10
週末とはいえ、昼間の図書館はそれなりに人気があった。それでも館内は静寂を保っていて、当たり前のことなのにそれがひどく新鮮だった。
だって、大学のとは全然違う。じろじろと不躾な目を向けられることもなければ、下手に話しかけられることもない。気が楽だ。
多くの人たちとは違って目当てもなく来た私は、手持ち無沙汰に本棚の間を練り歩いた。身の丈よりはるかに高い本の壁は圧巻だったけど、不思議と懐かしいとも思った。
どこかでこんなことあったっけ?思い返しても浮かばなくて。しばらく悶々と考え込んで、ようやく答えを見つけて苦笑する。
視点が違ったから、なかなか思い出せなかった。あの時は本以外の物もたくさん並んでいたし私は抱えられていたから。
込み上がる笑いをごまかすように、本棚の文字の羅列を見つめる。なぜか言語が統一されていなくて、本棚の上の張り紙を見て納得した。
寄贈コーナーだったらしいこの本棚には、日本語のものもあれば、誰が読めるのかアラビア語だっけ?そういった言語のものもあった。あ、ロシア語のもある。
多国籍なその棚の中に、ひとつだけ歪なものがあった。
何かに取り憑かれたように、わけもなくそれに手が伸びた。
それは英語で書かれていた。ここのラインナップから言えば特別珍しくもないけど、これは本じゃない。正しく言えば、印刷物じゃない。
罫線もない白紙に手書きで書き連ねられたそれは、日記だった。
「興味深いでしょう?」
「っ!?」
いきなりの声に飛び上がる。
悲鳴あげなくてよかった……ありがとう、私の理性。
ばくばくする心臓に手を添えつつ振り向くと、たっぷりと髭を蓄えたおじいさんがいた。優しい目元に弧を刻むその人は、年相応に腰を曲げているけれど、それが妙に似合っている人だった。
「あの…?」
「ああ、すみませんね、突然話しかけてしまって。それを手に取った人はお嬢さんが初めてだから、つい」
そういってほっほっ、と笑うおじいさんに納得する。随分長い間書き込まれたりしていたのか、日記帳は他の本と違って薄汚いしボロボロだ。私だって、言われてどうしてこれを手に取ろうと思ったのか不思議なくらいだし。
「蚤の市を知っているかね。昔、フランスに行ったことがあってね。あちらでは、古い葉書だとかもアンティークとして扱われていたよ。それも、同じだ」
懐かしむように目を細めてから、おじいさんは愛おしげに日記帳を見た。
「あなたが、これを?」
「いいや。……妻だ、先に逝ってしまった」
寂しいことなのに、それでもおじいさんの視線は優しいままだった。きっと、その相手に向けてるんだろうな。
「もしよかったら、読んでみてくれ。あれは、それを恋愛小説だと言っていたよ」
日記なのにな、と小さく笑って、おじいさんは歩き出した。
取り残された私は、もう一度手元の日記帳に目を落とした。




