4
「ルーグ、さん……?」
頼りなく響いた声にルーグは耳を疑った。
まさかそんな、と信じられない気持ちのほうが強かった。しかしそれを否定するかのように、またか細い声が呼ぶのだ。短くも長く探し求めた声が。
突如として目の先に降り立った、怒るドラゴン。その手の内に、渇望したただ一人の姿があった。
「さつき様!!」
どうしてそんなところにとか、無事で何よりだとか、言いたい言葉は山ほどある。しかしそのどれもが全て引っ込んで、その名を呼ぶことしかできなかった。
兵士たちの間には動揺が広がっていた。それもそのはずだ。突如として獰猛なドラゴンが現れたかと思えば、それがまさか天女を携えているのだから。
よもや天女に武器の矛先を向けることもできず、かといって危険なドラゴン相手に武器を下ろすわけにも行かず、戸惑いうろたえる兵士たち。
それらを置き去りにして、ルーグは打ち震えていた。
「さつき様……っ」
「陛下っ!」
ルーグが、恋焦がれた存在へと手を伸ばす。しかしそれは、傍に控えていたヘルバルトによって留められた。
ドラゴンがグルグルと低い唸り声を上げる。ルーグはようやく、危うい状況であることを思い出した。
舌打ちしたい気持ちを押さえ、気迫のみで目の前の獣と対峙する。さつきが何度となくドラゴンに訴えているが、かの獣はかけらたりともそれを聞き入れる様子はない。
ドラゴンはただ、軍に―――ルーグに敵意を向けていた。
「ねえ、降ろして!ねえってば!!」
何度言ってもドラゴンは聞く耳を持ってくれない。本当になんなのか、歯軋りしたい気持ちだった。
目の前に、ルーグさんがいる。だというのにこのドラゴンはどうしてかルーグさんを睨みつけて目を逸らさない。近づこうものなら、と敵意さえ向けている。
いっそ手から飛び降りてやろうかと体を乗り出してみたけど、意外にもあった高さに断念してからは何度もドラゴンの手の中で飛び跳ねたり、たまには指を叩いたりしてる。………効果はいまひとつのようだけど。
このドラゴンは、本当にどうしたんだろう?多感なお年頃だとでも言うの?
小鳥たちはさっきから鳴くこともしないで寄り添いあっている。あと、ちょっぴり震えてる。
ドラゴンが怒ってて怖がってるのかとも思ったけど、着陸前まではそんな様子はなかった。だから、恐怖の対象がドラゴンということはないはずだ。ドラゴンが怖いなら逃げれば済むし、その手段としてこの仔達には翼があるのだから。人間に注意を向けている今この瞬間ほどの好機はないだろう。
となると、小鳥たちの恐怖の対象は必然とルーグさんやその後ろの人たちになるんだけど……ドラゴン恐がらないような図太い神経しておきながら人間を怖がるって、どうなの?いくら武装してるとはいえ。
私には心底不可解で堪らないんだけど、それでも小鳥たちは本当にルーグさんたちが怖いらしい。だったら何で私に懐いたのよ。餌付け効果凄い。
「あのっ、ルーグさん!この仔達、多分悪い仔たちじゃないんでっ!」
お願いだから攻撃しようなんて思わないでと叫ぶと、ルーグさんはひどく驚いた声を上げた。ええっ!?と素っ頓狂な声が聞こえた。なんか、ごめん。
にしても、本当にどうしようか。いつまでもドラゴンとルーグさんの睨み合いを続けさせるわけにも行かないし、かといってこの子、まったく人の話を聞いてくれない。人影を見てからというもの、まるで理性を失ったみたいに本性を剥き出しにしている。
なんだろう、昔人間に酷い目に遭わされたとか?でもそれだったら私のことグランのところから連れ出したりしないよね………………食べるつもりじゃない限り。
うんうん唸る私を他所に、下ではルーグさんと他の人が言い争ってるのが聞こえてくる。陛下とかってルーグさんが呼ばれてるのを聞いて、本当にこの人王様だったんだ、なんて間の抜けた感想が浮かんだ。
「さつき様、このドラゴンはずっと人間に敵意を?」
「そんなことはなかったですよ。軍団見たら急に怒っちゃって……」
それまでは本当に友好的でした。うん、多分そうでした。なんて、不安を助長させるようなことはさすがに内心だけに留めておく。じゃないと多分って何って怒られそう。
急に、ドラゴンが動きを見せた。大地震が起きたときのように足元が覚束なくなって、その手の中で倒れこむ。
ドラゴンはその大きすぎる前足を振り上げて、人間に向かって叩きつけようとしていた。
大きいから動作は多少鈍くなっていても、兵隊さんは避けるのがやっとの様子だ。何度も回数を重ねていくうちにドラゴンと軍隊との間に距離ができた。
ドラゴンは、それでもまだ唸っていた。




