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あの後、ルーグさんは驚くほどにいつも通りだった。優しい笑顔、優しい声。さつき様と私を呼ぶ声は明るくて、思わず拍子抜けしてしまったほどだ。
でも夢でもみたのかと思う度、腕に残っている彼の手形が、あれは現実なんだと教えてくる。今までと変わらない振る舞いをするルーグさんに戸惑ったけれど、ローザさんが酷い目に遭うようなことはなかったし、私としてもこの方が有難いと甘えることにした。
だからというわけでもないけど、私は今日もローザさんとお茶を楽しんでいる。
今日のお茶はこの世界特有のものでは無くて、普通のダージリンティーだ。気候が一気に暖かくなったからそれを話題にして、その合間合間に口に含む氷の浮いたアイスティーは特に美味しく感じる。デザートは、体を冷やしすぎないようにということで冷たいものではなくて常温まで冷まされたクッキー。サクサクに焼き上げられたそれが、口の中でゆっくりほどけていく。それと同時に香ばしさを孕んだバターの風味が口いっぱいに広がって、その美味しさに手が止まらない。
「……さつき様」
もう一枚、と手を伸ばした時、ローザさんが口を開いた。さっきまでは明るかった声が、今は固くなっている。ローザさんは、グラスを握り締めて俯いていた。
「どうして、咎めないのですか……」
「咎める、って何を?」
心当たりが無くて尋ね返せば、あの日、と強い語調で端的に答えられた。
「あの日、私はあなたを………見捨てました。なのに、どうして今までと変わらずに接してくださるのですか……」
わからない、と吐き出す彼女に、私こそわからなくて首を傾げる。
「見捨てたのとは違うでしょ。ローザさんは、上司の命令に従っただけですし」
職場で上司に逆らうなんて許されない。アルバイトしかしたことのない私でもそれは知っていた。逆らっちゃいけない、なんて決まりは無くても、機嫌を損ねれば当たりはキツくなるし、左遷や、悪くすればクビにされてしまう。社会とはそういうものなのだと、就職した友人が愚痴を零していたのを覚えてる。
「ローザさんは怒られるようなこと、なんにもしてません。あれで良かったんです」
「ですが……っ」
「いいって言ったらいいんです!」
なおも言い募ろうとするローザさんの言葉を強引に遮って、ローザさんの口の中にクッキーを放り込む。
「ローザさんは自分の仕事を全うしただけだし、あの後何かあったわけでもありません。だから、ローザさんが気に病む必要はありません!」
あんまりしつこいと、それこそ怒りますよ!目元をキツくして強く宣言すればようやく、不承不承にローザさんが口を噤んだ。
「ほら、せっかく美味しいお茶とお菓子があるんですから、もっと楽しい話しましょうよ!」
明るいお話がいいと強請れば、困惑しながらもローザさんは話題を探す。美味しい物の話でも大歓迎と選択肢を増やせば、それならとローザさんは思いついた事を口に出した。
今までもたくさんの話を聞いたけど、彼女の話は一度も被ったことがない。今日もまた被ることはなくて、興味深々と耳を傾けた。
話しているうちに、ローザさんも元の調子を取り戻していた。ついたい身を乗り出す私を行儀が悪いと時々指摘して、いろんなことを教えてくれた。
そんな、いつも通りの日常の一コマ。




