デジャブ
季節は次第に夏へと向かい、6月という祝日もない、学生にとって退屈にも思える月へと時は進んだ。けれど幽玄高校に於いて、祝日の有無は些末なことであり、休日が休日の意味を成さないことも幾度となくあるから、祝日の歓喜という幸福は意識するに値しなかった。
だから今日も、料理教室を終えて九重と帰宅する約束を果たす八雲とさようならを交わすと、翌日が休日だからって喜ぶことはない。華金だからなんだ、そう思うこともない。
しかし、祝日の有無に関してはそうであっても、6月には唯一許し難くて鬱屈を最高潮にしてくれる最悪の期間が存在する。それが、今帰宅しようとする遥の目の前に降り注ぐ――梅雨だ。
「これ……傘意味あるかな……」
バケツをひっくり返したとはよく言ったもので、大きな雨粒はコンクリートに跳ねるだけでその威力を知らせてくれる。無音で弾けてくれる小雨程度なら歓迎するが、パチンっと接触音がする大雨は嫌悪の対象だ。
そんな雨粒たちに、コンビニのビニール傘が耐えられると思わないし、梅雨には雨粒だけが敵ではなく風もある。多少の雨は凌げても、制服が濡れることは凌げない。諦めて傘が壊れることを覚悟して、歩いて帰るしかない。
この時走って帰る選択肢は、遥にはなかった。昔、大雨の中でコケたことが思い出されるから、たとえ大人に近づいて体の使い方も把握してきた歳だとしても、誰かに迷惑をかけないのなら歩いたって良いと、そう思って。
1人しか入らない小さなビニール傘を片手に、風が吹く方に傘を差す。ワンコインで買えるような傘でも、簡単に吹っ飛んで壊れるような造りではなく、しっかりと堅牢なので片手で十分なのは助かる。
「あっ……朝ご飯の材料買ってない……パンでも買うか」
歩き出して3分くらい経過すると、明日の朝からのご飯の材料がないことに気づく。最近一瀬や桜羽に料理教室に通ってないと疑われることが多く、それを違うと証明するために自炊を始めたのだ。
教わったことは基本忘れない遥の記憶力は、自室に戻って作業をする時に満遍なく発揮される。だから最近、昼用の弁当も自分で作って持っていくようになり、その大半が朝から起きて作った手作りだ。
しかし明日からの材料を今日買い忘れていたので、仕方なく明日の朝は久しぶりに怠けてパンにする。コンビニに寄るということだが、腰付近まで斜めに落ちてくる豪雨と、いつ傘を吹き飛ばしてもおかしくない風では、最短のコンビニに寄ると寮から遠くてその間にレジ袋ごと飛ばされる可能性がある。
今日は体育もなく、持ち物として弁当以外に部屋から持ち出す物は何もなかったので、リュックを背負っていない。カバンには置き勉に限界のあるテキストたちがおしくらまんじゅうしている。故に寮から最も近く、そしてショッピングモールから最も遠いコンビニへ遠回りで帰宅することにする。
既にズボンは濡れているから、今更早く帰りたいなんて思うこともなかった。
「明日が休日で良かった」
それだけを口に出して、足早に向かうこともなく、横殴りの雨に殴られてコンビニへ足を運んだ。
到着したのは濡れる覚悟をしてから5分後のこと。距離はそう遠くないから、雨を理由に歩くペースを変えない遥はいつも通りの距離をいつも通りの時間で歩き終えた。
傘置き場を見て、幾つかのビニール傘が放置されているのはそれだけ大切にされなかったんだろうなと、持つビニール傘に無感情の遥は偽善の同情をして入店。
食べたいものは決めていなかったが、菓子パン類やスイーツ類で嫌う食べ物はないので、適当にタマゴとカツの1つずつ入ったサンドイッチとフレンチトーストを手に取った。カフェオレも忘れずに取り、レジで会計を済ませると、再び大雨轟く世界へ戻る。
止んでたら良いのにと思いつつ、自分のビニール傘を取って差して寮へ帰宅する。もう見えているから、焦ることなく。
しかしその瞬間に、デジャブを感じて足を止められてしまった。先日八雲と帰宅した際見た、1人の女子生徒が本日も孤独にも今度は瞼を閉じてベンチに座っていたのだ。
「今日……も?」
屋根があるから雨は凌げる。けれど、若干見える腹部と足の露出は、見ている遥に風邪を引くことを彷彿とさせた。無防備な今も、危険じゃないかと思いつつ。
流石にそれを放置しようとは思えなかった。今回は雨が降っていて、季節外れに寒い。寝ているなら無理に起こしたりはしないが、体調を崩してしまうことだけは避けさせたかった。
そう思う遥の善意は、幾度となく遥を善行へと導いた経験から、今回も例に漏れず善行へと思考を捗らせた。
一度出たコンビニに戻ると、そこで大きめのバスタオルとビニール傘を購入。再びベンチに座る謎の少女のとこへ戻って、露出している肌が隠れるようにバスタオルを掛けた。
人通りが少なくて、今日は大雨で更に少ない。人が気づくことはないだろうから、変質者として見られないことを祈って。
寝ている女子生徒にも、何かしら理由がある。それを知らない遥は、だからこそ無理に起こさない。何か無駄に問題を抱えていたとしたら、それに土足で踏み込んで干渉することは好ましくないから。
そうして、一応風でも飛ばないように、そこらに落ちていた石を端々に置いてその場をすぐに離れた。放置する罪悪感をほんの少しだけ胸の底に感じて。




