っていて、楓はÅブロック、覇斗はCブロックの方に掲載されている。


「去年みたいに予選の一回戦で潰し合いたくはないもんな」

「ええ、あたしもあんたの活躍する姿を少しは見ておきたいし」

「それは僕の台詞だよ。君の初勝利というやつを是非見てみたいもんだ」


 既にライバル同士の前哨戦は始まっていた。


 まだ大会が始まるまで一時間以上もある。宮城家から応援部隊が来るのはしばらく後のことだ。二人は連れ立って試合場の中に入った。


「去年とは全然違うわね」


 楓が場内の偉容に感嘆した。


「そりゃ、前回はあそこだからなあ」


 覇斗は、第一回大会の会場である「南波市商工会駐車場・特設テント」の惨状を思い出した。僅か四十八名のエントリーにも関わらず、炎天下の狭いテントの下に選手や観客がひしめき合い、熱中症による棄権者まで出したほどだったのだ。


「おじいちゃん、張り込んだわね」

「うん。ミヤシロ電機がスポンサーについたのは大きかったな。──見て。ECT(南波ケーブルテレビ株式会社)も来てるし、新聞社も来てる」

「ブロックごとに壁掛けのでっかいディスプレイがあるわね。二百インチほどかな。あそこに試合の様子が映し出されるのね」

「だろうね。そうでないとスタンドの観客も応援しようがない。去年みたいに試合台を遠巻きに囲んで見守るのはNGだろうし」

「あのモニター、高いよね」

「どうだろう。最近は大家族が一家で見る百二十インチの家庭用テレビがお手頃価格で出て、ヒットしてるって聞くよ。二百インチもそこそこ量産されて安くなってるんじゃないかな。ま、そこらの大衆車よりは高いと思うけど」

「あ、そうなんだ……」


 楓は若干声のトーンを落とした。思っていた価格よりだいぶ安かったからである。もっと高価であれば、それをきっかけに源太郎の道楽ぶりを茶化そうと思っていたのだが、狙いが外れた以上は話題を変えるしかない。


「──ね、そろそろ控え室でペインティングしない?」

「うん。そうだな」


 二人は試合場の確認を終え、多数ある控え室の一つに入った。今年新たに加わった試合のルールに「右手の親指に顔を描くこと」というのがある。せっかく大画面のディスプレイに試合を映し出しても、肌色一色、誰の手ともわからないのではビジュアル的に面白味がない。そこで採り入れられたルールである。


 控え室には早くも十数人もの選手や付き添いの者がいた。右手の親指をキャンバスとし、備品のフェルトペンや絵の具を使って顔の絵を描くわけだが、悪戦苦闘している者が多い。とりわけ、付き添いのいない右利きの選手が左手で描く顔は、ほとんどがいびつである。覇斗と楓はお互いが付き添いの役目を果たすので、その点は心配がない。覇斗は、楓のしなやかな白い手を取り、慣れた手つきで絵筆を走らせた。


「わ、くすぐったい」

「動かないで。すぐ済むから」


 覇斗は数本の絵筆を交互に使い分け、瞬く間に童人形を描き上げた。鮮やかな色彩の着物。黒く長い髪。どことなく楓の雰囲気を漂わせた美しい顔。そばで様子を見ていた者がこぞって感嘆の声を上げた。


「あ、ありがとう」

「どういたしまして。じゃ、今度は僕のを頼むよ」


 覇斗が右手の親指を差し出す。


「あんたの後だと、描くのが恥ずかしいわ。あたし、絵、得意じゃないし」

「なら、こうしようか」


 覇斗がいきなり平筆を左手に持ち、青い絵の具を右手の親指にまんべんなく塗り始めた。


「何してるの?」

「乾いたらそこの絵の具でジョーズでも描いてよ。目と口と牙さえ描けばいいから簡単だ」


 数分後、できあがったのは、三白眼ながら妙に愛嬌のあるジョーズの顔だった。


「上出来上出来」


 覇斗は大いに気に入ったようである。もし気に入らなければきっと「上手上手」と言って茶化していたことだろう。


続く

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