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3 「藤崎くん、恋愛指南役に任命!」

 金曜日の放課後。


 帰りのHRが終わるや否や、教室がざわめきに包まれる。誰かが椅子を引く音、友達同士でふざけ合う声、廊下を駆け抜ける足音。そんな教室の喧騒(けんそう)をよそに、俺は席を立ち、リュックを手に取り、背中に背負う。


 向かう先は職員室。理由は簡単、天文部の部室の鍵を借りるためだ。


 廊下に出ると、他の部活の奴らが慌ただしく移動している。バスケ部が体育館へ向かい、サッカー部はグラウンドへと走っていく。そんな活気に満ちた風景を横目に、俺は足を進める。


 職員室の扉を開けると、わずかにこもった空気が広がる。窓が開いているのか、外の声がかすかに混ざるものの、室内は落ち着いた静けさに包まれていた。先生たちはデスクに向かい、それぞれの仕事をこなしている。俺はその中の一人に近づき、少し緊張しながら口を開く。


「すみません、天文部の鍵を借りたいんですけど」


 顧問の先生は書類から顔を上げ、軽く首を傾げた。


「ああ、さっき綾瀬が取っていったぞ」


「え、いつの間に……」


「結構さっきだな。勢いよく来て、サッと持って行ったよ」


 俺は肩をすくめ、小さく息を吐く。

 こういうところが先輩らしいというか、らしくないというか。


 そう思いながら、職員室を後にし、階段へ向かう。五階へと続く階段は、下の階と違って人の気配が少ない。壁際の小さな窓からは柔らかな午後の陽射しが差し込み、淡く床を照らしていた。蒸し暑くもなく、寒くもない、春の終わりらしい空気が静かな廊下に漂っている。



 四階に差し掛かった瞬間、俺は思わず足を止めた。


 階段の踊り場で、吹奏楽部のメンバーが楽器を構え、熱心に練習している。


 (……こんなところで?)


「さん、はい!」


 掛け声とともに、トランペットの高音が重なり、一気に廊下中に響き渡る。どうやら練習場所が足りず、この場所を練習スペースにしているらしい。


「ちょっと待って、一回止める!」

「ごめん、今の音外した!」


 そんなやり取りが飛び交い、再び音が鳴る。途切れ途切れのフレーズが断片的に響き、曲になりきらないまま廊下へ広がっていった。


 邪魔にならないよう、タイミングを見計らいながら踊り場を通り抜ける。


 階段を上り、五階に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず眉をひそめた。

 (……まじか。ここでもやるのか)

 目の前、一応、天文部の部室なんだけどな。

 扉のすぐそばで、吹奏楽部の二人が楽器を構え、音を確認するように吹いている。四階の騒がしさを抜けたばかりだというのに、まさか五階でも遭遇するとは。

(これ、ドア閉めても普通に聞こえるやつじゃん……)


 とはいえ、俺にどうこうできるわけでもない。何事もなかったかのように、そのまま部室の前を通り過ぎる。



――ガチャ。

 扉を開けた瞬間、今度は別の騒がしさが俺を迎えた。


「ちょっと待ってえええええ!!!」


 ひより先輩の絶叫が部室中に響き渡る。


 あまりの迫力に、思わず足が止まってしまった。


 視線を向けると、ひより先輩が机の上にスマホを置き、画面を睨みつけながら、大きく身を乗り出している。その表情はまさに絶望。

 目を見開き、口を半開きにしたまま、まるで画面の内容を脳が処理しきれていないかのように固まっている。


(なんだこの現場は……)


 まるで世界の終わりでも見たかのような顔をしている。


「いや、何があったんです?」


 ただならぬ雰囲気に警戒しつつ、俺が恐る恐る尋ねると、ひより先輩は勢いよくスマホを突き出してきた。


「これ見て!! もう、完全にそういうことじゃん!!!」


「……?」


 画面には、誰かのスナスタの投稿。

 カフェのテーブルに並ぶ二つのドリンクと、鮮やかなスイーツの盛り合わせ。奥の席には誰かが座っているらしく、制服の袖がちらりと映り込んでいる。


「あー、まあ……確かに、それっぽいですね」


 相手の顔や特徴は映っていない。それが逆に効果的で、「誰と一緒だったのか」を伏せることで、想像を掻き立てる。


「でしょ!? これ、絶対そういうことだよね!? ねぇ、新人君、どう思う!?」


「いや、俺に聞かれても……」


 俺も一応スナスタはやっている。学年のほとんどが使っているし、適当に同じ学年の奴らをフォローしている程度には触れているが、そこまで熱心にチェックしているわけではない。


 そして、ひより先輩は腕を組んで憤慨した様子で言った。


「これね、私の友達の投稿なんだけど……彼氏なんていないはずなのに......」


「まあ、普通に考えたら新しくできたとか……?」


 俺が適当に言うと、ひより先輩は不満げに頬を膨らませた。


「でも! そんな話、一回も聞いてないんだよ!? なのに、なんでこんな”匂わせ”っぽい投稿してるの?」


「うーん……まあ、別に彼氏じゃなくても、一緒にカフェ行くことくらいあるんじゃないですか?」


 俺が適当に返すと、ひより先輩は「むぅー」と唸りながら頬を膨らませ、スマホをいじりながら画面を睨みつける。


「でも、普通に考えて、こういう投稿って『誰と一緒か』気にしてほしいからするんでしょ?」


「まあ、そういう意図がある場合もありますけど……」


「じゃあ、やっぱりそういうことじゃん!」


 ひより先輩は机をバンッと叩く。


「いや、落ち着いてくださいよ……」


 俺が苦笑しながら(なだ)めるも、ひより先輩の視線はスマホの画面に釘付けだ。何度もスクロールしては、何か考え込むように(うな)る。


 そして、ため息混じりにぼやく。

「……はぁ、恋愛したいよぉ……」


 突然の嘆きに、俺は思わず動きを止める。

 え、なにその唐突な爆弾発言。


「いや、急にどうしたんですか」


「私だって、青春したいんだもん! もっとドキドキしたり、きゅんきゅんしたりしたいのに、全然そんな気配がない!」


 ひより先輩は机に突っ伏し、もぞもぞと動きながら呻く。

 

 ……いや、それは俺に言われても困るんだが。


「それにさ、最近思うんだけど、私って男子の気持ちを全然わかってない気がするんだよね……」


「今さらですか?」


「今さらとか言わないの!」 


 ひより先輩はバンッと机を叩きながら、勢いよく顔を上げる。くりっとした瞳には、妙な決意の色が浮かんでいた。

 

 俺は嫌な予感を覚える。いや、確信する。これは絶対に面倒ごとになるやつだ、と。


「あっ、思いついた! ねぇ、新人君、恋愛経験ありそうじゃん?だからさー、お願い、指南してよ!」

 

「……ちょっと待ってください、なんかおかしくないですか?」


「何が?」


「いや、俺が恋愛経験豊富っていう前提がおかしいです」


「え? だって藤崎くん、落ち着いてるし、見た目も整ってるし、それに……なんか余裕ある感じするし!」


「してないです!!」


 ひより先輩の謎理論に、思わずツッコミが出る。


「いやいやいや、絶対モテるでしょ? だって藤崎くん、クラスでも女子に話しかけられたりするんじゃない?」


「いや、普通に雑談くらいはしますけど、それとモテるかどうかは関係ないですよね!?」


「えぇ~? でもさ~、実際、女子と話せる時点で一定ライン超えてるよ?」


「なんですか、その謎のライン……」


 俺は頭を抱えるが、ひより先輩はまるで譲る気がないらしく、じっとこちらを見つめてくる。その視線は、「君しかいないの!」と全力で訴えていた。


「……で、どうすればいい?」


 俺はため息をつきながら、少し考える。


「まぁ……とりあえず、そういう匂わせとか気にしすぎないことじゃないですか?」


「うーん……」


「それより、先輩自身が楽しいことを見つける方がいいんじゃ……」


「楽しいこと、ねぇ……」


 ひより先輩は腕を組み、うーんと考え込む。


「でも、楽しいことって言われても、恋愛がしたいんだから、やっぱり恋愛に関係あることじゃないと意味ないし……」


「別に恋愛に限らなくても、趣味とか――」


「でも、そういうのって結局、恋愛と両立できるのが理想じゃん?」


「まぁ……言いたいことはわからなくもないですけど」


 俺が軽く相槌(あいづち)を打つと、ひより先輩は少し黙り込んだ。スマホの画面を指でスクロールしながら、何かを考えている。


 俺としては、これで話が終わるなら助かるのだが――。


「……でもさぁ、結局、恋愛って経験しないとわからないじゃん?」


「まあ、そりゃそうですね」


「ってことは、やっぱり実践が必要だよね?」


 ん? なんか嫌な予感がする。


 俺が言葉を返す前に、ひより先輩はパッと顔を上げた。


「というわけで――藤崎くん! やっぱり恋愛指南お願い!」


「ちょ、待ってくださいよ! だから無理って言ったじゃないですか!!」


 冗談じゃない。そもそも俺は恋愛経験豊富でもないし、指南できるほど詳しくもない。というか――俺、そもそも彼女できたことないんだけど!?


「でもさ、ここで頼れるのって、やっぱり藤崎くんしかいないんだよね」


「いやいやいや、俺以外にもいるでしょ?」


「いないよ! だって、クラスの男子に相談するのはさすがに恥ずかしいし、悠馬は全然恋愛のこと話してくれないし……。消去法でいくと、やっぱり藤崎くんしかいないの!」


 ひより先輩は腕を組みながら、大げさに頷いてみせる。


「その消去法、理不尽すぎません?」


「いいじゃん、そういう縁ってことで!」


「どこが縁なんですか……」


 俺が疲れたようにため息をつくと、ひより先輩はニヤリと笑い、机に肘をついて俺をじっと見つめた。


「だってさ、藤崎くんは後輩だからさ!」


「……は?」


 不穏なワードに、思わず聞き返す。


「後輩って、先輩の頼みを断れないものでしょ? だから、これはもう決まり!」


「いやいやいや! そんなルールどこにもないですよね!?」


「つまり、これは運命的な巡り合わせ!」


 ひより先輩は得意げに言い放ち、椅子にどっかりと座り直す。夕陽に照らされたその笑顔は、どこまでも自信に満ちていた。


「無理やりすぎる!!」


「まあ、というわけで――藤崎くん、恋愛指南役に任命!」


 机をバンッと叩きながら、満足そうに言い放つひより先輩。


「ちょっと待ってくださいよ……」


 問答無用と言わんばかりの勢いで話が進んでいく。俺の意見なんて、まるで聞く気がないらしい。


 こうして俺の「恋愛指南」に巻き込まれる日々が始まるのだった――。


 ......本当にこれ、大丈夫なんですかね!?


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