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特大家族──いい年してアレに夢中  作者: ブラックワン
第一章 「アレ」の達人
3/45

6月10日 その3

 さて現在、マイクロバスの中には、ここまで挨拶以外に一度も口を開いていない高校生が一人いる。彼女の名は平野茉莉花ひらの・まつりか。松鷹高校自然探究科三年生だ。


 艶やかな黒髪をポニーテールにし、前髪を目にぎりぎり掛からない程度にまで垂らしている。楓や千春子、美晴子と比べると若干地味な顔立ちではあるものの、知的で落ち着いた風情があって和風美人と呼ぶに相応しい気品が備わっていた。ただ、比較的小柄な上にかなりスリムな身体つきなせいか、制服(旧制中学時代からの伝統のセーラー服・スカート丈が膝まである)を着た状態だと、女子中学生に間違われることもしばしばである。


 ちなみにこの制服は生徒や親の間で野暮ったいと評判が悪く、千春子の学年からは著名なデザイナーによる今風のデザインに変更された。


 茉莉花は占いを趣味としている。バスの中でもスマートフォンの占いアプリを使って何かしら占っていた。なかなか優れもののアプリであり、トランプ占いや占星術、タロットや四柱推命など、世界中の占いを網羅している。さらに、それぞれの占いのパラメーターをユーザーの感性に合わせて細かくいじることができるようになっていた。


 例えばトランプ占いの場合、通常五十二枚のカードのうちどれを引くかは全く同じ確率である。ところがこのアプリでは、ハートのAを引く確率を百分の一、ダイヤの五は十分の一、というふうにカードごとの出現確率を変えられるのだ。そうすることで、カード一枚一枚に持たせた意味合いに加えて、そのカード自体のレア度をも加味した、より複雑で精密な占いが可能になるらしい。


 茉莉花の占いの的中率は恐ろしく高く、本職の占い師である母親のそれを遥かに上回る。母親に言わせると、生まれつきの霊感に支えられている部分が大きいそうだ。それでもなお、少しでも的中率を上げるための努力は惜しまない。アプリの設定画面と格闘しつつ、色々と占っては結果の分析を行う日々である。


 そんな茉莉花にとって、たった今聞きつけた楓と高柳覇斗との因縁話は、格好の占いのネタだった。これが恋愛に発展するか否か、早速アプリで占ってみることにする。無論興味本位であり、結果を誰に言うつもりもない。


 トランプ占いの画面を呼び出し、手帳を見ながら二人の生年月日や血液型などのパーソナルデータを入力する。それから現在の年月日と時刻を入力すると、画面に三個の「運命数」が表示された。次いで視線を画面の一点に集中し、一心と無心の狭間で、占いを行う時の特別な意識状態(瞑想状態に近い)を生じさせる。──彼女はその意識のまま、インスピレーションに基づいて占いのパラメーターに最終的な微調整を施した。そして、運命数の数字だけカードを引く作業を三回繰り返し、生まれた三つのカードグループを分析して運勢を判断する。


(なんこれ、こんなことっちゃあるがかな?)


 茉莉花はスマートフォンの画面に表示された結果に驚きを禁じえなかった。思わす眉をひそめて情報の整理と把握に努める。──なお、彼女は南波市生まれ南波市育ちの純粋な地元民であり、そのため思考にも訛りが混じるようだ。


(レアカードのオンパレードやわ。波乱要素が多過ぎて未来を絞りきれんちゃ)


 百分の一以下の出現確率に設定したカードが、連続して十数枚出る異常事態を目の当たりにして、茉莉花は早々に分析を諦め、呆然として楓の後ろ頭を見ていた。


(ハッピーエンド、死、泥沼、友人、離別、無関心、愛情、憎悪、破壊、祝福──今の段階で暗示される未来がカオス過ぎやわ。後で、別のやり方でも占ってみんと)


 茉莉花は、楓と高柳覇斗の今後をしばらくの間見守っていくことに決めた。たかだか占い、とはいうものの、なまじ的中率に自信があるだけに到底無視できるものではない。


(多くは望みませんから。どうか最悪の方向にだけは進みませんように……)



 その頃、隣町の総合支援学校に通う中等部二年生の宮城要くじょう・かなめは、とても愉快そうな笑い声を上げていた。左側を歩いていたお世話係の「お兄さん」が突然激しいくしゃみを繰り返し、鼻の下を鼻水だらけにしたのがおかしくてたまらないらしい。


「アハハハハハ」

と、身長百二十センチ、体重五十キロのぽってり体型の身体を丸め、「お兄さん」の顔を指さして爆笑している。その背格好に加え、髭一つないツヤツヤの真ん丸顔。とても十四歳の男子には見えない容姿である。


「なんだよ、チクショー、風邪か? それとも誰かが俺の噂してるのか? いや、俺は迷信なんか信じねえ。絶対に信じねえ。──なんだ、要、そんなに俺の顔がおかしいのか?」


 半袖のカッターシャツと学生ズボン。高校生とおぼしき恰好のスリムな体つきの「お兄さん」は、顎の細い端正な顔立ちに似合わない雑な口調で、要に問いかけた。


「アハハハハ、バカ、バカ」

「馬鹿に馬鹿と……うっく」

(馬鹿に馬鹿に言われたらおしまいだ)


 明らかにそう言い掛けて、「お兄さん」は急に口ごもった。くしゃみのせいで潤んだ切れ長の大きな目に反省の色が現れる。


(今のは俺の無意識の差別意識から出た言葉か? それともただのものの弾みか?)


 乱暴な口調とは裏腹の真面目な思考を一瞬巡らせながら、「お兄さん」はズボンのポケットを探った。いつの間にかくしゃみも鼻水も止まっていたが、出てしまった鼻水が消えてなくなるわけではない。


「チクショー、ティッシュもハンカチもねえや。──要、よこしやがれ」


 「お兄さん」は、要が首に掛けていくスポーツタオルを強引に奪い取った。汗臭さが気になったが我慢することにする。「散歩のお兄さん」は割とがさつで細かいことを気にしない人物という設定なのだ。


「アハハハハ」


 要は相変わらず大笑いのままである。


「ほら、返す」


 「お兄さん」は、自分の顔を拭いたタオルを要の首に掛け直してやった。


「……アララララ」


 「お兄さん」が普段通りの「カッコいいお兄さん」に戻ったので、要はどことなく不満げである。糸のように細い目と福々しいぽっちゃり顔、いつも笑顔のように見える要ではあるが、無論、そう見えるだけのことだ。しばらく一緒にいれば、感情による表情の変化を見分けるのは、そう難しいことではなかった。


「文句があったら言葉で言いな」


 「お兄さん」は要につい意地悪を言った。もっとも要には、意地悪を意地悪と理解できる言語力がまだない。


 要は、染色体異常による先天性の成長障害を抱えていた。身体と知能の両面において全般的に成長の遅滞が見られ、とりわけ言語面での遅れが顕著である。簡単な指示理解はできるものの、片言しか話せないために、意思をうまく言葉で伝達することができないのだ。


「ゴハン、ゴハン」


 胸の前で両掌を上に向け、要は食べ物を要求する仕草を示した。


「腹が減ったってか。──さっき食べたばっかじゃねえか」

「ゴハン! ゴハン!」

「──まあ、今日のお前は確かに根性があった。褒美をやらんでもない」


 「お兄さん」はボケットの中からキャンディを取り出した。ノンカロリーで虫歯予防の効果もあるとされているものである。早速手を伸ばす要を「まだだ」と制止すると、しゃがんでしっかりと視線を合わせた。


 一瞬びくっと緊張の色が見えた要に、「お兄さん」がニコリと微笑みかけ、先刻通り過ぎた道路沿いの大木を指さす。


「あそこまで行くぜ。あの木だ。あそこまで行ったらアメやるから、頑張れ」


 「お兄さん」はスッと立ち上がり、早足気味に歩道を歩き始めた。要が「アーアー」と叫びながら必死に追いかけていく。キャンディが欲しいのか、それとも「お兄さん」が近くにいないと不安なのか。脂肪過多の身体を揺すりながら、汗だくになって懸命に走る。


 要が散歩をするのは、ひとえに体力増強とダイエットのためだ。要は障害の影響で生まれつき全身の筋力が弱く、なおかつ食欲が抑えられないために幼児期より肥満体だった。必然的に運動不足となり、それがさらに体力不足と肥満に一層の拍車を掛けてしまう悪循環を生む。要の学校でも一応この点に留意した指導が行われているのだが、それだけでは量的に足りないらしく、家庭での散歩運動が日課となっていた。


 勿論いつもは家族との散歩である。宮城家の居候に過ぎないお兄さんが要と歩くのは一ヶ月のうち、第二月曜日とたまの土日だけだ。その日に「お兄さん」が要を任されている理由は以下の通り。


 一、要の父親は単身赴任で東京に住んでいる。

 二、母親は土曜日に上京し、掃除や洗濯など父親の身の回りのことをまとめて行う。

 三、母親は月曜日の夕方に帰宅する。通常は、要をスクールバスの停車場所まで送迎するのも散歩を行うのも母親の役目。母親が不在の時のみ、他の家族が持ち回りで世話をする。「お兄さん」も頼まれれば手伝う。

 四、第二月曜日は、要の学校で月例の職員会議が行われる日であり、給食後全校一斉に下校となる。

 五、迎えの時間に母親は間に合わず、他の家族や居候も、月曜のその時間帯は仕事や学業などで都合が悪い。

 六、お兄さんは、南波市のとある私立高校に自転車通学している。月曜午後も授業はあるものの、学業優秀の「お兄さん」にとって、月一度の早退くらいは何ら問題とならない。

 七、「お兄さん」は宮城家の居候となる際、家の仕事を進んで引き受けることを約束している。

 八、「お兄さん」は要が大好きだ。


 そんなこんなで、第二月曜日の「お兄さん」は、午前の授業が終わるや自転車を飛ばして帰宅し、タクシーで要を迎えにいって、自分の昼食もそこそこに水筒とタオルとおやつを準備し、要を軽装に身支度させ、それから散歩、というハードなスケジュールをこなしている。


「ようし、頑張ったな」


 イチイの大木の前で「お兄さん」は、息を切らせてやってくる要を、両手を広げて出迎えた。催促される前にキャンディの包装を破り、中身を要の口に入れてやる。要は両手で自分のほっぺたを押さえ、唇を前に突き出しながら嬉しそうにしていた。


「オチャ、オチャ」


 今度は喉が乾いたらしい。「お兄さん」が水筒を手渡すと、要は水筒のコップにゆっくりとお茶を移して飲んだ。以前はワンタッチでストローが飛び出るタイプの幼児向け水筒だったのだが、少しでも生活訓練ができればと、先月から「お兄さん」が昔ながらの水筒に替えた。すると、その日のうちに一人でこぼさず飲めるようになったのである。


 「お兄さん」は要のことを、やればできる人間だと思っていた。事実、食事や排泄、着替えには、遅いということさえ目を瞑れば、ほとんど介助が要らない。支援学校では、自分の力だけで絵を描いたり、はさみを使ったりすることもやっているようだ。自分からはあまり言葉を話せないとはいえ、こちらの話したことのニュアンスはなんとなく伝わっている実感もある。だから「お兄さん」は要に対し、必要以上に気を遣うことをしない。話す言葉は幼児語でなく普通の言葉。決して甘やかさず、常に精一杯の力を発揮するように求める。乱暴な口調も彼本来の柄ではないが、ストレートに意図が伝わりやすいと思い、敢えて使っている。どうせ母親と散歩する時は甘え放題、赤ちゃん言葉のオンパレードなのだ。せめて自分の係の時くらいはスパルタで、真に要の成長の手助けになることをする。──それが「お兄さん」の方針だった。


 散歩の帰り道は上り坂である。歩き続けるうちに要も段々と息が上がり、辛そうな表情になってきた。なんといっても今日は、普段の散歩より出発時刻が二時間ほど早い。ちょっとした遠足並みの距離を歩いているのだ。さっきマイクロバスとすれ違った時、二人は既に元来た道を引き返している最中だった。本当はもっと遠くにまで進んでいたのである。


 「お兄さん」は黙って近道を選んだ。桜や紅葉などの雑多な木々の木立の中を走る細い砂利道を行く。充分に歩きやすい道である。これで数百メートル短縮できた。


 ある時は叱り、ある時は励まし、ある時はキャンディとお茶で釣りながら、「お兄さん」は要と歩き続ける。


「アーアー!」


 突然、要が喜びの声を上げた。砂利道を抜けて元の大きな道路と合流した少し先に、見慣れた立看板があるのを見つけたのだ。塗装があちこち剥がれ、文字もすっかり薄くなってしまった古びた看板にはこう書かれている。


「歓迎 源泉掛け流しの宿 御伽郷温泉 あかりや荘 この先左折 スグソコ」


 そしてその看板の下部には、次のような文面の横長のプラスチック板が打ち付けられていた。


「宮城家(及び平野家・七瀬家)に御用の方はここにお越しください」


 黒々とした極太文字。プラスチックの艶やかな白。どうやらそのプラスチック板は比較的最近打ち付けられたもののようである。


 看板の通りに進むと、二人の前にコンクリート敷の広場が現れた。駐車場である。白い仕切線はほとんど消えており、僅かに白い跡が残っている程度に過ぎない。だが、その微かな名残の中に、一台のマイクロバスがきっちりと収められている以上、そこはまぎれもなく駐車場である。バスの側面には温泉の送迎バスであることを示すロゴがあった。言うまでもなく二人が先刻すれ違ったバスだ。「オー」と要は親しい友人に会ったかのように両手を振り回したが、既にバスの中には人影はない。


 バスを越えて二人はさらに奥へ入った。間もなくして透かしの入った板塀と、棟門と呼ばれる切妻屋根の門の前に着く。右の門柱には「宮城源太郎」と彫られた巨大な欅の表札が掛けられていた。だいたい縦一メートル横三十センチといったところか。一方、左の門柱には、「平野南花」「七瀬西起」の名が連記された正方形の控えめな大きさの表札が打ち付けられている。


 門をくぐり抜ける時、「お兄さん」は要と顔を見合わせた。


「お疲れさん」


 そう言って腰をかがめた「お兄さん」が、要の前に右の掌を向けた。要が自分の右の掌をパチンと合わせる。そして一歩進むと、色とりどりの草木の向こうに数寄屋造りの旅館風の大きな建物が見えた。いや、旅館風ではなく旅館そのものである。そもそも三年前に廃業するまでは、源泉掛け流しの温泉と和風庭園、川魚と山菜料理が自慢の、三十四室の客室と大小の宴会場、その他様々な施設を有するれっきとした温泉旅館だったのだから。


(ああそうか、それであの看板とでっかい表札か……)


 「お兄さん」は普段何気なく見過ごしてきた立看板と表札の意味に今はたと気付いた。


(あれがなければ、ここを初めて訪れる客は大概、住所を間違えたと思うだろうな。気の弱い人ならよく確かめもしないで、そのまま引き返してしまうかも)


 納得の思いで玄関の方を見遣ると、前で待ち構える複数の人間の姿が目に飛び込んできた。一人は要の母親、宮城都くじょう・みやこ。速彦の母親でもある。厚化粧の奥から上品さとかわいらしさがにじみ出る、宝塚の娘役の舞台姿を連想させる顔だった。今し方東京から帰ってきたばかりらしく、全身をベージュ色の高級ブランドで固めた「奥様お出かけモード」全開のままである。


「要ちゃーん! おかえりー! ママもただいまよーん!」


 甲高い声と大げさな手振りで要を招き寄せようとする都と、

「マンマー!」

と甘えた声でバタバタと都に駆け寄る要。母子にとっては第二月曜日のいつものセレモニーだった。都に抱き上げられ、何度も激しく頬ずりされて、要が幼児のようにキャッキャとはしゃぐ。「散歩のお兄さん」は自分の役割が終わったことを認め、ただの高校一年生「高柳覇斗」に戻った。


(──残りの連中は俺が目当てなんだろうな)


 面子を見れば、一人を除いて何の用事があるのかはたちどころに思い当たる。全員、制服を着替えてもいないところが、妙な意気込みを感じさせられて不気味だ。


 まずは、仁王立ちになって不敵な笑みを浮かべている宮城楓。用件は決まっていた。屋敷で出くわすたび、毎日と言ってもいいほどしつこく絡まれているので、うんざりするほどよくわかる。実際は覇斗も楓も色々予定の多い身であり、じっくり相手をしてあげられた日はほとんどないのだが、どうやら今日は違うらしい。


 次に、覇斗のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ小六女子三人組。彼女らにとっては、「お兄ちゃん」イコール覇斗なのだそうだ。家族には「お」を付けないのだという。実はこの三人とは後で会うことになっていた。毎月一回、新作の手品を披露するという、しなくてもいい約束をしてしまって今は激しく後悔している。その約束の日が今日なのだった。


 さらに、楓の後ろで何やらモジモジと恥ずかしそうに覇斗を見ているのが七瀬美晴子。なんとなく好意を寄せられているのには気付いているものの、ほとんど会話という会話をしたことがないだけに、気分は微妙である。覇斗の側から「何か用ですか?」と近づいていっても「いいですいいです、別にそんな」と言って逃げてしまうのだから盛り上がりようもない。深く知らない相手にうかうかと手を出して面倒なことになっても嫌なので、取り敢えず放っておくことにしていた。


 最後は、これまでほとんど接点のない平野茉莉花。美晴子から少し離れた位置に佇み、無表情で覇斗を見ている。心当たりが全くない。学校も違うし年齢も違う。これといった共通の話題もなく、そもそも挨拶以外の言葉を交わしたこともないのだ。


「みんな、ただいま!」


 ひとまず覇斗の側から声を掛けると、普段通りに「おかえり」の声が帰ってきた。


(よかった。声の調子は全員普通だ。さてと、これからどうしたものか……)

「茉莉花さん、今日は珍しいですね。──僕に何か?」


 一瞬の逡巡の後、覇斗は目的の一番はっきりしない茉莉花に、まず声を掛けてみた。茉莉花が表情に乏しい顔を僅かに青白くさせる。そして静かにこう言った。


「ええ、実は少しお話がしたくて……」

「茉莉花、ちょっと待った」


 楓がダッシュで二人の間へ強引に割り込んでくる。茉莉花からの唐突な誘いに対して覇斗が「えっ」と驚く、その暇すらなかった。いったい何事かと身構える二人を楓が一瞬キッと睨む。


「あのね、知らなかったとはいえ、順番は守ってほしいのよね。覇斗君はこれからあたしとじっくりアレをするのよ。──ね、覇斗君。前に約束したでしょ」

「あ、ああ、お互いの暇な時間が一致したらやろうって言ってたな」


 楓が、どうよ、とでも言わんばかりの得意げな表情で茉莉花を見る。


「じゃあ、あたしらの方が先約じゃん」


 突然、小六女子トリオの一人、宮城みゆき(くじょう・みゆき)が楓の前に立ちはだかった。ちょっとつり目で勝気で活発。髪をツインテールにしていなければ、きっとカッコいい美少年に見えることだろう。実は彼女、楓の妹なのだった。


「──姉ちゃん、こっちは日時指定ありで、それがジャスト今なんだ。こっちの約束が終わんない限り、お兄ちゃんは暇とは言えないよ」

「ちょっ、みゆき。何それ。──覇斗君、本当なの、それって」

「本当だよ。散歩が終わったら僕の部屋で手品を見せるって約束してた」

「そんなあ。せっかく朝から楽しみにしてたのに。──みゆき、ちょっとは姉に譲ったらどうなのよ」

「あのね、知らなかったとはいえ、順番は守ってほしいのよね」

「ぐぬぬ」


 さっき茉莉花に使った言葉をそのまま自分に返されて、楓は歯噛みした。


(ネット以外で『ぐぬぬ』なんて言葉に初めて出会ったな。まさかリアルで聞けるとは)


 妙なところに感動している覇斗に、茉莉花が目配せする。


「高柳さん、また、別の機会にお話しましょう」

「あ、いいんてすか?」

「ええ。今でなくては駄目という話でもありませんから。では……また」

「すみません」


 覇斗は、踵を返して去っていく茉莉花を無性に引き留めたい思いに駆られつつも、そのまま見送った。やがて視線を移すと、ほんの僅かな隙にいつの間にやら、しょぼくれ返る姉と勝ち誇る妹の図が出来上がってしまっている。


「楓さん、手品はじきに終わるから、そんなに落ち込まないで、僕の部屋で待ってるといいよ」

「姉ちゃん、そうしなさい。一緒に手品見よっ」

「わかったわよ。待つわよ」


 拗ねた目で渋々応じる楓を、覇斗はかわいらしいと思った。


「わぁ……ハトくん、優しいんだぁ」


 傍らで美晴子がうっとりと呟いている。結局のところ、美晴子が覇斗に抱く幻想は、大してダメージを受けなかったらしい。


 楓はそんな美晴子を最初いまいましく感じたが、ふと思いついて、こう言ってみた。


「美晴、そんなに覇斗君が気に入ってるんたったら、あたし達と来ればどう?」

「えっ」


 美晴子が、想定外のお誘いに目をぱちくりさせる。


(この際だし、理想と本物の高柳覇斗をじっくりと比べさせてあげるわ)


 楓の意図はそのようなものだったが、一方の美晴子は降って湧いたようなチャンスに大混乱をきたしていた。


「え、え? え?」

「美晴子さんも来ますか?」


 どうせ、遠慮するんだろうな、と思いつつ、覇斗も駄目元で誘ってみる。


「え、いいですいいです、お邪魔でしょうから」

「別にそんなことはないですよ。なんのおもてなしもできませんが……」

「じゃ、じゃあ、是非お伺いさせてください。わあ、嬉しいなぁ」


 美晴子は満面の笑みで覇斗の招きに応じた。覇斗にとっては少し意外な結果である。だが、よく考えれば、別に二人きりで会うわけでもなく、幾ら美晴子が引っ込み思案でも、ハードルは元々そんなに高くないのだった。


 楓は、美晴子の覇斗に対する好感度がさらに一段上がったのを感じ、いささか複雑な気分である。


(こいつ、相変わらず年上には凄く礼儀正しいし、気配りもできるのよね。で、同い年には明るい気さくな感じを前に出して、年下には相手を見て対応を変える。器用なんだろうけど、本心が掴めなくてなんかヤな感じ)


 基本的に思ったことを思ったままに話してしまう楓にとって、相手により接し方をガラリと切り替える覇斗は、本音の見えにくい理解しづらい存在だった。


「さあ、話も決まったことだし、行こうよ、お兄ちゃんの部屋へ」

「よし、行こうか」


 みゆきに急かされ、覇斗がゴーサインを出す。小六女子トリオがはしゃぎ気味に歓声を上げ、皆、一斉に動き始めた。──刹那、一行の前に電光石火の勢いで立ち塞がるベージュの影。人呼んでブランドお化けの姿がそこにあった。


「覇斗さん」


 都が、軽々と抱き抱えている要を、すっと覇斗に差し出す。


「え」


 覇斗は、弾みで要を不用意な姿勢で受け取ってしまった。不意にのし掛かる五十キロの重みに、危うく腰砕けになりそうになりながらも、なんとか持ちこたえる。


「要ちゃんたら、随分汗をかいてるみたいなの。お風呂に入れてくださらない? お世話係のついでと思って。お願いしますわ」


 覇斗以外の全員が「えーっ!」と叫んだ。


続く

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