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………きさ……つ…さま……
誰だろ。何か言ってる。違う、呼んでる?なんで?誰を?
わかんない。
でも眠い。お願い、もう少し静かにしてよ。私まだ眠いんだよ。寝させて。起こさないで。
「ー-ーさつき様っ!」
「ほへぇ……?」
はっきり強い声で名前を呼ばれて目を覚ます。まだまだ重たい目蓋を無理やり押し開けた眼前に見えるのは、見覚えのない素朴系可愛子さんの顔。
「………だれ?」
「もう、さつき様ったらまだ寝ぼけていらっしゃるんですか?ほら、起きてください。もう朝ですよ」
バサリと上かけのシーツを取り上げて手際良くまとめていく。
ああ、そうだ。この人はシエラ。誘拐されて閉じ込められたここでの、唯一の味方。頼れる人。
「ごめんね、シエラ。もう起きたよ。おはよう」
「はい、おはようございます。朝食の準備はできておりますけれど、すぐに召し上がりますか?」
「んー……ううん、もうちょっと後でいいや。それよりお風呂入りたいんだ。昨日の夜すごく汗かいたから」
「あら……本当ですね、どうなさいました?昨夜はそれほど暑くなかったはずですけど……」
おかしいですね、と訝るシエラに思わず言葉に詰まった。
言えない。っていうか、言いたくない。まさかそんな、「筋トレしまくって汗かきました」なんて女らしさのかけらもないこと、言えるはずが無い。なにより、言ったら言ったで呆れられそう。たかが筋トレで汗だくなんて、って。それだけは嫌だ。
「それはほら、こっちに来てからまだ日が浅いから、体が馴染んでないみたいで……」
しどろもどろになりながら言葉をぼやかす。前半は本当のことだけど、後半は口からでまかせだ。馴染んでないなんて、とんでもない。来た瞬間からバリバリ動けてたし、いつもと変わらなかったよ。
でもそんなことを知らないシエラは、なるほどとどうやら納得してくれた模様。大変ですのね……お辛いところはございませんか?なんて、本気で心配してくれるものだから罪悪感というか、とにかく良心がめった刺しにされる。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと体が強張ってるくらいだから。酷い筋肉痛みたいなもんだって」
「ならいいのですが……。では、すぐにお風呂のご用意を致しますね」
「うん、お願い」
シーツを抱えたままシエラは綺麗に一礼して、静かに部屋を出て行った。
そういえば。ふと思い立つ。お風呂の準備って、私どうやって入るんだろう。
誘拐初日の一昨日と昨日は発熱していたこともあって入れなかった。そして今日はっていうか今日も、昨日までと変わらず足枷から伸びる鎖に行動範囲を制限されている。
私が自由に移動できるのは、本当にこの部屋の中だけ。で、この部屋の中にはお風呂なんて無い。
てことは何か?もしかして金だらい風呂?体が洗えない?頭くらいは洗えるだろうけど、どうにかして全身スッキリしたい。
そんなことを悶々と考え込んでいたらドアがノックされて、応えたらシエラと、なんというか厳ついマッチョなイケメンが三人、計四人で入って来た。
「シエラ?その人たちは……」
誰?と尋ねる前にイケマッチョの一人が寄って来て、私の足首じゃ無い方の枷に細長いものを突っ込んだ。すると間も無くかちゃりと鍵の開く音がして、枷がベッドのパイプから外された。
……なるほど、このイケマッチョ共は見張りか。嫌味なくらい徹底してるよ、本当。
グッと腕に力を込めて上体を起こそうと試みる。プルプル震えるのが、自分で言うのもなんだけど生まれたての仔鹿みたいだ。
腕を突っ張ってはぺちゃんとベッドに逆戻りするのを二、三回繰り返していると、見るに見兼ねたらしい鍵を外してくれたイケマッチョが失礼します、と一言言って私を抱き上げた。
持ち上げられた瞬間にしがみついたのは惚れ惚れしちゃうほど見事な上腕二頭筋、三頭筋。うわぁお、むっきむき。ってそうじゃなくて。
「あ、あの、……私重いし、すごく汗臭いとので………」
「いえ、そんなことは。まるで花束を抱いているような……」
「は?いやいやいや、え?」
花束ってなに。重さは、そういえば私三十余キロだったなぁと思い出したけど、花束ってなに。私かなり汗臭いと思うんだけど。 嗅覚まで世界レベルで誤差があるの?それともこの人なりのフォロー?
どっちなんだとゴニョゴニョまごつく私を無視して、イケマッチョはシエラたちの方へ歩き出した。結構大きく揺れるのが怖くて、思わずイケマッチョの服の胸元にしがみつく。てか、この人背高いからそれも怖い。
キィ、とドアの金具が小さく鳴いて、パタンと閉じられる。
初めて出る部屋の外。逃走経路の確認も兼ねて、よくよく見ておこう。
ぎゅうっとシャツを握る力を強くして、私はただ静かに揺られた。




