第4話
明くる日、俺は太陽が顔を覗かさせ始めた時間帯に目が覚めた。
慣れないベッドに寝つきが悪かったのも理由ではあるが、アスラやリーゼのこと、これから始まる魔王として日々を考えるとやるべきことがたくさんある。それだけに眠りたいと思えなかったのだ。
とはいえ、当分俺の予定はリーゼ達に管理される。城の構造も把握できていないため、部屋から出て動き回ることは出来ない。もしそれをしてしまえば、間違いなく迷子になるだろう。俺の存在を知らない兵士もいるはずなので、最悪手荒な目に遭う可能性だったある。
もう少し日が昇るまで時間を潰そうと、窓際に座って街並みを見渡す。朝を迎えたばかりの時間だけに、静かな雰囲気が漂っている。中にはすでに仕事の準備を始めているのだろうが、ここから人の姿は確認できない。集団と呼べるほど人がいるのならば話は別なのだが。
「……大きいな」
ルシフェルは小国であるため、今見える光景は決して壮大なものではない。だが、これからリーゼと共にこの国を守っていく俺にとっては、とても大きな存在に感じられた。無意識に言葉に出してしまったのはそれが理由だろう。
「俺に……やれるのか?」
組織の上の立場というものは、生徒会副会長をしていたため、経験がないとは言えない。だが魔王という立場からすれば、何の役にも立たないだろう。
生徒会の仕事でミスがあったとしても、行事などに支障が出るだけだ。もちろんそれが良くないことだということは分かるが……魔王という立場では、小さなミスが自分だけでなく他人の死に繋がることだってあるはず。
自分の言動が他人の人生まで左右するようになったかと思うと、血の気が引いていくような感覚を覚える。寒気も覚えた俺は、両手で体を抱き締めながら蹲った。
「…………それでも」
俺には償わなければならない罪がある。どんなに苦しむことになろうと、それは俺に課せられた罰だ。逃げるわけにはいかない。
視線を上げると、手に刻まれた紋章が視界に映る。
無知なことが多い俺では、まだ魔剣達の力を扱うことができない。だがそれでも、紋章の存在が俺に生き残るための……成すべきこと成すための《力》がこの手にあることを証明してくれている。できるだけ早く魔剣を扱えるようにならなければ。
アスラの最後の言葉を思い出しつつ、俺は部屋に置いてある魔剣達の元へと移動する。
魔剣達は、黒革の鞘に納められている。ふたつの鞘には、誰でも剣に触れられるように封印の刻印が施されている。それは金色の金属のようなもので描かれているようだが、どういう素材なのかは検討がつかない。
「……無理は良くないよな」
二振りの剣に手を伸ばそうとした俺は一瞬思考したあと、右手で黒い剣の柄、左手で鞘を握った。
俺は昨日、魔王として動き出すこともあって魔法を使った治療も受けた。それによって左腕の傷は塞がり、包帯を巻く必要はなくなったのだが、まだ力を入れると地味な痛みが走る。剣を一本ずつ持とうと思ったのはそれが理由だ。
どうやらこの世界の回復魔法は、細胞を活性化させて傷の治りを早めるものらしい。この手の魔法が使える者は極めて少ないらしく、時にはその人物を巡って争いも起こるとのこと。
この世界の医学が俺のいた世界よりも進んでいるとは考えづらいが、あまり魔法で傷を治すのは良くないというのは周知の事実になっている。また使用者の魔力消費を激しいらしい。詳しい話までは聞いてはいないが、魔力の枯渇は下手をすると死にも繋がるらしいため、回復系魔法の使用はできるだけ控えているようだ。
腹に力を入れて一気に抜き放つと、重めの甲高い音が部屋に響いた。朝早くに迷惑な行動をしてしまった、と自分を責めそうになったものの、俺に宛がわれた部屋は広い。それに隣接している部屋で生活している人はいなかったはずなので、冷静に考えれば問題なかった。
「……重い」
鞘を床に置き、空いて左手を使って漆黒の長剣を握る。一般的な剣の重さを知っているわけではないが、この剣ほど重たくはないのではないだろうか。身体能力は学校全体で言えば良い部類にカウントされていただけに、そう思わずにはいられない。
闇の力を宿した魔剣《ナハト》。
柄と一体構造の刀身は、深い黒に染まっているが、光の当たり方によっては、星のような輝きが無数に確認できる。まるで星空でも見ているかのようだ。形状としてはオーソドックスな片手直剣なのだろうが、兵士達が持っている剣と比べると刀身は広くて長い。
鎬のエッジが触れれば切れるのではないかと思えるほど立っている。刃は光を吸収しているのか、はたまた切り裂いているのか反射光が確認できない。
「……大昔から使われてきたとは思えないな」
もしかすると、そのへんも含めて魔剣と呼ばれているのかもしれない。
ふと思ったが、よく俺は剣に対して恐怖を覚えないものだ。ここに来てから感覚が変化してしまったのか、それとも剣から気に入られているから恐怖心が反応していないのか。まあ何にせよ剣を持てなければ、これからやっていけないために好都合でしかないのだが。
さすがに部屋の中で振り回す気になれなかった俺はナハトを鞘に納め、もう一振りも確認しておこうと手を伸ばす。
ナハトと同様に魔王として認められるために必要な魔剣《イグニス》。
鞘から抜き放つと、宿している炎の力を具現化したような刀身が日光を反射した。刀身の長さはナハトと同じくらいだが、こちらは先細りになっている。光を反射させると紅く煌くわけだが、鮮やかさよりも禍々しさを感じてしまう。鎬は翼のような形をしていることもあって、まるで不死鳥を剣の形にしたかのようだ。
しばし眺めた後、剣を鞘に納めた俺は再び窓際に移動する。これまでのこと、そしてこれからのことを考えながら、ぼんやりと街を眺めていると不意に扉が開く音が聞こえた。反射的に視線を向けると、少し驚いているリーゼの姿が見えた。
露出が少し多い黒いドレスを着ているせいか、リーゼの白い肌や金色の髪が一段と強調されている。
彼女のドレス姿というのは出会った頃から見ているわけだが、撤退戦をしていたこともあってドレスが傷んでいた。それに俺にも気にかける余裕もほとんどなかったと言える。
だがそれでも、俺の心に余裕がある状態でリーゼガきちんとしたドレスを着るだけで、ここまで変わって見えるとは思わなかった。
「すみません。ノックもせずに……どうかされました?」
「いや……綺麗だなって思って」
「え……シンクさ――シンクは意外と素直というか照れないのですね」
面と向かって綺麗と言えたのは、事実リーゼが綺麗であること。それに俺が、今の距離感を保とうと思っているからだろう。もしも俺に少しでも彼女と親しくなろうという下心でもあれば、きっと強く意識してしまって口に出来なかったはずだ。
「事実を言っただけだから」
「ふふ、ありがとうございます」
リーゼの浮かべている笑みは、作ったものではなく本当に笑っているように見える。彼女の立場からして言われ慣れているはずだが、そんなに喜ぶことなのだろうか。必要性があるかといえばないのだが、会話が途切れるのもあれなので聞いてみることにした。
「言った俺が言うのもなんだけど、そこまで喜ぶことか? 綺麗とか言われ慣れてそうだけど」
「確かに立場上言われることはあります。ですけど、そういうことを言ってくる人は、私に気に入られようとか取り入ろうとする者が多かったですから。なので、シンクのように純粋な気持ちだけで言ってもらえると嬉しいのです」
身近に言い寄られる人間がいただけに、その気持ちは分からなくもない。だがリーゼのものは、俺が考えているものよりも醜悪な可能性がある。
おそらくだが、これから俺も経験することになるだろう。
リーゼの夫になるということは、この国の王になるということだ。周囲からすれば、俺のようなパッと出の若僧が王になるというのは面白くないだろうし、取り入りやすいと考えるに違いない。ドロドロとした展開にもなりえるだけに、想像するだけで気が重くなる。だからといって、魔王という立場から逃げるつもりはないが。
「そうか……ところで用件があるんだよな?」
「はい。もう少し日が昇ったら今後の動きについて話し合います。昨日のうちに、可能な限りシンクのことは伝えてありますから、シンクも今日から参加してください」
魔王として本格的に動き出すということに異論は全くない。とはいえ、おそらく俺のことを魔王だと認めてくれているのは、良くてリーゼくらいのものだろう。仕方がないこととはいえ、アウェーからのスタートというのは気が滅入ってしまう。といっても、早く魔王として認められるように努力するほかにないんだが。
「分かった……何か決まった服装ってあるのか?」
今俺は学生服を着ているわけだが、戦場を駆けてきただけに傷みがひどい。特に傷を負った左腕の部分は裂けてしまっている。人前に出れる格好とは決して言えない。
にも関わらず学生服を着ているかというと、昨日部屋にあるものを適当に使っていいと言われていたのだが、誰のものか分からない状態で使うのも躊躇われたからだ。
「あっ、はい。寝ているかと思ったのであとで持ってこようと思ったのですが、すぐに持って来させますね」
部屋の外に付き人を待たせていたのか、リーゼは扉を少しだけ開けて誰かと話し始めた。盗み聞きするつもりはなかったわけだが、「大丈夫です」といった意味深な言葉が聞こえてきた。
これから考えられることは、俺のような男と周囲に人も置かずにふたりっきりにするのは危険、といった類の可能性が高い。そのように思われても仕方がないため、たとえ大声で言われていたとしても何も言うつもりはないが。
そもそも、ある意味リーゼのほうがおかしいと言える。命を助けてくれた相手とはいえ、少し信頼し過ぎではないだろうか。取り入ろうとしているとか、油断をさせて殺そうとしているのかもしれないといったことを考えてもいいはずなのに。彼女が抜けているのか抜けていないのか、今の俺にはよく分からない。