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第4話 そのアスリート、鶏貴族につき

 俺達は弁当を食べる場所を探していた。


 食堂は営業していないが、そこに弁当を持ちこんで食べることはできる。クーラーが効いていて、格好の休憩場所だ。


 部活や補習、有名予備校のビデオ授業で学校に出てきた連中の多くは、ここで弁当を食べたり、まったりと時間を過ごしている。


 図書館で借りた本をドリンクを脇に読んでいるやつもいれば、フリーWi-Fiを頼みにノートパソコンを開いてネットサーフィンにうつつを抜かしているやつもいる。テーブルにうつ伏せになって仮眠を取っているやつもいるくらいだ。


 自販機のペットボトルは一律90円と安定の低価格。


 だけど、大原は効きすぎる冷房をきらい、俺は大勢から向けられる好奇の視線から逃げたかった。


 だって、俺はまだ大原の彼氏じゃない。他の有象無象の童貞(クラスメイト)が隣に座ろうとするのを止められないだろ?


 せっかくなら、二人きりのお食事会を楽しみたい。


 そうして選んだのは、体育館裏の木陰。


 芝生に座り、包みの結び目をほどいて、ランチョンマットの代わりにする。


 これはもうピクニックだよね。


 緑に囲まれた公園の芝生の上で、彼女手づくりのお弁当。


 あ〜ん、とか言って食べさせてもらい、一つのカップから水筒の冷えたお茶を分かちあう。食べ終わったら膝枕をしてもらうんだ。


 そんな俺の妄想をよそに、大原は保冷剤を取り除くと、弁当を広げて俺にフォークを渡し、「召しあがれ」と言った。


「いただきます」


 箸を持った大原が手を合わせる。俺も両手を合わせる大原をまねる。「……ます」と。


 目の前にあるのは、緑色中心の献立。


 うーん、アスリートめしはちょっとなぁ。


 文句を言うつもりはない。そもそも、俺はカレーパンとパックのコーヒー牛乳。交換するものがない。


 でも、もしものときのために、ストロー付きのコーヒー牛乳は飲まずに残しておこう。


 大原に勧めて口をつけたら、その後でおいしくいただくつもりで。


「じゃあ、最初はミニハンバーグを試してみようか。中身はチーズ。チーズが嫌いじゃないといいんだけど」


 先日、大原が顔を寄せて問い詰めてきたとき、ここぞとばかりにキスをした。強引に唇を奪った。その罰として、俺は弁当の試食を求められたのだ。


 大原が作ったものならなんでも食べちゃうよ。料理が口に合わないとか、舌を料理に合わせるなんて、おこがましい。


 大原いずみが作った物を食べられる、それだけで価値がある。


 たとえ、冷凍食品を温めただけだとしてもね。


 だがしかし。


 試食だと言われたが、この弁当は俺のために作ったわけじゃない。詰める前に味見くらいはしているだろうし、問題は冷めてもおいしく食べられるのか、ということでいいんだろうか。


 これが罰? ご褒美の間違いなんじゃ?


 ミニハンバーグにフォークを刺して、何気なくたずねた。


 ただの世間話のつもりで。


「ミニハンバーグでチーズインなんてめずらしいな。どこで買ったんだ?」


「あー、わたしがこねて作って焼いた」


 ……試食という言葉を思い出す。


 そうだよね。世の中、そんなに甘くないよね。


 この暑い夏場に肉をこねて焼く? 焼いてある冷凍食品を買ってください。もし、火が通ってなかったらどうするの?


 それはもう試食じゃない。毒見というやつだ。しかも、俺に謝罪を求める形で勧めてきた段階で、制裁も加味されている。


 それでも、俺にこれを食べないという選択肢はない。


 ソクラテスは死刑判決を受けて毒盃を仰いだ。毒酒と毒剣が大活躍する「ハムレット」で主人公は、生きるべきか死ぬべきか、それが問題だと嘆いた。


 人はいつか必ず死ぬ。早いか遅いかの違いにすぎない。どうせ、死ぬのなら大原の手にかかって死ぬのも悪くない。


 もし、大原と結ばれたなら、そのお弁当を毎日食べることになるんだろうしな。


 でも、その前に。


「ハンバーグって、家で作れるの?」


 とあがいてみる。


「う〜ん、なにを言ってるかわからないけど、うちではそうだよ。夕飯がハンバーグのときは、わたしが夕飯を作ってる」


「料理、得意なんだ?」


「得意と言えるほどじゃないよ。今はまだ、母に教わりながら作ってる。そんなことより、食べてみてよ」


 大原が期待する目で俺を見ている。これ以上引き伸ばすのは難しそうだ。俺は胸の内で鳴り響くアラートを無視する。


 ……お父さん、お母さん、俺は愛に殉じます。逆縁の親不孝をお許しください。


 ぱくり。

 もぎゅもぎゅ。ごくん。


「うん? これは、豚肉じゃないよね」


 食べ慣れない味だった。


 正直に言うと塩味が足りない。中で固まったチーズは意味がわからない。ただ、心配した生臭さはない。ざっくりとした歯応えは中まで火が通っているあかしだ。


鶏肉とりにくだよ。お弁当に肉汁は厳禁だし、あぶらは避けたいから。コクを出すためにタネにチーズを入れたんだけど。どう? 男子には味付けが足りないかな」


 うん。試食というより、実験でした。


「初めて食べる味だけど、悪くない。うん、おいしいよ」と、お世辞を言う。


 ハンバーグではなく、つくねだと思えば食べられなくはない。チーズをやめて塩こしょうの増量と醤油かソースを希望するけど。


「アスリート用のおかずだからね。脂控えめ。その分旨味もないけどね」


「ど〜りで」


「あはは。正直だねぇ。味は牛肉や豚肉を使ったハンバーグにはかなわないよ。うちで作るときは、わたしの分だけ鶏肉。家族には牛と豚の合挽き肉でハンバーグを作ってる」


「それは陸上のため?」


「そうだね。コーチは、十代のうちは何を食べてもいいんだって言ってる。


 だけど、陸上競技で勝つのに大切なのは体重の軽量化なんだ。体重が軽くなれば、最大酸素摂取量が増える。陸上は有酸素パワーが勝負の分かれ目だからね。


 一流アスリートの体脂肪率は10パーセント以下だけど、成長期は15パーセントを超えなければいいらしいね。


 コーチは、レース前に減量して体重を落とし、レース後にたくさん食べなさいって、いつも言うんだ。でも、体重はどうしても気になっちゃうんだよねぇ」


「まるでボクサーみたいだな」


「ははっ、計量とかはないよ? ただ、コーチは、食事制限には反対なんだ。摂食障害とか、疲労骨折、運動性無月経の弊害で競技人生が短くなることをいつも心配してる。よく食べてよく走れ。普段から骨の貯金をしておけって、うるさいくらいにね」


「なんか、楽しそうだな」


「うん。選手の体に気づかってくれるコーチなんだ。……といっても、本来ならコーチはスポーツ特待生だけを指導していればいいんだけどね。それでも、やる気を見せれば応えてくれる。わたし、この学校を選んでよかったよ」


「俺は──」


 後悔していると言おうとして口をつぐんだ。


 そんなことはない。


 大原いずみに出会えた。この学校に進学していなければ会うことはなかった。同じクラスでなければこうして話すこともできなかった。


 もし、人生をやり直せるとしても、俺はこの人生を選ぶ。


 大原いずみと出会う──


 そうでなければ、すべてが色あせてしまう。この胸の高まりを知ることもない。


 だけど、今こうして二人きりでいるのに距離が縮まった気がしない。


 大原が作った弁当を一緒に食べているのに、仲良くなった気がしない。


 俺はただのクラスメイト、相変わらずモブのままだ。


 俺の告白はスルーされ、演劇の稽古のときのやり取りで、大原にとって、クラスの男子が眼中にないってこともわかっている。


 告白をやり直すだけなら簡単だ。


 だけど、今のままだと、相手にすらされない気がする。


 ゆっくりと関係を深めていって、俺のことをわかってもらえなければ、何度告白したってただの無駄撃ち。


 俺は大原いずみの特別になりたいのだ。


 大丈夫。時間はある。慌てる必要はない。とにかく身近な話題から距離を縮めていこう。


「演劇の台本はどうなってる?」


「うん。優子が手を入れてくれてる。ありがとね。山崎がプロットを考えてくれなければ、わたし達、どこから手をつけたらいいかわからなかった」


「俺は自分にできることをしただけだ」


「山崎には負担をかけちゃったね。お詫びに何かしようか?」


 脳裏を欲望エクスプレスが駆け巡る。


 何でもいいのかな? ……プールとか、スマホで撮影とか、一緒に帰るとか、お宅訪問とか、……アレとか。


 だめだ。俺の欲望エクスプレス、駅で渋滞してる。事故ってプラットフォームに乗り上げちゃってる。


 ……デートはありかな? 映画とか、ボウリング、カラオケ。……アレとか。


 お店を出た瞬間、バイバイと手を振って次の約束もなく去っていく大原の姿が目に浮かんだ。


 いやいや、そんな1回限りより、もっと、末永くお付き合いできる方法はないものだろうか?


 大原いずみの心の奥底に、俺という存在を刻みつけたい。互いを求めるつがいの鳥のように、ともに人生を歩くきっかけをつくりたい。


 いや、待て。


 鳥のやつら、ペアで仲良く寄り添ってたり、協力して子育てしている様子から見過ごされてきたが、最近のDNA解析を利用した調査によると、父親と血の繋がっていない「つがい外子がいし」を育てているケースがけっこうあるらしい。


 一説によると、鳥類の中で一夫一妻とされてきた野鳥のメスの60パーセント以上が、派手できれいなオスと浮気しているとか。


 鳥はだめだ。


 俺は浮気を許せるほど心は広くない。寝取られとか、托卵とか、ふざけるな。そんなスリリングな人生は求めていない。


 そう言えば、カッコウは托卵だったな。いや、あれは浮気じゃない。他の鳥の巣に卵を産みつけて巣立ちまで育てさせる。かえったカッコウのヒナは、エサを独り占めするために仮親の卵やヒナを皆殺しにするとか。……もっとひどかった。


 よく考えたら、ヒト社会でも、貴族を称する鳥に満席で入りきれないとき、客を掠め取ることを目的とした看板で勝負する居酒屋があるくらいだった。


 鳥はだめだ。最後のは鳥じゃないけど。


 冷静になって考えてみよう。必勝の策を、孫子はなんて言った? 


 かれを知り己を知れば百戦(あやう)からず。


 そうだ。俺もそれにならおう。ナポレオンがそうしたように。ウイルへルム二世が流した涙を無駄にしないように。……あくまで噂だけど。


 人類史の叡智で大原に向き合うのだ。


 選ぶべきはお食事会。


 この暑い最中、部活の練習は朝と夕方に集中しているはず。炎天下を走るなんてありえないもんな。つまり、夏休みの日中なら時間が空いているはずだ。今日のように。


 その空いている時間を使って、お食事会を理由に夏休みの残り一週間を一緒に過ごすというのはどうだ?


 2学期が始まれば、大原はハーレム軍団に囲まれ俺が割り込む余地はない。勝負はこの一週間。


 ともに過ごす時間を積み上げ、繋がりを深めよう。


 そうやって大原いずみを知っていこう。大原に俺を知ってもらおう。


 なんせ、俺は大原のことが好きだというわりには、何も知らない。


 知っているのは、顔とスタイル。細くて長い首とすらりとした脚。そして、物憂げな表情から、いきなり核心を突いた言葉で相手を圧倒し、最後に優しくなだめながらさり気ないボディタッチで、気持ちを撫でる心づかい。


 普段無口な女の子がいきなり豹変する表情にヤラれたのは、俺だけじゃないはずだ。たとえば、清水優子、水越まゆみ……たぶんクラスのほとんどが大原の信者だ。


 あっ、あと、腰が細い。


 正面から見てもかわいいけど、後ろから見ても……エロい。とっても、眼福。


 そんな大原いずみのことを俺はもっと知りたいのだ。


 だが、現代は情報化時代といわれる一方で、個人情報保護の壁は厚くなった。小学生のときにあったクラス連絡網が作られることはもうない。


 学校からの連絡は一斉メールとホームページ。


 親しい者同士でなければ、住所や電話番号、メールアドレス、通学に利用する電車でさえも知らないのが当たり前だ。


 大原のことを知る第一歩として、お食事会は最適のはず。毎日のお食事会で関係を深める会話をしたい。


 聞きたいことは山ほどある。


 大原の好きな小説、好きな映画、好きな俳優、好きな言葉、将来の夢、志望大学、文系か理系、誕生日、家族構成、住んでるところ、メールアドレス、休日は何してる? どこに行けば会える? スリーサイズは? 下着の色は? どこで買うの? プレゼントしたら履いてくれる?


 一週間じゃ足りない。一生をかけて大原いずみを知りたい。……そのときは山崎いずみになっているかもしれないな。


 一緒に時間を過ごし、経験を共有することで、お互いの胸襟を開き、二人だけの秘密を重ねるのだ。そこまでいけば、モブから友達、そして彼氏彼女になる日も遠くはないはず。


 そうやって大原いずみの本質を肌で感じるのだ。


 人づてに聞いた噂や反証のしようがない他人の評価に惑わされず、俺は大原いずみの本質をつかみたい。


 その上で、彼女が受け入れてくれる自分になりたい。


 俺は変わるのだ。大原いずみに選ばれるように。ダーウィンの進化論を俺は信じたい。……理屈としては今西錦司の進化論の方が正しいと思うけど。


 よし。方針は決まった。


 孫子、2千5百年前の彼方からありがとう。


 大原いずみと結婚したら、新婚旅行は鳥取県にしよう。湯梨浜町ゆりはまちょう燕趙園えんちょうえんで孫武の像に改めてお礼を言うのだ。


「山崎?」


「あっ? ああ、ごめん」


「考えごと?」


「うん」


「好きだよね。考えごと。そうやって、いつもボケっとしてる」と大原は笑う。


「台本を書いたお礼に何でもしてくれるって大原が言ったから。……色々と」


「はあっ? そんなことは言ってないよ。時間を使わせたお詫びに何かしようかって言っただけだよ。山崎、なんか怖いんだけど?」


 そうだっけ? まあ、いいやと、俺は大原にお願いする。遠慮なんかしない。……膝枕は今のところ封印するけど。


「毎日、大原と一緒にお昼ごはんを食べたい」


 ……俺のために味噌汁を作ってくれという言葉は飲みこんだ。それはまだ早い。


「いいよ。そのくらいなら」と大原は快諾した。


「だけど……試食に付き合ってくれるなんて奇特だね? 優子なんか一度で、もう無理って言ったのに」


 ……あれぇ? なんか、俺、早まった?


 大原がニヤリと笑う。


「なら、こっちのササミと大葉の春巻を食べてみてよ。油を使わないでトースターで焼いてるんだ。あと、とりモモのワサビ焼き。これはちょっとした自信の肉料理なんだ」


 邪気のない笑顔に俺も笑い返す。


 もう、死んでもいい。この笑顔を独り占めできただけで十分だ。おなか一杯だ。


 だから。


 ごちそうさまと言いたい。言えないけれど。


 あと、大葉もワサビも俺にとっては薬味、メインの食べ物じゃないとか。とり肉を俺は肉と認めないとか。


 ……それに、一口食べただけでわかってしまった。


 たぶん、大原の作る弁当って、塩こしょうが足りない。体を作るための料理だから。


 だけど、肉料理って、塩こしょうとソースが必須だよね? 決め手と言ってもいいよね。


 しかも、この弁当、とり肉ばかりで、脂肪が少なめ。


 俺にとっての肉料理とは、適度に脂身のついた牛と豚だ。とりは嗜好品に分類される。


 他にあるのは、ひじきと玉子焼き。おそらく、というか間違いなく砂糖不使用の。


 これに付き合う? 関係を深めることだけを考えていて、味のことをすっかり失念していた。


 背中を汗が伝う。


 弁当を前に、もう一度おのれに問いかける。


 To be, or not to be,

 飛ぶか飛ばないか、

 that is the question.


 覚悟を決めて、ササミと大葉の春巻に手をのばす。フォークなんか使わない。口にほおばり、咀嚼そしゃくする。


 思ったとおりの味だ。

 パサパサ感もハンパない。


 古代ローマでは、こしょうは、同じ重さの金と同じ価値があると言われたらしい。


 ポルトガルの軍事力を背景にヨーロッパからインドへの航路を拓いたヴァスコ・ダ・ガマのクルーは、Youは何しにインドへ? と問われて「キリスト教andこしょう。チェケラッ!」と答えたらしい。


 そんなわけないな。ポルトガル人だし。


 塩こしょうのありがたさを俺は今噛みしめている。


 ヴァスコ・ダ・ガマの功績の影に、艦隊が航海の途上で現地人を何千人も殺したことも略奪行為を繰り返したことも、砂を噛むような弁当と諦念を一緒くたにして噛みしめ嚥下えんげする。


 食えたもんじゃない。続けてとりモモのワサビ焼きを口にする。


 おんなじだった。

 

 ……アスリートめしは俺には無理っ!


 俺はコーヒー牛乳で口を整え、お返しにカレーパンを大原に渡そうとしたが、大原はおにぎりを食べながら、笑って手を振り断ってきた。


 だよな。油で揚げたカレーパンなんて食べたら、弁当で体を作ってる意味がなくなるもんな。


 だけど、俺は思ったんだ。


 いつの日か、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の快感を、その体に覚え込ませて、アヘ顔でヒィヒィ言わせてやりたいって。


 腰を振って、身もだえしながら、「もっとぉ、もっとぉ! ちょうだぁいっ! おほぅっ! これ、きたぁっ! わたし、もうだめになるぅ〜! こんなの知ったら、もう戻れないっ! サイコォーッ! おナカ、もう、タップタップゥ〜ッ!」って、こってりラーメンを食べながら言わせてやるんだ。


「……ざき、やまざき、山崎」


 大原が俺の名前を連呼していた。


「んっ? な、何っ?」


「またボケっとしてたよ。大丈夫?」


 ヤバい。異世界、じゃなくて妄想の世界に入っていた。よこしまな欲望にひたっていた。


「まだ、おかずの感想聞いてないんだけど? ……でも、もういいよ。その顔でわかったから」


「な、何が?」


「だって、恍惚こうこつの表情を浮かべてた。それにヨダレも」


 慌てて俺は口元をぬぐう。


「気に入ってくれて嬉しいよ。明日もお弁当を作ってくるから、楽しみにしててね」と大原は笑う。


 ……これを明日も?


 戦慄が走る。取り返しのつかない事態に陥っている。だけど。


 チクショー。かわいいなぁ!


 大原の笑顔がすべてを洗い流す。些細ささいなことなんてどうだっていいじゃないかと天使が舞い踊る。


 そんな薬物でキマった俺に、大原が。


「じゃあ、これも」と、玉子焼きをつまんで口に持ってきた。「ほら、あーん」って。


 大原があけた口につられて、俺も口をあけてしまう。これはミラー効果? いやいや、そんなの関係ないっ! これで口をあけないなんて男じゃない。幸せだ。もう、死んでもいいと、自分に言い聞かせる。


 パクリ。


 ……うん。砂糖は入っていませんでした。予想どおりの味に、それでも俺はにっこりと笑う。大原に笑顔を向けて嘘をつく。


「おいしいよ」


 口の中で砕いた玉子焼きが、硫黄のような臭いとなって鼻から抜けていくけど。


 大原が楽しそうな顔で笑いながら言った。


「あはは。無理しなくてもいいよ。砂糖を使ってないんだから、おいしいはずないじゃん」


 そして、あっけにとられる俺に。


「ボケっとしてた罰だよ。ごめんね」


 そう言いながら弁当箱を片づけ始めた。


 その姿に、卵のせいでこみあげてくる吐き気をこらえながら、俺は心に固く誓う。


 いつの日か、大原いずみを味の快楽に堕としてやる。その姿を隣で見てやるっ!


 だって、女をダメにするのは恋人の役目だからな。


「そろそろ行こうか? 山崎は自習室?」


「あ、ああ」


「だったら……そのニヤけた顔、なんとかしたほうがいいよ。気持ち悪いから」


 大原はそう言って立ち上がった。


「じゃあねー」と去っていく背中に、俺はかける言葉もない。


 ……なんか、もう死にたい。



【あとがき】


いずみ「『がために君の鐘は鳴る』の『第4話 そのアスリート、とり貴族につき』を読んでいただきありがとうございます」


浩二「このあとがきは、作者に代わって副音声ふうに俺達でお送りします」


いずみ「司会担当の大原いずみと」


浩二「主人公の山崎浩二です」


いずみ「取り違えっ子同士を結婚させて事態収集を図る親の思惑に振り回される二人を描いたカッコウの許嫁」


浩二「高校生で同棲とか、秘密の共有で急接近する二人の仲に目が離せないな」


いずみ「その主人公、彼女が家に帰ってこないと知った途端に全裸生活を始めたんだけど?」


浩二「言いたいことはよくわかる。意味不明だよな? だけど、たまに風通しよくしたくなるんだ。俺にはなぎくんを責められないね」


いずみ「いいけどね。主人公には天罰が下ったし」


浩二「まるで行為中に旦那が帰ってきた間男みたいだったな」


いずみ「ん? 同居する女の子が連れて帰ったのは、主人公が告白した女の子。まるでじゃないよ。三角関係という意味では、まさに間男。あと、全裸でソファに座るとか衛生的に許せないっ!」


浩二「わかるっ! プールに落ちた女子達は着衣だった。これが仮にプール回だとしたら、俺も絶対に許さない」


いずみ「……」


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