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パタンとドアと閉じられるあっけない音。
私は解放された手を殴られた頬に添えた。頬は今もなお熱を持っていて、腫れているのか普段よりも固くなっていた。
「痛いなぁ……」
あのヤロー、手加減無しに殴りやがって。女に手を上げるとか最っ低のクズだな。
心の中でどれだけ口汚く罵倒しても、気紛らわしにもならない。痛いものは痛いと否応無しに突きつけられて余計に腹が立った。
コンコン、と控えめに扉がノックされた。
何さ、お上品ぶって。不機嫌も露に投げやりに応えれば、おどおどとした様子でメイド姿の女の子が入ってきた。
「しっ、失礼致します!本日付けで奥方様のお世話係を言いつかりました、シエラと申します!」
がばっ!て音がするくらい勢いよく頭を下げたシエラは、思わず放心してしまうほど精一杯で、普通の女の子だった。
そりゃ、容姿はやっぱり整ってる。茶色の髪と、黄色……じゃないな、金色の目。白い肌のせいで際立ってしまっているそばかすも愛嬌のように思えた。
「あの……奥方様?」
おずおずと窺うシエラに我に返って、挙動不審になる。ちょっと恥ずかしい。
「とりあえず、その“奥方様”って辞めてくれる?私には森山さつきって名前があるし、そもそもあんな最低な人と結婚する気なんてまっったく無いから」
「奥っ、さつき様!」
シエラが慌てて私に飛びかかってきて口を塞ぐ。
なんなの!?と声を荒げるより先に、シエラに「人に聞かれたらどうするんですか!」と怒られた。
なに?どういうこと?
意味がわからなくて黙ったままシエラを見る。シエラは頻りに周囲を警戒していた。
どれくらいそうしていたか、ようやく安心したらしいシエラが息を吐いて私の口許から手を離した。
「……さつき様、どんなに嫌でも、それを声高に言ってはダメです。どこで誰が聞いているかわかりません」
「どういうこと……?」
声を潜めるシエラに合わせて私も声を抑える。シエラはそれに「殺されてしまう」と答えた。
「旦那様がさつき様を攫わせてきて、無理矢理奥方に据えようとなさっていることは屋敷中の誰もが知っています。でもそれを、誰も咎めたり諌めたりはしないんです」
「え……?な、なんで…っ!?」
「屋敷の者達は……いいえ、このレオハルト領の誰もが、天女にまつわる迷信を真実と信じているから」
天女の迷信……そうだ、ルーグさんが言ってたやつだ。 天女を捕まえたら一族が繁栄するだとか、食べたら不老不死になるだとかっていう、なんの根拠もないデマカセ。あれが、ここでは信じられてる……?
「だから……だから私は攫われたの?」
天女が現れたって噂が流れたから。本当に私がいたから。だから攫われた?一族繁栄のために?
知ったら余計に腹が立った。
グランは私を女だのと言ったけど、私を人間だとは認識していない。天女という一族繁栄のための道具と見ているんだとわかった。
「いいですか、さつき様。もしさつき様が旦那様を悪し様に罵ったと屋敷の者に知られれば、それは必ず旦那様の耳にも入ります。旦那様は体裁としてさつき様を妻に迎えるとしましたが、さつき様が余りにも反抗的であると判断すれば、……まず間違いなく、今度こそさつき様は幽閉、監禁されます」
脱出不可能といえるだけの堅牢な檻がこの屋敷にはある。そう教えられてゾッとした。
この部屋でさえ空寒いというのに、この部屋より劣悪な部屋がある?逆らえば、今度はそこに閉じ込められる?
ぐるぐると同じことが頭の中を駆け巡る。身震いした私をシエラがそっと抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫です。旦那様に逆らわなければいいんです。お辛いでしょうけれど、どうか辛抱なさってください」
「でも……でも、私は…っ!」
帰りたい。帰りたいんだよ、シエラ。
泣きじゃくる私をシエラはそれに嫌な顔をすることもなく、何度も大丈夫と繰り返した。
「大丈夫、わかっています。帰りたいんですよね。大丈夫ですよ、私が微力ながらお手伝い致します」
「っほ、とに……?」
「はい、本当です。だから大丈夫。ご安心ください。さつき様は、私がお守り致します」
だから、信じて。
甘い響きのその言葉に、私は一も二もなく頷いた。帰りたい、その一心だった。




