15
びくんと大きく体が跳ねて、私は目を覚ました。ばくばくと心臓が早鐘を打って煩い。耳鳴りがする中で、荒い息を繰り返した。
周りを見る。太陽はもうとっくに沈み切っていて、屋敷の方から僅かに届く光が辺りを照らしていた。
「パトリシア……」
あの夢は、何だったんだろう。あれは夢だった。パトリシアもそれを肯定していた。
でも、あの夢は本当に、ただの夢?
だって、こんなにも鮮明に覚えてるのに。
「パトリシア……」
ねぇ、あなたはあの時、なんて言ってたの?
ふるりと体が震えて、それを抑えるように自分の体を抱きしめる。
怖い。すごく怖い。帰れなかったらどうしようって、悪い方ばっかりに考えがいく。こんなの私らしくないってわかってても、今こうして、独りでいることが怖くて堪らなくて、涙が出る。
「っ、ルーグさ……」
ルーグさん、ルーグさん、ルーグさん。
エリザさん、 ローザさん。誰でもいい、だからお願い、独りにしないで。傍にいて。
ぎゅうって硬く目を瞑った時、遠くの方で声が聞こえた。叫ぶような、必死な声。それは次第に大きくなっていって、ガサガサと草木を掻き分ける音と一緒に近づいてくる。
怖くなって言葉を失っていると、聞こえる声に覚えがあると気づいた。
気づかないわけがない。私の不安が生んだ幻聴かもしれない、でも、それでも私はそれに縋りたかった。
「……ぁ……つ……ま、………さつき様!」
ボロボロになって現れたルーグさんに、滲んでいた涙が堪えきれず零れた。
慌てて駆け寄ってきてくれて心配してくれるルーグさんに、ただ首を振ることしかできない。汗臭いからと身を引こうとする彼に、嫌だ嫌だと駄々を捏ねて手を伸ばす。ルーグさんは、受け入れるように手を差し出してくれた。
「さつき様……もう、大丈夫ですよ」
一人で怖かったですね、寂しかったですね。そう言って、頭を撫でてくれる。
「っる、……さ……!」
痙攣を起こす横隔膜で必死に呼ぶ。泣きじゃくる私をルーグさんは優しく抱きしめてくれた。ルーグさんがいつも付けてる香水だけじゃない、汗に滲んだルーグさんの香りがする。
大丈夫だって何度も繰り返しながら背中を撫でてくれる、それに堪らなくなってしがみ付いた。
ルーグさん、ルーグさん、ルーグさん。
「……ぁぃ、がと………っ!」
ありがとう、ありがとう。
見つけてくれて。抱きしめてくれて。欲しい言葉をくれて、ありがとう。
背中の服を掴んで、ぎゅうぎゅうとしがみつく。ルーグさんは少しだけ困った声を出したけれど拒むなんてことはしなくて、それどころか甘やかすように頭を撫でてくれた。
「……帰りましょう、さつき様。」
一緒に、屋敷に帰りましょう。泣き縋って動かない私をふわりと抱き上げて、もう一度ルーグさんが「帰りましょう」と言う。私はルーグさんの首に腕を回して、泣き続けながら頷いた。
「っぇり、たい……」
帰りたい、帰りたい。
訴える私にルーグさんは何も言わず、ゆっくりと歩き出した。
さく、さく、と草を踏む音がする。体が揺れる度に髪も揺れて、それを時折吹く風がいたずらに弄ぶ。
「……ルーグ、さん」
「はい、なんですか?さつき様」
優しく応えてくれるルーグさんに、言葉に詰まる。
ルーグさんは優しい人だ。甘やかすけどそれだけじゃなくて、分別を忘れない。本当の意味で優しい人だ。
そんな人を困らせる言葉を、私はわかっているのに口にしないではいられなくて、声に出す。
「お願い……独りにしないで……傍にいて………」
希う私に、ルーグさんは何も答えない。そのかわりに少しだけ、私の体を抱く腕に力が込められた。伝わってくる温かさが、たしかに今ここにいるのだと感じさせてくれる。
とくん、とくんと私より少し早く脈打つルーグさんの鼓動を片耳で聞いて、私はようやく、知らず識らずのうちに体に入っていた力を抜いた。
「大丈夫ですよ、さつき様。ここにいます、一人じゃありませんよ」
甘い甘い、ユスラよりもあまい声で囁かれる。ひとつ、ふたつと宥めるように唇が寄せられて、それが触れる度に、心の中の黒い怖いものが消えていくような気がした。
「ルーグさん……」
ありがとう。ごめんなさい。
薄らいでいく思考で、何とか口ずさむ。私の言葉は届いただろうか。
確認をすることもできないまま、私はまた目を閉じた。ゆらゆらと揺れる温かいゆりかごの中で、私は夢に身を投げた。




