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第22話

 夜空のような薄暗い世界。静寂に包まれたそこは、まるで死後訪れる場所ではないのかとも思ってしまう。

 そんな寂しい世界に、俺は度々訪れていた。

 最初の頃は闇をさまようだけでこの世界からは去っていたのだが、ミズチと戦闘した日を過ぎた頃から星々が煌いている場所の目の前に出るようになった。中に入ると、周辺の闇が嘘のように充分な視界を確保でき、漆黒のテーブルとイスが存在している。そして、いつも少女が愛鳥と戯れながらお茶を飲んでいた。


『おや? 今日はずいぶんと来るのが早いのだな』


 咎めるような口調ではあるが、少女の顔は笑っている。

 長い髪と大きな瞳は闇のような色合いで、着ているドレスは同じような黒。彼女を一言で表すならば《黒ずくめ》という言葉になるだろう。

 まあ俺も普段は似たような格好をしているのだが。現在進行形で、支給されている魔王としての衣装に身を包んでいるのだし。

 きっと、人から見た俺と少女の印象は似たようなものだろう。人目のあるところで会うことはないにように思えるが。

 ……それにしても、この子は黒が本当に好きなんだろうな。

 そうでなければ、こんな暗いの場所に漆黒の家具を置いて優雅に過ごせるはずもない。黒という色への愛情は間違いなく負けている。だからといって何だ、という話なので気にはしていないのだが。


『まあいい。……どうした? そんなところに突っ立っていないで君も座るといい』


 少女に促された俺は、言われるがままに彼女の向かい側の席に座った。お茶を勧められたが、この世界は夢のような場所だ。いつ現実に引き戻されるか分からないため断った。こちらの答えが分かっていたのか、彼女に落胆の色は見えない。


『なあ』

『ん?』

『前から聞きたいと思っていたんだが……』


 そこまで口にした矢先、不意に紅い何かが目の前を通った。俺の周囲を旋回するため、気になって話の続きをできない。


『こらこら、少年が来て嬉しいのは分かるが彼は困っているぞ』


 黒髪の少女の言葉を聞いた何かは、一度大きく旋回するとテーブルの中央に着地した。鮮血のような羽を生やし、頭には王冠を彷彿させる毛が生えている。大きさはカラスほどだが、あれと一緒にするのはおこがましいと思えるほどの気品がある鳥だ。

 紅鳥は跳ぶようにテーブルを移動すると、少女の肩へ羽ばたいた。少女の肩が定位置なのだと見ている側に感じさせるほど自然な流れだったと言える。


『すまないな。どうもこの子は君のことが気に入っているようで……そういえば何か言いかけていたな。改めて言ってもらってもいいだろうか?』

『ああ。……俺は君に呼ばれてここに来ているのか?』


 これまでのことを考えるに、俺は夜に寝てから朝起きるまでの間にこの世界に来ることが多い。最初は夢だと思っていたが、さすがに前回の会話の続きが出たりすれば、ただの夢ではないと思うようになる。

 また毎日のように呼ばれることもあれば、何日も空くときもある。少女から呼ばれているのでは、と考えるのは必然と言えるだろう。


『その問いに答えるならば、イエスだ……その顔は何だ? 私は君の質問に答えただけで、別におかしなことは言っていないはずだが?』


 確かに少女はおかしいことは言っていない……ここが俺のよく知っている世界だったならば。

 この世界には魔法が存在しているため、異世界の文化が入り込む可能性はある。こう断言できるのは、現に俺という異世界の住人がこの地に降り立っているからだ。だから俺の世界の言葉――横文字の類が使われてもおかしくない。

 と、考えてしまうかもしれないが、あのノワールでさえ使っていないのだ。他の者に至っては、使う気配すら感じられない。それだけに少女がイエスだと言ったことに衝撃を受けたのだ。


『いや……独特な言葉を使うと思って』

『ん? あぁ、なるほど。……こう見えて私も永い時を過ごしているのだよ。だからそれなりの知識は有している』


 おそらくこの少女は俺がイエスの意味を理解しているのに質問した、と理解している。にもかかわらず、返ってきたのが今の言葉だ。そこに触れられることを拒んではいなさそうだが、今は理由を話す意志はないように見える。

 ……まあ、俺にも予想がないわけじゃない。

 闇のような世界に住む黒い少女と炎を連想させる紅の鳥。彼女達から受ける印象は、俺の所持している魔剣達から受けるものに似ている気がする。冷静に思い返してみると、この世界に来ているのは魔剣の力を使った日がほとんどではないだろうか。となると、やはり彼女達は……


『なあ、君達は……』


 魔剣達の名を続けようとしたとき、不意に言葉が出なくなってしまった。この感覚に覚えがあった俺は、自分の手足に意識を向ける。

 体の輪郭が薄れ始め、各所から光の粒子が闇を上っていっている。俺の意識がこの世界から現実へと戻ろうとしているのだ。


『どうやら時間のようだな。また来るといい。私もこの子も君が来るのをいつでも待っている』


 †


「……ぅ」


 目を開けるのと同時に焼けるような感覚を味わう。意識はまだおぼろげだが、自分で横たわっていて、頭が濡れているのは理解できた。

 ……えっと。

 目を瞑ったまま上体を起こし、顔に掛かっていた前髪を退ける。後頭部がやたらと痛みを発しているのだが、いったい何があったのだろうか。


「……ん?」


 目の前に感じた気配に意識を向けてみると、銀髪の女性が俺を見下ろしていた。空には太陽が輝いているというのに、この付近だけ他よりも温度が低いように思える。まあそのように感じるのは、冷たい視線を向けられているからかもしれない。


「何を気絶している。貴様にそんな時間はないはずだが?」


 温かさを感じない表情と言葉に俺の意識は一気に覚醒する。

 ――そうだ。確か俺はラヴィーネと訓練をしていて……それで見事に直撃をもらって伸びたのか。

 アルディナの集落から帰国して早くも1週間が経過しようとしている。あちらで起こった魔物と奴隷商人の問題を解決したわけだが、戦力的な意味で言えば成果は得られなかった。

 でも……望みがないわけじゃない。

 今はまだ到着していないが、集落の問題が解決すれば多少なりの増援を送るとマグナは言っていた。恩を売るというか、集落の人々を納得させる理由を作ることには成功したのだ。

 まあテラが言うには、前々から若手は城に行きたいと言っていたらしい。理由は何でも好きな人とこのまま会えなくなるのは嫌だ。このままでは婚期を逃す、などなど。

 話を戻すが、今は豪雨によって崩壊した建物の修復や周辺の警護の強化を行っているだろう。もしかするとリベルタとの戦いには間に合わない可能性はあるが、知り合いの一族にも声を掛けておくと言っていたので今は信頼して待つ他にあるまい。

 ちなみに余談になるが、なぜノワールではなくラヴィーネを訓練をしているのかというと、ノワールは侍女としての仕事があるからだ。何でもアルディナの集落に行っている間に予想以上に仕事が溜まったんだとか。トルチェが泣いていた気がするので、もしかすると……いや彼女のためにこれ以上考えるのはやまておこう。

 ノワールの代役となったのが、魔剣――形状からして魔槍と呼んだほうがしっくりくる――を持っており、腕も立つラヴィーネだったというわけだ。魔剣士と呼べそうな俺の指導役に最適であることは、ノワールも認めてる。彼女と違って寸止めはせずに容赦なく撃ち抜いてくるのが難点ではあるが。


「分かってるよ……」


 いつつ……、と口の中で悲鳴を漏らしながら剣を支えにして立ち上がる。

 正直に言えば、ここまでの訓練で俺の体はすでにボロボロだ。対してラヴィーネは涼しい顔を浮かべている。身に纏っている鎧にも傷どころか、汚れひとつ見当たらない。

 前から分かりきっていることではあるが、俺と彼女の間には天と地ほどの差があるようだ。あの世界のことは気になるが、今は目の前のこと集中しよう。そうしなければ大怪我をしかねない。


「自分が弱いってことくらいは」

「ふん、ならば続けるぞ」


 俺とラヴィーネは互いの得物を構え直す。

 彼女の持つ魔槍《クロウカシス》は、一見装飾用として作られたのではないかと思うほど美しい白銀の槍だ。俺の持つ魔剣達に比べれば、秘められた力は劣っている。

 だがしかし、白銀の魔槍の主は単純な槍捌きだけでなく、力の扱いも卓越している。訓練であるため、俺は本気の力を見たわけではないが、それでも常人離れしているのは理解できる。《氷雪の戦乙女》という異名は、まさにこの主と魔槍のためにあるような言葉だろう。


「凍てつけ……」


 ラヴィーネの持つ槍の先端から冷気が漂い始める。実力差のある訓練ということで、彼女が使ってくる技は氷柱での遠距離攻撃と、刀身に力を集中した近接攻撃のみだ。範囲攻撃と呼べそうな技は使ってきていない。

 対して俺は、全力で魔剣の力を使うことを許可されている……が、範囲攻撃は使っていない。訓練場とはいえ、魔剣の力は地面や壁を破壊しかねないので使いづらいのだ。まあ使っても直撃しそうにないため、魔力の無駄遣いになるから……、というのが最大の理由ではあるのだが。


「せあッ!」


 鋭く振られた魔槍から小さな氷柱が無数に飛ばされる。

 それを見た俺は、イグニスに魔力を送りながら一閃。炎の刃を飛ばす。

 魔力の扱いについては、まだまだ俺はラヴィーネに遠く及ばない。今の攻撃にも無駄な魔力を使っていることだろう。だが無駄を省くには経験が必要だ。今は気にしていても仕方があるまい。

 得物に宿った力はこちらのほうが勝っていることもあり、俺の放った炎刃は氷柱を粉砕していく。同時に氷柱は蒸発。前方に居るラヴィーネの姿が霞んだ――直後。

 霞みを吹き飛ばす勢いでラヴィーネが突進してきた。立場的に殺すような真似はしてこないと分かってはいるが、心臓目掛けて向かってくる白銀の凶器には恐怖を感じてしまう。

 剣と槍では、間合いはあちらの方が上だ。槍の距離で戦っても勝機はない。そう思っても、剣の間合いに入るのは容易ではない。仮に入れたとしても、戦闘経験の差は膨大であるため、勝てる見込みは低い。

 ――それでも!

 可能性がゼロではないのだから、やってみる価値はある。いや、やってみなければ勝利への道も拓けないだろう。


「おおぉ――ッ!」


 気合を発しながら前へと進み、黒い剣を槍に目掛けて振り抜く。それによって、わずかばかりだが槍の矛先は軌道を変えた。互いが前進していることもあって、距離は一瞬にして詰まっていく。

 こちらの距離に入ることは出来た。だが油断はできない。ラヴィーネの顔色は全くといっていいほど変化していないのだから。ここからが本番だと言えるだろう。


「――はぁッ!」


 ラヴィーネは右足で強く地面を踏みしめると、そこを起点にして体を捻る。直進していた槍は、急激に軌道を変えて襲い掛かってきた。

 ここで防げば間違いなく止められる。そうなれば槍の間合いに戻されて終わりだ。

 そう思った俺は、地面に倒れそうなほど身を屈めた。頭上を凄まじい勢いで何かが過ぎていく。必死に足を前に出して踏ん張りを利かせ、崩れた体勢を元に戻した。剣を振れば優勢に立てる――


「甘いな」


 ――と思ったのつかの間、ラヴィーネは攻撃の勢いを殺さずに回転し蹴りを放ってきた。

 スカートのくせに蹴りなんかするなよ!

 そう内心でツッコミを入れた直後、かすかに見えた水色の何かに感情を抱く間もなく、俺の腹部に金属製の足具がめり込んだ。息が詰まり、一瞬遅れで吐き出す。同時に俺の体は進行していた方向とは正反対に吹き飛んだ。

 浮いた状態で数メートルもの距離を吹き飛び、背中から着地。再度息が詰まる。しかし、吐き出す時間はなく呼吸ができないまま、俺は回転しながらさらに数メートル吹き飛び続けた。

 盛大に地面を転がった俺は、最終的に力なく仰向けで横たわった。静止した状態で空を見上げているはずなのに、景色が捻れて見える。腹部には強烈な痛みがあり、今すぐ立ち上がるのは不可能な状態だ。

 俺の状態は近づいてくる銀髪の女性も分かっているはず。弱っているからか、そんな甘い考えを抱いてしまった自分がいた。


「立て」


 真っ直ぐと俺を見下ろしながら、ラヴィーネは顔色ひとつ変えず淡々と告げる。彼女の瞳には同情のような色は一切ない。


「貴様は戦場でもそうやって寝ているつもりか?」


 冷たい響きしか感じない問いかけだったが、俺の体は反応した。

 ――そうだ……俺が訓練しているのはリベルタに勝つため……生き残るためだ。

 一瞬にして脳裏にミズチと戦った時の記憶が蘇る。あのときの俺は、死を受け入れて諦めようともした。だが最終的には抗うことを選んだのだ。きっと、リベルタとの戦いにおいても同じ選択をするだろう。ならば今すべきことは……


「……ラヴィーネは……ノワールほど甘くないな」

「当然だ。私には貴様に甘くする理由などない」


 何とも今の俺には残酷で厳しい言葉だ。だが考え方によっては、これがラヴィーネなりの優しさなのかもしれない。

 俺が魔剣の継承者だから、魔王という存在がこの国に必要だから。

 そんな想いはきっと存在していて、俺個人への興味よりも遥かに強いことだろう。だからこそ、気に食わない俺に対しても手を抜くことなく訓練をしてくれている。他人からどう見られるかよりも、国のことを第一に考えられる彼女は周囲が思うよりも優しいのではないだろうか。

 このように考えられるあたり、俺にはまだ余裕があるのだろう。傷が増えると分かっていながら、立ち上がる自分はドMだろうか……、などと余計なことを考えてしまう己には無意識に自嘲した。

 黒と紅の魔剣を地面に突き刺し、それを支えにしながら立ち上がる。目の前にいる鬼教官ならば、もしかすると攻撃してくるのではないかと思ったが、俺が立ち上がって構えるまで待ってくれた。


「行くぞ。死ぬ気でついてこい」

「ああ!」



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