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いつものようにベヌウ鳥に騎乗して崖ーー聖域と呼ばれ出したその上へ降り立つ。パトリシアは意外にも酔いやすいようで、ベヌウ鳥の背から降りて数歩はたたらを踏んでしまう。それを嘴で支えられて、動物が相手だからだろうか、素直に「ありがとう」と礼をいって撫でてやる彼女を見るのがジャンの細やかな幸せだった。
二人は今、中央の泉にいる。パトリシアは裸足になって、淵に腰掛けて水を蹴り遊んでいる。ベヌウ鳥はその少し奥で泉の水を飲んでいる。ジャンはといえば、泉から少し離れた木陰に腰を下ろして読書に勤しんでいた。
そよ風が吹いて、木の葉や草をさわさわと揺らす。パトリシアの蹴り上げた水が、パシャリと音を立てて泉に戻る。時折、ベヌウ鳥が鳴く。
静かで、穏やかな時間。幸せな時間だ。
手元の詩集からふと目をあげれば、思ったのはジャンだけではなかったらしい。パトリシアも幸せだと穏やかな笑みを浮かべていた。
普段の苛烈さなど滲ませもしない、柔らかい笑み。強い意思が煌めく瞳には優しさだけが湛えられている。赤く艶めく唇が弧を描いているのを見て、目が逸らせなくなる。
気づけば、ジャンは立ち上がっていた。
「ジャン?」
不意に差した影に、どうしたのと見上げる。
ジャンは、何も言わない。酷く真剣な顔をして、パトリシアの傍に膝をついた。
「ジャン……?」
どうしたのだろう。パトリシアは少しだけ、馴染んだ彼に怯んだ。
自分を見て逸らさない碧眼。いつもなら慈愛と探究心に満ちたその目が、今は別の何かで染まりきっている。
威圧的なわけではない。けれど、碧眼に乗せられた何かが、どうしてか怖いと思う。
思わず腰元についていた手を後ろに引いた。重心がずれて、体が傾く。その分だけ、二人の間に距離ができた。
ジャンはそれが気に入らなかったのか、一瞬眉間に皺を寄せ、すぐにパトリシアの腕を捕らえた。
強く引っ張られて、勢いのまま、胸板に飛び込んでしまう。ドンと音を立ててぶつかった顔が少し痛む。
しかし何より痛むのは、破裂するのではないかと思える程早鐘を打つ心臓だ。
「ジャン……ジャン、放して……」
「嫌だ。放さない」
「嫌って……お願い、放し……っ」
言葉が言い終わるよりも早く、パトリシアの唇は塞がれた。他でもない、ジャンの唇で。
ただ重ねるだけの行為でも、それは彼女の思考を止めるには十分すぎる衝撃を与えた。
荒れていないつやつやとした唇は柔らかさの中にも張りがある。ふっと息が漏れて唇と唇の間に隙間ができれば、それを埋めるようにまた押し付けられた。
一度、僅かに離れたそれを、今度こそは離さないと、より強く。
唇を割り、熱い何かが入ってくる。それがジャンの舌だと気づいたのは、歯列さえ割られた時だった。
盾も何もない無防備な舌に、ざらりとした感触を伝えて絡まる。咥内を蹂躙するそれに呼吸を奪われ、抗う意思も気力も奪われた。




