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5 「策士、策に溺れる」

 火曜日の放課後。


 部室のドアを開けると、そこにはすでにひより先輩の姿があった。

 机の上にビニール袋を置き、ニヤニヤしながら俺を出迎える。


「で、今日は何をするんですか……?」


 俺が問いかけると、ひより先輩は 「待ってました!」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、手に持ったビニール袋を掲げた。


 ガサガサと袋の中を漁り――


「ふふん、今日は特別にお礼を用意してきたのだ!」


 そう得意げに言いながら、ひより先輩が袋から取り出したのは――


 カップ麺(大盛り)


「……」


 一瞬、俺は目の前の光景を理解するのに時間がかかった。

 けれど、目の前で堂々と掲げられたそれを見つめるうちに、ようやく状況を把握する。


 ……いや、いやいやいや。


「藤崎君に恋愛指南してもらうお礼に、私の私財を投じたカップ麺を贈呈します!」


 ひより先輩は ドヤァ という表情で胸を張る。


「いや、カップ麺一個で恋愛指南役やらされるんですか……?」


「文句言わない! さぁ、食べなさい!」


「せめて『召し上がれ』とか言えないんですか」


「細かいことはいいの! ほら、食べながら聞いて!」


 半ば強引に、カップ麺を押し付けられ、俺はしぶしぶそれを受け取る。

 電気ケトルに視線を向けると、既にランプが点灯している。どうやら、すでにお湯は準備万端のようだ。


(絶対、これ俺に食べさせるつもりで温めたな……)


 そんな確信を抱きつつ、カップ麺のフタをペリっと剥がす。


「ほら、お湯入れて入れて!」


 俺はポットを持ち上げ、ゆっくりとカップ麺の中にお湯を注ぐ。

 熱湯に注がれた瞬間、麺が少しずつほぐれ、粉末スープがふわりと溶けていく。

 湯気とともに、食欲をそそる香りが部室内に広がった。


(……まぁ、食べること自体は悪くないか)


 フタを閉じ、カップの上に箸を乗せる。


 そんな俺をよそに、ひより先輩はホワイトボードの前に立ち、マーカーを片手に得意げに宣言した。


「今日は、私の“恋愛理論”を検証する!!」


「……またですか」


「またって何よ! これは大事な研究なんだから!」


「いや、研究って……先輩、昨日、何か成果ありました?」


「ぐっ……」


 ひより先輩の動きが一瞬止まり、目が泳ぐ。

 たぶん、自分でも成果がないことに気づいているんだろう。


「ま、まあそれは置いといて! とにかく今日は、恋愛の**駆け引き**について考えてみようと思うの!」


「駆け引き……?」


「そう! 恋愛において駆け引きは超重要よ! 例えばね、簡単にデートに誘いに乗らずに“ちょっと考えさせて”って言うことで、相手に『この子、俺のことどう思ってるんだろう』って意識させる作戦!」


「……一番最悪じゃないですか、それ」


 俺は思わず頭を抱えた。

 まさかここまでズレた恋愛理論を堂々と語られるとは思わなかった。

 いや、むしろこれは駆け引きというより、単なる"めんどくさい人"では……?


「は? なんでよ?」


「いや、普通に考えて『行きたくないんだな』って思われません?」


「えっ……」


「だって、わざわざじらして考えさせる意味あります? どうせ行くなら素直に行けばいいし、行きたくないならハッキリ断った方がいいじゃないですか」


「そ、それは……でも、こういう駆け引きって大事なんじゃないの?」


「駆け引きって、相手が多少なりとも興味を持ってる時にやるものであって、興味ない相手にやったら、ただの面倒な人じゃないですか」


「……」


 ひより先輩の動きが止まる。

 それまで自信たっぷりにホワイトボードへ書き込んでいたマーカーが、ピタリと止まる。

 ひより先輩の指先がわずかに強張り、持ち直すように力を入れるが、それ以上動かせない。


「そ、そうなの……?」


「そもそも、駆け引きって何のためにやるんですか?」


「え? そりゃあ……相手に『気になる!』って思わせるため?」


「で、実際にひより先輩がその作戦を使ったとして、相手はどう思うと思います?」


 俺の問いに、ひより先輩は一瞬言葉に詰まり――。

 視線が宙を泳ぎ、考え込むように口元に指を当てる。

 しかし、数秒後にハッとした表情になり、ゆっくりと呟いた。


「……『あ、この子めんどくさ……』?」


「はい、終了」


「う、うそ……!」


 ひより先輩はホワイトボードに書いた『駆け引き』の文字を見つめ、絶望したように肩を落とす。

 まるで自分の信じてきた恋愛観が根底から崩されたかのように。


(……あ、これ結構ダメージ大きかったな)


 俺は無意識に目をそらしながら、内心で苦笑する。

 ここまでガックリされると、さすがにちょっと申し訳なくなってくる。


「……うぅ……」


 そう言いながら、ホワイトボードに向かってそっとマーカーを走らせる。

 そして、『駆け引き』と書かれたその文字の下に、小さく書き足した。


『……ただし、やりすぎ厳禁』


「おお、成長したじゃないですか」


「……うるさいな! なんか悔しい!」


 頬を膨らませながら、ひより先輩はジト目で俺を睨む。

 俺は肩をすくめながら、ホワイトボードを見つめる。

 少なくとも、昨日よりは少しはまともになったのかもしれない。


「でしょ?」


「……やっぱり、私って恋愛で空回りしてたのかな?」


「だいぶ」


「うぅ……!」


 ひより先輩は頭を抱えながら、そのまま机に突っ伏した。


「私、どうしたらいいの……」


「とりあえず、もう変な駆け引きはやめて、素直になったらどうです?」


 俺は静かにそう告げた。

 恋愛の駆け引きだの作戦だの、そんなものをこねくり回しても、本当に大事なものは掴めない。

 それよりも、相手と正面から向き合った方が、ずっと伝わるはずだ。


「……素直、かぁ」


「昨日も言いましたけど、結局、相手とちゃんと向き合うのが大事ですから」


「……」


 ひより先輩はじっと考え込んだ後、小さく息を吐く。


「……うーん……」


 しばらく沈黙が続き、俺も何か言おうと口を開きかけた、その時――。


「……ま、とりあえずカップ麺食べなよ!」


「話の流れぶった切りましたね!?」


「だって、せっかく用意したんだし!」


 そう言いながら、ひより先輩は俺の前にカップ麺を押し出す。

 ……が、その視線が一瞬だけ、申し訳なさそうに泳ぐ。


「……ていうか、だいぶお湯入れてから時間経ってない?」


「えっ?」


 慌ててフタを開けると、湯気はすっかり落ち着き、麺がぐったりとスープに沈んでいた。


「……うわ、完全に伸びてる」


「……まあ、カップ麺って伸びても食べられるし、大丈夫大丈夫!」


「いや、食感とか変わりますよね?」


「細かいこと気にしなーい! ほら、これも経験よ!」


「どんな経験ですか……」


 俺はため息をつきながら、ふやけきった麺をずるずるとすすった。

 スープに溶け込みすぎた麺が、もはや液体と一体化しそうになっている。


「……うん、もうちょっと早く食べたかった」


「まあまあ、恋愛指南に夢中になりすぎちゃったってことで!」


「そのせいで俺のカップ麺のベストな食感が失われたんですが……」


「恋もカップ麺も、タイミングが大事ってことね!」


「全然うまいこと言えてませんよ」


 俺が呆れたように言うと、ひより先輩は「むむむ……」と小さく唸りながら、ホワイトボードの端っこに何かを書き足した。


『恋もカップ麺も、タイミングが大事……?』


「ちょ、そんな名言みたいにメモしないでください!」


「意外と深いかもって思って!」


「いや、少なくともカップ麺と恋愛を並べるのはどうかと……」


 俺がツッコむと、ひより先輩は「まあまあ」と笑いながら、俺のカップ麺をちらりと見やる。


「ほらほら、文句言いながらもちゃんと食べてるじゃん」


「……まあ、食べ物を無駄にはできないんで」


「でしょ? だから問題なし!」


「いや、問題はすでにふやけきってることなんですが……」


 俺はため息をつきながら、残り少なくなった麺をすすり、器の底に沈んだスープをゆっくりと混ぜる。

 ひより先輩はそんな俺の様子を見て、どこか満足げに頷いた。


「ふふっ、これでチャラね!」


「いや、まだ色々と教えさせられてますけど……」


「えへへ、じゃあまた次回もよろしくね!」


「……次回?」


「もちろん! "恋愛指南" はまだまだ続くから!」


「……」


 やっぱり、そうくると思った。

 ひより先輩の言葉に驚きもしないまま、俺は軽く肩をすくめる。


 気づけば今日もまた、ひより先輩のペースに振り回されていた。

 ……まあ、仕方ないか。


 家に帰ってもどうせダラダラするだけだし、こうして誰かと話している方が、時間を無駄にしていない気がする。

 何より、ひより先輩は楽しそうだった。

 指南とか駆け引きとか言いながら、結局こうして誰かと過ごす時間が好きなんだろう。


「……まあ、付き合いますけど」


「おっ、やる気出てきた?」


「いや、そういうわけじゃ……」


「えへへ、でも決まりね! 次回の ‘恋愛指南’ も楽しみにしてるよ!」


 勝手に話を進めるひより先輩に、俺は苦笑しつつも、まあ悪くはないかと思う。


 ふと視線を向けると、ホワイトボードには さっきの 名言?と一緒に、もう一つの文字が書き加えられていた。


 『……でも、素直なのが一番かも?』


 俺がその言葉を見つめていると、ひより先輩はマーカーを握ったまま、ちらりとこちらの様子を伺う。

 そして、何かを誤魔化すように、ふいっと顔を背けながら、わざとらしくホワイトボードの文字を指さした。


「べ、別に私がこう思ったわけじゃないんだからね! これは……その、研究の一環?」


「いや、誰が見ても先輩の心境の変化そのまんまですよね?」


「ち、違うし! ただのまとめだし!」


 ひより先輩は慌ててホワイトボードの文字をこすろうとするが、マーカーのインクはすぐには消えない。

 消そうとする動きが妙にぎこちなくて、どう考えても照れ隠しにしか見えなかった。


 俺はそんな先輩の姿を眺めながら、ほんの少しだけ笑みを浮かべる。


(……ちょっとは学んだのか?)


 そんなことを思いながら、俺は最後のスープをすすり、静かにカップ麺を置いた。

 ふやけきった麺の余韻が口の中に残る。


 ――さて、次はどんな指南が待ってることやら。

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