「真実の愛なんて信じてるのよ?」と言ったら幼なじみの父にほめられました
幼なじみのロード・パンベリー侯爵子息の婚約が無事に調ったらしいと父から聞いたときは心から驚いた。見た目の代わりに人間として大切な何かを忘れてしまったあの男に婚約者ができるなんて、と。まさか、悪魔と契約して婚約者を手に入れたのかもしれない。
ロードの吉報を、わたしも喜ぶべきなのだろうが、最近のわたしはお見合いに連戦連敗中で、はっきり言ってやさぐれていた。
――ナザレ・リーツェン伯爵令嬢は、自分の手には負えない。
言い方はさまざまだが、要約すると大体このような断りの文句がきているようだ。両親はなかなか婚約者が決まらないというのにどこか呑気で、なるようにしかならないからと励ましてくれるが、わたしの代でリーツェン伯爵家を断絶させるわけにはいかない。愛し愛されることは期待しないので、せめてリーツェン伯爵領をますます繁栄させることができる同志がほしい。
そんなわたしの苦労を嘲笑うかのようにさっさと婚約が調った悪友に対して、抜け駆けされたような気持ちがどうしても拭えなかった。
「一週間後に身近な人を呼んで婚約披露パーティーをするらしいから行ってきなさい」
父にそう言われ、わたしはためらうことなく頷く。なんとなく気に食わないが、幼なじみの婚約を祝いたい気持ちはわたしにも当然ある。わたしにはちゃんと人の心があるのだ。
もしこれでロードに得意な顔でもされたら、二発くらいあのきれいな顔にわたしの平手が飛んでしまいそうだけれど。
パンベリー侯爵領とリーツェン伯爵領は隣接しており、馬車で半日も走ればパンベリー侯爵家の屋敷に行くことができる。わたしは馬車の中で、流麗な文字で書かれた招待状を見返していた。
ロードの、嫌に馬鹿丁寧で几帳面な文字とは違う、あたたかみがあり、かつ、少し丸みのあるお手本のような文字を書いたのは、婚約者となったアシュリー・プライド伯爵令嬢だろう。
わたし自身はその方と直接お話ししたことはないけれど、この招待状を見る限り、落ち着きがあってかなり品のある印象を受ける。ロードは懐に入れたい人間を取り込む口のうまさを持っているので、見た目のよさとその口上に騙され、幸せな結婚ができると勘違いしている可能性もありそうだ。
しかも今回は、パンベリー侯爵家の遠縁にあたる、隣国のララティーナ・ド・ベルナステル侯爵令嬢もやってくると聞いている。わたしはほとんど関わりはなかったけれど、たしか彼女はロードの見た目に騙されている令嬢のひとりだった。
この婚約パーティーで一波乱あるかもしれないと、わたしは自然とため息がこぼれた。もちろんただのロードの幼なじみのわたしにできることはないけれど、なるべくなら不幸なことはないほうがいい。
ロードが選ぶくらいなのでプライド伯爵令嬢がただの令嬢ではないことは想像できたが、わたしはまだ見ぬ幼なじみの婚約者に、心から同情するのだった。
いろいろなことを思案しているうちに、馬車はパンベリー侯爵家に到着したようだ。馬車を出ると、顔なじみの家令がにこやかに出迎えてくれる。
「ようこそお越しくださいましたナザレお嬢様。ご当主様とロード様がお待ちでございます」
「ありがとう。数日お世話になるわね」
本来なら、他家の、しかも結婚適齢期の令嬢を「お嬢様」とは呼ばないが、小さいころからお互いの家を行き来していた仲である。今さらこの呼び方を変えてほしいとは思わなかった。
わたしは家令に案内され、サロンへと向かう。中に入るとパンベリー侯爵とロードがソファにゆったり座って談笑していた。
「ナザレお嬢様がいらっしゃいました」
「おお〜!ナザレ、よくきたね」
「おじさま、お久しぶりでございます」
笑顔で淑女の礼をとると、パンベリー侯爵は破顔した。
「あのリトルレディが立派な淑女になったなあ」
パンベリー侯爵は、御年五十とは思えないほど若々しく、しかもロードと違い笑顔の絶えない御仁である。もちろんただにこにこしているだけの侯爵と侮って近づけば、いつの間にか身ぐるみをはがされることになるのだけれど。ロードの性格は、この侯爵譲りなのだと思う。
「幼なじみ同士積もる話もあるだろう。私はこれで退室するよ」
とくに積もる話はなかったが、わたしは侯爵の申し出に素直に礼を言う。するとまた「立派になったなあ」と言われ、わたしはむずがゆくなった。小さいころからかわいがってもらっていたので、こうして改めてほめられると照れくさい。
侯爵が退室すると、ロードが小さな声で「上っ面」と余計なひとことをつぶやいてくれていた。今さらなので笑顔でスルーすることにしたが、婚約したというのに相変わらずのようだ。
「ロード・パンベリー侯爵子息様、このたびはご婚約おめでとうございます」
「……ナザレに丁寧に話されるとこわいからいつも通りでいいぞ」
怖いとはなんだ怖いとは。
「そう?ロード、婚約おめでとう」
「ああ、どうも」
わたしがロードの向かいの空いたソファに座ると、すぐに目の前に紅茶が置かれる。パンベリー侯爵家の使用人たちは相変わらず優秀なようだ。
「そういえばおばさまは?」
「アシュリーと婚約パーティーの打ち合わせ中」
「もしかして、けっこう大事にしてる……?」
「婚約者なんだから、大事にするだろ」
間髪入れずに返され、わたしはぽかんと目の前の男を見る。デフォルトが仏頂面なのでわかりにくいが、ほんのり顔が赤い。幼なじみの見たことのない一面に、思わず笑みがこぼれた。
「よかったわ。いたいけなご令嬢に騙し討ちみたいなことをしていなくて」
「ナザレと一緒にするな!」
「わたし、嘘なんかつかないけれど?」
失礼な、と眉をつり上げると、ロードは間髪入れずぽんと手を打つ。――いや、そこで無言で納得されるのもちょっと微妙なんだけれど。
貴族と言えば、腹の探りあいだって必要になる。嘘がつけないということは、そういう水面下の争いに弱いということでもある。わたしだって、パンベリー侯爵のように笑顔で人を油断させて取り込む、という手法に憧れるのだ。
「プライド伯爵令嬢様は、ロードの本性をご存知なの?」
「何だよ俺の本性って」
「そういうとこ」
ロードは腕を組みしばらく考えて小さく頷く。
「大丈夫だ」
――なんだか大丈夫そうに聞こえないんだけれど……。
「そういえば、ベルナステル侯爵令嬢様もいらっしゃるのよね?」
その名を聞いて、ロードはあからさまに顔をしかめた。相当苦手な人物らしい。
「呼んでないのに来るって聞かなくて」
「え!?仮にもベルナステル侯爵家は商売相手でしょう?」
「商売相手だが、身近な人ではないだろう」
きょとんとした顔のロードを見て、わたしは思わず吹き出してしまう。遠くても縁戚関係はあったはずで、それを言うなら母同士が従姉妹なだけで、直接的な縁戚関係のないリーツェン伯爵家はどうなるんだろうか。ロードの基準はよくわからない。
そうして軽口をかわしていると、侍女頭がロードの婚約者を連れてサロンにやってきた。
「アシュリー様をお連れいたしました」
わたしはさっと立ち上がり、プライド伯爵令嬢様に向き直る。目の前に現れたご令嬢と招待状の文字がすぐにリンクして、わたしは心のなかでひとり納得する。
「はじめまして。ナザレ・リーツェンと申します。このたびはご婚約、誠におめでとうございます」
「こちらこそお目にかかれてうれしく存じます。アシュリー・プライドと申します。ぜひアシュリーとお呼びくださいませ」
プライド伯爵令嬢様のほわんとした笑顔に、わたしも思わず口もとが緩む。なるほど、たしかにある意味ロードとお似合いかもしれない。ロードの邪気をうまく中和してくれそうだ。
「ありがとうございます。わたしのこともぜひナザレとお呼びください」
「うれしいですわ、ナザレ様」
まるで周囲に花が咲きそうなほどのこぼれる笑顔に、わたしは思わず息を呑む。こんなすばらしい方が社交界で噂になることなく、ロードの婚約者になるまで誰とも婚約していなかっただなんて。――そういえば、プライド伯爵家のもうひとりのご令嬢のほうは、下位の子息たちにのみモテていたという話もあったような気がするが、アシュリー様の隣ではもはや霞だったに違いない。
「アシュリー、こちらへ」
今まで聞いたこともない優しげなロードの声に、わたしは少しだけ鳥肌が立った。とはいえ今はアシュリー様に免じて余計なことは言わないでおこうと口をつぐむ。
アシュリー様はロードの隣に座るのを見て、わたしも再び席についた。ロードはアシュリー様にぴったりとくっつき、アシュリー様も困ったような笑顔でそれを受け入れていた。
「本当に仲が睦まじくいらっしゃって、喜ばしいですわ」
「ありがとうございます。ロード様とナザレ様も……その……」
アシュリー様がもごもごと言いにくそうにしているのを見て、わたしはもしやと語気を強める。
「わたしとこの男は、そういうのじゃありませんから!」
「えっ」
「たしかに幼いころ婚約させたいという話もあったようですが立ちどころに消えました。わたしたちはたしかに幼なじみなんですけれど、根本的に合わないんです」
「まさかアシュリーに誤解させていたのか……?ありえない、ナザレだけは違う」
わたしとロードの真剣な眼差しに、アシュリー様はぽかんとした顔を向ける。間抜けな表情なのにかわいらしく見えるのだからある意味すごい。
「そ、そこまで……?」
「絶対無理です」
「世界にナザレしかいなかったら生涯独身を貫く」
さすがにそれは失礼だろうと思ったが、もし逆の立場だったらわたしも生涯独身を選びそうだ。愛はなくてもいいけれど、人間とは結婚したい。
わたしたちの顔を交互に見て、アシュリー様はおかしそうに笑う。どうやら誤解は解けてくれたようだ。一時期、ロードの見た目に騙された令嬢たちにあらぬ疑いをかけられたことがあったので潰して回っていたのだけれど、完全ではなかったらしい。
「申し訳ございません、変な誤解をしていたようで……。でも、お二人は息ぴったりだと思いますよ?」
そう言ってほほ笑むアシュリー様はかわいらしかったが、発言はえげつないものだった。
こうして婚約パーティーまでのわずかな時間で、わたしたち三人は親睦を深めることができたと思う。わたしはアシュリー様の許可をもらって、引き続き「ロード」と呼ばせてもらうことにした。口調もいつ通りで構わないと言う。
あまりにも出来すぎていて不安になったが、「お二人のいつも通りのやりとりが見たいですわ」と謎のお願いをされてわたしのほうが折れてしまった。
婚約パーティー前日には、参加者のほとんどがパンベリー侯爵家に到着していた。中には、ロード的には招待していないベルナステル侯爵令嬢もいたようだが、なぜかロードに突撃してくることはなかった。さすがにロードのことはあきらめたのかもしれない。
天気にも恵まれ、婚約パーティーはパンベリー侯爵家の自慢の中庭でガーデンパーティーの形式で開催された。侯爵が参加者たちに礼を述べ、ロードとアシュリー様を紹介するとあたたかい拍手に包まれる。アシュリー様のご両親のプライド伯爵夫妻は涙ぐんでいた。
わたしは知り合いたちとあいさつを交わしながら、パーティーで出された料理たちに舌鼓を打つ。とくにパンベリー侯爵領の主力である紅茶を使ったステーキは、意外な組み合わせだけれど驚くほどおいしかった。鼻から抜ける紅茶の香りがさわやかで、肉の脂をやわらげてくれている。
紅茶を練り込んだケーキも甘すぎず老若男女が食べやすい。おいしい料理とこの日のためにぴかぴかに磨き上げられたアシュリー様に、わたしはすっかり幸せな気持ちになっていた。
こうしてひとりパーティーを満喫し、タイミングを見計らってロードとアシュリー様に話しかけにいこうと考えていた矢先、パーティーの空気に似つかわしくない声にわたしは思わず目を向ける。
「ロード様は、真実の愛のお相手と結ばれるべきだと思いますわ」
声の主は予想通りと言うか……ベルナステル侯爵令嬢だった。まさか衆人環視のなかでやらかすとは。隣国ではこれがマナーなのだろうか?
ロードは冷たい目を向けているし、アシュリー様は困ったようにほほ笑んでいる。わたしはなるべく音を立てないように三人に近づく。
「アシュリー様、誤解なさってはだめよ?」
うわあ、と周囲の人々がドン引きしているのがわかる。ベルナステル侯爵令嬢は得意げに、「ロードの真実の愛の相手は自分」と言っているのだ。婚約パーティーで、ましてや本人たちを前に言うことではない。さすがにあの侯爵が怒るのではとちらりと見ると、黙ってにこにこと見守っている。
ロードの目がベルナステル侯爵令嬢を射殺さんばかりに鋭くなっていき、アシュリー様は本来なら無礼なご令嬢に怒るべきなのに、ロードの怒りをどうしたら鎮められるかあたふたしている。ある意味一番肝が据わっているのはアシュリー様だ。
「真実の愛の前に障害はつきものと聞きましたけれど……」
ベルナステル侯爵令嬢はどうやら恋物語が好きなようだ。自分を主人公に見立てて、なぜかロードと結ばれるというクライマックスを信じている。
幼いころの記憶が薄ぼんやりとよみがえってきた。そういえばあのときも、ベルナステル侯爵令嬢はロードをつかまえて、「お嫁さんになりたい!」と言っていたっけ。ロードは、「無理」と速攻で断っていた気がするが、たぶんロードの顔面に見とれて話を聞いていなかったのだろう。とかくロードに恋する人間は、その大体が人の話をまったく聞いていない。
「……真実の愛とは?」
ロードの冷たい声で会場の温度が下がった気がする。ベルナステル侯爵令嬢はそんなことにも気づかず、顔を紅潮させて元気よく返した。
「政略ではなく、心で結ばれることですわ」
今にもブチ切れそうなロードに向かってよくそんなこと言えるなあとわたしはその度胸に感心する。さすがは侯爵令嬢、心臓が強すぎる。ベルナステル侯爵令嬢にとって、ロードが選ぶべきは自分だと疑っていないようだ。
たしかに縁戚関係で、商売相手でもあれば、ベルナステル侯爵令嬢と婚約してもおかしくはない。ただしそれは、ロードの本性を受け入れられるかどうかが前提にある。ただの政略だけでアシュリー様を選び、ベルナステル侯爵令嬢を選ばなかったわけではない。
「心だと……?」
今にも爆発しそうなロードに、アシュリー様がかわいそうなくらい顔を青くしている。そのときアシュリー様とばっちり目が合ってしまい、わたしは小さくため息をついてアシュリー様に向かって頷いてみせた。
「ロード、落ち着きなさいよ。誰しもいちどくらい亡霊のようなものを信じてしまうときはあるでしょう?」
「ちょっと、あなた――」
「真実の愛なんて誰も見たことがないものを信じてらっしゃるのよ?そういうお年ごろなんだと思うわ」
言うが早いか、いつの間にかわたしたちの近くまで来ていたパンベリー侯爵が拍手をしながら大きく笑う。
「立派な淑女になったなあ!」
気づけば、ロードもアシュリー様も肩を震わせて笑っている。
わたしはわたしで、侯爵にまたもやほめられて、やっぱりむずむずしてしまった。
いつの間にかベルナステル侯爵令嬢はいなくなり、婚約パーティーは何ごともなかったかのように続けられた。わたしはあのあといろんな人に声をかけられ、「すばらしかった」とか「真実の愛を亡霊にたとえるなんて」とかなぜかほめられたのだが、いまいちよくわからない。
ロードやアシュリー様だけでなく、招待されたみなさまが笑顔ならそれでいいかと納得することにした。
最後にベルナステル侯爵令嬢にあいさつをしようと思ったのだけれど、人知れずさっさと隣国に帰ってしまったようで、ロードの本性をようやくわかってくれたのかと、真実に目覚めてくれて本当によかったと心から安堵したのだった。
真実の愛は幽霊のようなものだ。誰もがそれについて話をするが、それを見た人はほとんどいない。
ラ・ロシュフコー