相性が崩れる可能性があるとしたら
毎年第1学年で最も優秀な学力成績を打ち出し、それに反比例して相性や組み合わせが激しく変化する、男女共に20名のクラスを担任として受け持った風早優作は、呼び出しに応じて理事長室へ足を運んでいた。
簡素も簡素。なんせ理事長である八千代慎也なる変人が、自分好みの部屋にしようと趣味であるフィギュアを飾っていたところ、文科省に折檻を受けたことにより全て国指定の内装に施されたのだ。
それでも理事長かと思ったのを思い出し、ようやっと振り向いて顔を合わせたマイペースな慎也に、風早は言う。
「お疲れ様です、理事長。本日はどのようなご要件で私をこの場にお呼びしたのでしょうか?」
「あぁ、風早くん。わざわざ御足労感謝する。それと、初日の勤務お疲れ様だ」
労いの言葉に気持ちはこもっていて、今年で4年目の幽玄高校になる風早は、それをしっかりと本心で受け取っていた。
「それで早速だけど、君も知りたいだろう呼んだ理由についてだが、単刀直入に言えば――六辻遥という少年は、君の目から見てどう思えたか、それを聞きたかったんだ」
風早も予想通りの問いに、ホッと怒られることではないのかと安堵する。既にその件については入学前に話し済みであり、お互い何故そんなことを聞くのか理解していない関係ではないため、疑問に思うこともない。
「六辻遥。彼は、私の目からでは普通の学生に見えました。特別他人を好むようでもなければ、積極的に話しをしようと加わることもない。常に窓の外を眺めて退屈そうにする、なんら他の生徒と変わりない子供でした」
常に外を見ていて、哀愁漂うこともないまるで無の存在。何も感じられなくて何も得られない。纏うものすらなくて、そこに肉体だけがあるような。意味もなく座っているようで目標もない存在が、風早の首を傾げて謎を作っていた。
そう思ったことを素直に慎也に言うと、なんとも満足そうに微笑んで言う。
「そうか。やはり彼は最高の人材だな」
「と言いますと?」
「私が彼をこの学校に入れたのは、単なる成長を促すためだけではない。今後の予想外の展開の一部始終を見たいからだ。彼が誰とどう関わり、誰を不幸にして幸福にするか、それによってクラスメイトや関わった者たちはこの先の学校生活が著しく変化する。他人の人生を左右する力が彼にはある。その才能があるんだよ、六辻遥という存在には」
何が言いたいのかいまいちピンと来ない。前々から六辻遥という少年に固執して、何かしら策を練ろうと考えていたことも知っているが、それでも分からない。
中学の頃は引きこもりで、過去に何かを抱えた少年だとは聞いていたが、それだけのありふれたような存在に何を求めるのか、風早にはまだ理解はできていない。
「それで、彼には今後どのようなことを?」
担任として聞くべきだと思った。一応は平等に接するべきだから。
「普通通りさ。いくら私とて、学校の育成方針を捻じ曲げて彼に興味を注ぐことはしない。だが、普通通りだからこそ、彼の才能は発揮される。その上で、何が起きても違反ではなければ、君も止めてはいけないよ?風早くん」
「それはもちろんですが、一体何を彼にしようと?」
「言っているだろう?彼には何もしない。普通通りだと」
「ですが、何か彼に対して特別なことを企てているような言い方ではないですか」
「まぁ、実際彼は特別だからな。誰の手も加えられていない、自然体の特別だ。だからこそ、自然と物語は進むんだ」
「……どういうことです?」
「では知りたがりの君に教えようか。彼の特別について」
風早がゴクリと生唾を飲まされたのは久しぶりだった。目の前の理事長との関係は実に教員3年と少しの期間あるが、その間で何度も思わされてきた。八千代慎也は本気だと。
学生に対して、成長という点に於いて重視して真剣に、そして干渉しないよう学生だけの学校を築こうと必死に取り組んできた男。だからまただろう。今回も壮大で稀有な学校生活を切り開こうと、謎の生徒を連れてきたのは。
それを確信したから、風早は説明をただ無心に待っていた。
「今回勧誘した彼は――完全に感情の欠如した生徒だ。喜怒哀楽を初めとした感情がなく、多情を持たないから所謂AIのような存在だ。ただ相手と会話するだけで、そこに意味はない。会話しても笑わなければ泣きもしない。怒らなければ悲壮感漂うこともない。そんな無の権化。それが六辻遥という子だ。そんな存在がもし、相性によって生活を左右される学校に通ったなら、どんな反応が起こるだろう。それも、六辻遥ではない他人と相性のいい生徒と、六辻遥が関わってしまって、相性の善し悪しの根底が崩れたら?」
「……まさか」
「そう。一気に相性は瓦解する。相性の良い生徒を1人は必ず用意する我が校で、唯一相性の良い生徒の居ない彼が、全く相性の関係ない生徒と関わることによって、相性という概念が崩れるかもしれない。そうなれば、予め専門家やAIの予想していた相性も意味はない。そこから全てが不明となるわけだ」
例えば、元々関わるように相性が定められた人たちが接触して、仲を深めて幸せに学校生活を送りつつ、成績もキープすることが確約されたような関係だったとする。そこに六辻遥が加わるだけで、その関係は瓦解するかもしれないということ。
つまり、六辻遥に関わられた人は、相性が大きく変化する可能性を持ったということでもある。
それは。
「それは、許されることなのですか?それでは、相性選別という入学時の基準が無意味になったも同然ではないですか」
相性の良い相手を失うかも知れないということ。それは、入学前に言っていたことを無しにして、更には孤独になってしまう可能性も背負ってしまうということ。風早も、流石に容認できるのかと、語気強めに言った。
「いいや、そんなことはない。ただ、彼に関わられたら変わる可能性があるだけのこと。絶対ではないのなら、全く問題ではないな」
「……ですが」
それもそうだと納得する自分がいた。入学時には平等であり、その先は教育方針である、生徒が自ら進んで成長することに、全く間違いはないのだから。
「……六辻遥に、相性の良い子は居なかったのですか?」
「無感情と相性の良い子は居ないさ。それを理解して承諾し、彼は入学した。だから私は平然と君にこのことを話せている」
秘密裏に特別扱いしてないぞ、と。
「それほど心配しなくても、人の相性とやらは大きく変化はしない。――恋心がなければな」
「――!理事長、まさか!」
突然、刹那で点と点が繋がった気がした。恋心という単語を聞いて、慎也が何を企んでいるのか。毎年面倒だからと然程関わらない入学生の選別――相性選別に、今年は何故か参加していたことも含めて、今年の第1学年は――荒れるだろうと風早は確信した。
「そう叫ぶな。言いたいことが分からない私ではない」
耳を塞いで少し目を細めて言った。
「まさか、今年の入学生の席順を縦列男女にしたのも、最も変化の激しい男女同数のクラスに彼を配置したのも、相性を見て入学生を選別したのも、全ては彼のため、ですか?」
風早のその問いに少々時間を経て、慎也は不敵にも笑みを浮かべて言う。
「さぁ、それに関して私は何も言えないな。ただ、既に隣の席の子は、その前の席の子は、そして彼と同じクラスで彼を視界に入れた子は、男女関係なく――既に彼に喰われているかもしれないな」