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短編集  作者: オスカー
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仲良しの檻

 友達と友達の悪口を言う。友達と友達をからかう。友達とご飯に行って別の友達の噂をする。

 後ろでいつもクスクスと笑われている気がする。いつも私がしているように、いつも私と一緒に他の人を笑っている時のように、私が対象となって笑われている。きっと、勘違いではないだろう。虐めという大きな学生生活の事件、それほどバイオレンスなイベントは起きないとしても些細な諍いはいつもある。私は誰かに笑われていて、私は誰にでも笑われている。その音が耳に聞こえてしまうと世の中を感知するセンサーが狂ってしまって、途端に私に攻撃的な世界になってしまうのだ。さらりと聞こえる他愛もない会話、のような、嫌味。「○○ちゃんのノートって見やすいよね」と、私がノートを見せた放課後他の友達に話しかけるあの子。私服でお出かけに行ったとき、「あのスカート貴族みたい」という後ろから聞こえる小さな笑い声。いつもは似合ってるって褒めてくれるのに、きっとそれはネタとしてからかっているだけで、面白いだけなんだろうな、と。

 不思議な気持ちになる。

 私は私以外の人が皆嫌いだ。私は友達と友達の悪口を言っている。でも、悪口を言わない人もいる。ターゲットにならないのだ。私が嫌い、嫌い、と思ってもその嫌い嫌いを言える相手がいない。その人が人望に厚いわけでも素晴らしい人間という訳でもない。仲良しの、檻の中だから。でも私は言われている。私とあの子は言わないのに、私とあの子の悪口を仲良しの他の子は言っている。親しき仲にも礼儀あり、というか、どこにもかしこにも軽い本音が散らばっていて物事の本質なんてものはすでにこの世界から消え失せている。私はいい人ではない。悪口を言うから。悪口は楽しいのだ。オモシロイ。人を嘲笑うのは面白い。

 きっとこの檻を抜け出してしまえば、誰とも、未来はないだろう。

 そして次に収監される檻の中だって、その場限りの愛想笑いで過ごしていくだけ。

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