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肌と髪の手入れを怠らず、綻びの無い真新しいドレスを身に纏い、常に美しくいること。
人前で大口を開いて笑ってははしたない。相手に不快感を与えないことを心掛け、視線は口元からくび当たりに落としながら会話すること。
紹介された人の名前と顔は当然のことながら階級もしっかりと記憶し、目上には謙って、同等には親しみを込めて、目下には威厳のある態度で接し、しかし他者への敬意を忘れてはならない。
楽器は最低ひとつは出来て当然。一曲だけでもいいから暗譜し、完璧に演奏できること。
一挙一投足に至るまで気を抜かず、美しく淑やかに振る舞うこと。
これらすべて、『レディー』というものの嗜みらしい。その他にもまだまだたくさんあるらしいのだけれど、あまりにも多すぎて耳を通り過ぎていった。これだけ記憶に残っただけでも上々だ。
とかく、『レディー』というものは面倒くさいものらしい。童話とかのお姫様に「待ってるだけじゃなくて自分でなんとかしろよ!」と思った事は限りないが、彼女たちもなかなか苦労しているらしい。ちょっとだけ反省した。
なんで一般家庭に生まれ育った私がそんなことを知っているのかというと、理由は単純明解。目の前にそれについて講釈垂れてるご婦人がいらっしゃるから。
しかし、ああだこうだと今更あれこれ言われても、いざパーティーに出た時実践できる嗜みは少ないのではなかろうか。
外見は、カルヴァン領でもレオハルト領でも異様なほど気を使われたからなんとかなっているだろう。むしろあれだけ弄り倒されてそれさえダメだったら泣ける通り越して埋まりたくなる。
会話云々は、もう黙りこくって無理にでも押し通そう。威厳とか何それどう出すの。ルーグさんたちには申し訳ないけれど、人見知りってことで口裏合わせてもらえばなんとかなる……と思いたい。
楽器については完全放棄だ。一夜漬けでさえない短時間に実現するには私の物覚えが悪すぎる。私ができるのなんてせいぜいがリコーダーだからね!あとはもしかしたらピアノで猫踏んじゃった~♪ってできるかも、くらいだ。今でもまともに指が動くかどうかしらんけれども。
食事については言うまでもない。そのための準備が目の前のお菓子たちなのだそうだ。用は人前でがっつくなってことなのだろうと勝手に解釈してひたすら口を動かしている。目玉もどき?あれなら真っ先に平らげましたが、何か?苦手なものは一番最初に食べ終える主義です。お残しよくないよ。
こうしてみると、私という存在はつくづくこの世界基準の女性としては規格外なのが良く分かる。下手したら地球でも危ういかもしれない。私が知らないだけで友人たちはみんなこんなことできてたりするのだろうか。常にチョコだとか飴だとかを持ち歩いていたのは知ってるけど、こういう時のためだったりするのかな。
向き合っているようで実はだんだん飽きが入ってきている私に見向きもせず、談笑の最中に突然やってきたお局らしい初老の女性はなおも熱く語り続けている。今自分が置かれている状況さえさっぱりわからずにいる私に、エルザさんとローザさんが苦笑いしていた。
「マダム・マクシーナ。お時間が迫っておりますので、そろそろ……」
エルザさんが控えめに物申す。彼女はマクシーナさんと言うらしい。
レディーとマダムの違いってなんだろうと疑問に思っていると、マダムというのは既婚女性や年配の方への敬称なのだとローザさんが耳打ちして教えてくれた。彼女に対しては後者の意味で用いているらしいと付け加えられて大いに納得した。さすが、デキる女性は配慮が違うと感心しきりだ。
「もうこんな時間だなんて……大変名残惜しゅうございますけれど、仕方がありませんわね。会場でお待ちしておりますわ」
ごきげんよう、と古い少女漫画のライバル役のような挨拶を口にして、マダム・マクシーナは嵐のごとく去っていく。
ドアが完全に閉じた瞬間だらしなく椅子に全身もたれさせた私に、誰しもが同情混じりの苦笑を携えていた。




