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第1話

 浮いている、と思った次の瞬間、今度は落下している感覚に襲われる。強烈な光は収束しているとまぶた越しに見える明るさで判断した俺は、すぐさま現状を確認しようとしたが、何かに衝突してしまった。


「うっ! ……ん?」


 体のところどころに痛みはあるものの、顔だけは別の感覚に襲われた。ただ不快ということはなく、むしろ心地良い。具体的に言うならば、人肌ほどに温かみがあって柔らかく、なおかつ弾力があるものが顔に触れている。


「いったい……何……が」


 体を起こしながら確認してみると、そこには雪のように白い2つの山があった。

 視線を少し上にずらすと、歪んでしまっているがそれでも綺麗だと思ってしまう顔が見える。何が起こったのかはさっぱりわからないが、ただ女の子を下敷きにしてしまったということと、彼女の胸に触れてしまったことだけは理解できた。

 慌てて飛び退くと、金髪の少女は頭を触れながら上体を起こした。わざとではないとはいえ、己のやってしまったことに罪悪感を覚えていた俺は、逃げるような真似はせずに彼女の意識がこちらに向くのを待った。


「そ、その……すみません!」


 視線を向けられるのと同時に頭を下げたわけだが、焦っている自分がいる一方で冷静な自分も存在しており、不意にこう思ってしまう。

 ――反射的に謝ってしまったが……言葉通じていないんじゃないか?

 パッと見ただけだが、目の前にいる少女の髪は金色で、瞳の色は青かった。加えて俺よりも白い肌の色からして外国人としか思えない。

 恐る恐る視線を上げてみると、少女は……怒るどころか笑っていた。笑う理由が考えられないだけに、俺の内心は疑問の嵐に見舞われる。


「え、えっと……」

「――あ、危ない!」


 突然焦りのある顔を浮かべながら飛び掛ってきた少女に俺は対応できず、後方へと押し倒されてしまう。その間、何かが頭の近くを通り過ぎていった気がした。


「ッ……」

「お怪我はありませんか?」


 押し倒しておいて言うことか?

 と思いもしたが、言葉が通じていると分かった俺は、内心安堵しつつ首を縦に動かした。すると少女は見惚れそうな笑みを浮かべた後、身を低くしたまま俺の上から退いた。体を起こそうとすると、真剣な顔つきで再度話しかけられる。


「あっ、危ないですからできるだけ姿勢は低く」


 この少女は何を言っているのだろう、と思った矢先、すぐ近くの木に矢が刺さっているのが見えた。場所からして、先ほど俺の頭があった位置と高さだ。もしも少女に押し倒されていなかったならば……。

 全身に強烈な寒気を覚えた俺は、言われたとおり出来る限り体勢を低くしたまま起き上がった。視界に映る景色はどう考えても生徒会室ではなく、耳には雄叫びや悲鳴が次々と聞こえてくる。

 ――俺は……夢でも見ているのか?

 できればそうあってほしいと切に願うが、全身の至るところに感じる痛み、風や地面の感覚は現実のものとしか言いようがない。


「急に顔色が悪くなりましたけど大丈夫ですか? まさか先ほどの矢に毒が……」


 急に手を触られたかと思うと、金髪の少女は俺の顔を触ってきた。彼女の行動に困惑してしまったが、顔つきからして振りほどかない方がいいと思った俺は、大人しく終わるのを待つことにした。


「……傷はないようですね」

「え……あぁはい、おかげさまで。その……ありがとうございます」

「いえ、気にしないでください。先に助けていただいたのは私のほうですから」


 少女の言葉に疑問を抱いたものの、ふと映った気に刺さっているもう1本の矢の存在で彼女の言っている意味を理解する。

 どうやら俺が押し倒した(潰したといったほうが正しいかもしれない)ことで、結果的に彼女を矢から守ったらしい。個人的に感謝されるよりは怒ってもらったほうが気が楽なのだが、状況が状況だけに彼女がそのような真似をするとは思えない。


「別に助けたわけじゃ……」

「リーゼ、無事か!」


 突如この場に現れたのは、黒衣に身を包んだ紅髪の男。手には、全てが漆黒の肉厚な剣と鮮血のように真っ赤な剣が握られていた。

 まるで先ほど見た本に出てきた魔王のようだ。

 そんなことを思った直後、喉元に紅剣の切っ先が突きつけられた。創作の中でしか見たことがない凶器に俺の体は硬直し、冷や汗が溢れ始める。


「貴様、何者だ?」


 男の声には、命の灯火を消し去ることを厭わないと感じさせるほど残酷な冷たさがあった。こちらに向けている瞳も剣のように鋭く、怒りに満ちているように見える。

 迂闊な言動をすれば間違いなく俺は殺される。いや、このまま何も反応しなかったとしても殺されてしまうだろう。

 しかし、直感的にそう分かっていても非現実的な状況の俺の頭は思考を止めてしまっていた。突きつけられていた剣が動いた瞬間――


「待ってアスラ!」


 ――少女が男の腕にしがみついた。彼女の行動に男は困惑しつつも、乱暴に扱うような真似はせずに口を開いた。


「リーゼ、何をする?」

「アスラは誤解してます。この人は私を助けてくれたんです!」

「助けた? こいつが……」


 こちらに再び向いた男の瞳には、先ほどまでの鋭さは感じられない。だからといって自分から話しかけたりすれば、余計な疑いを持たれるだけだろう。困惑や恐怖で行動できる力はないに等しいので、この場は少女に任せることしかできないのが現実ではあるが。


「……まあいい。今はとにかく逃げるぞ」

「はい……あなたも」


 少女に手を握られ、引っ張られる形で走り始める。アスラという男に一瞬視線を向けられたが、彼はすぐに前を向いた。味方とは思われていないだろうが、敵としても認識はされていないらしい。

 走り続けていると、ふと視界の隅で何かが光る。それが何なのか理解するよりも早く、俺は制止をかけながら握られていた手を引いて、少女と位置を入れ替えた。その瞬間


「っ……!」


 左腕を何かが勢い良く掠めた。ほぼ同時に熱を帯びた痛みに覚える。視線を向けてみると、制服の袖は裂け、傷口から鮮血が滲み出ていた。俺は思わず、患部を押さえながらしゃがみ込んでしまう。


「大丈夫ですか!?」

「立ち止まるな!」


 こっちは自然と涙が溢れてくるほどの痛みを感じているというのに……、この男には情がないのか。

 そう内心で毒づいたものの、よく見てみればアスラという男は、飛来する矢を両手の剣で叩き落していた。彼がいなかったならば、俺は今頃蜂の巣になって死んでいたのだろう。


「でも……!」

「でもじゃない! お前のために皆全力で戦っているんだ。逃げ延びなくてどうする!」

「それは……」

「お前も死にたくなければ必死でついて来い。何が何でも走り続けろ!」


 男や少女が何者なのか。いったいどこに来てしまったのか、といったことは全く分かりはしない。だが今が夢ではないということ、生死が掛かった緊迫した状況だということは分かる。

 痛みに耐えながら立ち上がると、黒衣の男は笑みを浮かべた。だがそれは一瞬のことで、意識を飛んでくる矢に向けなおすと、叩き落しながら走り始める。疑問、痛み、恐怖といった負の感情で折れそうになる心を生きたいという思いで支え、俺は走り続けた。




 日が傾き始めた頃、物騒な声や音はさっぱりとなくなっていた。一時的なのかもしれないが、戦いは終わったらしい。

 黒衣の男は、この場に到着するとさっさとどこかへ行ってしまった。周囲に見える人々は、野営の準備を行っているようだが、俺は疲労と訳の分からない現状にぼんやりと突っ立って見ていることしかできない。


「何をぼんやりされているのですか」


 隣から聞こえてきた声は金髪の少女のものだが、どこか怒りの混じったものだった。今頃になって怒られるのか、とも思いもしたが、発せられた言葉からしてそれは違った。


「急いで傷の手当てをしませんと」

「え……ああ」


 血の気がなくなってきているのか、現状を脳が認識したくないのか、ぼんやりとした返事になってしまった。

 傷口を押さえていた血まみれの手を少女に掴まれ、半ば強引に歩かされる。血で汚れた手を握って気分が悪くならないのだろうか、と思いもしたが、彼女の手から伝わる力は多少の抵抗では振りほどけないほどに強い。

 出来上がっていたテントらしき建物に入ると、少女は中にいた兵士に治療に必要な道具を持ってくるように言った。兵士は慌てた様子で指示に従う。


「もしかして……」

「座って上着を脱いでください」


 身分の高い人なのかどうか聞こうと思ったのだが、有無を言わせない迫力に負けて俺は大人しく座り、上着を脱ぐことにした。

 左腕を動かすと痛みが走るため、右腕だけで脱ごうとしたのだがなかなか脱げない。そんな俺を見かねたのか、少女は俺の背後に回って手伝いを始めてくれた。


「ありがとう……ございます」

「いえ、お気になさらないでください。あなたは私を庇ってくださったのですから」


 少女が言い終わるのとほぼ同時に、兵士が治療箱を持って中に入ってきた。少女が渡すように身振りを見せると、兵士は自分がやると言った。しかし、彼女は頑なに自分がやると言ったため、兵士はしぶしぶ治療箱を渡す。


「ありがとうございます。ここはいいですから他の手伝いに行ってください」

「ですが、見ず知らずの人間とふたりっきりにするには……」

「武器を持っていないどころか怪我人に負けるほど、私はか弱くはありません。それに、彼は私の命の恩人です。変な疑いを持つことは許しません」


 やや怒気を含んだ声できっぱりと言われた兵士、慌てて謝罪するとすぐさま外へと出て行ってしまった。兵士の言動からして、やはり少女は身分の高い人間らしい。出会った状況が状況だっただけに不問にされているが、少しでも違ったら俺の首は飛んでいたかもしれない。

 無礼な真似はできない、と思う一方で、手当てをしてもらっている時点でしているのではないかと考えてしまう。綺麗な異性とふたりっきりという別の緊張も相まって、俺の体は強張ってしまった。


「……ここにいたか」


 入ってきたのは、先ほどまでと違って落ち着きのある黒衣の男。表情も幾分穏やかになっている……が、腰にある剣の存在と少女と対等に話していたことからして、言動には細心の注意を払わなければならない相手だ。


「アスラ、こんなところに来ていいのですか?」

「逃げるしかないんだ。退路くらいしか決めることがない。それに……お前が怪我をしていないか心配だったからな」


 顔を背けながら言った男の顔は、恥ずかしさからか赤くなっている。それを見た少女は、嬉びが見える笑みを浮かべながら小さく笑った。

 異性と付き合った経験はないが、このふたりの関係がどういうものなのかは、今のやりとりで何となく分かった。それだけに居心地が悪くなってしまったのは言うまでもない。


「ところで……お前は何者だ? 身のこなしなどからして敵の刺客ではなさそうだが」

「何者と言われても……」

「……聞き方を変えよう。どうしてあの場所にいた?」


 それは俺も分からない。ただ分からないからといって答えないわけにもいかないため、事の経緯を出来る限り説明する。


「友人達と話してて……本に書いてあった呪文をみたいのを友人が読み上げたら急に光が……。それで気が付いたらあそこに……」

「……それだけ聞くと召喚術の類に巻き込まれて飛ばされたようだが」

「アスラ、嘘は言っていないと思います。彼は突然現れましたから」

「リーゼもそう言うなら……今はそうしておこう」


 完全に疑いが晴れたわけではないが、どうにか敵ではないことは理解してもらえたようだ。いきなり剣を抜かれる展開にならないとは言えないが、俺が迂闊な言動さえしなければ大丈夫だろう。


「あの」

「分かっている……お前、名前は何だ?」


 黒崎真紅、と答えようと思った矢先、ある考えが脳裏を過ぎる。

 言葉は通じているわけだが……ここに至った経緯や剣といった存在からして俺の知っている世界とは考えにくい。彼らも互いのことをアスラやリーゼとしか呼んでいない以上、フルネームではなく名前だけ名乗ったほうがいいかもしれない。


「……真紅です」

「オレはアスラ・ブラッディア。お前の手当てをしているのが」

「リーゼレミア・ルシフェルです。シンクさん、改めて助けて頂いてありがとうございました」

「何度も礼を言われることじゃ……1度目は偶然が重なっただけですし」

「それでも、あなたが私の命を救ってくださったことに変わりはありません」


 真っ直ぐと向けられる瞳に、俺は視線を逸らしてしまった。少女の考えを理解できなかったから、というわけではなく、純粋に恥ずかしかったからだ。これでも人並みに異性には興味がある。まあ少女にはアスラという人がいるようなので、手を出したりするつもりは毛頭ないが。


「シンク、お前以外に何人いた?」

「え……?」

「友人も一緒だったと言っただろう。オレはお前しか見ていないが、お前の友人もあのへんに飛ばされていた可能性がある。兵達に確認しておくから何人か教えろ」


 素っ気無い言い方であったため理解が遅れたが、思ったよりも良い人のようだ。いや、そうでなければリーゼレミアという少女と親しい間柄にはなっていないか。彼女はどう考えても悪人を好きになるようなタイプには見えない。


「4人です」

「4人……全員お前のような髪色や目の色をしているのか?」


 普通のことを聞いているように思えるが、アスラは何かを気にしているように思える。彼は俺の瞳の色が気になっているのだろうか。

 俺は髪は黒だが、瞳の色は紅だ。何かしら病気にかかったから、といった話は聞いたことがないので、おそらく生まれつきだと思われる。


「髪色は大体同じですけど……目に関しては違います」

「……そうか」


 短い返事の後、「何か分かったら伝える」と言い残すと、アスラは外へを歩き始めた。そんな彼に、俺は思わず話しかける。


「あの……」

「何だ?」

「その……ありがとうございます」

「ああ」

「それと……」

「まだ何かあるのか?」

「……何で良くしてくれるんですか? あなた達にとって、俺は見ず知らずの人間なのに」

「確かにお前のことはほとんど分からないが、敵対するようにも見えない。何より……お前はリーゼを身を盾にしてまで助けた。それが最大の理由だ」


 忙しいにも関わらず来ていたのか、アスラはこちらの返事を待たずに出て行った。わずかばかり沈黙が流れたが、少女の笑い声が耳に届く。


「ふふ、ああ見えて優しい人なんですよ」

「そうみたいですね」

「治療も終わりましたから私も一度失礼しますね。分からないことばかりで大変でしょうけど、おそらく明日の朝には移動すると思いますので体を休めておいてください。それと、兵達にはあなたのことを伝えておきますから、何かあったらお気軽に用件をお伝えください」


 手馴れた動きで片づけを終えた少女は、最後に笑顔をこちらに向けると外へと向かって歩き始めた。ひとりになることの心細さはあったものの、ひとりになりたい気分でもあったため、黙って彼女を見送る。

 少女が外に出たのを確認して視線を外したが、すぐに「シンクさん」と俺を呼ぶ声がテント内に響いた。意識を入り口へ向けると綺麗な姿勢で立っている彼女の姿が視界に映る。


「今日は本当にありがとうございました」

「いえ……こちらこそありがとうございました」

「ふふ、では今度こそ失礼しますね。ちゃんと体は休めておいてください。約束ですよ」



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