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実は笑い上戸だったわけですよ!

「日本人か」という問いに対して私は酷く動揺した。


自分しか理解しえない単語だったはずが、この異世界で初めて紡がれた唯一の糸口だったからだ。仕事では肝が据わっていると評価を受けていた私が、珍しいくらい動揺が隠しきれなかったのは仕方がない。

縋れるものがあるならばなんだって縋りたいほど、自分でも気づかないうちに精神が打ちのめされていたのだ。

衝動から身を引いたシアレスの姿を追いかけようと私の体が気持ちと一緒に前へ出る。が、自分がベッドの上で正座をしていたという事実をすっかり忘れていたため「うわっ」と思わず声を上げる。

色気もない小さな叫び声を上げたまま、スローモーションのようにベッドの端から落ちそうになった私の体をシアレスが支えてくれた。ドキッとしたのは自分好みの男性に助けてもらえたからではなく、ベッドからずり落ちそうになった引力のせいだ。がっちりとした筋肉質の腕が私を支えたことに、ホッと胸をなでおろす。


床に足をついてゆっくりと体を起こせば、シアレスは先ほどと同様に信じられないと言った表情を浮かべたまま私をジッと見据えていた。私の二の腕を掴んだまま支え続けるシアレスの態度に、静かに「ありがとうございます」と言いながらベッドの端に深く腰掛ける。

それでもなお私の二の腕から手を離そうとしないシアレスを不思議に思いつつも、何から尋ねればいいか思案した。


自分が日本人であることを言った先に何が待ち受けているのだろか?

もしかして日本人は歓迎されていない?

なぜ日本人という人種の言葉を知っているの?

ここから日本に帰る術を知っている?


ああ、どうしよう。聞きたいことが山ほどありすぎて考えがまとまらない。挙動不審なまでに視線を泳がせていると、シアレスはようやく表情に冷静さを取り戻して静かに口を開いた。


「君は、記憶を失っていたんじゃないのかい?」

「……え?」


唐突に繰り出された質問の内容を一瞬理解はできなかったものの、ああそういえばと自分が言い出したことを思い出す。記憶がないわけではないが、ここに来た経緯などはまるでわかっていないから、あながちウソではないのだと自分に言い聞かせ、冷静を装って返事をしようと口を開きかけた時だった。


「……なるほど、そういう意味で記憶がないのか」


納得したようにシアレスが呟いた事に、私は思わず「え?」と小さく声を上げて。


私、彼の質問に答えてない……。


あれ? あれ? と現状を理解しようと必死に考えあぐねいていると、彼はハッとした様子で私の体から手を離した。


……あっ。


「貴方、もしかして……心が読めるの!?」


思わず自分の考えをするりと口にすれば、シアレスは罰悪そうに視線をそむけて自分の手をぎゅっと握りしめる。視線を少しずらせばタリアが酷く険しい表情を浮かべていたし、入口の近くでは同じく険しくも悲しそうな表情を浮かべてセリハが佇んでいた。


「って、そんなことはどうでもいい! 私の心読んだなら、私がどれだけ切実か理解できたわよね! もう何でもいい! 知っている事を全部教えてっ!」


勢いだけでベッドから腰を浮かせシアレスに詰め寄れば、当の本人はもちろんの事タリアもセリハも驚いた表情で私を見ている。三人が同時に同じ表情を浮かべるものだから、一瞬何が起こったのかわからなかったものの、相手が身分の高い人だったことを思い出して顔面を蒼白させた。


「も、申し訳ありませんシアレス様っ! 不作法なことをしまして本当に――」

「どうでもいい……?」


慌てて頭を下げた私の言葉を遮って、シアレスがポツリとつぶやく。うん? と顔を上げれば、未だに呆然と私を見つめているシアレスの姿が目に飛び込んできたのだが。


あれ? 不作法な態度がダメなのかと思ったら、そっちの方だったの?


あ、心が読めるってことに対してどうでもいいはさすがにまずかったかな? と改めて思い直して、もう一度頭を下げる。


「あの、どうでもいいっていうのはさすがに言い過ぎました。申し訳ございません。えっと、すごく面倒な能力ですね?」


で、いいのかな? あれ? これも不作法?


自分の事でいっぱいいっぱいになっていたとはいえ、相手の持っているスキルを馬鹿にしたのは確かに悪いことだと思う。しかし、褒めるような能力か? と考えればそうも思えない。


この世界には魔法もなければ超能力も存在しない――言ってみれば中世ヨーロッパそのものの世界感があるから彼の能力は特殊なのだろう。たぶん、現代でいう超能力の分類になるとは思うのだが、そういう能力ってあっても大変な目にしか合わない気がする。


だからこそ素直な意見を述べてみたのだが、「面倒な能力」というのはやはり失礼だったかもしれない。


「あわわっ、じゃなくて! えっとっ! 素敵な能力をお持ちですねっ!?」


一人で勝手にパニックになりながらも何度も言い直しているうちに、目の前に立つ人の体が微妙に震えているのが分かった。


えーっと……と、恐る恐る顔を上げれば、一連の私からの謝罪を受けたシアレスが肩を震わせて笑っていたのだ。口元を手で押さえながら、視線を外してクククッと喉元にこみあげてきた笑みと合わせて肩が揺れ動く。今まで冷静な彼と驚いた彼しか見たことがなかった私が今度は唖然とする番だった。


「ふくくっ……どうでもいい……どうでもいいって……そんな……初めて言われた……くくっ」


どうしても耐えられなかったようにポツポツと呟きながらも笑いをかみしめるシアレスを見て、私はどうも居た堪れない。それが是の感情なのか非の感情なのかがイマイチつかめなかったからだ。そんな彼の様子を見つめながらもチラリと控えているタリアとセリハの表情を見れば二人とも同じ表情を向けてシアレスのことを見ている。


なんていうか……すっごく間抜け面です。


あんなにムスッとした態度しか示していなかったタリアが、金魚のように口をパクパクさせながらシアレスを凝視しているし、セリハも自分の口元に両手をあてながらも目を皿のように丸くさせて(あるじ)をみつめているようだ。

何が彼らをそこまで驚かせているのかわからなかったけれど、私がゆっくりと頭を上げながら「あの……?」と遠慮がちに声を掛ければ、シアレスは少しだけ待ってくれてと言ったように咳き込んで、はぁっと笑いに余韻を残しながらようやく私を見た。


「君は面白いね……コトエ……だったかな?」


先ほどとは全く違う穏やかな笑みを浮かべながら私の名前が正しいか尋ねてくる彼の姿に、私はただただ「はい」と肯定するしかない。ふくくっと再び沸いた笑みを口の中で押さえながらも彼は私好みの釣り目の目尻を下げて、もう一度ケホッと咳き込んだ。


「コトエ」

「はい」

「先に伝えるべきだったけれど改めてお礼を言わせてほしい」


目的とは違う話になったような気がしたけれど、会話の主導権は彼にあるらしく私は黙ってそれを受け入れる。後でちゃんと教えてくれたらいいな、なんて自分本位な事を考えながらも「なんでしょう?」と尋ねれば、彼はフッと笑みを浮かべて私に小さく頭を下げた。


「この度はコトエのおかげで私は傷を負うことなく任務を全うすることができた。君を巻き込んで本当に申し訳なく思うと同時に、深く感謝する。ありがとう」


淡々と、けれど本当に情のこもった謝辞に対し、私はペコリと頭を下げる。


「こちらこそ、出過ぎた真似をしてしまったかと思いましたが、シアレス様が無事でお役にたてて何よりと思います。手厚く治療までしていただきありがとうございました」


一応、社会人だしね。こういうのはしっかりと。先ほどの動揺を挽回するように返事が出来たかなと顔を上げれば、彼は穏やかに笑みを浮かべたまま私を見下ろしていた。


「シアだ」

「……? はい。存じ上げております。シアレス=ミア=フィアンベルセット様でいらっしゃいますね」


カタカナの名前は正直覚えるのが大変だから苦手なんだけれど、さすがにお世話になった人の名前を間違えるわけにはいかない。何の確認なのかよくわからなかったけれど、自分はちゃんと認識していますよという気持ちを込めて伝えれば、彼はフフッと笑って繰り返すように言った。


「そうではない。シア、と呼んでほしい。様を付けなくていい。後、敬語も不要だ」

「あ、いや、それはさすがに……」


ご希望に添いかねますと続くはずだったけれど、彼は慈しむように赤い瞳を細めて私の欲しい答えを一つだけ教えてくれた。


「《日本人》は国賓にあたる稀なる存在であり、我々はコトエのような《日本人》を|《誉人の奇跡》《ほまれびとのギフト》と称して敬愛する。《王家》と等しく、君はこの世界にとって価値のある存在なんだ。私を呼び捨てにしたところで咎められる存在は誰もいないよ」

「|《誉人の奇跡》《ほまれびとのギフト》……?」


あ、何か聞いたことのある単語が出てきたな、と思った。


レアン食堂で聞いた単語《誉人》――この中世感が満載の異世界に来た時、唯一違和感を得た単語だ。だってそれはあまりにも日本語だったから。


――今日もうまい酒が飲めるのは《誉人》のおかげだ!

――敬愛なる我らが《誉人》に敬意を! 乾杯!


そうだ。常連客がいつも酒をあおる前にジョッキを高らかに掲げて叫んでいる言葉。意味が分からず営業が終わった後、エンに聞いて返ってきた答えは。


――《誉人》はこのフィアンベルセット王国をお創りになった伝説の初代王妃だよ。


記憶を脳内で反芻させていた私の考えを肯定したようにシアレスは小さく首をかしげて見せた。


「《誉人》はフィアンベルセット王国を築きあげた王家の始まり。慈愛の女神とも呼ばれた初代王妃――本名は橘誉(たちばなほまれ)。この世界に最初に迷い込んだ日本人だ」

「日本、人……?」


ぐぎゅるぅぅぅぅ……。


……どもー、空気と漢字が読めない女、雛森琴枝です。あと英語。


シリアスぶち壊して本当に申し訳ありません。だってね、ほら、ご飯食べてないし……。ようやく今更思い出したかのようになり始めた腹の虫に、私はお腹押さえながら真っ赤になって「ごめんなさい」と蚊の鳴くような声で謝罪する。


一瞬の静寂が広まったと思った途端、とうとう耐えられないといった様子でシアレス――シアが腹を抱えて笑い出した。


「あっはははははははっ!! もうだめだっ! コトエ! 君はことごとく私の予想の斜め上を行く!」

「す、すみませんでしたねっ! 思い通りにならない可愛げのない女でっ!」


ぐぬぬぬっと人の空腹事情に遠慮なく爆笑するシアに対し、私の脳内に遠慮という文字はあっさりと消え去って。

おうおう、遠慮しなくていいって言うんだったら様も敬語もなしだっ! 《日本人》がこの世界にとってなんであれ、どうせ苦手だったしありがたい申し出なので無理に断ることもない。

あっさりと敬語が外れた私の態度がまた彼の笑いを増長させたらしく、ベッドの横にあったテーブルに手をついてヒーヒーと笑うシアをジト目で見つめれば。

さすがのタリアも慣れたのか「何か消化の良い食事を用意するように」と呆れた表情のまま傍に控えているセリハに伝えたのだった。

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