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『ホテル・ブルートーンへようこそ』  作者: マサ


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第5話:『もう一人の赤井成人』

人生には、どうしても忘れられない名前がある。

かつて同じ夢を追い、同じ痛みを分かち合い、そして……守りきることができなかった男の名前。


私(野内)が描いてきた物語の根底には、常にその「喪失感」が流れていました。

だが、この『ホテル・ブルートーン』の幕開けに用意されたのは、残酷な再会ではなく、

まばゆいばかりの「継承」の物語です。

パソコンを操作していた須賀の手が、不自然に止まった。

画面の宿泊リストに躍る文字。

「アカイ……マサト」

「まさかね。……チャン、このお客様の到着時刻を確認しておいてください」

須賀の呟きは、ホテルの冷涼な空気に溶けて消えた。


当日。エントランスに現れたのは、一人の若い男性だった。

「お待ちしておりました、赤井様」

チャンの明るい声に迎えられ、宿帳にペンを走らせる若者。その手元を横から覗き見た須賀は、

息を呑んだ。

『赤井成人』

かつてカクテルコンペで、ともに理想を追いそして敵わなかった男と同姓同名。

これは偶然か、あるいは運命の悪戯か。


須賀の動揺は、すぐにカイトへも伝わった。

普段、須賀から渡される「お客様の情報」が、今日に限って名前以外に何もない。

「同姓同名なだけなんだな……?」

カイトは迷った。だが、その若者のどこか真っ直ぐな視線に賭けてみることにした。

サックスを構えたカイトが選んだのは、かつて国立の高架下で、あの男に、

そして自分自身に言い聞かせるように奏でた旋律だった。


若者は、懐かしさに目を細めてその音色に聴き入っていた。その表情を、須賀は見逃さなかった。

「この曲をご存じで?」

須賀の問いに、若者は静かに、しかし熱を持って語り始めた。


「実は、あなたたちに会いたくて泊まりに来たんです」


彼はかつて、国立のレストランで修行していた。そこで同姓同名の「赤井成人」と出会い、

不思議な縁で仲良くなったのだという。仕事終わり、駅の高架下から流れてくる『カノン』の調べ。

修行中の彼は、店の窓からその旋律を聴き、いつか自分もあんな風に誰かの心を震わせる表現者に

なりたいと願っていた。


その後、SNSであのサックス奏者が西山のホテルの最終選考で演奏することを知り、

客として潜り込んだ。そこで佐々木のカクテルを味わい、須賀の無駄のない陣頭指揮を遠くから

見つめていたのだ。

「あの時のメンバーが、この島に集まっていると知って……居ても立ってもいられず予約しました」


須賀は、長年喉に刺さっていた棘が抜けるような感覚(溜飲)を覚え、

彼のために亮太特製のスープをサービスした。


「……このスープのレシピを、知りたい。いや、教わりたい」


若者の懇願に、須賀は頷きつつも、心にはまだ疑問が残っていた。

(彼は、全く病んでいない。このホテルに救いを求めて来る者たちとは明らかに違う。

ただ会いに来ただけなのか?)


夜。BARで佐々木が、須賀からの目配せを受け、深い藍色のカクテルを差し出した。

「『深海』です。お受け取りください」

若者は目を見開いた。「赤井さんも、これをプレゼントしてくれた……」

若者もまた、あの男から「深海」という名の希望を託された一人だったのだ。

彼は佐々木の耳元で、ある「お願い」を囁いた。


翌朝、チェックアウト。

チャンから「赤井様がフロントにいらっしゃいません」と須賀に連絡が入る。

部屋はもぬけの殻。動揺する須賀の携帯に、佐々木から短い連絡が入った。

「至急、レストランへ来てください」


須賀がレストランの扉を開けると、そこには、厨房の片隅で誇らしげに立つ若者の姿があった。

テーブルには、大島の特産であるパッションフルーツや明日葉、椿の花をあしらった、

見たこともないほど鮮やかなスイーツが並んでいる。


「食べてみてください、副総支配人」

佐々木に促され、須賀は一口、そのスイーツを口に運んだ。

驚くほど、美味しい。島の素材が、繊細な技法で「新しい命」に昇華されている。


「……合格ですね」

佐々木がいたずらっぽく笑った。

若者は、宿泊客としてではなく、ここで働くために「押しかけて」きたのだ。


「赤井成人。……私の右腕として、ここでその腕を振るう覚悟はありますか?」

須賀の問いに、若者は真っ直ぐな敬礼で応えた。

「はい。この場所こそが、僕の目指したゴールですから」


その瞬間だった。

レストランの開け放たれたテラス窓から、突き抜けるような、

それでいてどこまでも晴れやかなサックスの音が吹き込んできた。


カイトが吹く、ウェルカム・サックス。

選んだ曲は、かつての寂しげな『カノン』ではない。

新しい夜明けを祝福するような、エネルギーに満ちた賛歌だった。


若者は顔を上げ、テラスに立つカイトを見上げた。

カイトは楽器を構えたまま、片目だけを細めて合図を送る。

「……ようこそ、国立の弟分」

そんな声が聞こえてくるような、誇り高い響きだった。


朝の光が差し込むレストランで、須賀、佐々木、亮太、そしてカイト。

四人のプロフェッショナルの視線が、新しい仲間の背中に注がれる。

若者は、もう一度、深く頭を下げた。


それは、伊豆大島『ホテル・ブルートーン』に、かつての国立の魂が、

形を変えて受け継がれた瞬間だった。


(第5話:もう一人の赤井成人 完)



書き終えた今、心地よい高揚感の中にいます。


ラストシーン、カイトが吹いたウェルカム・サックス。

あれは、過去に囚われていた須賀やカイト自身への「解放のファンファーレ」

でもあったのだと思います。


かつての赤井成人が託した「深海」のカクテルや「カノン」の旋律。

それらが、新しい世代の血肉となり、最高の一皿スイーツとして目の前に現れたとき、

この物語は単なる回顧録から、未来への希望へと昇華されました。


「合格ですね」という佐々木の言葉。

それは、若者への評価であると同時に、このホテルが「新しい家族」を受け入れる器として

完成したことへの宣言でもあります。


新メンバー・赤井成人を加えた最強の布陣で、

これから訪れる迷える客たちを迎え入れる準備が整いました。


読者の皆さん。

どうぞ、背筋を伸ばしてお進みください。

ここからは、魂を震わせる「再生」の時間が始まります。


野内マサ

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