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第10話

 突然の衝撃に俺の意識は覚醒した。

 それと同時に徐々に痛み出した頬を押さえつつまぶたを上げると、氷のように冷たい顔が俺を覗き込んでいた。


「ラ……ヴィーネ?」


 銀色の髪に感情があまり出ていない表情からしてラヴィーネであるのは間違いない。しかし、今の時間帯は室内の暗さからして日の出前だろう。

 それに彼女は、俺に対して誰よりも興味を抱いていないように見えた。いったい何をしに俺の部屋を訪ねてきたのだろうか。


「いつ戦になるかも分からん状況で熟睡できるとは緊張感のない奴だ」


 ラヴィーネはタンスのほうへと移動すると断りもなく扉を開いて、ノワールに渡されていた衣服を取り出して投げつけてきた。


「それと剣は手に取れるところに置いておけ。私が暗殺者だったら貴様は死んでいるぞ」


 飛来したコートやノンフィンガーグローブから意識をラヴィーネの方に向け直した瞬間、鞘に納められた状態の魔剣達がこちらに迫ってきた。俺は慌てて体勢を整えて、二振りの剣を受け止める。

 ただでさえ一般の武器に比べてこの魔剣達は重い。加えて、今の俺はここ数日のノワールとの訓練で全身筋肉痛だ。小さくだが悲鳴が漏れてしまったのは仕方がないだろう。


「お前……いくら何でも剣は投げるなよ」

「文句を言ってないでさっさと準備しろ」

「準備?」

「戦についてくると言ったのは貴様だろう」


 その言葉を聞いたとき、俺の脳内でギアが切り替わった。

 早朝から夜まで続く過酷な訓練をしていたこともあって、俺はノワールに起こしに来るまで寝ていた。だらしがないかもしれないが、訓練漬けに慣れていない俺にとって睡眠というのは唯一の至福の時間だったのだ。

 話を戻すが、今日もギリギリまで睡眠を取ろうとしていたこともあって、俺は上と剣だけ身に着ければいい状態で寝ていた。つまり準備はすぐに済むということだ。

 俺が準備を終えると、ラヴィーネは一足先に部屋から出た。慌てて後を追うと、早い足取りで廊下を歩いている彼女の背中が見えた。全身の至るところが痛むが、俺は駆け足で距離を詰める。


「おい、待ってくれよ」

「他の者はすでに出発している。悠長にしている時間はない」


 ということは、ラヴィーネは俺のために残ってくれたことになる。彼女自身が自ら望んでその役どころに着いたのかはあやしいところであるが、少なくとも俺は文句を言える立場ではない。

 無言のまま進んで外に出るのと同時に、巨大な影が視界に入ってきた。

 月が顔を覗かせたことで確認できたそれは、鎧を纏った馬だった。

 毛並みはラヴィーネの髪色に近い白であり、身に着けている防具も白を基調としている。ラヴィーネは白銀の防具を纏い、背中には淡い青色が混じった白い槍がある。乗せればかなりの負荷が掛かりそうであるが、馬の逞しい体つきを見るとその手の不安は一掃される。


「待たせたなキュール」


 キュールと呼ばれた馬の顔を撫でるラヴィーネの顔は、普段と違って優しげだ。常に今のような顔をしていれば、アルディナに氷女と呼ばれたりしないのではないだろうか。

 そんなことを思っていると、ラヴィーネは颯爽と愛馬に跨った。そして、無表情に戻った顔と冷たい視線をこちらに向けてきた。


「行くぞ」

「行くぞって……」


 この女は、土地勘もないのに走れとでも言いたいのだろうか。もしそうならば、馬と同じ速度で走れるはずもないので俺は途中で迷子になるに決まっている。というか、あまりにもひどすぎる。

 などと思いもしたが、ラヴィーネは顔色ひとつ変えずこちらに手を伸ばしながら口を開いた。


「ぼさっとするな」

「えっ……と」

「どうせ貴様のことだ。馬には乗れないだろう」

「それは……まあ」

「……さっさと手を取れ」


 やや怒気を含んだ言葉に、このままだと走らされると思った俺はラヴィーネの手に取った。女性とは思えない力で一気に引き上げられる。反射的にこちらも力を入れていなかったならば、関節が悲鳴を上げていたかもしれない。


「掴まれ」

「は……?」

「ぐずぐずするな!」


 ラヴィーネは半ば強引に俺の手を自分の腹部に回すと手綱を握った。

 彼女は防具を身に着けているが、身のこなしのためか全身を鎧で覆っているわけではない。そのため腹部や太ももといった部分は顕わになっている。

 女性から触れられるのはまだしも、こちらから女性に触れるのは躊躇われる。だがラヴィーネが続けて発した言葉に、俺は腕に力を込める他になかった。


「途中で落ちても置いていくからな、しっかり掴まっていろ」

「わ、分かった」

「あと……言っておくが、おかしな真似をしてみろ」


 その場で振り落として殺すからな。

 そう告げるラヴィーネに俺は黙って頷いた。もしもこの場でふざけたりできる者が居たならば、彼女の瞳の冷たさを目の当たりにした俺は自殺志願者だと断定する。

 内心で色々と考えているとキュールが勢い良く加速した。予想以上のスピードに恐怖した俺は、自然とラヴィーネにしがみついてしまう。

 ――これは……不味いのではないだろうか。

 恐る恐るラヴィーネの顔色を窺ってみると、そこには普段どおりの無表情があった。どうやら仕方がないと思ってくれているらしい。

 安堵感を覚えると、狙い済ましたかのようなタイミングで、女性特有の甘い匂いが風に乗って鼻腔に届いた。密着している状態もあって俺の心拍数は急激に高まる。距離が距離だけにラヴィーネにも伝わっているのではないだろうか。

 視線だけ動かして確認してみると、ラヴィーネは澄ました顔で前だけを見ていた……いや、わずかだが頬が赤くなっている気がする。

 もしかしてラヴィーネは男慣れしていないのか?

 彼女は何となく男に対して言動が冷たい気がするし、アルディナは男がいないと言っていただけに可能性はある。ただ彼女は将軍で、兵の半数以上は男だろう。純粋に冷たいという可能性もある。それに肌の色が白いだけに、体温が上がっているときは一般の者よりも赤らんで見えるだろう。

 冷静に考えてみると、ラヴィーネは男慣れしていないというより男嫌いの部類の方が高そうだ。まあ乙女な部分が今垣間見れると余計に意識してしまうので困るのだが。

 とはいえ、綺麗な女性と密着している状態というのは俺くらいの年代には刺激が強い。現状のままでは心臓がもたないかもしれない。戦場に向かっているのにおかしな話かもしれないが、生理的なものなので仕方がないのだ。


「なあラヴィーネ、戦場はど――っ!?」

「このへんの道は先ほどまでと違って荒い。舌を噛み切りたくなかったら黙っていろ」


 危うく舌を噛みそうになっただけに俺は大人しく従うことにした。

 ラヴィーネとキュールが上手く避けてくれているのか、はたまた純粋に運が良いのか、伝わってくる振動は基本的に一定だ。しかし、時折大きな揺れが来るために俺はその度に強く抱きついてしまう。ただ下手をすると首を跳ねられないため、腕の位置はできる限り変わらないように努めた。

 走り始めてからそれなりに時間が経ったようで、周囲が少しずつ明るくなり始めてきた。空を見ながら内心早く到着しないかと思う。これを誰かに聞かれると早死にしたいのか、と言われてしまうかもしれないが、俺は馬に乗り慣れていないので股が痛くて堪らないのだ。


「もうそろそろで到着するはずだ。無様な姿を晒さないように覚悟を決めておけ」


 解釈の仕方によっては励ましの言葉にも聞こえるが、おそらくここでの言動次第では魔王として認められることはなくなるぞ、といった脅しの言葉として受け取るのが正解だろう。まあ脅しの言葉も考え方によっては励ましの言葉にもなりはするが。

 太陽が顔を覗かせ始めた頃、遠目に武装していると思われる集団が見えてきた。距離が縮まるに連れて鮮明になり、ルシフェルに所属する兵士達だと分かる。

 彼らの前まで来ると、ラヴィーネはキュールを急停止させた。手綱を握っている彼女は問題ないが、俺は後方へと落ちて行く。腰辺りを打ち付けると思った俺は、来るであろう痛みに目を瞑った。


「っと……王様だいじょうぶ?」


 間近で聞こえた声にまぶたを上げると、目の前にアルディナの顔があった。一瞬状況が理解できなかったが、体勢からして彼女に受け止められているようだ。

 アルディナは獣人であるため、俺を受け止められても不思議とは思わないが、はたから見れば小柄な少女が長身の男を抱きかかえている構図だ。それを考えると何とも言えない気分になる。彼女の背中にある巨大な斧を見ても似たような気分になるが。


「あ、ああ……ありがとう」

「うん、どういたしまして」


 にこりと笑ったアルディナは、俺を下ろすと視線をラヴィーネのほうに向けて距離を縮めていく。その姿を見た俺はどことなく嫌な予感がした。


「ラヴィーネ、何であんな止め方するのさ。王さま怪我するところだったんだよ」

「あいつが怪我をしたところで誰も困らんだろう」

「王さまは王さまって認められるためにここに来てるんだよ。王さまって認められなかったら今後困ることがあるかもしれないんじゃん」

「それはあいつが今回の戦を生き残れたらの話だ」

「……何かやけに王さまに対してひどいね。あっ分かった、ノワールにたくさん相手してもらってる王さまに嫉妬してるんだ」

「……バカ獣人、まずは貴様から殺してやろうか」

「あっ、またバカって言った。そっちがその気ならアタシだってやってやるぞ!」


 ラヴィーネとアルディナは互いに得物を手に取り、一触即発の空気を醸し出し始める。ストッパーであるシャルナを探してみるが、どうやら彼(彼女)はこの場にはいないらしい。

 ――普通に考えて誰かは城に残っていないとダメか……って、こんなこと考えてないで2人をどうにかしないと。

 ラヴィーネ達の扱いに慣れている右腕のような存在がいないのか、と思い探してみるが、兵士達は皆怯えているようで近づこうとする気配はない。

 戦が始まる前に将軍同士がケンカして共倒れ……、のような展開は聞くだけなら笑い話だろうが、俺達にとっては国の運命を左右するであろう大事態だ。どうにかして制止をかけなければならない。だがいったいどうやって制止をかける……


「おい、今はそんなことをしてる場合じゃないだろ」


 と、言いながら2人の間に入った俺は周囲からは勇者という名の自殺志願者に見えたのではないだろうか。

 今という瞬間に体のどこかが吹き飛ぶのではないかと思えてしまうため、正直に言って怖い。この状況が続けば、俺は冷や汗で脱水症状を起こすだろう。それくらいの張り詰めた空気がこの場にはある。


「……確かにそのとおりだ」

「まあ……王さまがやめろって言うなら」


 ふたりが得物を収めたことで息苦しさが消える。それと同時に、俺は気が付けば大きく息を吐いていた。周囲に意識を向けてみると、俺と似たような反応をしている兵士が複数確認できた。


「アルディナ、間違っても死ぬな。貴様はあとで私が殺す」

「その言葉、そのまま返すよ」


 こんな血の気の多いふたりが兵の筆頭でルシフェルは大丈夫なのか、と不安になる。だが解釈の仕方によっては、互いに励ましているようにも取れなくもない。


「ところで、どんな様子だ?」

「どんな?」

「……敵に動きはあるかと聞いているんだ」


 ラヴィーネは露骨に不機嫌そうな顔をしているが、対するアルディナは気にした様子もなく理解した素振りを見せる。

 見ていて仲が良いようには見えないが、ラヴィーネは人に対してあまり感情を見せないことを考えると、ある意味ふたりは仲が良いのかもしれない。言葉にするならば『ケンカするほど仲が良い』といったものになるだろう。


「うーんとね、罠らしきものはないみたいだし、別で動いてる兵も確認されてないよ。ただ砦みたいなのはできてるみたい」

「砦だと?」

「うん、結構出来の良いやつみたい。たった数日で作ったんだから、あっちはすごく頑張ったんだろうね。特に動きがないのはバテてるからじゃない?」

「そんなはずはないだろう……」


 と、ラヴィーネは呆れる。俺も今のばかりはアルディナをフォローする気にはなれなかった。


「そうだな。普通に考えれば、組み立てる前の状態まで作っておいたってのが妥当な線じゃないか?」

「なるほど! 王さまって頭良いね!」


 アルディナに尊敬するような眼差しを向けられるが、正直に言ってあまり喜べない。

 ……この子って本当に子供だな。

 そのように思うのはもちろん見た目もそうだが、何よりも言動が子供じみているからだ。

 戦いの経験だけで言えば、アルディナは俺よりも確実に上だろう。しかし、戦いに必要な知識があまり身に付いていないように思える。


「おそらく貴様の言うとおりだろう。罠や伏兵がいないというのは我々を舐めている。または兵を可能な限り集めてから一気に潰そうとしているだろう。アルディナ、敵兵力はどれぐらいだ?」

「えっと……ざっとこっちの倍くらいって聞いたかな?」

「……ということは、およそ2千。このまま様子見をしていてはさらに増える可能性が高い……だが場所が平原だけに奇襲らしい奇襲は難しい。…………今仕掛けるのが最善か」


 確かにそのとおりかもしれない。

 リベルダは聖国の力を借りているため、おそらく人間が兵の大半を占めるはずだ。夜ならば多種族であるこちらが有利になると思われる。

 しかし、今は太陽が昇り始めたくらいの時間だ。闇が訪れるまでに半日以上かかるだろう。よほどの無能でない限り、こちらの動きには気が付くだろうし、数で勝っているのだから仕掛けてくるはず。ならば、まだ兵が寝ているかもしれない今のうちに攻めたほうがこちらが勝つ可能性は高い。


「ん……言っておくが、魔王候補だからといって貴様に作戦の決定権はないぞ」

「そんなの分かってるさ」

「ならば自分が最前列で戦うということも分かっているな?」


 どことなく挑発するかのような顔と声だ。

 今回の一戦はルシフェルの存続に加えて、俺が魔王として認められるかどうかが掛かっている戦い。勝利を収めることができたとしても、最後尾で戦ったならば誰も認めてはくれないだろう。ラヴィーネの言うように最前で戦い、何かしらの結果を残さなければならない。

 とはいえ、そんなことは事前に分かっていたことだ。自分から戦場に行くと言ったときから覚悟は出来ている。


「ああ」

「……せいぜい頑張ることだな」


 ラヴィーネは素っ気無い返事をすると、兵の隊列を整え始める。戦いがすぐそこまで迫っているのだと実感させられる光景に、俺の中の緊張感は自然と高まっていった。

 ふと気が付けば、呼吸が止まってしまっていた。大きく息を吐くのとほぼ同時に、誰かに背中を叩かれた。


「だいじょうぶだよ王さま。危なかったら助けてあげるから」

「……君はえらく優しくしてくれるんだな」

「困ってる人は助けろって言われてるし、アタシは王さまは頑張ってるって思うからね。慣れない土地でいきなり王さまにさせられて、戦いまでしないといけないなんて普通の人なら逃げ出してもおかしくないし」


 でも出来るだけ頑張ってね、とアルディナは満面の笑みを浮かべて言うと、手を振りながらどこかへ行ってしまった。

 俺よりも小さな子供とはいえ、彼女もおそらくラヴィーネと同じ将軍のひとり。鼓舞するために自分の部隊のところへ行ったのだろう。

 あんな小さな子に負けてはいられない。彼女のような子を戦わせてはいけない。

 そんな風にあいつなら思うのかもしれない。だけど俺はあいつじゃないし、あいつと同じようには考えられない。


「……やれることはやったんだ。あとは……ただがむしゃらに生き残るだけだ」



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