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第8話 その道化師、危機管理につき

『今日のお昼は食堂で待ってるから♡』


 大原いずみからメールが来ていたことに気づいたのは、お昼休みのチャイムが鳴ったときだった。


 午前の早いうちに課題を終わらせた俺は、自習室を出て図書館の本棚のまわりを散策していた。


 眺めていたのは、本棚に並ぶ背表紙。


 特に手に取るわけでもない。ただ面白そうな本はないかと、タイトルを眺めて歩き回るだけ。


 蔵書が何冊あるのかは知らないが、ざっと見渡すだけで千とか二千程度じゃないことはわかる。もしかしたら数万冊。


 高校時代の3年間で読めるはずもない膨大な冊数に圧倒される。この上、日々発行される書籍のいくつかが毎月ここに加わるのだ。


 誰からも読まれない本が大量に保管された本の霊廟。


 その一冊一冊は、魂の込められた原稿だったはずなのに、テキストデータは無駄に印刷され、図書館に保管され、ここで誰に読まれることもなく朽ちていく。


 図書館は日本中に三千以上あるという。これに学校の図書室なんて小規模なものを加えると、恐らくは一万を超えるだろう。


 その数の多さは文明の象徴であり、知識に触れることを、文字に親しむことを身近にする文化の継承だ。


 それでも、俺は思うんだ。


 これは、必要な損失を超える無駄遣いじゃないのかと。


 図書館の容量は限られている。保存状態を良好に保つための人員も有限だ。


 古くなった本は除籍され、やがて廃棄されてパルプへと還っていく。それにかかる費用だってばかにならない。


 資源のリサイクルというが、その実質は、資源の無駄遣いのリカバリーだ。


 そうやって消費されるからこそ、書籍というビジネスが、新たな作家を、新たな作品を生み出すのだとしてもだ。


 その行き着く先に図書館があるのだとしたら──


 まるで、本の墓場だ。


 作家の熱い情熱も苦悩した運筆も封じ込められ、ただ棚を飾るだけの存在に墜ち、図書館運営の輝かしい成果を誇るための霊園。


 本が泣いてるぞ。

 こんなはずじゃなかったと。


 そんな苦い思いを打ち消すようにお昼休みのチャイムが鳴った。


 俺は大原からのメールを確認して食堂へと急ぐ。


 どうやら、待ち人は来なかったようだ。


 昨夜、清水優子からもらったメールには『お昼、図書館で待ってます』って書いてあったのにな。


 もっとも。


『メールの中身は見ないで削除してください』という依頼は守っていない。


『消したのを確認したらお礼をします』というのも、期待するほうがおかしい。


 本来メールを受け取るはずだった大原いずみから、清水優子に、行かなくてもいいと連絡がいったのだろう。


 願わくば。


 ──山崎、案の定、女子更衣室の動画を消さないで再生してた。しょうがないよ。目の前にエロ本が落ちてたら拾って読むのが男の子だからね。


 でも、安心して。


 その動画もアドレスも、優子のメールと一緒にわたしが削除しておいたから。優子のメアドも削除しておけばよかったかな?


 だから、優子が山崎に会いに学校に来る必要なんてないよ。


 お礼?


 山崎を女子トイレと女子更衣室に案内して見せてあげた。それで十分でしょ?


 ん? わたしへのお礼?


 そんなのいらないよ。山崎の珍妙な格好を見せてもらったからね。うん。あれは受けた。笑わせてもらった。くくっ。


 だから、大丈夫。優子は気にしないで残りわずかな夏休みを最後までエンジョイしてね。


 ハバナイデイ、チェケラッ! ──


 なんて、言ってほしくはないのだが。


 仮にそう言われたのだとしても、反論できないんだけどね。そのとおりだから。


 それでも、お礼を期待して清水の姿を求め図書館を歩き回った自分が恥ずかしい。


 今日一番の無駄な行動だった。


 時間を無駄遣いして、新たな黒歴史が生まれ、そして封印された。まあ、俺の半生は黒歴史の墓場だけどな。


 誰に知られることはないにしても、封じ込めた痛々しい情熱を、ふと思い出したときに、ベッドでのたうち回るだけのこと。


 そんな苦い記憶を、俺の心の棚に並べて飾り、人生の黒い成果として仮初かりそめにも葬ったはずの霊園がそこにあるだけのこと。


 体は、黒歴史で、できている。

 自分おまえには、負けられないっ!


 とか、言ってる場合じゃなかった。


 今の最大の問題は、指定されたのが食堂だということ。


 そもそも、大原は、食堂の効きすぎる冷房をきらっていたはずだ。


 そして、俺は、争いごとが嫌いというか、苦手な平和主義者だ。……非力だからね。


 なのに。


 よりにもよって、運動部のオラオラ軍団のたまり場になっている食堂を指定するなんて、一体何を考えているんだ。


 夏休みも残り数日、補習も有名予備校のビデオ授業も終わっている。本を読んだり、ネットを漂流する軟弱ボーイが現れることもない。


 教師も不在がちで、休憩と称して冷房の効いた食堂でだらだら過ごすオラオラ軍団をとがめるものはいない。


 しかも。


 体力と暇をもてあましたやつらは、グループでテーブルを占拠し、互いにマウントを取ろうと介入を始める。


 まるでバルカン半島だ。


 民族国家の分離独立を主張するかのごとく、おのれの利益を正義と言い換えて、互いをののしり始める。


 そして。


 学校という閉ざされた社会において、運動部員が暴力装置を誇示するようになるのに、さほど時間はかからない。


 つまり。


 今の時期の食堂は、肉体言語が支配する場所だということ。


 そんな場所でお食事会?


「おおっ?」と「ああっ?」だけで会話する連中ばかりが集まってるんだよ?


 そんなやつらにかこまれたら、俺は「ひでぶっ!」くらいしか言えないぞ。


 そんな中、女子生徒がいれば、自称友人や自称先輩を名乗る有象無象が近寄ってくるに決まってる。……自称先輩はおかしいな。1年生じゃなきゃ全員先輩だもんな。


 たとえ知り合いじゃなくても、「キミ、かわぅぃーね!」なんて頭の軽さを売りにするやからが、我が物顔で女子生徒の隣や向かい側に座り込むのが目に見えるようだ。


 俺と大原が仲良く弁当をつついていたら「ちょっとスペースあけて」とか言いながら、割り込んできて、俺と大原はあっという間に引き離されてしまうだろう。


 調子に乗ったやつらは「運動部の横の連携も必要だろ? 今から俺らの部室に行こーぜ。大丈夫、お話するだけだから。それに、体育教官室の隣のシャワー室、上級生の特権で先に浴びさせてやるからよぉ。お話が終わったらな」なんて言って、大原を部室に連れ込むに決まってる。


 ヤバい。


 変な妄想でズボンがやばい。


 ありえないことだけど、絶対にないとは言い切れないから妄想が止まらない。


 しかも、だ。


 文化部の生徒同士の会話を小耳にはさんだところによると、この学校が求めるスポーツ特待生の学力は、日本語で会話ができれば十分らしい。


 いや、日本語を話せない外国人留学生がいるんだから、日本語なんてできなくても大丈夫のはずなんだけどね。


 とにかく、今の食堂は、肉体を真正面に押し出し、痛みを伴う非言語コミュニケーションによる意思疎通を得意とする連中の人口比率が多くなっているんだ。


 わかりにくい?


 簡単に言うと、こぶしで語り合う以外に、問題解決方法を知らないか、めんどくさいから知らないことにしている連中ばかりだってこと。


 アスリートをばかにするつもりはないんだ。だけど、コミュニケーションは同程度の知能をもつ者同士の間でしか成立しないだろ?


 対立当事者の一方が言語化できないのなら、遅かれ早かれ殴り合いしか解決方法はない。


 そんな連中が、食堂のあちらこちらのテーブルで、意味不明な縄張り争いを繰り広げ、互いの理解を深めるために、肉体言語をちらつかせたマウントの取り合いを活性化させているんだ。


 学校って、何だろうな?

 高等教育って、これでいいのかな?


 多様性にもほどがあるぞ。


 グローバル化という意味では正しいのかもしれないけど。力こそ正義という意味ではね。


 弱いやつが蹂躙されてきたことは歴史から見ても、いや、今日こんにち現在も世界の厳しい現実だ。


 だから。というほどじゃないけど。


 俺としては、別の場所を提案したかった。バルカン半島は穏やかにお食事会なんてしてられる場所じゃない。


 だけど、今日、俺は大原とデートの計画を練る約束をした。二人の関係性が深まる可能性を感じた。びびってる場合じゃない。


 戦わなければ大切なものは奪い去られる。戦いもせずしっぽを丸めて逃げ出すやつを助けてくれるほど世界は優しくない。


 奪われるのがいやなら、失うことが我慢ならないのなら、そこが学校だろうが戦場だろうが、踏みとどまって戦うしかないんだ。


 逃げろと言うやつには、たぶん、本当に大切な人がいない。逃げた先でのつらい現実から目をそらしているだけだ。


 降りかかる火の粉は払わなければならない。集まってくるゴミ虫は蹴散らさなければならない。


 え〜と、ゴミムシじゃないよ。


 それは、鞘翅目こうちゅうもくオサムシ科の総称。湿ったところや石の下に潜み、地上を歩き回って昆虫やカタツムリを捕食したり、新鮮な死肉を摂食する。


 大原は死肉じゃないし、そんな臭いは出していない。匂いはあくまでかぐわしく、香りに誘われ寄ってくるとしたら、蜂か熊。……もっと危ないな。


 どこかでスタンガンを入手する必要がありそうだ。たぶん秋葉原なら普通に売っているはず。カネを持ってるヲタクはそれで追いはぎから身を守ると聞いた。


 スタンガンの購入を禁止する法律はないからね。銃でも刃物でもないから銃刀法違反にもあたらないし。ただし、持ち歩いた場合は軽犯罪法違反になる。


 今、手元にあればだけどね。残念。


 う〜ん、どうしようか。


 俺は悩んだ末に、いつも持参している虫よけスプレーを手元から離さないことにした。


 もしも襲われたら顔めがけて噴射する。……やつらはゴミ虫だからね。


 そうと決まれば、お昼ごはんだ。


 夏休みだから、食堂はまだ営業していない。そのせいか、ゴミ虫どもの出足も遅い。


 俺は、食堂の隅でお弁当を広げる大原を見つけて近づいて行った。


 大原は、すでにテーブルにお重を広げて俺を待っていた。


「遅かったね。待ってたんだよ」と言いながら、箸と取皿を渡してくれる。


「ごめん」と謝るが、普通なら俺が『待たせたね』って言って、大原が『ううん。今来たところ』って言うんじゃないのか? 遅れてきてあれだけど。


 でも、まあ、とりあえず。


「おいしそうだね」と言って、機嫌を取り「いただきます」と手を合わせる。


 大原が、取皿におにぎりとおかずをピックアップしてくれる。


 自分で、直接お重に箸を伸ばせばいいのにって?


 しかたないだろ。俺の目の前に座っているのは大原だけど、その隣の席にいるんだぜ。


 清水優子が。


 どうりで図書館に現れないわけだ。


 なのに。


 俺を睨んでいるんだ。冷たいというか、さげすむというか。そんな目つきでな。


 それもしかたない。俺は清水のお願いを無視した。動画を再生した。そんな目を向けられても自業自得だ。


 むしろ、その程度で済むなら安いくらいだ。今朝、動画を見た俺がティッシュを用意して予習したことを知ったなら、たぶん殺される。


 ましてや、女子トイレで大原の鼻先にそんな事後の臭いを突きつけていたことを知られたなら生きたまま八つ裂きにされかねない。


 だから。


 清水が、俺が直接箸でお重をつつこうとして引きつった表情になったのを見ただけで察した。


  握りこぶしがうなる前に撤退した。


 我ながらグッジョブ。


 すかさず、大原が適当にみつくろって俺の取皿に取り分けてくれたことに感謝だ。


 それでも。


 見た目はハーレム。


 いや、三角関係か?


 普通の三角関係と違うのは、俺と清水が大原を争っているということ。……ていうか、清水にとって俺は間男まおとこ。不倶戴天のかたきでした。


 なんかごめんね。


 謝罪した先は、清水か、それとも食堂に集まり始めた運動部員か。


 いくつかのテーブルから怒りの目を向けられている。彼らの前にあるのは、惣菜パンとおにぎり。


 暗雲が立ちこめている。

 堤防が決壊するのは近い。

 虫よけスプレーを握る手に力が入る。


 早めに食べておいたほうがよさそうだ。


 俺は、取皿に盛られたおかずに箸を伸ばす。


 鶏の唐揚げにアスパラベーコン。サラダは、刻んだきゅうりと大葉、みょうがを塩揉みしてゴマをまぶしたもの。それから玉子焼き。


 ……玉子焼き?


 一昨日おとといの悪夢がよみがえる。


「大丈夫だよ。砂糖を使ってるから。味見はしてないけどね」


 俺の顔色に気づいたのだろう。大原が慌てて味を保証してくれた。


 味見なんかしなくたって大丈夫。砂糖さえ使ってあれば、玉子焼きを不味まずく作れる人はいない。


 いるとすれば、トマトとかセロリとかパクチーを混入させて、味を独自の世界観で表現しようとするアーティスト。


 ……もしくは、味を破壊してでもおのれを主義を主張せずにはいられないテロリスト。


 なのに。


 味は。うん。微妙でした。不味まずくはないんだけどね。それは、たぶん、周囲の剣呑な雰囲気に飲まれているから。


 恐れていた人影が近づいてきている。


「おーっ、弁当かぁ」

「うまそうだな」

「量、多いんじゃない?」

「食べるの手伝ってやろうか」

「誰が作ったの?」

「俺も食べていい?」


 今年も甲子園出場を逃した野球部の連中だった。


 泥で汚れたユニフォームのまま、汗臭ささを漂わせながら、俺達のテーブルを囲もうとしている。


 真っ黒に日焼けした顔から汗が流れ落ち、それを袖でぬぐおうとする手は汚れたままだ。


 食事の前は手を洗うということを知らないのかな? いずれにしても、ユニフォームを汚した泥の多さが努力のあかしだと勘違いしているやつらだ。


 汗と泥で汚れたユニフォームは洗濯するべきだと思うんだけど、そこは、彼らのアイデンティティが許さないらしい。


 ヴィンテージのジーンズのごとく、洗ったら価値が減るとでも言いたげに、毎日、泥の勲章を増やし続けている。


 今年も早々に地区予選で敗退し、引退した3年生がいない野球場で、のびのびと楽しそうにゲートボールのまねごとをしていた。


 あの泥、どこで付けたんだろうか?


 実は、この野球部、スポーツ特待生はほとんどいない。学校が野球部に力を入れていないからだ。


 かつて、一度だけ甲子園大会に出場したときの経済的負担におそれをなしたのか、全国有数の激戦区なのに、都立高校が何度も甲子園に出場しているという事実にコスパが悪いと判断したのか、高校野球で名を上げるという野望はすでにない。……もしかしたら最初からなかったかもしれないが。


 だが、一回戦負けとはいえ、甲子園出場を果たしたというかつての栄光にすがる後輩達は、その成果を学内で遺憾なく発揮している。……主に男女交際の場面で。


『今年こそ甲子園を狙ってるんだ』と熱く情熱を語り『たまに息抜きがほしくなるんだ。俺ってダメなやつだよな』と弱さを見せた後、カラオケで歌い散らし『野球はここで終わりにする。これからの俺の夢はお前を幸せにすることだ』か『ここからは真剣マジでいく。俺は一人になって夢を追いかけたい』と言うまでがセットだ。


 そんな伝統を引き継いでいるこの野球部の面々が狙っているのは、弁当なんかじゃない。それは。


 俺の目の前にいる二人の女の子。


 やつらからすれば、俺こそがゴミ虫。ふっと息を吹きかけただけで飛んでいくと思っているのだろう。


 俺は急いでおかずを口に詰め込むと、虫よけスプレーを持つ手に力を込めた。


 相手は多数。だが、不埒ふらちなことは許さない。最悪でも、大原と清水は逃がす。


 そう。不退転の決意で。


 そのとき。


「おいおい、1年に絡んでんじゃねーよ」

「3年がいなくなって、タガが外れてんのか?」

「かわいそうに。大勢で囲むから、びびってるじゃねーか」

「弁当くらい自分で用意しておけよ。アスリートのつもりでいるのならな」


 そう声をかけてきたのは、サッカー部の皆さん。


 今年もあと一歩でインターハイ出場が叶わなかった、いつも残念なサッカー部だった。


 だが、高校サッカーは冬の全国高校サッカー選手権大会が本番だ。そろそろ東京都予選大会が始まる。


 3年生は冬の大会か秋の予選が終わるまで引退しない。加えて、レギュラーはクラブチームのジュニアユース出身者ばかり。


 モチベーションは野球部員よりも高く、スポーツ特待生かどうかに関係なく、部員全体のサッカーへの思いが熱い。


 ジュニアユースの人工芝のグラウンドで、専門の指導者からサッカーをするのに必要な技術、トレーニング方法、メンタルを学び、ユースに昇格できなくてもプロをあきらめないハングリーさも兼ね備えている。


 ユースには昇格できなかったものの、高校サッカーで活躍し、トップチームに入団して、日本代表の10番を背負った中村俊輔のざまぁをリスペクトする、本物の狼達だ。


 ただ。


 ジュニア時代からプロを目指していたため、中学時代に勉強時間の確保ができずに学業でも残念な成績しか残せていない腹ぺこ狼さん達でもあった。


 だって、ジュニアの練習は夜に行われるからね。中学生の多くは塾に行ってるか勉強している時間だよ? しかたないよね。


 ……まあ、俺は塾には行っていないから、その効果はよくわからないけど。


 でも。


 長い髪をかきあげて、野球部員と対峙する颯爽さっそうとした姿は、ジェントルマンにしてプリンス。


 首にかけたタオルが清潔感を漂わせ、汗臭さを感じさせない。……ここに来る前に、オーデコロンでもふりかけたんだろうか。見た目だけなら、サッカー部の完全勝利だ。


 それでも、彼らの狙いは、俺を野球部員から助けることじゃない。


 すぐにでも始まる東京都大会に向けて、学内での印象をよくしておきたい。あわせて、3年生が引退した後の野球部が大きな態度をとったことにガツンと言っておきたい。加えて、かわいい女の子から応援されたい。つまりは。


 俺の目の前にいる二人の女の子。


 だって、この場で俺一人がからまれていたら、たぶん助けようとはしなかっただろうからね。


 彼らからすれば、俺はゴミ虫も同然。大原と清水がいなければ、目に入ることもなく、食事の後、あくびでもしていたはずだ。


 野球部員を華麗なドリブルで蹴散らしたら、次のターゲットは大原と清水だ。


『大丈夫?』『野球部の連中も悪いやつらじゃないんだけど、レディの扱い方を知らなくてね』『お昼ごはんくらい落ち着いて食べたいよね』『ごめんね。運動部を代表して謝るよ』なんて、ゆっくりしたサイド展開から。


『邪魔が入らないように俺達が見ているからゆっくり食べな』『困ったことがあったら助けるから』とセンタリングをあげる。


『おいしそうだね。自分で作ったの?』『よかったら一緒に食べない?』とポストプレーのヘディングで落として。


『明日も会えるかな?』『名前教えてくれる?』『今度の試合、応援に来てよ』『いつか、俺もその弁当を食べたいな』と怒涛の波状攻撃でシュートを繰り返す。


 Noと、はじかれたら。


『サッカー、興味なかったかな? ごめんね』『部活、何やってるの?』『外を走ってると暑いよね。熱中症対策どうしてる?』とあきらめずに、こぼれ球をひろい続け、Yesのゴールを決めるまで終わらない。


 どちらに虫よけスプレーを向ければいいのか決断ができない。今の俺は、やつらの出方を待っているだけの傍観者とかわらない。


 その間も、大原と清水は、我関せずとばかりにご飯を食べている。この状況の緊迫感がまるでわかっていない。俺の身を挺した犠牲は無駄になるかもしれない。


 そして。


 野球部とサッカー部はまだにらみ合いを続けている。見えているのが互いの存在なのか、女の子なのか、もうわからなくなっているのかもしれない。


 そこへ。


「穏やかな雰囲気じゃないな。何があった?」

「お前らだけの食堂じゃないんだから静かにしろよ」

「食べ終わったなら外に出ろよ。暑苦しい」


 仲裁するかのように声をかけてきたのは、毎年、都大会予選で一回戦負けを繰り返す最弱の柔道部の連中だった。


 ただし、目の前にいる菅原主将は学内最強。この学校に5人しかいない全国大会出場経験者のうちの一人だ。


 今年も福岡で開かれたインターハイに個人戦男子90キロ級で出場し、準々決勝まで進んでいる学内で知らない者がいない本物のスターだ。


 そして、本物の生徒会長。


 全国大会での好成績という断トツの知名度で選挙戦に勝利した猛者もさだ。


 引き連れているのは勝利の味を知らない柔道部のモブというか、腰巾着。ちなみに生徒会とは一切関係がない。


 そんな菅原会長には、野球部もサッカー部も道を開けざるを得ない。「ちっ!」とか言いながら、野球部は一人を残して去っていく。サッカー部も「あ〜あ」とか言いながら一人を除いてなんとなく散っていく。


 柔道部のモブ達は菅原会長の背中を守るように、野球部とサッカー部が食堂からいなくなるのを見送っている。


 やがて菅原会長が野球部とサッカー部の残った二人に説明を求めた。


「何があった?」


「野球部がこの子達にちょっかいをかけてたから助けようとして」


「待てよ。狙ってたのはサッカー部も同じだろ? 立ち上がったのを見たから、俺達が先に声をかけただけで」


「はあっ? お前ら、がっつきすぎなんだよ。2年なんだから先輩に譲れよ」


「パイセンこそ、もうすぐ大会なんだから、女の子は野球部に任せたらどうなんだ? 遊んでる場合じゃないだろっ!」


「もういい。わかった。要するに、野球部とサッカー部が女子を取り合ったわけだな」


「「違うっ!」」


「どこが? ……まあいい。ちょうどいいから、お前らに紹介しておく」


 菅原会長の言葉に応じるように大原が立ち上がった。


「こいつは大原いずみ。陸上部の駅伝代表選手だ。


 そして、1年の特進クラスで頭がいい。付け加えると、陸上部の篠崎京介の中学時代の後輩だ。


 つまり、来月の生徒会長選挙で、篠崎が順当に生徒会長に選ばれたら生徒会役員になる。


 あいつ、一緒に生徒会をしてくれるような友達なんていないからな。しかも、会長になっても、生徒会活動なんかしそうにないし」


 そんな生徒会長で大丈夫なのか、というツッコミは不要だ。それでなんとかしてきた人が目の前にいる。……友達はいるらしいけど。


「そうなると、野球部やサッカー部の来期の予算とか大丈夫かな〜。こいつのさじ加減でどうなるか、心配にならないか?」


「菅原会長、言い過ぎです。クラブ予算は成績に応じて付けます。わたしは、単に気に入らないというだけで予算を減らしたりはしません。たぶん」


「たぶん? 大原は、こう言ってるが、どうする? それぞれの部長として次期生徒会役員とあえて仲良くしたいというのなら俺は口を出さないけど」


「「いや、俺達は」」


「ん? だが、一応、大原にも紹介しておくな。こいつはサッカー部の──」


「いやいや、サッカー部は次期部長なんてまだ決まってないし」


「野球部もまだ……そろそろ練習、始まるから、俺はこれでっ!」


「菅原、俺は3月で卒業するから、紹介はいいよ。じゃあなっ!」


 こうして、野球部とサッカー部は俺達の目の前から去っていった。


「ありがとうございました」


 大原が頭を下げると、菅原会長も手を振って自分達のテーブルへと戻っていく。お供も引き連れて。


「騒がしかったね。山崎、箸が止まってるよ。遠慮しないで食べてね」


 大原の言葉に、俺もおかずに箸を伸ばそうとする。


 ギンッ!


 清水の眼力が俺を襲う。


 その目、野球部とサッカー部に向けてくれよ。あいつら、絶対にビビったはずなんだ。


 大原が気を利かせておかずを取り分けてくれた。


 だけど。


 こんなの、お食事会じゃない。

 しかも、俺はなんの役にも立ってなかった。


 目の前では、清水優子が大原いずみに笑いかけている。3人でお重を囲んでいるはずなのに、俺だけは、どこまでも孤独ひとりだ。


 なんか、もう死にたい。


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