一つだけの願い
《汝の願いを1つだけ叶えてやろう。》
頭の中に確かな声が響いていた。
目の前に影のような円形の物体(?)が宙に浮いていた。
そして確かに言った。『願いを1つ叶えてやる』と。
たった今まで夢を見ていた気がする。こんな感覚をご存じだろうか。夢の中でまるでフリーフォールに乗ったかのような感覚に襲われ、驚いて起きてしまうという感覚。ぱっと目を開けたらこの状況だった。それも何故か夢とは思えない現実感がある。
「叶えるってどんな願いも?」
現象に関するあらゆる質問を棚上げにして俺はこんな事を訊いていた。
《地球物理法則や時間因果律への反則はある程度許容されている。》
靄のかかったような声が頭に響く。
それを訊いて俺の頭は1つの願い事にとらわれてしまった。思慮の浅さは俺のかねてからの欠点である。
始めに浮んだのは『日本一のイケメンになりたい』だった。
殊更に今の自分の顔が不細工だと思った事はないが、決して自信の持てる顔ではない事も自覚している。イケメンはそれだけで得をする。これは事実だ。周りを見てみろ。引っ込み思案で地味な自分の送る青春の色とは真逆のコントラストを持ったイケメンの男子生徒が楽しげに女生徒と談笑している。そして誰と付き合っただの別れただの、恋愛というものをたやすくこなして見せている。誰かに告白する勇気もない、黙っていれば告白されるはずもない自分のような人間は恋愛などメディアを媒介としなければ触れられないものだ。
だから日本一のイケメンになれば俺も―
いや、待てよ。「日本一のカッコいい」なんていう、曖昧な表現で大丈夫だろうか。
万一俺の思い描いた方向とは違ったカッコよさだったら取り返しがつかない。
俺は普段使わない頭をフル回転させた。
そうだ、『異性にモテる顔』というのはどうだろう。
もうお気づきだと思うが、
俺の目的は「女の子にモテたい」という一点である。
金持ち?日本一の頭脳?そんなものは自分の力でどうにでもなる。しかし外見だけは努力ではどうにもならない。
女の子にモテる事こそ人生の華。
これは男子の夢なのだ。
しかし、そうだな、もっと確実に『アイドルグループの○○と姿形を入れ替えてくれ』とかどうだろうか。時間因果律とやらに抵触してしまうだろうか。アイドルグループの姿が俺のような地味な顔になったら大騒ぎかもしれない。
よし、それならクラスメイトの木本翼の顔を交換しよう。俺とは対極のモテる男。外見は確かにカッコいい。芸能人とまでは言わないが、学校内での人気は間違いなくトップクラスである。
案外このくらいの方がいい気がする。過ぎたるは及ばざるが如し、である。手近なところで手を打とうじゃないか。
「よし、決めたぞ。俺の姿形をクラスメイトの木本翼と交換してくれ。」
俺は目の前の影に向けてそう告げた。
《本当にそれでいいのか?》
それは不可能だ。といわれると思いきや、頭に響いてきたのは確認の声だった。
「ああ、それでいい。」
《承知した。》
瞬間視界がホワイトアウトしたと思うと、自分の体つきが変容していた。
両手で顔をなぞってみるがやはり自分の顔とは違う。
まさか本当に?早く鏡を―
“グサッ”
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《全く、馬鹿な奴だ。なぜ生きたいと願わんのだ。》
*
【29日未明。市外の北区の堤防にて男性が転落したとの通報があった。転落したのは市内の高校に通う男子高校生で現在行方不明となり、県警、海上保安部が探索している。
(2010年1月6日朝刊より抜粋)】
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