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第5話

 リーゼと話していると扉を叩く音が聞こえた。彼女が先ほど頼んだ付き人が戻ってきたのだろう。


「どうぞ」

「失礼する」


 中に入ってきたのは、メイドらしき服装をした小柄な少女。足元近くまで伸びている金髪と、俺よりも鮮やかな赤い瞳が印象的だ。彼女の手には黒衣が持たれており、無駄のない動きで近くまで歩いてきた。

 ――……何でこの子は、俺のことを凝視しているんだ?

 こちらを真っ直ぐに見つめる少女の瞳には、驚きのような色が見て取れる。しかし、俺は別にアスラに瓜二つというわけではない。驚かれる理由は……あったとしても、このような男が魔王になるのかといったものしかないだろう。


「えっと……どうかしたか?」

「いや……懐かしい知り合いの顔を思い出しただけだ。それよりリーゼミレア、大丈夫と言っていたが彼の衣服には血が染み付いている。嘘は良くないぞ」


 懐かしいという言葉にも疑問を抱いたが、リーゼと対等に話しているほうが気になった。メイドが主にそのような口を聞いても問題ないのだろうか。


「ノワールは怪我の具合はどうなのかと聞いたじゃありませんか。だから大丈夫ですと答えたのです」

「……こちらにも落ち度があったことは認める。しかし、もう少し気を利かせてもいいだろう」

「ふふ、すみません……シンクを置いてけぼりにしてますね。シンク、こちらは……」

「自己紹介くらい自分でする」


 と、リーゼの言葉を遮った少女は黒衣をテーブルに置いてから再度俺に顔を向けた。


「はじめまして、新たな魔王。わたしはノワール・ドラボルグだ」


 スカートを摘みながら挨拶する少女には、年不相応な淑女さが感じられた。彼女から漂う雰囲気も、何故かリーゼよりも年上のように感じる。身長があまり伸びなかっただけの可能性があるため、すでに彼女は成人しているのかもしれない。


「こちらこそはじめまして。俺は……シンク・ルシフェルってことになるのかな?」

「そうですね。今は式が行える状態ではありませんので厳密には違いますが、そう名乗っても構わないでしょう。それと、ノワールにはシンクの身の回りの世話を頼んでいますので困ったときは何でも言ってください」


 にこりと笑うリーゼに礼を言うべきなのかもしれないが、身の回りの世話というのがどこからどこまでなのかが非常に気になってしまう。

 部屋の掃除くらいならばありがたいが、着替えまで手伝われるのは堪ったものではない。これまでの習慣から言って、着替えくらいは自分だけで行いたい。それに、小学生くらいの背丈の子に世話をしてもらうというのは……何というか申し訳ないというか情けなく思ってしまう。


「あっ……でも、その……如何わしいことはダメですよ」

「は……?」

「そこは聞き返さずに理解してほしい。リーゼミレアも年頃の娘だ。色々と興味がある」

「ノ、ノワール、そういう言い方はやめてください。変な誤解をされるじゃありませんか!」


 顔を赤くしながら怒るリーゼと、何事もないように聞き流しているノワール。何というか、はたから見ていると妹にからかわれて怒っている姉のような構図に見える。主従以外の関係に思えるだけに、ふたりの関係は実に気になる。


「シンク、変な誤解はしないでくださいね!」

「ああ、それは大丈夫だから落ち着いて。……ところで、ふたりはどういう関係というか、ノワールって一体何者なんだ? 普通はリーゼにそんな態度はできないと思うんだけど」

「それは……」

「あぁそれはですね――」


 ノワールが口を開こうとした矢先、落ち着きを取り戻したのかリーゼが口を開いた。少しだが、ノワールの顔が不機嫌になったように思える。


「ノワールは私が生まれる以前からここに仕えてくれているんです。言うのは恥ずかしいですが、私も小さい頃は彼女に世話してもらっていたんです」

「……歴代の中でもリーゼミレアは手間のかかる子供だったな」


 仕返しなのかノワールは何かを思い出しながらしみじみと言った。リーゼが再び顔を赤くして小言を言うまでもない。

 ノワールの言い方からして長い間仕えているように思えるが、どう見ても彼女は子供だ。大人だとしても何代も仕えてきたならば老婆と呼べる年齢のはず。さすがにこの容姿はありえない。


「あのさ……ノワールって何歳なんだ?」

「シンク、女性に年齢を尋ねるのは失礼です」

「別に構わない。わたしの今の見た目を考えれば当然の疑問だ。初対面の相手がなおさら。わたしの年齢は……確か」

「や、やっぱり具体的な数字はいい」

「そうか? まあ、いいというなら答えないでおくが……そうだな、この国が出来た頃から仕えているから最年長の部類に入るとだけ言っておこう」


 この国が出来た頃……それって初代魔王から仕えているってことだよな。俺で何代目になるのかは分からないけど、少なくともノワールの年齢は3桁に上っているはず。

 魔法なんてものが存在していることから覚悟はしていたし、兵達の中には人間以外も混じってる感じだったから分かってたけど、彼女は人間じゃないのか。


「ノワール……さんは、人間じゃないんですか?」

「ああ、わたしは吸血鬼だ。それと呼び捨てでいいし、タメ口で構わない。そちらは魔王で、わたしは使用人なのだから」

「分かった……吸血鬼か。だからさっき血がどうのって言ってたのか」

「そうなる。ずいぶんと長く生きているから若い吸血鬼のように衝動的に血を吸うことはないに等しいが、君は初代によく似ている。血の匂いも実にわたし好みだ。さぞ味もわたしの好みだろう」


 ノワールの顔を見る限り冷静さはあるようだが、どことなく恍惚さがあるように見える。リーゼがいるので、いきなり血を吸われるということはないだろうが不安は消えない。というか、俺はどのように反応すればいいのだろう。


「とはいえ、襲ったりするつもりはないから安心するといい。君はリーゼミレアの夫になる予定があるしな。まあ君のほうから来た場合は、立場的にも受け入れるが」

「ノ、ノワール、ななな何を言っているんですか!?」

「別におかしいことは言っていないだろう。歴代の魔王の中には側室を持った者はそれなりにいたのだから。それに……わたしとて女だ。人肌が恋しくなるときもある」


 ノワールの言葉に何を想像したのか、リーゼの顔は茹でたタコのように真っ赤になる。いつもこんな風にからかわれているに違いない。

 それにしても、年頃とはいえここまで反応する人間は極稀なのではないだろうか。というか、リーゼは清純そうに見えるだけにむっつりだったのが意外だ。

 ――……きっとアスラとの将来も考えたことがあるんだろうな。

 つくづく俺はリーゼにふさわしくない。魔剣の問題と迫りつつある危機などから魔王になる他ないわけだが、夫婦として振る舞うのは最低限の時だけにしよう。そのほうが彼女を苦しませることはないはずだ。


「それよりリーゼミレア、君は部屋から出て行け」

「この流れで出て行けるわけないではありませんか!」

「着替えてもらうから出て行けと言ったのだが……裸が見たいのか? いやまあ、異性に興味があることは知っているが」

「だから誤解を招きそうなことを言わないでください!」


 と、ノワールに怒声を浴びせたリーゼは足早に出て行った。扉の閉まる音の余韻が消えると、部屋内はわずかな時間静まり返ったが、ノワールの視線が俺に向くのと同時に無音は消えた。


「あまり時間をかけると誤解されかねないから手短に済ませよう。脱げ」


 異性(しかも見た目は小学生)から脱げと言われたのは人生で初めてだ。ここですぐに脱げる奴は脱げるのだろうが、あいにく俺は使用人がいるのに慣れている御曹司でもなければ、体を自慢できるマッチョでもない。脱げと言われて脱げるわけがない。


「腕も一応動かせるし……できればひとりで着替えたんだけど」

「……分かった」


 身の回りの世話をするのがわたしの仕事だ! などと言われたらと不安だったが、どうやら筋金入りのメイドではないらしい。いや長年務めたメイドだからこそ、主の意思を尊重しているのか。まあどちらにせよ、これで心置きなく着替えられ……


「……何でそんなにこっちを見てるんだ?」

「ちゃんと着替えられるか見届けるためだ」

「俺はそこまで子供じゃないんだが」

「わたしからすれば、そのへんの老人でも子供と変わらん。まあ本音を言えば……目の保養だ」


 この合法ノリ的な吸血鬼は何を言っているのだろう。先ほどのリーゼのときのようにからかっているのだろうか。しかし、吸血鬼の目は真剣……これもブラフという可能性も否定できない。考えてないで言葉で気持ちを伝えよう。


「出て行ってもらえると助かるんだけど」

「出て行ったら部屋の外にいるであろうリーゼミレアから何か言われるだろう。ただでさえ、今でも扉越しに聞き耳を立てているかもしれないというのに」


 そんなことしてません!

 と、聞こえるかと思ったが、どうやらリーゼは俺達の会話を聞こうとはしていないようだ。普通に考えれば、そのようなことをする子ではないと思うのだが、ノワールとのやりとりを見たせいかイメージが揺らいでしまっている。


「じゃあ、せめてこっちを見ないでくれ」

「……ダメか?」

「上だけならともかく、下も着替えるんだからダメだ」


 というか、何で上目遣いで可愛い声を出したんだ。見た目はあれだけど、落ち着きのある女性だろあんたは。もしも今みたいにして人を騙しているのなら悪魔認定するぞ……ノワールは吸血鬼だから、俺の感覚で行くと悪魔みたいなものだけど。


「魔王は恥ずかしがり屋だな。まあ、機会は今後いくらでもあるから今回は従ってやろう」


 こちらに背中を向けてくれたが、その際に言った言葉が言葉だけに全く信用できない。俺との関係を魔王と使用人だと言う割に、この吸血鬼は俺のことを兵達が思っているものとは別の意味で魔王扱いしていない気がする。

 とはいえ、いつまでもこのままというわけには行かないため、様子見として上から着替えることにした。現状のような変な緊張感を感じるくらいなら、恥ずかしさを我慢して手伝わせたほうがマシだったかもしれない。


「む……音だけというのも、想像力をかきたてられて興奮してくるな」


 呼吸がやや荒くなっているだけに、言っていることは真実である可能性が高い。見た目は子供くせに考えることは大人過ぎる。

 冷ややかな視線を送っていると、ノワールが少し慌てながら「いかん、性的興奮は1番血が吸いたくなってしまう」などと危険極まりないことを言った。そのため俺は着替えるのを中断し、数歩後退しながら彼女をしばし観察する。


「おい何をしている。さっさと着替えろ」

「だったら黙ってじっとしててくれ」


 普段よりも強めの口調で返事をした俺は、覚悟を決めて速やかに着替えを終わらせようと動き出す。

 ノワールに気を取られていると着替えるのが遅くなりそうなのだが、リーゼがむっつりに育ったのは彼女が原因ではないのかと思ってしまった。俺は無意識に手を止めて、視線を彼女の方へと向ける。


「……着替え終わったのか?」

「い、いやもう少しだ!」

「今の状態のわたしに見られると思って慌てるとは……可愛いところがあるじゃないか。っと、また興奮してきてしまった」


 急いで着替えながらノワールが振り返るのではないかと確認していると、何やらもじもじしながら独り言を言っている。先ほど興奮するといった発言をしてだけに、今にも血を吸いに来るのではないかと不安で仕方がない。

 魔剣用と思われる剣帯やロングコートは身に着けていないが、とりあえず見られても問題ない状態になった俺は、不安を掻き消したい思いでノワールに終了を告げた。


「……まだ途中じゃないか」


 こちらを見たノワールは、落胆した顔を浮かべた。確かにまだ身に着けていないものはあるが、そこまでがっかりされることではないと思う。

 そもそも、彼女はいったい何を期待していたのだろうか。スタイルが良いと何度か言われたことはあるが、着慣れていない感が溢れているので栄えてはいないと思うのだが。まあ渡された衣服が全部黒なので栄えないといえば栄えないのだが。


「……なるほど。魔王はこう言いたいのだな。残りはわたしに着せて欲しい、と」

「どうやったらそんな解釈になるんだ……」

「ほら、ぼさっとしてないで袖に腕を通せ」


 着せて欲しいと言った覚えはないのだが、抵抗するのも面倒臭かったので素直に腕を通すことにした。他人から着せてもらうということには、慣れていないだけに何とも言いがたい感覚に襲われる。単純にノワールとの身長差があるために着づらいだけかもしれないが。


「剣帯はどうする?」

「付けるんじゃないのか?」

「そっちじゃない。剣は背中と腰、どっちに付けるんだと聞いているんだ」


 だったら最初からそう言ってくれ。俺は剣なんか身に付けたことなんてないんだから。と、内心でノワールに文句を言いつつ、背中にするか腰にするか考える。

 アスラは腰につけていたが、あの魔剣達の重さを考えると背負った方がいいのではないかと思う。しかし、あれを背負って生活すると考えると、下半身だけでなく上半身にもきそうだ。それならば腰に付けていたほうが負荷のかかる部分は減るのでは……。


「……腰で」

「そうか」


 何か言われるのではないかと思ったが、ノワールは淡々とした返事をすると慣れた手つきで剣帯を付け始める。角度によっては誤解を招かれない構図なのでは……、と思ったがすぐに頭の中から消し去ることにした。

 まずナハトを手に取って左腰に付けると、ずしりとした重さが体にかかる。これ1本だけでも、身に着けて1日過ごせば筋肉痛になりそうだ。だからといってイグニスを放置するわけにもいかないため、空いている右腰に付ける。体にかかる負荷は増したものの、二振りの重さがほぼ同じということもあってか、一本だけ身に付けているときよりバランスは良く感じた。

 意識を剣達からノワールに移すと、何やらこちらを凝視していた。用意されたものを身に着けただけだが、おかしなところでもあるのだろうかと思って見てみる。

 ――……全身黒ずくめで剣を身に着けている状態というのは、もはやコスプレだよな。

 ここではそうは思われないだろうが、感覚の違う俺からすると正直恥ずかしい格好だ。剣は実戦で仕えるため恐怖心もある。人は慣れる生き物だというが、この格好に慣れるのはいつの日になるだろうか。


「……似合ってないよな?」

「ん、あぁいやそんなことはない。むしろ似合いすぎてるくらいだ。本当にお前は初代魔王に似ている……もしかして血縁者か?」

「それはないと思うが……前に住んでた場所とは世界が違い過ぎるし、先祖に凄い人がいたってのも聞いたことがないから」

「そうか……まあ君は召喚に巻き込まれて来たと聞いているしそうなのだろう。ただ、まだ生まれ変わりという可能性はあるぞ」

「それは否定できない可能性だが、今の俺にその人に関する記憶はない。でも……その人くらいの魔王になれたら、とは思うよ」


 歴代最強と謳われ、ルシフェルという国を作った人物。今の俺と比べれば天と地ほどの差がある。彼と同じ場所に立つためには、血反吐を吐くような苦労……もしかすると一度の人生だけでは足りない苦労が必要なのかもしれない。

 だがそれでも俺は、どんなに傷ついても生きている限り歩み続けなければならない。それが俺の戦いであり、償いなのだから。


「……君ならなれるかもな。……何だその顔は?」

「いや……何を根拠に言ってるんだろうと思って。正直に言うけど、俺は剣も扱えないし魔法だって使えない。ただ魔剣から気に入られただけの子供に過ぎないんだが」

「ふ……歴代最強などと言われているが、あいつが本当に強かったのは《心》だ」


 ノワールが言うには、初代魔王が生きていた時代はまだ《魔国》というものは存在しておらず、種族による差別や争いは今の比ではなかったらしい。

 そんな時代にも関わらず、初代魔王は他種族だろうと差別しない人間だったそうだ。彼は皆が平和に暮らせる場所を作るために戦い、それがいつしか魔国という形になっていたらしい。

 人間達からは軽蔑され、他種族からも敵視される。

 初代魔王の戦いは、孤独のスタートだったとしか思えない。しかし、それにも負けず自分の信念を貫いて魔国というものを造り上げた彼は、力と想いを併せ持っていたに違いない。彼のような人間の持つ強さこそが《本当の強さ》と呼ばれるものなのだろう。


「君はあいつに近い心を持っている。歩み方次第では、あいつのようになるだろう」

「何を根拠に言ってるんだか」

「それは……そうだな、まず第一にわたしが吸血鬼だと分かっても普通に話していることだ。君は吸血鬼、いや他種族と話すとは今日が初めてだろう?」


 疑問系ではあるが、ノワールの瞳には確信めいたものが見える。


「……よく分かったな」

「伊達に長生きはしてないさ」


 簡潔に終わらせたが、おそらく長年の経験から表情から心を読み取ったりできるのだろう。元いた場所ならば、ノワールは国宝扱いされるのではないだろうか。まあこの国でも皇女にタメ口を許されているあたり、ある意味国宝扱いされていると言えなくもないが。


「……で、何で普通に話せることが理由になるんだ? この国には大勢いるだろう?」

「確かに、魔国は多種族の国だ。種族が違っても話せる者はたくさんいる。が、君のように幼い頃から他種族に触れ合ってこなかったのに短時間で話せるようになる者は極めて稀だ」


 人間は他種族と比べれば優れた身体能力もなければ、特別な力も有していない。それが元で他のものを妬んだり恐怖する。だから俺のような者は珍しいと言いたいのだろう。

 ノワールの言いたいことは分かる。だが人間だけの世界で過ごして俺からすれば、同族の間でも妬みや恐怖が存在することを知っている。

 ――だから敵意があるならまだしも、見た目だけで差別する理由はない。……いや、俺が他種族に無知だからこう思えるのかもしれない。

 聖国の人間は他種族の恐ろしさを知っているし、教えられているはずだ。だから他種族や他種族と共存する魔国の人間を敵視する。

 対立をなくすためには、聖国……いや両国に所属する全ての国の意識を変えるしかないのだろう。だがそれには長い時間は必要になるだろうし、事が進む上で争いは必ず起こるはずだ。もしもリーゼがこの道を望んだならば、俺はそれに従う。しかし、俺は俺のままでいられるだろうか……。


「聖国の人間ならば、わたしとまとも話せない。かといって魔国の人間ならば、その年まで他種族と接しないと言うことはまずないだろう。はてさて……君はいったいどこからどうやって、何のために来たのだろうな」

「場所と方法に関しては言葉に出来ても、目的に関しては俺も知りたいところだな。まあ何となく君の言いたいことは分かったよ」

「そうか」

「ただ……あまり過度な期待はしないでもらえると助かる」

「言われなくて分かっているさ。君は君、あいつはあいつだ。君は君らしく進めばいい」


 ノワールの言葉に、少しだけ気持ちが楽になった気がした。どんな内容であれ、弱音を吐けたことが理由だろう。

 リーゼが人前では皇女として振る舞うように、俺もこれからは彼女達の前では魔王として振る舞わなければならない。弱音を吐ける相手がいるというのは、きっと大切なことなのだろう。


「ただ……ひとつだけお願いがある」

「お願い?」

「リーゼのためにも生き続けてくれ」


 一瞬血のくれとでも言われるのかと思ったが、どうやら真面目な話のようだ。俺の思考が切り替わるのとほぼ同時に、ノワールは続けて言った。


「君はこれから戦場に立つことだってあるだろう。無理な願いをしている自覚はある。だが、リーゼは優しい子なんだ。人のためなら自分の心を凍らせることさえ厭わないほどに」


 昨日リーゼに冷たさを感じただけに、ノワールの言っていることが理解できた。

 普段だろうと皇女として振る舞っているときだろうと、表面上はそう変わりはしないように見える。しかし、表情から伝わってくるものが違うのだ。笑顔で例えるならば、普段は太陽だが皇女のときは月といった感じだろうか。


「きっと会談に行ったせいでアスラや兵達を死なせてしまった、と自分を責めているに違いない」

「……ああ。そういう意味合いのことを言ってたよ」

「そうか……ならば尚のこと君には死なないでもらいたい。あの子が弱音を吐ける相手は少ないのだ。アスラが死んだこともあってあの子の心は疲弊している……あっ、別に君を責めるつもりは」

「気にしてないし……アスラは俺を庇って死んだんだ。俺が彼の死に絡んでるのは紛れもない事実。責められても受け入れるさ」

「……だからといって生き急がないでくれよ。君が魔剣達に紋章を刻まれるほどの継承者だったり、初代魔王と同じ特徴を持っていたからこそ、アスラの死には意味があったとリーゼは耐えれているんだ」


 ただの人間だったら今どうなっているか分からない、といったノワールの発言に、俺は恐怖ではなく安堵を覚えた。誰からも非難されたり、本音を言われないというのはかえって俺の心を苦しめていたのだ。


「君まで失えば、聖国全てを滅ぼそうという破滅の道を取ってもおかしくない。あの子にはそういう危うさもある。だから……生き続けてくれ」

「善処はするさ。アスラから……リーゼのことを頼まれたし、彼の分までこの国に貢献することが俺の償いだろうから」


 それを最後に、俺は部屋の外へと歩き始めた。扉に手をかけた瞬間、ふと脳裏にあることが過ぎる。

 ――ここから1歩出れば、もうただのシンクでは居られない。シンク・ルシフェルとして全力で事に当たらなければ。能力のなさやアスラの件で何かしら言われるだろうが……逃げない。魔王として俺は生きるんだ。

 決意を新たにした俺は、手に力を込めて扉を開けた。向こう側に立っていたリーゼが驚いたあとで、一度微笑みかける。だがそれも、まばたきをした次の瞬間には皇女としての顔に変わっていた。


「では……行きましょうか」



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