お食事タイムなうですよ!
閲覧、お気に入り登録ありがとうございます。
お預け状態の私の前に差し出されたのはホワイトソースをベースにした緩いリゾットだった。ベッド横にあった小さなテーブルにふんわりと甘い湯気の立つリゾットを目の前に、私は思わず目が輝く。グーグーと煩く食事を求める胃袋を満足させるべく、さっそくスプーンでひとすくい口にした。
病床から目覚めて水しか口にしていなかった私にとって、久しぶりに味のある食べ物だ。
むふっ! うまっ! とあらん限りの感想を表情に出しながら食べ進めていく私に、セリハは嬉しそうにニコニコと笑みを携えて私から少し離れた場所で見つめている。
シアは一時退室中。
私が食事をしている間、日本人を保護したという事項を王宮に伝えに行くらしい。早馬を走らせるのはあくまでこの屋敷に滞在するシアの部下らしいけれど、食事が出来上がるまでにあれこれと私から聴取した内容を盛り込んだ書簡が必要だとかでタリアを引き連れて部屋を後にした。
よくわからないけれど、私を悪いようにはしないということだけは把握できたので、根掘り葉掘り私の事情を尋ねてくるシアに対して丁寧に答えた。時々、私に触れようと手を伸ばすも、ちょっと考えてからすぐにその手をひっこめるという動作を何度も繰り返していた。
「シア……と呼んでも?」
「ああ。どうぞ」
笑い終えたシアに対して、もう遠慮なんかしないと決めたけれど、すぐに本気にしていいか悩んだために一言断りを入れてから改める。
「シアって人に触れている間だけ相手の心が読めるの?」
私の唐突な質問に驚いてみせたのはタリアだったけれど、シアは何とも思っていない様子のまま「ああ」と答える。
なるほど、だから必要以上に私に触れていたのか。
ちょっと私に気があるの? とか思ったわけじゃない。むしろ、何この人、馴れ馴れしいくらいは思った。
いくら見た目が好みでも、初対面に近い相手にあれほどベタベタ触られるのは正直好きじゃない。異性であればなおさらの事警戒心が強くなる。警戒心を強めたところで私狙いの異性なんてそういないけれど。ぐすん。
寝込んでいた時も何気に手を取られていたのは、弱っている私を励ますためではなく身元もわからない人間が自分を庇った上で何を考えているのか読み取ろうとしたのだろう。例え怪我人であっても警戒してのことだと理解できたら納得がいった。
「気持ち悪いか?」
少しためらいがちにうかがってきたシアの言葉に、私は現実に思考を戻して首を横に振る。
「いいえ。おかげさまで元気です」
大丈夫。元気元気。疲れてないよ! と意思表示をしてみたものの、シアは眉尻を下げて「そういう意味ではなかったんだけれど」と苦笑した。
うん? と首をかしげて見せると、シアはさらに苦笑する。ちょっと間を置いた後にようやく質問の意図を理解した私は「ああ!」と声を上げて続けた。
「ようは触れなきゃいいんでしょ? 何も無理に触れてもらわなくても素直に話しますよ」
別に隠すことなんてないでしょうし。なんて考えながらシアを見ると、私が発した言葉の前半で少しだけ表情を曇らせたようだったけれど、後半を聴いてフッと笑みを浮かべる。なんでそういう表情になるのかイマイチわからなかったけれど、私あまり彼にいいこと言っていない気がするなぁと蛇足にもならないような言葉を付け足した。
「あ、でも言葉にできないくらい嬉しいことがあったら触ってもらえば伝わるんだよね。そういう風に幸せおすそ分けできるって便利かも」
うん、うんと一人で納得したように頷きながら語れば、シアはまたプッと小さく吹き出して、今度は控えめにクスクスと笑った。
「そういう考え方はしたことなかったな」
「そうなんですか?」
「敬語」
「おっと、そうなの?」
単語で小さく叱咤してきたシアの態度に私も敬語を改める。
すぐに言葉を改めた私に対し、シアは満足したように微笑んで「そうだな」とこぼした。
「兄上――陛下でさえそんな風にはおっしゃって下さったことはない。才能なのだから大いに国の為に役立てろとはおっしゃって頂いたが」
呼び方を途中で改めたけれど彼にとってこの王国に君臨する人は家族なのだ。
確かに便利っちゃあ便利だし、陛下という立場上はそういう風に認めるのが一番いいと判断したのだから間違いはないと思う。へーと曖昧な相槌を打ちながらも私はまだ見たこともない陛下の意見に賛同した。
「シアの個性を伸ばしてくれるって素敵な王様だね」
思ったことをそのまま口にしただけなのに、シアは何を考えたのかわからないけれど、はじけたように笑って腹を抱えたのだ。解せぬ。
そんな雑談を交えながら自分の覚えている範囲の記憶をすべて聞き出され、時々シアに触れられながら日本人であることを納得した彼らは退室した。
入れ違いで入ってきたセリハに食事の準備をしてもらったところで冒頭に戻るわけだが。
ここにきて一か月の間、誰にも打ち明けられなかった事を聞き入れてもらえることができて、ホッとしたのは言うまでもない。
病み上がりのせいか、いつもより食がすすまず、スプーンで少しずつリゾットを平らげていく私は、消化を待ちながら傍で待っているセリハに声をかけた。
「こんなことなら最初から日本人ですって風潮したらよかったのかな?」
あまりにも急速に物事が進んだことに、もっと早くにことを進めておけばよかったと思った私に対し、セリハは少しだけ驚いたような不安な表情を浮かべて首を小さく横に振った。
「それはあまりいい判断とは言えません。むしろ今までよくご無事でした」
「へ? そうなの?」
予想外の反応に私がセリハを見つめると、彼女は少しだけ緊張した面持ちで理由を教えてくれた。
「私自身、《誉人の奇跡》なるお方にお会いしたことがございません。コトエ様が初めてです。《誉人の奇跡》なるお方は稀なる存在。《誉人の奇跡》なるお方に選ばれし者は必ず幸福になると言われております」
「選ばれし者……?」
えっと、それは初耳だなぁとオウム返しに聞き返せば、セリハは力強く頷いて続けた。
「《絆》と呼ばれる存在です」
「えっと……私ももしかしてその《絆》と呼ばれる存在を選ばなければいけないということ?」
たどたどしく質問すると、セリハは少し困ったように首を傾げた。
「確か《誉人の奇跡》なる方の自由な意思の元で選ばれるため、強制ではなかったはずです。婚姻関係を差す場合が非常に多いですが、言い伝えによれば同性を選ばれた方もおいでであれば、一生選ばれなかった方もいらっしゃるとか。すみません、細かな伝承は憶えていないため、そこはシアレス様にうかがった方が確実かと」
本当に申し訳なさそうに肩をすくめたセリハの言葉に、私は「ううん、ありがとう」と彼女の発言にねぎらいの言葉をかける。ホッと安心した様子のセリハは本題の方に話題を振った。
「本来であれば《絆》は《誉人の奇跡》たる方の自由なご意志の元選ばれるべき存在ですが、稀にその存在を利用しようと暗躍する者も少なくはございません。実際に《誉人の奇跡》たる方を誘拐して脅し《契》を無理矢理交わそうとした不届き者もいたと聞いたことがございます」
うへー、マジかぁ。なんて他人事みたいに聞いているけれど、実際は自分の身に起こったかもしれない出来事かと思うと身の毛がよだつ。そりゃ確かに無知のまま日本人であることを周囲に暴露しないでいてよかったと安堵すると、彼女も同じ意見だったのかにっこりと私を見つめた。
「ですので、コトエ様がこの世界にお越しになった後にとられた行動は非常に正しい判断だったと思われます。本当、ご無事でよかったです」
まるで自分の事のように私の身を案じてくれていたセリハの厚意にちょっと泣きそうになったのは内緒だ。
こうやって自分の事を全部知った上で話ができるというのが純粋にうれしかった。
それにしてもなんで日本人だけなんだろう。現代には日本人以外にもたくさんの人種がいるけれど、トリップ対象が日本人に限られているってのが不思議。初めてこの世界に来た橘誉という人物も気になるが……。
というより、今まで何人くらいの日本人がこの世界に迷い込んでしまったのだろう? セリハの話によれば一人二人の話ではなさそうだ。けれど、言い伝えや伝承という言い方をしているからには、結構大昔から何回かに分けて起こっている現象ではあるみたいだけれど。
なーんか、きな臭いなぁ……。
異世界トリップにしたって不可解なことが多すぎる。こう、もうちょっと設定ちゃんと考えろよ! って言いたくなるのは、異世界トリップ系小説を愛読する者から言わせてみれば、曖昧な部分が多すぎるからかもしれない。
単純に私が知らないことが多すぎるだけかもしれないけれど、知れば知るほど謎が深くなるという感覚だろうか。
実際、シアやセリハの話を聞いていて理解したのはこの国を創った人が日本人だから、日本語が通じたという事実。
トリップ小説お決まりの自動翻訳機能が脳内で作動したわけではなく、最初から公用語が日本語だったのだ。その中に独自の文化が混ざり合って今の国が出来上がっているのだとしたら、確かに日本人がこの国にとって大きな存在になってくるのも何となく頷ける。
初代王妃が日本人であるのならば、今の王家には日本人の血が流れているということか。王家だけではなくもしかしたら一般国民の中にも日本人の血筋が居るかもしれないと思うと少しだけ安堵する。
中世ヨーロッパ風な世界観の割に、黒髪がちらほら目立ったため、逆に私の容姿は浮くようなものではなかったからこそ今まで平穏無事に過ごしてこられたわけですが。
というか、日本人が建国したのに、なんで中世ヨーロッパ風になったのかが不思議なわけで。
スプーンを口にくわえたまま「うーん」とうなる私に対し、セリハが遠慮がちに声をかけてきた。
「コトエ様からご覧になったシアレス様ってどのような方ですか?」
唐突な質問内容に一瞬「へ?」と間抜けな声をあげたものの、すぐに意味を理解して少しだけ考える。何を思っての質問かは分からないけれど、とりあえず素直な感想を述べた。
「笑い上戸」
「わ、笑い上戸……?」
私の回答が意外だったのか、戸惑いがちに尋ね返してきたセリハを見ながら、私は改めてうん、と一人で納得したように頷いて。
「最初は団長さん? って聞いてたから、難しい感じの人かなぁ? と思ってたけれど。話しやすいし分かりやすいし、普通にいい人だなぁと思います」
あと顔は好みですと心の中で付け足した私に対し、セリハはシアが爆笑した時に見せたような驚きの表情を浮かべていたものの、すぐに安堵したようにクスッと笑った。
「コトエ様はやはり《誉人の奇跡》たるお方ですね」
「へ? なんで?」
皆は違うの? という意味合いを込めて尋ねれば、セリハは少しだけ困ったように微笑んでそれから静かに事実を教えてくれた。
「私はここで働き始めて五年目になりますが、シアレス様の笑みを拝見したのは今日が初めてでございます。長年側近のお立場にあるタリア様もきっと同じと思われます」
「ええ!?」
セリハの発言があまりにも意外すぎて声を上げると、彼女は悲しげな表情を浮かべて続ける。
「コトエ様もすでにご存じの通り、シアレス様は異質なるお力を生まれた当初からお持ちです。そのため王宮にいらした頃から大変ご苦労をなされたとうかがっております」
それは仕える身として主を案じる儚げな少女の姿そのもので。
「王位継承権を放棄された後も、やはりご心労が絶えず……隣国との戦争時には多くの騎士団を束ねる方としてご活躍されたのですが、いつしか《冷笑の赤い騎士》と揶揄されるようになりました」
そっと目を伏せたセリハはただ自分の不甲斐なさを噛みしめるように、体の前で合わせていた両手をグッと握りしめるのが視界に入った。
戦争――平和な日本で育った私にはあまりにも馴染みのない遠い国の出来事という印象でしかなかった。私と対面し爆笑していた人がその先陣を切っていたと思うと不思議な感覚だ。セリハが苦しそうな表情のまま続けて教えてくれたのは、彼に付けられた異名の理由だった。
《冷笑の赤い騎士》――本来、この国の騎士が背負う色は白だ。
笑うことを忘れた孤独の騎士は、いつしか剣を振りかざして敵をなぎ倒し、多くの返り血を浴びた時だけ冷たい笑みを浮かべるという。
国の象徴色は返り血で真っ赤に染まる。幾多の屍を踏み越えていく姿はまさに異質だった。
ふと、シアと初めて出会ったシーンが脳裏をよぎる。思い出しただけで血の匂いが鼻先に充満するような感覚。血飛沫と転がった人だった人の形をしていないモノ。生々しくよみがえった記憶が一気に気持ち悪さを増長させる。
「コトエ様? 大丈夫でございますか? 顔色が……」
「……あ、ごめ……ちょっと嫌な事思い出してしまって……」
目の前にある半分残ったリゾットに視線を落としたが、これ以上はどうしても食が進まなかった。
「ごめん、セリハ。ちょっと体調が悪くなってきてしまったから残していいかな? ごめんなさい。全部食べられなかった」
「い、いいえ! とんでもございません! 私の方こそ気が付かずっ! お体の調子も良くなったとはいえ、まだすぐれない部分も多くございますでしょう。シアレス様がお戻りになるまで、少しお休みになられてはいかがですか?」
セリハの申し出をありがたく受けることにした私は、食後ながらもベッドに移動して腰を下ろす。そんな様子を横目で見ながらセリハは本当に申し訳なさそうに、それでも必死に私に伝えてくれた。
「私は……シアレス様があんなに無邪気な笑みをお見せ下さった事が本当にうれしかったのです。コトエ様にはとても感謝しております。ただそのことだけをお伝えしたかったのですが……体調がすぐれないのに自分の事ばかりで……本当に申し訳ございません」
半ば震えた涙声で必死に頭を下げてくるセリハに対し、私はフッと笑った。
「ねぇ、セリハ」
「は、はいっ!」
恐々としながらセリハが私の呼びかけに答えてくれたのを横目で見つめながら、私はベッドの中に潜り込む。
それからニィと悪戯っ子のように笑いながらセリハに尋ねた。
「シアって何歳?」
私の質問にセリハは「え?」と驚きの声をあげたものの、すぐに私の意図を察したらしく泣きそうになりながらも笑みを浮かべてくれる。気にしてないよ、の意思表示。ちゃんと伝わったみたいでよかったと思っていると、シアの異名よりも驚きの事実を聞かされた。
「御年25歳であらせられます」
「げっ! 年下っ!?」
「失礼ですが、コトエ様は……」
「……27歳デス……」
「まぁ!」
目を大きく開けて驚いたセリハの姿に、私はうぐっと声を潜めた。
ちょっ、その反応の意味は後で追及させてもらうからねっ!