忘れ物
時は進み放課後となった。惚気から解放され、少しは鬱屈さも消え去った様子の一瀬は、寂しくも話し相手が遥だけとなっていた。しかし遥も夕刻は暇ではない。
料理教室が始まる19時より前に行って準備をすることや、雪入に料理のコツなどを教わることもあるので、帰宅まで同じは無理だ。だからそれまでなら付き合える。
「はぁぁ……思ってたより惚気られたよ」
「明日から大丈夫?もっと辟易しそうだけど」
「交代制にしようよ。明日は六辻くん、明後日は優って」
「俺には務まらないよ。何も分からないから」
願いを聞けても、叶えられはしない。無知は無知らしく、静観することが最も賢いと言える選択だ。
「そのうち慣れてくると減ると思うよ。それまで嫉妬しても我慢すればどうにかなる」
「ならなかったら責任取ってね?」
「良いよ」
その時はその時。なるようになる人生、時に逸れた道を歩むことも経験の1つだろう。
そうして責任の取り方も知らない遥に強制して約束をさせると、一瀬のスマホが通知音を鳴らした。
「はいはい。誰ですか」
スマホと会話するように言うと、その瞬間内容を見て目を見開く一瀬。何事かと気になると、すぐに理由を教えてくれる。
「今さ、六辻くん以外に相性指令届いてる人いるのかなって聞こうとしたんだけど、それに重なるように私にもついに出されちゃったよ」
「相性指令?」
「うん」
画面を見せることはないが、刹那の驚きから相性指令が出されたことは確実だろう。気になるのはその内容だ。
「しかも、【第一学年一組所属――桜羽優の忘れ物を届けよ。忘れ物は職員室前の名前を記載した箱の中にある。部屋番号は5015。期限は本日24時。達成次第下のボタンを押すこと】だって。ベリーイージーで相手が優って、私も好かれたものだよ」
「忘れ物ってそんな相性指令もあるんだね」
「忘れ物するなよって言いたいけど、おかげでこれから二週間は相性指令に怯えなくて良くなったし、六辻くんの相性指令との難易度は下がったけど、友達が選ばれたことは変わらないからそこはいい収穫だよ」
先程まであった陰気は一気に吹き飛んだようで、不安だった相性指令が遥の言うように低難易度だったことに安堵感が見える。杞憂だと言っていた意味をようやくその身で理解したのだから、今はまだ酷な指令は出されないと確信に近い思いを抱けたのではなかろうか。
「ということで、今はまだ16時半過ぎだし、六辻くんも付き合ってくれるって言ったし、早速忘れ物を届けに行こう!」
「え?俺行っても意味あるの?というか付き合うとも言ってないけど」
「私と話して時間を潰せるのと、優をいじれるメリットがあるよ。それに私服で料理教室行けるし、これも経験だと思ってさ。ね?」
押しに弱いわけではないが、友人の頼み事は断れない。過去に貸し借りの関係となったからではなく、単純に可能な願いを拒否できないのだ。善意というやつだ。
「分かった」
どうせ教室で時間を潰しても仮眠程度しかしないし、それなら体動かして誰かの役に立つ方が今後のためだ。怠惰になる自分を好ましくないと思うから、なるべく無駄は消費したい遥は快諾した。
「ありがとーう」
「でもなんで俺を?忘れ物なら1人でも行けるのに」
「忘れ物が重かったら手伝ってもらえるし、優の駄弁に付き合うことになったら六辻くんを理由に帰れるし、帰り道を安心して帰れるからかな。それと退屈しのぎ」
「結構理由あるんだね」
思っていたよりも遥を誘った理由はある。けれどやはり西園寺の件が未だトラウマに近い状態で残っていることも、少しは関係していそうだ。
いつどこで自分が他人から目を向けられるか分からないという恐怖。西園寺が一瀬に好意を寄せた理由は聞かなかったから知らない。それでも一瀬が意図していなかったというのは、刺された後の会話で判然としている。
普段鈍感で何を考えてるかも理解不可能な遥の、唯一感じ取れる相手の思い。深層にある、人の畏怖や幸福など、それだけを読み取る長けた能力。幼い頃から引きこもりになるまでで鍛えられた、使い所の多い力。それは一瀬へと西園寺の残した裂傷を教えてくれた。
「なら、ササッと終わらせよう」
「うん。荷物持ちにしたらごめんね」
「了承して付き合ってるから、気にしないでいいよ」
そう判断したのは自分。荷物持ちでも駄々をこねることはない。
それから職員室前に行き、忘れ物ボックスの中にある桜羽の忘れ物を回収する。未使用のタオルと猫のキーホルダーの2つという謎の組み合わせだが、どうすればこの2つを忘れるのか気になりつつも、荷物持ちとなることはなくそのまま立ち去る。
「結局これだけかぁ」
「良かったよ、それだけで」
「そうだけど、これだけで忘れもの届けろって、中々人使い荒くない?しかも相手が桜羽優だと無性にムカつく」
喧嘩するほど仲がいい。きっと一瀬と桜羽はそれだ。
「それは日頃の行いと今日の惚気のせい?」
「多分ね」
桜羽なんて無関係なのに、攻撃されてしまっては納得いかないだろう。いや、割り切って一瀬はそういう人だと思って理不尽さえ受け入れているかもしれない。なんせ既に不憫な桜羽なんて呼ばれることに不満を漏らすことはなくなったくらいなのだから。




