フラグ回収しちゃったよ!
これはたぶん、外傷から来る発熱。
自分がうなされていることも分かったし、胸元がジンジン痛むのも理解できる。けれど思考はおぼろげで、ようやくうっすら目を開けば飛び込んできたのは慌ただしい様子。
医者っぽい人が「大丈夫ですか?」と丁寧に声をかけてくれるし、メイドっぽい人が「何かいりますか?」と優しく心配してくれる。
あ、よかった。私生きてるみたいだ。
とおぼろげな意識のままカラカラな喉を精一杯震わせて「み……ず……」とつぶやく。唇がカサついて上下張り付いている感じ。
口の中もネバネバしていて気持ち悪い。頭痛い。体中が痛い。吐き気はなさそう。と自分の症状をポツポツとつぶやけば、医者っぽい人が私の体を検査するように触る。
どこだ、ここ? なんて思う間もなく、そういえば私はどれだけ寝ていたんだろうという疑問も湧き上がってくる。体調はそれどころではなく、次々沸き起こってくる疑問は後で聞けばいいかという気持ちになって口にはしない。メイドのような子が「大丈夫ですか?」と言いながら、水を含ませた脱脂綿みたいなものを私の口元に寄せてくれる。力なくチュッと吸えば、冷たい水がじんわりと口の中に広がる。
あー、水がおいしい。
空腹感はないけれど、よほど喉が渇いていたらしい私。
何度も何度も口に脱脂綿を運んでくれる甲斐甲斐しいメイドさんに、ようやく満足できる水分をいただいた私は「ありがと……」とお礼を言った。彼女は泣きそうな顔でふるふると首を横に振る。
可愛い子だなぁ、なんて思いながらもその感想を口にできる体力はない。体力が戻ったらぎゅっぎゅっに抱きしめて撫でまわそうと心に決めて、大きく息を吐く。ズキンッと胸元が痛んで思わず呼吸が苦しくなる。はっはっと犬のように短い呼吸を繰り返せば、医者のような人はまた私を覗き込んで「ゆっくり」と、呼吸の仕方を教えてくれる。そうは言われても痛いものは痛い。できる限り医者の要望にお応えすべく小さくも深い息を心掛けているうちに、何となく痛みに慣れてきた。自分の周囲に医者やメイド以外の人も存在していたらしいが、ざわめきだけで理解がうまくできない。
落ち着いた呼吸ができるようになってから薄く瞬きを繰り返せば、扉が開かれる音と同時に周囲が大きくざわめいたのを何となく感じた。
「シアレス様! たった今お目覚めにっ!」
私に水分をくれたメイドと同じ声が声を上げた。
カツカツと足音を立てて歩み寄ってくる人物に視線を向ける気力はない。
ギシリと自分が寝ころぶ場所が小さく沈んだのを感じて、私が今いる場所はどうやらベッドの上だということだけは何となく理解できた。
「大丈夫か?」
凛とした声が耳元に届く。大丈夫かと聞かれたら大丈夫じゃないと言いたいけれど、即座に切り返すことができない。
はぁっと熱のこもった息を吐くことで「生きてます!」という気持ちを伝えれば、自分の左手がひんやりとした男の人の手に包まれたことが何となく感じ取れる。
あ、気持ちいい。
発熱しているせいか、その手があまりにも気持ちよくて思わず目を細める。
視線すら動かすのが難しい私の顔を覗き込むように見つめてきたのは黒髪の男性だった。
イケメンと言うほどではないけれど、整った顔立ちであることは違いない。むしろ吊り目なところなんかモロ私好みだとか余裕もないのに感想が出そうになる。
私の手を握りしめ、さっき「大丈夫か?」と尋ねてきた人だろうかとぼんやり見つめていると、彼は落ち着いた表情のまま私をジッと覗き込む。
「……だ、れ?」
とりあえずは、だ。貴様は誰だと尋ねれば、彼は淡々と答えてくれる。
「シアだ。王宮近衛騎士団団長、シアレス=ミア=フィアンベルセット」
「……し、あ?」
舌ったらずな口調で尋ねれば彼は深く頷いてくれる。
私を助けてくれたのはこの人かと思いながら、そういえば私がこうなった原因は蒼の騎士に切られたからだと思いだす。
そういえばあの人無事だったかな? 私が庇った白の騎士。
私なんて出て行かなくても無事だったかもしれない。無駄な怪我と迷惑をかけてしまったんじゃないかと思い悩む。
「ごめ、なさ……」
迷惑かけて本当すみません。と、本当は土下座して謝りたいけれど、そういう気力はやっぱりない。
伝わってくれぇー、なんて他力本願な考え方で謝罪をすれば、彼はようやく表情を崩して悲しそうに眉を潜める。
「なぜ謝罪を? 謝罪すべきは私達の方だ。一般国民の君を巻き込んでしまい申し訳ない。傷が癒えるまでこちらで介抱させていただきたい」
あら、そう? とか思うあたり、私ってばずうずうししい。
小さく頷いて彼の言葉を肯定すると、彼はホッとしたように笑う。
「けが……だいじょ、ぶ?」
それはそうと、私が無駄に庇ってしまった人は大丈夫だったかな?
「ああ、君のおかげで私は切り傷一つない。感謝する」
私が庇った張本人でしたか。
「よか……た」
無事で何よりだとたどたどしく伝えれば、彼は顔面をくしゃりとさせて。そんな彼の様子を把握できないまま私は次の心配をした。
「……じょ、か……まち、れあ……しょく、どー……つたえ、て……わた、し……ぶ、じ……」
こんな話し方じゃあまるでクイズみたいだな、と思いながらも言い終えてから深く息を吐くと、彼は顔を上げてそこに居た誰かにわたしの言葉を要約して伝える。
「城下町にレア食堂という店はあるか?」
「憶測ですがレアン食堂と思われます」
シアレスの質問に答えたのはメイドの声。
「では、その店の店主に彼女の特徴を伝えて私のところで預かっていると伝言を」
「承知しました」
あ、よかった。伝わった。
ほふっと安心した途端、気だるさから襲ってくる睡魔が私の瞼を静かに閉じていく。瞼の上で「君は自分の事より他人の心配ばかりだな」と彼が笑った気がした。
いや、だってお世話になっている人達に心配かけるのもちょっとね……あと、仕事無断欠勤は駄目でしょう。なんて思いながら、私はまた泥のように深い眠りに誘われたのだった。
◇◆◇
数日後、ようやく熱も下がって目を覚ました私の元にやってきたのはカントリー系の容姿をしたメイドさんだった。
くすんだ赤髪を後ろで一つの太い三つ編みに束ね、鼻先に散らばるそばかすがチャームポイントの王道たるメイドさん。
覚醒してしばらく動かなかった私に対し「大丈夫ですか?」と心配そうに声をかけながら、私の体を支えるようにゆっくりと上半身を起こしてくれる。
いささか残る胸の痛みに声を噛み殺しながら眉間にシワを寄せれば「だ、大丈夫ですか?」と繰り返し尋ねてくる。そんな心配性なメイドさんに対し「大丈夫です。ありがとうございます」と丁寧に返せば、ホッと安堵した表情を浮かべてくれた。
ようやく思考がスムーズに働き出したのだが、メイドさんは私から離れて透明なグラスにデカンタから水を注ぐ。音が鳴らないよう静かにテーブルの上にデカンタを置くと、グラスを両手で持ちながら私に差し出した。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
至れりつくせり! とか喜ぶ間もなく、むしろ恐縮ですと言いたいながらも小さくお辞儀をしてグラスを受け取った。口をつけると自分の体温とは異なる冷たい水が体を潤していく。水うめぇ。けれど、体は思うよりも水分を欲していないのか、三分の一程度でいらなくなった。
グラスから口を離した途端、メイドさんは気を利かせて私の手にあるグラスを受け取ると、静かにテーブルの上に置いて姿勢正しく私に向き直ると深くお辞儀をして改めるように自己紹介をしてくれた。
「改めまして、コトエ様の身の回りのお世話をさせていただきますセリハと申します」
あ、ご丁寧にどうも。
「雛森琴枝です……あれ?」
なんで私の名前知ってるの? という疑問が顔に出ていたらしく、頭を上げたセリハがにっこりと屈託のない笑顔を浮かべて見せる。
「誠に勝手ながら、レアン食堂のリエロご夫妻にコトエ様のお話を伺っております」
そういえば寝ぼけながらレアン食堂の話をしたかもしれないな、と意識があるような内容な過去を思い返していると、セリハは続けるように言う。
「もうすぐお医者様がおいでになりますので、コトエ様のご容体を見ていただいたくことになっております。怪我の経過が良好でしたら湯あみを行いましょう」
どうやら私が目が覚めた後の予定を教えてくれるらしい。湯あみ、つまりお風呂に入れるのはうれしい。寝てばかりで熱もあったせいか、体中がベタベタとして気持ち悪い。そういえば怪我をしているんだったな、と自分の胸元を見つめれば、いつの間に着せられていたのか白地の薄いワンピースを着ていた。
白地の薄いワンピースはこの世界での寝間着だ。
レアン食堂でお世話になっていた時もヘラおばさんにもらった物を身に着けていた。ちらっと胸元を引っ張って自分の肌を見ると、胸元から腹部にかけて包帯がグルグル巻きにされている。
結構範囲が広かったなと思いながら顔を上げると、セリハがにっこりと笑ったまま立っていて。ようやく現状確認だと恐る恐る口を開いた。
「あの、セリハさん……」
「セリハさんなんて畏れ多い! セリハと呼び捨てくださいませ!」
いや、だって、つーか、ここも異世界トリップ王道?
ただでさえしなくてもいい怪我をして自分でフラグ立てちゃったのに、このままいけばどうなるのか……ちょっと面倒事はごめんなんだけどなぁと思いながら「セリハ」と呼べば、彼女は満足したように微笑みながら「はい」と元気のいい返事をしてくれる。
「あれから私はどれくらい眠っていたんでしょうか?」
「一週間ほどでしょうか。一度、お目覚めになったのを覚えておいでですか?」
「は、はい、まぁ……」
曖昧な返事をする私に対し、セリハはクスリと小さく笑みを漏らすと、この一週間の出来事を簡潔に教えてくれた。
ココに運び込まれた私は医者からの手厚い治療を受けたものの、傷から来る発熱で生死をさまよっていたらしい。自分ではそれほど実感がなかったけれど相当危険な状態だったと言われた。そりゃあ日本みたいな最先端治療がないこの世界の医療では今の処遇で精一杯だったろう。
それでも一般国民が受けられる治療よりは遥かに技術の秀でた医療の元で重病人として受け入れられたのだからラッキーだ。
熱にうなされながらも一度目を覚ました私に、この屋敷の主が話をしてくれた。たぶん、あのシアレスって人だろうなと頭の中でぼやけた人物像を浮かべながらうんうんと頷く。
私がレアン食堂の事を伝えたことで、私が湖畔で色んなことに巻き込まれてから三日経ってようやくレアン食堂のリエロ夫妻にも自分の所在が伝わったらしい。私の無事を聴いてヘラおばさんは泣きながら喜んでくれたらしく、その後ここにお世話になっていることを聞いて卒倒したそうだ。
なんで卒倒したのかは聞けなかったけれど、手厚く看護を受けているというので、大事を取って養生するようと言伝を預かってきてくれた。
そんな私の体調がようやく落ち着いたのが昨日の明け方。ずっと緊急で滞在していた医者も一度戻ることになったらしく、だから今すぐ来ないのだとも。
一通り話を聞いて私が「ありがとうございます」と言えば、セリハは相変わらず綿あめのようにふんわりと微笑んでくれた。
「コトエ様がご無事で本当によかったです」
可愛いこと言ってくれるじゃないの、おい。
思わず私の中のオッサンが「ぐへへ」と笑いながら出てきたが表には出すまい。
とにかく私は助かったのだとホッとしていたけれど、そういえば、と思い出したようにセリハに尋ねた。
「そういえば。私が一度目が覚めた時にお見舞いに来て下さったシアレス……様? は、現在どちらに? よろしければお礼が言いたいのですが」
自分の用件を伝えると、私の湯あみの準備を始めていたセリハは振り返って教えてくれる。
「シアレス様は現在、王宮の近衛騎士団議室で開かれております会議にご出席されております。コトエ様がお目覚めになった事はすでに使いの者がお伝えのはずですので、終わり次第すぐにおいでになるかと」
そういえば虚ろな意識の中、彼は自身を近衛騎士団団長と名乗っていた気がするなと曖昧な自分の記憶を必死に手繰り寄せる。
どえらい人に助けられてしまったなぁと、これまた異世界トリップ王道の展開に頷いて見せる。
まぁ、でも王族とかそういう面倒な人達に巻き込まれなかっただけでもいいか、と思っていたのだが。ふと湧き出てきた違和感が徐々に自分の中で確信にかわり、嫌な汗がじんわりと額に浮かび上がってきた。
――シアレス=ミア=フィアンベルセット。
熱にうなされていた私に彼は確かにそう名乗ったはず。
フィアンベルセットって確か……。
「あ、あの、セリハ?」
「はい、なんでございましょう?」
「シアレス様って……シアレス様の爵位は何でしょうか?」
意味の分からん聞き方をしてしまったのは、私が混乱しているからだと思ってほしい。
確かこの世界には君主制のため貴族達には階級制度として爵位があったはずだ。
近衛騎士団団長ともなれば実力も当然ではあるが、爵位無しでは到底なれない地位ではないかという憶測。
ただねぇ……私、元の世界に居た時は異世界トリップ小説めっちゃ読んでたけど、爵位の順番とか理解しないまま読んでたのよね。
よく聞く《男爵》は確か爵位の中でも一番下位だったはず。それは何となく覚えている。王族に仕える近衛団団長ともなればもう少し上か。ただ読み方が一緒の《侯爵》と《公爵》ってどっちが上だったか覚えてない……。
あかーん! もっと真面目に読んどくんだった! 助けてウィキ先生!
と、己の中で有りもしない知識を引きずりだそうとしながらセリハの回答を待っていると、彼女は腕にタオルをかけながらニコッと笑った。
「シアレス様の爵位は大公爵ですよ」
ははぁ、大公爵……いや、ちょっと待って! 公爵の上に大が付いたんだけど! そんなの読んだことないんだけど!?
とは思いつつも、私の心配が杞憂だったことに思わず胸をなでおろす。よかった。王道の展開は免れたようだと思いつつ、あれ? 近衛団団長の家で世話になっている時点で何らかのフラグは立てちゃったのか? と新しい思考に意識が行く。
が、セリハが続けた言葉に、私はレアン食堂のヘラおばさんが卒倒した理由をはっきりと理解することになる。
「シアレス様は現皇帝陛下の弟君にあらせられます。現在は王位継承権を放棄されましたので大公爵を名乗っておいでですが、フィアンベルセット王家の血筋のお方です」
どこかでフィアンベルセットって聞いたことあるなぁと思ってたんだよね。
今更思い出しても遅いっつーの。
フィアンベルセット――この国の名前じゃないか。
その名前を名乗れるとしたら理由はただ一つ。王家の血筋であることだ。
「記憶がないとうかがっていたんですが、本当なんですね」
と、当たり前のことを教えてくれたセリハが口元を隠してクスクスと笑ったのを見て、私は「たはは」と笑うしかない。
あー……もしもし? もしかして私、なんかフラグ回収しましたか?
修正:国王になっていましたが皇帝陛下に変更(2016/3/31)