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第20話

「窮屈なうえにへばりつくのは不快で堪らん。個人的には脱ぎ捨ててもいいのだが……」


 不意に視線を感じ空を見上げてみると、そきには滞空しているノワールが存在していた。滞空できているのは、飛行魔法の類を使っているからだろう。

 魔法だと思う理由は、ノワールの生やしている翼がコウモリのような実在するものではなく、彼女の魔力のような赤黒いエネルギー状の翼だからだ。


「下手をすれば、ご主人様に嫌われかねないか……迅速に排除するとしよう」


 ノワールが右手を掲げると、彼女の周囲の雨の軌道が不規則に変化した。直後、拳大ほどの氷が無数に生成され始める。それらは凄まじい速度で、人ひとり分ほどの大きさに巨大化した。細長い形状と先端の鋭さから槍を連想させる。


「おいおい……いくら吸血鬼だからって、飛行魔法と並行であの規模の魔法を普通は使えねぇぞ」


 ぼそりと呟かれた言葉だが、近くにいた俺の耳には届いた。魔力や魔法に乏しい種族とはいえ、それらに関する常識や知識はあるらしい。まあ優れた身体能力を過信していたならば、獣人という種族は当の昔に滅んでいたのだろうが。

 それにしても、テラはやる気のなさそうな見た目や乱暴な言葉遣いとは裏腹に、どうしてここまで観察眼や知識に長けているのだろうか。マグナの手伝いをしていそうなので多少なりとも鍛えられそうではあるが……こう見えて勤勉な奴なのか。可能性としてありえるが、普段の振る舞いのせいか納得しがたいものがある。


「あの女、吸血鬼の中でも上位の部類か。どおりで親父が認めてるわけだ」


 テラの言葉は間違っていない。俺は以前ノワールが自分の本来の魔力量は魔王級だと言っていたのを聞いたことがある。封印されている今でさえ、ふたつの魔法を同時に発動しているにも関わらず、涼しい顔をしているのだから俺達の中でも彼女の実力は群を抜いているのだろう。


「それなりに巨体とはいえ、水中を動き回っている敵だ。大規模な魔法を使えば当てるのも楽なのだが……水源を吹き飛ばすわけにもいかんからな。まあ下手な矢も数次第では当たるというものだ」


 指令を出すようにノワールが右手を振り下ろした瞬間、無数の氷槍が天から水源へと降り注ぎ始める。あまりの乱れ撃ちにこれだけで終わってしまうのではないか、そう思った矢先――


「シャアアアァァァッ!」


 怒りを露わにした大蛇が体をうねらせながら水上に現れた。

 事前に聞いていたように、細長い体躯と先が二股に分かれた舌とパッと見は蛇だ。が、ところどころに魚類のようなヒレが確認でき、全身を淡い青色の鱗で覆われているせいか、竜のようにも見える。

 そのように認識した直後、ふと魔物と目が合った。負の炎を宿したその瞳と巨大さに思わず足が竦み、体が硬直する。恐怖によって頭の中が真っ白になりかけたが、俺に向かって鋭い言葉が飛んできた。


「何ぼさっとしてやがる!」


 それによって我に返った俺は、反射的に魔剣の力を解放しながら全力で剣を振るった。深紅の刀身から飛び出した炎の刃がミズチへと向かっていく。ミズチは避ける素振りを一切見せていない。


「バカ野郎! 雨降ってんのに炎使ってんじゃねぇ!」


 この叱責から分かるとおり、ミズチには全くダメージを与えられていない。鱗の1枚さえ弾き飛ばせていないのではなかろうか。ゼロ距離で行っていれば違っていたかもしれない、と現実から逃げながら自分を鼓舞する俺が居たが、ミスだという認識は消えなかった。

 ただバカにされたと思ったのか、ミズチは咆哮を上げながらこちらに向かってきた。

 翼もなければ、水中から飛び出したわけでもないのに、どうして空中を移動することができるのだろうか。ノワールのように魔法を使っているようには見えないのに。

 そのように考えた俺には余裕があるように思えるかもしれないが、正直に言おう。これまでにないくらい必死に安全な場所へと走った。最終的に、盛大に転んでしまうくらいに。


「せぇぇッの!」


 体勢を直して立ち上がろうとしたときに見たのは、果敢に地面を駆けて跳躍し、頭部目掛けて斧を振り抜くアルディナの姿だった。小さいながらも全く臆していない彼女に、俺は自然と尊敬や憧れに近い感情を抱いていた。

 アルディナの繰り出した一撃は、見事にミズチの頭部に直撃した。斧の斬れ味が足りなかったのか、鱗の強度が予想以上にあるのか、出血は微々たるものだった。だが凄まじい衝撃を与えたのは間違いなく、その威力を物語るようにミズチの巨体が揺れる。だが直後――


「……シュルルア!」


 一瞬にして怯みから回復したミズチが、牙を剥き出しにしてアルディナに襲い掛かった。空中にいるアルディナに回避という選択はできない。空中にいたノワールは距離的に最も離れており、魔剣以外に力のない俺では間に合いそうになかった。

 ――アルディナ!

 と、俺は思わず声を上げそうになった。だが俺が声を発する前に、ひとつの影が疾風のようにアルディナの元へと駆け寄る。影は片手でアルディナの首根っこを掴むと、もう片方の手をミズチの頭に付いてひらりと攻撃をかわした。


「――んらッ!」


 そして、見事な回し蹴りを放つ。アルディナのように巨大な斧を使ったわけでもないのに、ミズチが吹き飛ぶあたり、威力はテラの蹴りのほうが上のようだ。

 種族的に身体能力が優れているのは分かっていたが、だとしても武器を使った一撃よりも蹴りが上回るというのは如何なものだろう。これでは人間でなくとも恐れるのではなかろうか。

 そんなことを考えている間に、姉の貫禄を見せ付けたテラは音を立てることなく着地し、持っていたアルディナを投げ捨てるように地面に置いた。


「ったく、迂闊に攻撃してんじゃねぇよ」


 吐き捨てるように言いながらもアルディナを助けるあたり、本心では俺以上に心配したに違いない。個人的にテラがもう少し言動を変えれば、もっとアルディナと仲良くなれると思うのだが……まあすぐには無理と言うのも分かる。


「……何も投げ捨てなくてもいいじゃん」

「あ? 助けてもらったのに文句か?」

「うぅ……」


 尻餅をつかされたことへの恨みはあるが、助けられたのも事実なのでさすがのアルディナも文句は言えないらしい。唇を尖らせながら唸るのが精一杯のようだ。また昼間のようになるのでは、と考えると不安にもなるが、敵という存在がいるからか昼間のような険呑さは漂ってこない。


「おい次期魔王、てめぇもいつまでも座ってんじゃねぇ。こいつ、思っていた以上に硬ぇから、オレやアルディナの攻撃はあんまし効かねぇぞ」


 いや、充分に効いていると思うんだが……。

 思わずそうテラにツッコミを入れたくなったが、地面に横たわっていたミズチが何事もなかったかのように起き上がり始める。どうやらテラの言葉は真実らしい。

 俺は両手を剣をしっかり握り直し、無駄な思考は排除し始めた。他もそれぞれ意識を準備し直し始めたらしく、アルディナは相棒である巨大な斧を構えながら腰を落とし、テラは肢体に力を込めている。

 そこで気が付いたが、いつの間にかテラの手足が人のものから獅子のようなものに変化していた。もしかすると、ここに来る前にさらりと言っていた《獣化》というものなのだろうか。あれで優れた身体能力がさらに上昇しているのだとしたら、ただの蹴りが斧の一撃に勝っていたのにも納得がいく。


「吸血鬼、この中で魔法を自在に使えるのはてめぇだけなんだ。もっと積極的に攻撃して邪魔な鱗剥ぎ取りやがれ」

「君はなかなか無茶を言ってくれるな。私とて全ての属性を自在に操れるわけではないし、そんなに魔法を使っていてはすぐにへばってしまうぞ」

「何言ってんだ。属性に関してはまだしも、魔力は有り余ってるだろうが。普通の吸血鬼は飛行魔法と同時にあんな魔法使えねぇっつうの」

「言葉も人使いも荒い奴だな。老人は労わるものだろうに」


 テラとノワールは軽口を叩き合いながらも、暴れ狂うミズチに攻撃を加えていく。ふたりほどではないが、アルディナも強烈な一撃を叩き込んで戦いに貢献している。ただひとり、俺だけが何も出来ず遠巻きに眺めているだけだった。

 ……俺は……なんて無力なんだ。

 出発する前にあれほど見栄を切ったのに、ほぼ突っ立っていることしかできていない。そんな自分を情けなく思うが、迂闊に戦いに参加すれば足手まといになるのは目に見えている。そう断言できるほど、俺と彼女達との間には明確な力の差がある。

 自分を責めて時間を言葉を表せば、一瞬と呼べる時間だ。しかし、戦場に置いてそれは致命的な時間でもあった。

 ミズチは俺が意識を外したのを敏感に感じ取ったのか、ノワール達の攻撃には気にも留めず強引に振り切った。本能で感じてしまうほどの殺意を抱いた黄色い瞳が俺を射抜く。先ほどよりも格段に増している眼力に俺の体は萎縮。ここら一体が凍ったのではないかと思えるほど、俺と周囲の時間は停止しているように見えた。

 だが時の歯車が止まるはずもなく、着実に死が俺に近づいてくる。もしもこの場にいるのが星矢だったならば、主人公補正とでも言うべき力を発揮し、ミズチを撃退できたのかもしれない。

 ――俺は……星也じゃない。どんなに努力を重ねても……天才には決して追いつけやしない。そう分かっていても……理解していても、抗う気持ちを持ち続けた凡人だ。

 死を身近に感じ、半ば諦めている俺は確かに存在している。だが一方で、死を拒もうとしている俺も存在していた。


「…………ッ!」


 抗う意思に導かれるように、俺は気が付けば迫り来るミズチの尾を睨みつけていた。魔剣達を強く握り締め、頭上で交差させ――受け止めた。

 剣から伝わってきた衝撃は、両腕を――いや全身を砕かれるのではないかと思うほど凄まじいものだった。俺は片膝を着くことを余儀なくされる。奥歯を噛み締めて全身に力を込めるが、人の胴回りほどの太さの尾は徐々にだが確実に俺を押し潰そうと魔剣達を押しのけ、眼前に迫ってくる。

 くそ、重過ぎる――!

 その時、背中に強い寒気を覚えた。正体が何なのか、今の俺に確認できる余裕はない。少しでも意識を他に逸らせば、一瞬にして潰される。

 ――直後。

 肉を貫いたような生々しい不快な音が耳に届き、生温かな何かが後頭部に掛かった。同時に、両手に掛かっていた重圧が消え失せる。駆けつけてくれたテラが持ち上げてくれたのだ。しかし、俺の意識は彼女ではなく背中側にある気配へと向く。

 やめろ。見るな。見たら……ダメだ。

 そう思いながらも、俺は首を回した。何を見ることになるのか、予想できていたというのに――


「……ぁ」


 ――俺の口から漏れたのは、かすかな悲鳴だった。

 美しい金色の髪に雪のような白い肌。サイズが合っていないメイド服……、それらがノワールだということを証明していた。


「……世話のかかるご主人様だ」


 ノワールは優しく微笑みかけてきたが、彼女の腹部にはミズチの尾に生えているトゲがある。彼女の美しい髪には鮮血が飛び散っていたが、それは雨によって洗い流されてしまった。


「アルディナ!」

「どりゃあぁぁッ!」


 大きく跳躍し、最上段から繰り出された会心の一撃が鱗の剥がれている部分に直撃し、ミズチの尾を叩き斬った。ミズチは悲鳴を上げながら地面をのたうち回り、そのまま水源へと転げ落ちる。

 手傷を与えたとはいえ、水中に逃げられてしまったのは不味い。手負いの獣ほど危険と言われるだけに、きっとミズチはこれまで以上に殺意を撒き散らしながら襲い掛かってくることだろう。

 しかし。今の俺の頭の中にはミズチの存在など微塵もありはしなかった。

 手荒にミズチの尾を抜くノワールに近づいて声を掛ける――つもりだった。でも俺は何も言えず、ただ彼女の目の前に立ち尽くすばかり。感謝や謝罪といくらでも言えることはあるはずなのに、神経が切れてしまったかのように俺の口は動いてくれなかった。


「ふ、ひどい顔だな」

「……ノ……――」


 彼女の名前をどうにか口にしようとした矢先、作り物ではないかと思うほど整った顔が目の前にあった。

 俺が身を強張らせた間に、ノワールはさらに接近し……俺の額に口付けをした。まるで母親が子供に愛情を表現するような優しい口付けだった。


「――ワール?」

「安心しろ、私は大丈夫だ。君には前に言っただろ? 私は……化け物だと」


 確かにノワールの顔には余裕があるように見える。彼女は吸血鬼。腹に風穴が開いたとしても、彼女からすれば大した怪我ではないのかもしれない。だが――

 安心? 大丈夫? ……嘘を付くなよ。自分のことを化け物だって言ったときのお前の顔は……とても悲しみに満ちてるじゃないか。

 時間で言えば刹那。しかし、確かに俺は悲しげなノワールの顔を見た。

 化け物。その言葉には、どれほどの想いが込められているのだろうか。考えてみたものの、生まれて17年ほどに経っていない俺には、数百年……下手をすればそれ以上の永い時を生きてきた彼女の気持ちを理解することはできなかった。いや、中途半端に理解したくなかったというほうが正しいのかもしれない。


「それより君のほうこそ大丈夫なのか?」

「吸血鬼、バカのこと言ってんじゃねぇ。あいつの……怒り狂った状態での一撃は、獣人でも獣化できねぇ奴らじゃ受けきれるか分かねぇほど強烈だ。人間のそいつが受け止めて無事なわけねぇだろ」


 テラの言うとおり、今の俺の体は骨の髄から悲鳴を上げている。決して無事だとは言えない状態だ。だがそれでも、戦う意思は衰えていなかった。それどころか、増しているように思える。


「水ん中に潜られたが、まあ尻尾を斬られたんだ。あいつの怒りも相当なもんだろ。水辺に近づかなくても、もう少しすりゃ死に物狂いで向かって来るはずだ。時間は掛かるかもしれねぇが……まあオレらだけでもやれんだろ。てめぇらは離れててもいいぜ」

「おぉ、姉ちゃんが珍しく優しい」

「……ケンカ売ってんのかチビ?」

「ケンカなんか売ってないし、そのうちでっかくなるもん!」


 チビじゃないと言わないあたり、現状でチビということは認めるのか。

 そう思うと自然を口元が笑っていた。内心にあったはずの恐怖もどこかに行ってしまってのか、体のどこにも硬直は感じない。


「まだ倒してないんだからケンカはあとにしろ。それと、俺はここを離れるつもりはない」

「……碌に動けねぇくせによく言うぜ」

「ああ、それは認める。だから奴の動きを止めてくれ」


 そうしてくれれば、俺が必ず終わらせてみせる。

 視線を逸らさずに真っ直ぐ見つめたことで俺の想いを感じ取ってくれたのか、テラはしばしの無言の後、びしょ濡れになっている髪を乱暴に乱しながら大きなため息を漏らした。


「ったく……まあいいけどよ。てめぇが魔剣の力でぶっ飛ばしてくれたほうがこっちも楽だし。けど……さっきみてぇにビビってふざけた真似しやがったら……」

「そのときは、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

「二言はねぇな? もし失敗したそんときは……オレのこと嫁にもらってもらうぜ」


 テラが何を言ったのか理解――いや納得できなかった。俺は彼女に好意を向けられた覚えもないし、好かれるようなことをした覚えもない。思い返してみれば、情けない姿を見せたほうが多いのではないだろうか。


「訳が分からねぇって顔してるな。まあ簡単に言えば、オレと同じくれぇの一族の男どもの獣の血はかなり薄いんだよ。親父の代は戦いで一族が減っちまったこともあって人間と一緒になったところが多かったからな」

「いや、だとしても……」

「確かに今のてめぇよりはうちの男共のほうが強いぜ。でもな、そこにいる吸血鬼がてめぇの潜在的な能力はかなりのもんだって言ってただろ」


 言っていたような気もするが……でもだからって。

 表情を曇らせる俺とは対照的に、テラはどことなく恥ずかしそうな顔を浮かべる。


「それに……さっきの攻撃をてめぇは弾き返せなかったとは潰されなかった。鍛えればそこそこ強くなりそうだからな。どうせ血が薄まるんなら、てめぇの子種でいいかと思ってよ。あぁー……嫁にしてもらう言ったが、実際のところ子種がほしいだけだから別に結婚する必要はねぇぜ」


 嫁云々の前に子種と言うのをやめろ。時間帯的には問題ないといえばないが、この場にはアルディナだって居るんだぞ。聞こえてないというか、聞いてなかったみたいだから視線を向けても首を傾げているけれども。

 そんな俺の想いはどうでもいいと言わんばかりに、テラは意識をミズチのほうに向け、一方的に会話を打ち切る。

 ……絶対……失敗できない。

 本来とは別の重圧に押し潰されそうになる心を必死に鼓舞し、俺は愛剣達をしっかりと握り直すのだった。



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