灰色の影
白いシーツの海にひたひたに溺れる。何度も何度も踵で蹴って乱れたそこは弛み、灰色の影を落とし、白く純粋無垢なそれはどこか扇情的あるべきだ。そうでないと、この非生産的な性行為らしきものになんの価値もなくなってしまうから。
つい今しがたまで男のブツを銜え込んでいた僕のそこは自分でも分かるほどの収縮を繰り返していた。まるで呼吸をするみたいに。酸素不足なのかと思う程激しいセックスではなかったし、乱暴な一方的な暴力のような、そんな行為でもなかった。今だって気遣うように後ろから僕を抱き締めながら緩く腕を撫でてくれる。髪に押し付けられた唇から生温かな吐息が漏れて僕の細い髪の毛の間を縫って、這って、頭皮に纏わりつくように触れる。文字の表現で分かると思うけれど、決して心地の良い感覚ではない。他人の吐いた二酸化炭素は汚れている。体内の色々が混ざって、きっと、汚物よりも汚いと思うんだ。沈むような感覚に瞼を閉じれば白い海の面積は引っ込んで、映画みたく、上と下が黒くなる。字幕はない。何故なら音声映画ではないから。ただの、面白くもない現実世界。僕の網膜と角膜と、その他諸々の視神経と脳が絡み合って生成されるただの電気信号的な、何かしら。そう思っていると全部黒色になる。かといって眠気はないから意識が落ちるというものに苛まれる必要はなく、相変わらず彼の吐息の温度が僕の頭皮から流れ込んでなんだか気持ちが悪くて、顎を引いて、距離を取った。その隙間を埋めるようにか、彼の手が僕のお腹側に回って平べったいそこをゆるゆると撫でた。何も思わない。僕の世界は黒くて、聴覚とか、そういう他の感受する場所が敏感になっている筈なのに、僕は、何も思わない。なんだか可笑しいなと思って頭を動かしてみれば、髪とシーツが擦れ合う軽い軋みの音が聞こえて髪が弛む。それだけだ。
なんとなく堪らなくなって、彼の手に触れてみれば前腕に。緩くふさふさと、毛が生えていた。嫌悪感はない。なんというか、それよりももっとずっと衛生的にも人間的にも汚いことをしたのだから。そういえばネットによく、身体を見て幻滅したとかあるけれど、人間なんだから別にいいんじゃないかと思う。人って何かしらの欠陥がある生き物で、それが身体的特徴に出たっていいじゃないか。セックスなんてそれよりももっとずっと、汚いことなのだから。
「シャワー。」
それだけ囁けば十分だった。先に行く?どうする?一人で大丈夫?他愛もないような、重要なような、愛のないピロートークだなぁと思う。でもこんなものに愛なんてものがある方が随分な困りもので、これくらいの温度が、これくらいの感情の薄っぺらさが、僕には心地良かった。腕が解けて布団が捲られ空気が入り込んで少し冷たくなる。先に彼がシャワーへと向かった。
中出しはされない。するなとは言っていないけれど、しないのは当たり前だった。性に疎い頃は男同士で孕まないんだから別にいいんじゃないかと思っていたけれど、今となっては白血病とかそういう色々な感染症があることを知った。ネットで少しのキーワードを入れて検索を掛ければ、嘘か本当かは別として色々なことを色々な人が教えてくれた。肛門感染は、なんだか、ヤバいらしいと。ゴムを付ける時はなんだか、すごく滑稽。最初にウォシュレットでお尻を綺麗にするんだよと教えられた時の驚きと言ったら。変な人もいた。蛇口にホースを繋いで、お尻に突っ込んで、水で中を綺麗にする。お腹がぱんぱんになって、汚いものがたくさん出た。苦しくてつらかったし、汚くて恥ずかしかったし、でも、悲しくはなかった。色んなものでどろどろになる僕をその人は優しく丁寧に綺麗にしてくれた。そういう性癖の人だった。
シーツを指で引っ掻いて、皺を作る。灰色の影。扇情的でなければいけない。灰色もいいけれど、青い影も素敵だろうな。深雪の影は青いんだと、誰かが言っていた気がする。その人はきっと感性が綺麗なんだ。このシーツの影を見ても、灰色以外の色を答えてくれるんだろう。自分が汚れているか、なんて、そんな問い馬鹿らしい。僕は普通だ。それなりに汚れていて、それなりに綺麗でもある。男の人からお金をもらってセックスをしたってセックス自体に溺れるわけじゃなかったから、いいんだと。自分に言い聞かせるのだ。
最初に、あの人に添い寝をしてもらった日。人と触れ合うことの温かさと幸福感を知った。温かい何かに包まれて、心までぽかぽかと、こんなに温かくて幸せなことがあるのかなって、不思議な気持ちになった。セックスはしていない。キスだって、フェラだって、なんだってしていない。彼に会えるのは半年に一度切り。メールの返事だって、2カ月に一度だけ。会ったのは、たったの二回。何もしていない。なんだって、していない。彼は自分の事を狼だよ、なんて言っていたけれど。ウソばっかり。心地の良い暖かな、透明な、綺麗な嘘。彼になら抱かれたかった。オナホ扱いくらいしてほしかった。そうすればきっと、何かが変わっていたと思う。愛だの、恋だの、そんなものにうつつを抜かしていた僕。彼とならエッチをしても構わないと思っていた。彼が、好きだったような気がする。
彼の影を探していた。彼の代わりを探してハッテンバサイトに行ってみたり、掲示板に書き込んだり色々した。それでも中々声を掛けられることがなかったからわざとらしいエッチな煽り文句を書き込んだこともあった。フェラとか、手淫だけをしてさようならをする相手。添い寝だけ。お話だけ。食事だけ、チャットだけ。色々な相手がいた。誰の名前だって、ほとんど覚えていない。最初は癒し系だね、とよく言われる。喋り方がへんてこで、恥ずかしがり屋というか人見知りで、すぐに顔が赤くなるから。人見知りというより、恥ずかしがり屋という方が聞こえがいい。きっと可愛いかんじがするからだ。高校生だという潔いブランドを使えるのは今だけで、来年卒業したらどうしようかなんて、たまに、進路よりも気になったりする。変態というか、へんてこだ。
僕は、セックスなんて好きじゃない。嫌いでもない。
誰かと一緒にいるために、こうするしかなかっただけ。こうしていなくちゃ僕は、一人きりで、きっと、ひどく孤独なんだ。シーツに爪を立てる。灰色の影が増えただけだった。