印象と名字
本当は聞こえていても、どの道答えは同じだっただろう。だから真意を見抜ける力を持たない遥はしまったと思って同時に、彼女――一色を信じることにした。
「そうですか」
「今も整理整頓中ですか?」
「今はもう終わって一休みしてることです」
「お疲れ様です。お手伝いできたらと思いましたけど、不必要でしたね」
「自分の荷物を片付けるのに迷惑をかけたくないですけど、手伝ってくれるならお願いしたいくらい面倒だったので、不必要なんてことないですよ」
本音である。自分のことを片付けられない醜態を晒すのは恥ずかしいことなのだろうが、それでも、だからなんだ精神の遥は他人の力を欲していた。
もう少し早ければ、若しくはもう少し遅めに始めていれば、きっと今のように腹部を水で満たすことはなかったと、運命とやらも味方しないものだと項垂れたくなる。
「ふふっ。分かりますその気持ち。私も荷解きには面倒を感じて時間を費やしたので」
「そこはイメージ通りだな……」
「ん?イメージ通り、ですか?」
「あっ、声に出てましたか?その、なんというか、一色さんを見た時の第一印象が、面倒を感じやすい人だと思ってたのでつい」
何故言ったのか、それは無意識だから分からない。けれど、それを不快に思わない人で良かったと心底思えるのは、失敗したと本気で思っていたからだ。
その遥の失敗を受けて、一色は朗らかに笑って見せた。
「そう思えますよね。見た感じだとどこか抜けた人っぽく見えるのは、自分でも思うので」
馬鹿正直にも失礼なことを言った遥を睨んだり嫌悪することもなく、一色はただ可愛らしく笑っていた。その勢いでズレた眼鏡をクイッと戻し、改めて笑顔から微笑みへとランクダウンさせる。
「でも失礼ですけど、私の六辻さんへの第一印象も、何だか読めない暗い人だなって印象を持ってたんです。雰囲気がそうだったので。でも今は、実は天然で落ち着きがある人なんじゃないかと思ってます。人って雰囲気に惑わされがちですね」
全くそうだと共感できる。関わらないなら雰囲気しかない。そして結局第一印象は全く別のものだった、というのは日常茶飯事だろう。一瀬もその類だったのだから。
それにしてもどこで人が見ているかは分からないな、と痛感するのは遥だ。きっと入学式を経ての今日という短い時間で数回見た程度だろうが、そこで決まる鬱屈な印象はやはり人間関係に於いて大切なんだと、今後少し鬱屈さをなくして関わりやすい人として雰囲気を出せないかとできないことを悩み始めていた。
(大変だな)
「そうですね」
「はい。――では、私はここで失礼するので、また今度学校かここ付近で」
「はい。また」
ペコっと、身長は150cm程度だから、平均よりも圧倒的に高い遥からすると幼気な様子も感じる体躯の一色は可愛らしくも一礼した。そして隣に僅か三歩歩いて自室前に。すると何を思ったかまたこちらを見る。
「あっ、何回もすみません。些細なことですけど、私、一色なのに一色とか一色って間違えられるんです。でも、六辻さんは最初から一色と呼んでくれた珍しい人でした。本当にありがとうございます。それと、これからも一色で覚えててください」
何ともなさそうであったらしいことを。
自己紹介後に間違えられることはないだろうが、相手から初めて話しかけられた時は多いのだろう。名前を聞いて次の瞬間忘れるなんてこと、話を聞かない性格でも、ないと言いきれるから。
確かに名字の呼び方が漢字だけでは分からない人も多数存在するが、その1人で実は気にしていたと思うと、一色も呼ばれ方を間違えられる度に訂正していた苦労にドンマイと同情してしまう。
一色よりも一色。思えば確かに一色の方がよく耳にする名字だ。
「はい。分かりました、一色さん」
これでいいだろう?と、作り方の分からない笑顔を、微かに頬を上にあげることで作り出して言った。そこは当然空虚の思いで。
するとそれに応えるよう、再び一礼して更に右手を振って自室に入って行った。終始落ち着いていて、一瀬とは違った陽気さも垣間見せた一色に、友人としての相性の良さを感じれそうだったのは、大きな収穫だった。
「一瀬に一色、か。次はまた1か2かな?」
扉を締めながら、名字の数字がキープかアップか、若しくはダウンか、くだらないことを考えて鍵を閉めた。
「それにしても、偶然だったな」
何が。それは一色美月が隣の部屋だということ。
今日最も記憶に残っている生徒であり、正直一瀬よりも印象は強い。直近ということもあり、今日視界で捉えた回数が最も多い。何故残っているのか、きっと先程すれ違った時と、今訪問してくれた時の香水か何かの匂いからだろうが。
しかしまぁ、鮮烈に残ったのは確かだ。少し会話できただけでも、仲を深めることは良いと思わせてくれた人だったから。
「まっ、仲良くできそうで安心安心」
今後最優先の友人作り。それに支障なく淡々と仲を深めれそうな人が居ることは何よりも僥倖だった。特に受け身の遥に、既に2人相手から来てくれて仲良くなれそう。それは不安を除ける要因だった。
それから自室に戻った遥は時計を見る。まだ19時手前だと確認すると、もう外出は無理だと決めてベッドに座り込む。そして目に映る簡素な内装に、これは何か買うべきだと思って、明日の予定を即座に決めていた。
「クッションと机と……」
オシャレも知らなければ、見栄え良くしようとも思わないから、結局買うものは少ないと帰結した。