最終話 そのランナー、弔う者につき
11月2日、文化祭初日を迎えた。
まだ、朝早く、開始前だというのに、校舎のあちらこちらから生徒の歓声が聞こえてくる。
1か月遅れの文化祭。
校内に入れるのは生徒とその関係者だけ。
関係者は受付で渡された来校者票を首からぶら下げなければならないという、事実上の入場制限。
しかも。
模擬店は、二日間のうちの1日が各クラスに割り当てられ、出店の場所は教室に限られていて、校門から校舎に向かう舗道沿いに屋台を設置することは許されていない。
文化部のイベントは部室内のみ。展示だけなら玄関から続く廊下も許される。
運動部のイベントはグラウンドか体育館を初日だけ使える。
そして、体育館のステージを使う演劇、演奏、ダンスは二日目の午後のみ。
8月の盗撮事件でマスコミに騒がれたせいで、例年よりも大幅に制限されている。
それでも、活気だけは例年に劣らない。
……ごめん。言い過ぎた。俺はこの学校の文化祭を見たことがなかった。
だって、抑えのつもりで受験したんだ。
合格するのは当たり前、進学は都立と決めていたから。当然、夏休みのオープンキャンパスにも、文化祭にも来たことがなかった。
中学時代に持っていた印象は、チャラい生徒達が集まるところ。それは、入学して確信に変わっただけだが。
だけど。
素直な生徒が多いのもまた事実。一つ一つのできごとに、歓声をあげ、落胆する。親の高収入に支えられたお坊っちゃま、お嬢ちゃまのお気楽学園ライフといえばそうかもしれない。
いや、将来に不安がないから全力で遊んでいるのだろう。東京都の高校生の大学進学率は65パーセントを超えている。親に資力があり、大学を選びさえしなければ地元にいくらでも進学先を見つけられるということだ。
その先の就職など、親の会社に入るなり、紹介されるなり、あるいは資金を出してもらって起業するなり、身の振り方はいくらでもある。
その分、バカ高校の評価を受けないために、特進クラス生とスポーツ特待生が頑張っているわけだが。
だから、文化祭のようなイベントこそが、彼ら彼女らの真骨頂だ。
たとえ、制限されたお祭りだとしても。いや、むしろ制限されたからこそ盛り上がっているのだろう。
まるで、1日限りのカゲロウの儚い命を謳歌するかのように、皆、生き急いでいるようにも見える。
もっとも、成虫になると1日どころか数時間のうちに死んでしまうことで、儚く短い命として例えられるカゲロウだけど、それは成虫になってからのこと。
カゲロウは、幼虫の時代を何年間もすごしている。蝉のように。
つまり、昆虫の多くが卵から成虫になって死ぬまでよりも、長い時間を生きているわけだ。
それは、繁殖に特化した生態を選んだからともいえる。
成虫になったカゲロウはエサをとらない。口がないのだからエサをとる手段がない。すぐに死ぬのだからエサをとる必要もない。
成虫となったカゲロウにとって大切なことは、その残された数時間の中で生殖して子孫を残すこと。そのために群飛し、メスを誘う。そうして、この戦略を選んだカゲロウは、3億年の昔から現在まで変わらぬ姿をしているのだ。
進化がより豊かな生き方を目指すという意味において、カゲロウは生物として既に完成されている。ヒトとヒトが争い殺し合う歴史を紡いできた人類など比べるべくもない。
それを考えると、俺達のようなヒト社会での優位性を示すために懸命になっている特進クラス生やスポーツ特待生に比べて、陽キャパーティを繰り広げようとしている一般生徒のほうが勝ち組のような気がしてならない。
事実、そうなのだろう。一流大学を卒業して東証一部上場企業や霞が関の省庁に勤めてエリートと呼ばれたとしても、所詮はサラリーマン。いくら頑張っても、純白のメルセデスやプール付きのマンションを手に入れることなどできない。
いや、生活を切り詰めれば買えるのかもしれないが、そもそも、彼ら彼女らは切り詰めるとか考えることもなく、欲しい物を手に入れる人生を送っている。それが自分で稼いだカネではないのだとしても。
そして。
この学校においても、お手軽な恋愛ごっこが盛んに繰り広げられている。まるでカゲロウのように。
だから。
俺が女子と腕を組んで文化祭の校内を歩いていても、不自然には見えない。
はずだった。その相手が大原いずみでなければ。
皆が関心を示したのは、大原いずみをエスコートしている身の程知らずな男のこと。
準備状況を確認しに行ったハンバーガーショップの模擬店では「代行っ!」と笑顔で迎えられ、「これ、食べてみてよ」とフランクフルトを渡されていた。
もちろん俺の分ではない。
困った大原が財布を出そうとしたら「試食、試食〜っ!」と相手から手を振られ、さらにフランクフルトの扱いに困って俺の口にくわえさせたら、「おお〜っ」と囃し立てられた。
そして。
俺達が背中を向けた瞬間、「あれ、もしかして、ラッパー?」「そう?」「うん、似てる」「似た人はたくさんいるからね」「そうだよな。ごめん」と、本人否定をされた。……なぜ、謝る? 泣くぞ、俺。
でも、まあ。
もぎゅもぎゅ。
うん、うまい。
誰もが、大原がこの文化祭の開催に尽力したことを知っている。
特に模擬店を出店したクラスは、区役所と保健所への届け出、調理に当たって注意すべき事項の相談といった雑事は大原に任せっきりだった。
そして、初日は、焼団子、今川焼きとお茶を提供する「お茶屋」、カレーライスの「カレー専門店」、ハンバーガー、ホットドッグ、フランクフルトの「軽食コーナー」、おでんとたこ焼きの「屋台教室」。
二日目は、アイスクリーム、蜜豆とカットした果物の「甘味処」、大学芋やフライドポテトとコーヒー、ジュースの「スタンドカフェ」、豚汁とおにぎりの「定食屋」、餃子と焼きそば、チャーハンの「町中華」の出店準備に協力した。
曖昧だった文化祭実行委員会との役割分担も明確にした。模擬店で使用する紙皿、紙コップ、割り箸、プラのフォーク、スプーンと電子レンジやホットプレートの衛生部門を一元管理させ、食べ歩きやつきまとい勧誘といった禁止行為や揉め事を制止するための警備態勢を組ませた。
さらには、模擬店の食券をエサに、出番の少ない1年生の運動部員を中心にして、定期的にゴミを回収して回るボランティアスタッフをまとめた。
体育館での1回公演では満足できないと主張したダンス部、演劇部、軽音楽部に対しては、事前に録画した映像を各フロアの待合ブースでエンドレスに流すことで納得させた。
開催時期が遅くなったために、受験を意識してやる気のない特進クラスの3年A組に対しては、全校生徒に呼びかけて読まなくなったマンガの提供を受け、「マンガ喫茶」で強制参加させた。
ただし、喫茶というのは、ウソ、大げさ、まぎらわしい。JAROに通報されるレベル。だって、何も用意していない。
むしろ、本を汚さないように飲食は禁止。文化祭が終わったらブックオフに持ち込んでオーバーした予算の補填にあてるつもりだから。留守番の生徒は教室の隅で勉強をしているだけで、スマイルすらない。その接客態度は絶対零度の時給マイナス273.15円。
たとえ走れなくても、大原いずみは生徒会活動で、その存在感を高めていたのだ。
もっとも、まわりは、大原が篠崎会長に逐一報告している様子から、ロマンチックな関係も想像していたらしいが。
大原は、その噂を打ち消し、ならば俺がと、誰かに言い寄られることのないよう、こうやって彼氏役の俺を連れ回しているというわけだ。
大原の足の回復は順調だ。だが、明日の東京都大会には間に合わなかった。
この一週間は走っていない。それでも、雰囲気だけでも参加したらどう? というチームメイトの声に背中を押されて、補欠として明日は荒川河川敷駅伝コースに向かうことになっている。
今更ながらに櫻井先輩の言葉が身にしみる。
陸上部と生徒会、そのどちらを優先するかで大原が悩む日が来るはずだと。俺が大原を支えたいなら、彼女の側からけして離れるなと、櫻井先輩は、そう言ったのだ。
けれど、このひと月、俺は中間試験と劇の稽古に追われて何もしなかった。
いや、条件は大原も同じだった。俺は、知ろうとしなかっただけだ。自分のことにかかりっきりになって、大原が文化祭の準備に時間を割いていることを察してもいなかった。
俺は、間違えたのだ。
大原にとって、俺が仮の彼氏でしかないのはそのためだ。
いいように利用されている。それは、関係を深めるつもりがないからだ。
それを俺は、惚れた弱みと大原が大変だったときに助けられなかった負い目からキッパリとした態度に出られない。むしろ、この関係に甘んじ、よしとしている。
だから、大原にとっては、俺は相変わらずモブの一人で、俺が断れば別の男にこの役を譲ることになるのだろう。
そんなことは堪えられない。だから、間違えてしまった関係だとわかっていても、こうして、大原の隣を歩いている。
大原が俺のことを好きになってくれることはおそらくない。一番大変だったときに側にいなかった男が選ばれることはない。
卒業までの2年間、俺は、こうして大原の隣に居続けるのだろう。これから迎える3回のクリスマス、二度の夏休みを。
そして、別れを告げることもなく、この関係は卒業とともに終わる。
気分は、敗戦処理の投手だ。ただゲームを成立させるためだけに投げる。その一球に明日への希望などない。
せめて、この関係にコールドゲームがあったならよかったのに。
❏❏❏❏
文化祭二日目。
もうすぐ、午後1時30分。板橋区にある荒川河川敷駅伝コースでは、高校女子駅伝東京都予選会がスタートする時間だ。
大原は、今ごろ、何を見て、何を考えているのだろうか。流した汗とケガの瞬間を思い出して後悔していないだろうか。走りだそうとアップしている選手たちを見て素直に応援できているだろうか。
それとも、少しくらいは俺達のことも思い出してくれているだろうか。
そして、ここ、体育館のステージでは1年A組の舞台の幕があがろうとしている。
開始時刻は、午後1時30分。
俺達は舞台袖で息を殺してその時を待っていた。
体育館は、そこそこ人が入っているが、この舞台に大原が出演しないことを告知しているわけではない。
そのことを知った観客が、がっかりしないことを祈るばかりだ。
与えられた上演時間は30分。俺達キャストと裏方スタッフは、暗幕の陰で円陣を組んだ。
「最後まで駆け抜けるぞっ!」
小声で活を入れる。すかさず、清水優子が「この舞台を、いずみのために」と応じ、円陣が「おうっ!」と小さく揺れた。
照明が段々と落とされていき、やがて暗闇の中、開演のべルが鳴る。
スポットライトが中央でモップを持っている神田書記を照らし出す。
そのライトが乱舞して、客席をグルグルと照らしていく。
それに合わせて銃撃音が響く。
俺は、満を持して舞台袖から走り出し、蛍光塗料を塗ったバミでジャンプする。
次の瞬間、舞台の上が照明で明るくなる。俺は明転した舞台の、積まれた机とイスの上を飛び越えて、敷かれたマットの上に背中から落ちていった。
こうして。
平成25年度文化祭、1年A組の舞台劇「誰がために君の鐘は鳴る」が始まった。
物語の主人公は渋谷生徒会長。
「くっ、文芸部のやつら、しつこいな。ペンは剣よりも強し、じゃなかったのかよ」
これが、俺の記念すべき初舞台の初セリフ。
元々はリベラルな考え方をしていた生徒会長が、文化部生徒達の勝手な振る舞いに手を焼くようになったことから、部の運営に口を出すようになって対立が生まれ、運動部を巻き込んでいく。
という設定を伝える第1幕。
水越まゆみ演じる神田書記のセリフ。
「会長って、文化部には厳しいですよね。運動部にはそれほどでもないのに」
「だって、文化部は勝ち負けの基準がよくわからないんだよ。数字に出ないもので評価するなんて無理だろ?」
「部活なんて楽しければいいんじゃありませんか?」
「予算の配分があるからな。俺は予算を成果で判断したいんだ。それが公平だと思うから」
「成果って?」
「具体的には、部員数と大会実績だな。文化部の部員数には幽霊部員がかなりいる。大会も、参加する以前に、あるのかどうかすらわからない。それに比べて、運動部は組織された大会があり、勝ち負けがはっきりと出る。部員が多いのも練習風景を見ればわかる。それらを予算に反映させなければ公平じゃないと思うんだ」
「みんな、一生懸命やってるのに」
「予算は限られている。各部からの要望は多い。全員にいい顔はできないよ。線引きは必要だ。生徒会は、学校からお金の使い道を任されているんだ。いい加減なことはできない」
「でも、あえて嫌われ者にならなくても」
「誰かがやらなきゃいけないことなら、しかたがないよ。ところで、目黒副会長は今日も来てないのか?」
「大切な用事があるから、しばらくは来れないって言ってましたよ」
「困ったな。もうすぐ文化祭だし、この生徒会も任期が終わるっていうのに」
「目黒副会長には、目黒副会長の考えがあるみたいですよ」
そんな渋谷会長に対する文化部の不満をガス抜きしようと、目黒副会長は、文化部の部長達を集めて、文化祭最終日にゲリラ的に校庭で許可されていないキャンプファイヤーをする計画を話す。
「目黒副会長は渋谷会長の味方じゃないの?」
「会長はやりすぎなのよ。でも、もうすぐ任期も終わるわ。生徒会長をやめる前に、みんなとの関係を修復する必要があるでしょ」
「そんなことを言われてもな〜」
「やられたことは、なかったことにできないよ」
「それとも、会長が頭を下げてくるとか」
「それ、いいね」
「「「「きゃはははっ!」」」」
「それは無理ね。会長が謝るはずないじゃない」
「じゃあ、受け入れられないな」
「そう、そう」
「それでね。考えたんだけど。あなた達は渋谷会長が困った顔を見れれば気が済むんじゃないかって」
「まあ、それはそうだけど。なあ」
「そうだな」
「でも、そんなことできるの?」
「文化祭が終わったら、使ったベニヤ板とか木くずをゴミに出すでしょ? それを集めて校庭でキャンプファイヤーをして、犯人が捕まらなかったら、結果として渋谷会長の責任になるんじゃない?」
「キャンプファイヤー?」
「そう、キャンプファイヤー」
「それって、やっちゃだめなんじゃない?」
「法律と条例では焼却炉すら禁止されてるわね」
「法律違反、ってことだよね」
「そう。法律違反」
「そんなことして大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないから提案してるのよ」
「バレたら退学になるんじゃ?」
「だから、バレないようにするのよ」
「どうやって?」
「文化祭で使った木材とか紙を、それとなく校庭の真ん中に集めて、気づかれないように火をつけるの」
「気づかれないように?」
「そう。犯人を特定できないように、有志のみんなはバラバラに木くずを持って行く」
「それから?」
「その中には灯油を湿らせた布切れとか新聞紙も入れておいて」
「「「入れておいて?」」」
「火をつける」
「「「火をつけるっ!」」」
「そうっ! ぼうっと燃え上がる」
「「「燃え上がる!」」」
「「「きゃっほー!」」」
「渋谷会長は責任を取って辞任するかもしれないわね。でも、どうせ任期はもう終わりだから、特に問題はないでしょ? それに、これでみんなの気持ちも晴れるんじゃない?」
「まあ、そういうことなら」
「いいけど」
「そうだね。会長も真面目すぎるだけなんだし」
「俺達もやりすぎたしな」
「いいよ。それで」
「ありがとう。みんな」
一方、渋谷会長は、運動部の部長を集めて文化祭の警備を依頼する。
「文化祭で、文化部の連中が大人しくしてるとは思えないんだ。運動部には交代で警備をお願いしたい」
「俺達はクラスの出し物もあるんだぜ」
「そう。そんな時間はないよ」
「部活も久しぶりの休みなんだ」
「文化祭を見てまわりたいしさ」
「文化祭が終った後で、来年の予算編成の話をしたいんだが?」
「それを早く言ってくれよ」
「会長、俺達は味方だぜ」
「風紀を守るのは大切だからな」
「時間を決めて交替ですれば、大した負担じゃないしな」
「任せてくれよ」
「そう。体を使うことなら俺達の出番だ」
「そう言ってくれると思ったよ。みんな、ありがとう」
そして、文化祭当日の第2幕が始まる。舞台には、目黒副会長と神田書記。
「神田さん、校内を運動部の人達がグループを組んで歩きまわってるようだけど、何か聞いてる?」
「目黒副会長、渋谷会長が運動部に警備を依頼したみたいなんです。何か問題が起きるのを心配してるんですね。会長らしいというか」
「そうなの? 会長もそろそろ任期満了なんだから、おとなしくしていればいいのに」
「運動部の部長達、張り切ってましたよ。文化祭後に補正予算が組まれるからって」
「補正予算?」
「会長の最後の仕事らしいですよ。今まで切り詰めた分を一気に放出するとか」
「それには、文化部の分もあるのかしら?」
「さあ? でも、会長と文化部の今までの関係を見ると、見込みは薄いですね」
「これは、任期満了前に辞任してもらわないと、取り返しがつかないことになるかも……」
「何か言いました?」
「ううん。なんでも」
キャンプファイヤーを仕掛けるにもタイミングが大切だ。早すぎると警備をする運動部員の邪魔が入るし、遅すぎると人がいなくなる。
そこで、目黒副会長が考えたのは、文化部員を使った陽動作戦。
校内のあちこちで、喧嘩をしてみせたり、爆竹を鳴らしたり。
右往左往する運動部員。
「チクショー。何なんだ。あっちで喧嘩、こっちで爆発。行ってみれば何もないし」
「なんか、バカにされてるみたいだ」
「まあ、俺達が出張ったから事なきを得た、というところじゃない?」
「本当にそうならいいんだけど」
「心配するなよ。何かが起きてそれを止めるためにケガしたなんて嫌だろ? 大会も近いんだし」
「「「それもそっか〜」」」
「「「だよな〜っ!」」」
そのセリフに、ずきりと胸が痛む。
俺が書いた台本なのに、演者の笑い声が心を抉ってくる。……たぶん、みんなもそう。舞台の上の笑顔が固い。
場面は変わり、目黒副会長と文化部員。
「終了時間の5分前に、陽動部隊はもう一度騒ぎを起こして。残りのメンバーは、文化祭終了の鐘が鳴ったら、一気に木を組んで」
「それは、いいんだけど、目黒副会長」
「何か問題が?」
「肝心の火は誰がつけるんだ?」
「俺はいやだぞ」
「わたしも」
「うん。さすがにそれは」
「犯罪だしね」
「バレたら退学……」
「それに加えて廃部もあるかも」
「それは嫌だ〜」
「でも、ここまでやったのに?」
「じゃあ、あんたが火をつければ?」
「それは、ちょっと」
「ここでやめたら会長に仕返しできないよ」
「それでも、退学に釣り合ってないし」
「うん。ここまで引っ掻き回したんだし」
「よくやったよね」
「なんだ? それ」
「ここまでやって、日和るのかよ」
「そんなこと言っても」
「もう、引き下がれないとこまできてるんだ」
「バカじゃないの? そんな一時の感情に振り回されて」
「それを言うなら、計画の段階で言うべきだったな」
「そう、覚悟して始めたことだろ?」
「そんな〜」
「わたしがやります」
「「「目黒副会長〜っ!」」」」
「わたしが火をつけます。元々、わたしが言い出したことだから」
「う、うん。そうだよね〜」
「私達のリーダーなんだし」
「それで、俺達の仕返しになるのか?」
「だって、しかたないじゃないっ!」
「そうよ。誰もやりたがらないんだから」
「喧嘩はやめてください」
目黒副会長まわりを見まわす。
「目黒さん、つかまったら、退学だよ〜」
「危ないよ。やめようよ」
「そうだよ。いつも、渋谷会長のことを悪く言ってる人がやればいいのよ」
「それは、俺のことかっ!」
「誰もあんただなんて言ってないでしょっ! 被害妄想、乙ぅ〜」
「でも、ほかにいないよな」
「おいっ!」
「なんだ? 口だけ男っ!」
「やるなら、こいよっ!」
「その勢いで火をつけたらどうなんだ?」
「じゃあ、お前にできるのかよっ!」
「やめてっ! もう、仲間割れはやめて。……お願いだから」
「わたしがやるって言いましたよねっ!」
「「「目黒副会長……」」」」
「もう言い争いはいいでしょ? わたしが火をつけるから……ただ、お願いがあるの」
「なにっ?」
「何でもするよっ!」
「目黒さん一人に責任を負わせないから」
「ありがとう。やってほしいのは、火をつけたら、すぐに立ち去るから、火が大きくなるタイミングを見計らってみんなでキャンプファイヤーのまわりに集まってほしいの。野次馬のように」
「わかった」
「それくらいなら」
「目黒副会長、悪かった。見苦しいところを見せて」
「じゃあ、木くずを運び込む手はずについて、打ち合わせを始めましょうか」
「「「「よろしくお願いしますっ!」
暗転して、声がする。暗闇の中、第3幕が始まる。
「火だーっ! 校庭で火が燃えてるぞーっ!」
「いや、あれは、キャンプファイヤーだっ!」
「一体、誰がっ!」
「今は、そんなことより、火を消さないとっ!」
舞台が真っ赤に照らされる。
「「「「「わーっ!」
「人が集まってて火が消せないっ!」
「やつら、楽しんでるんじゃないのか」
「そういや、そうだな」
「大した火じゃないし」
「そうだな。いつでも消せそうだ」
「俺達も行こうぜ」
「ああ、見てると、楽しそうだ」
「一緒に騒ごうぜ」
「おーい、俺達も入れてくれーっ!」
暗転した舞台の中央にスポットライトがあたり、渋谷会長が独白を始める。
「これは、俺のせいなのか? 俺のやり方に不満があって、こんなことをしたのか? 確かに俺は厳しすぎたかもしれない。でも、楽しいだけが学校生活じゃないはずだ。規律を重んじ、枠にはめられた中で、人に迷惑をかけない限られた自由を謳歌する、それが学生生活なんじゃないのか?」
「それは、違います」と目黒副会長にピンスポットが当たる。
「目黒副会長っ!」
「これはただ渋谷会長に不平不満があったから起きたわけではありません。世界は常に変わり続けている。その理からは、学校という小さな世界でさえ抜け出すことはできません。渋谷会長への不満はそのきっかけにすぎないんです」
「だからといって、こんなことをして何になるっ!」
「自由とは、体制に対する反乱です。規制された枠からはみ出ようとするエネルギーと言い換えてもいいかもしれません。いつしかたまった不満は必ず爆発します。それを抑えることなど誰にもできません。人の欲望は果てしない。それは、遺伝子に組み込まれた神の領域であって、誰にもコントロールなどできないのです。ふとしたきっかけで、規律は崩れ、秩序は乱れます。けれど、やがて、新しい秩序が生まれて人々はその中に組み込まれていく。それが、世界のあり方です」
「新しい世界を作るために壊す? そんなばかな」
「人は昔からそうしてきたんですよ。渋谷会長。本来、お祭りとはそういうものでした。一見、無駄のように思える大量消費、それは、秩序の破壊と再生を意味しています。そもそも、人類の歴史がそうでした。現存する世界最古の国と言われている日本にしても、同じ血筋の皇室が続いているというだけであって、政治の担い手は次々と変わっていきました。今の体制の起源を終戦に求めるのか、明治維新に求めるのか、人によって違うかもしれませんが、そのどちらも、それまでの秩序を破壊した瓦礫の上に再生されたものです。渋谷会長は日本史でそのことを学んできたのではありませんか」
「それとこれとは違うっ!」
「同じですよ。人という生き物は、進化だろうが、退化だろうが、いつまでも同じ場所にとどまってはいられないのです。そのことは、いまだに戦争という解決方法から逃れることのできない人間の性が証明しているとおりです。これは、ヒトという種の限界なんですよ」
「俺はそうは思わない。話せばわかる。壊すのではなく、作った文化に、さらに積み重ねていく。そういう時代がきっと来るっ!」
目黒副会長はゆっくりと首を横に振る。
「繰り返される破壊と創造。人はそうやって歴史を紡いできました。渋谷会長が悪かったわけではありません。皆が、現状に留まることに耐えられなくなっただけなんです」
「俺が正しいと思うことは、みんなからすれば都合の悪いことで、頑張れば頑張るほど孤立していく。それには気づいていた。だけど、そんなことで俺が妥協したら、すべてが水の泡になる。俺がしてきたこと、先輩達がつないできたこと。それを否定されて、受け入れるなんてできるわけがない」
「それでいいんですよ、渋谷会長。受け入れるか受け入れないかは、気持ちの問題です。無理することはありませんよ。この学校生活が渋谷会長の世界のすべてというわけではないでしょう?」
「だとしても、残念でならない」
「渋谷会長、それでも、わたし達は同じ大地の上で生きる仲間です。皆が同じ空の下で生きています。誰も一人ではないんですよ」
「そうなのか。いや、そうだったな。……それに、もう止めることはできなさそうだ」
「これから、どうしますか?」
「とりあえず、一緒にキャンプファイヤーを見に行かないか? みんな、楽しそうだ。
俺は、本当は、あんな顔を見たかったはずなんだ。
……それが終わったら、職員室に行って先生に謝るよ。あとは、不始末の責任を取って辞任かな? 生徒会長になったころは、こんなことになるとは思ってもいなかった。生徒会長をしている間、つらいことばかりだった。だけど、これで終わるとなって、やっと、面白いものが見られたと思う。
……人生が、とても面白いものだということが、やっとわかった気がするよ」
「渋谷会長」
「なんだ?」
「人生とか。……まだ、18なのに。ジジくさい」
「ほっとけっ!」
「職員室に行くときはお供します」
「すまんな。……それから、今までありがとう」
「こちらこそ」
「じゃあ、行こうか。今期生徒会の最後の仕事だ」
「はいっ」
「ああ、そうだ」
「なんでしょうか?」
「君は皆を焚き付けることで、鐘を鳴らしたんだな」
「鐘、ですか?」
「そう。鐘だ。世界が変わる、その瞬間の鐘の音。それは、誰かのためではない」
「それは、イギリスの詩人、ジョン・ダンの詩ですね? タイトルは、たしか、誰がために鐘は鳴る」
俺は一歩前に出て、観客に向けて言う。
「そう。……だから、その鐘の音を聞いても、どうか、問わないでほしい」
目黒副会長が俺の隣に立つ。
「あの鐘は誰のために鳴っているのかと」
最後の言葉は二人で合わせて。
「「それは、すべて、聞く人皆のために鳴っているのだから」」
鐘が鳴り始め、深々と頭を下げた俺達に拍手がおくられる。カーテンが左右から閉まっていく。
「終わったな」
「終わったね」
暗幕の裏からスタッフが出てきて、俺の手を握った。肩を叩くやつもいる。ステージ袖から出てきたクラスメイト達が、俺達二人を取り囲んだ。声を殺して喜んでいる。劇の評価はともかくとして、やりきった。
「おい、拍手が終わらないぞ」と誰かの声がした。「どうする? 時間も押してるし、軽音楽部の準備もあるんだぞ」とあたふたした声もする。
「こんなとき、いずみがいてくれたら」
その声に、俺は意を決した。
「カーテンコールをやるぞ」
「カーテンコール?」
「誰か、幕を開けてくれ。他の者はこのままで。幕が開いたら右手を胸に当て、1、2、3で一斉にお辞儀をする。最初に左方向、次に右方向、最後に正面。頭を下げたまま幕が閉まるまでキープ。いいなっ!」
「「「「「「「了解っ!」
すぐに幕が開き、俺達は一度胸を張って、客席を見回し、右手を胸に当てる。
拍手が大きくなる。
1、2、3。
左を向いてお辞儀をする。
右を向いてお辞儀をする。
正面を向いて深々とお辞儀をする。
歓声と拍手が響く中、再び鐘が鳴る。カーテンが引かれて中央で閉じ、そして、俺達の劇は終わりを告げた。
❏❏❏❏
俺達が片付けを終えた頃、大原から電話がかかってきた。
『劇、大喝采だったんだってね。優子が興奮して電話してきた。ありがとうね』
「……そうだったな」
『どうしたの? あんまり喜んでないね』
「いや、そんなことは」
駅伝はどうなった? なんてことは聞けない。
そんな俺の心配を察したのか、『残念ながら6位には、全国には届かなかった』と自分から告げてきた。
「そうか」としか言えない。慰める言葉が見つからない。いや、そもそも慰めていいのかさえわからない。
そんな俺に。
『ねえ、海が見えるところを知らない?』
「海? 今から? 行くつもりなのか?」
『うん。今から行く』
時計は3時を過ぎている。これからどこへ向かおうと、夜の暗い海しか見えないはずだ。そもそも、青い海なんて、東京には存在しない。あるとすれば、伊豆諸島だけ。
「東京の海なんて汚いぞ。ゴミが浮かんでるということじゃなくて、黒い色をしてる。隅田川なんてヘドロの色だし、湘南の海だって足をつけるのを躊躇するくらいだ」
『それでもいいよ。近場に浜辺とかないの?』
「今どこにいるんだ?」
『浮間舟渡駅』
それって、駅伝大会の最寄駅じゃねーか。隣の駅は埼玉県。
その昔、「海なし県の埼玉にも『海』を」という意味不明なキャッチフレーズで水上公園を設置し、「埼玉のどこが不満か」と聞かれた県民の10人中10人が「海がないところ」と答えるという、他にも海に面していない県がいくつもあるのに、ことさらに、我こそが「海なし県」であると胸を張って主張するクレイジードリーマー。縮めるとクレーマー。
埼玉県民に海の話を振ってはいけない。延々と愉快な自虐ネタを聞かされるハメになるから。面白いけど、笑っていいのか困ることになるから。
……それにしても、近場の浜辺か。
東京でビーチといえば、お台場海浜公園か葛西海浜公園。
近いのはお台場海浜公園だけど、そこは、海の向こうにレインボーブリッジと港区の高層ビル群が立ち並ぶおしゃれで有名なデートスポット。大会で敗退したばかりの大原が行きたいところじゃないはずだ。
大原が見たいのが、夕日とか海の彼方なら、葛西海浜公園がいいだろう。時間的にもギリ間に合うはず。
名前で間違えないように、あえて、駅名を告げる。
「なら、葛西臨海公園駅はどうだ? そこからなら1時間で着ける。埼京線に乗って池袋で有楽町線に乗り換え、終点の新木場で京葉線の各駅停車に乗ったら次の駅だ」
『わかった』
「俺も行くよ。新木場駅のJRの改札で待ってる」
『そんな、いいのに』
「夜の海は危ない。一人では行かせられないからな」
『心配しなくても大丈夫だよ』
「いや、俺も行くから」
『そう。ありがとね』
「じゃ、新木場の改札口で」
『うん。新木場で』
通話が切れると同時に、俺も教室を飛び出す。新木場なら、ここからのほうが近い。山手線に乗り、大崎駅でりんかい線に乗り換えれば、終点の新木場までは40分。それでも、何があるかわからない。俺は駆け足になって先を急ぐ。
❏❏❏❏
新木場で合流した俺達は、JRに乗り換えた。
長い鉄橋を渡る対岸から観覧車が西日に反射して輝いている。
葛西臨海公園にあるこの観覧車は、高さ117メートルという今のところ日本一高い「ダイヤと花の大観覧車」。
この観覧車に乗って上空から周囲を見渡すと、東に東京ディズニーリゾートと房総半島、南に海ほたる、西に東京ゲートブリッジ、東京タワー、レインボーブリッジ、そして富士山、北に東京スカイツリーと都庁が見渡せるらしい。
富士山なんて、東京のあちらこちらから見えるわけだから、あえて見えるなんて言うほどのことじゃないと思うんだけど。
たとえば京王線の京王八王子駅の一つ手前の北野駅のプラットフォームの端から。たとえば都心から三鷹に向かう東西線の吉祥寺駅の少し手前の車窓から。
白い山が見えるんだ。それはもう、数百メートル先に白砂が円錐形に積まれているように。
東京に富士見っていう地名が多いのもよくわかる。
葛西臨海公園駅のプラットフォームの西の端に立っても、それは見えるのだから。
葛西臨海公園駅は、新木場駅からは長い鉄橋を渡ってすぐのところだ。駅の目の前から公園が広がっている。
園内には水族館があり、サメやマグロのほか、ペンギンが飼育されている。水族館から少し離れたところには、渓流を模した川の流れの中、淡水魚が泳ぐのを半地下から水中を覗ける場所もあったはず。
駅からメインストリートを南に直進して葛西渚橋を渡ると、葛西海浜公園の西なぎさというビーチに出る。
葛西渚橋は5時で閉鎖されるから、それまでには戻らなければならない。もっとも、柵を乗り越えることはできるけど。
そうして。
俺達は、砂浜に立ち、太陽が沈んだ後の西の空に残る淡い橙色と雲の濃い灰色が、宇宙の青藍色に追われていくのを眺めている。
夕日が沈んだ都心方面は、建物のシルエットが地面から黒く染め上がり、点々と灯りがつきはじめている。
大原は、そちらには目もくれず、海に向かって両手を胸に組んでいる。南の空に何かを祈るように。
頭を下げたその姿は、何かを弔っているようにも見える。
俺は、その姿から目をそらして、遠く海の彼方に目を向けた。ずっと先、沖合に光るのは、海ほたるだろうか。その真偽を確かめるすべはないけれど。
今日、彼女の希望が一つ死んだ。
大原のだけじゃない。戦って負けた多くの選手の夢も今日死んだ。
勝負だから、勝つ者がいれば負ける者がいる。当たり前のこと。
それは、ありふれた高校生活の一場面かもしれない。3回あるチャンスの一度だったかもしれない。いや、実力さえあれば、いくらでも巻き返せると言う人もいるのだろう。
けれど。
明日のことなんてわからない。次があるなんてただの慰めだ。今日この日に賭けていた大原いずみの夢は、間違いなく今日死んだ。戦う機会を失うという形で。
誰かの夢が死ぬ。それが誰のものであろうと、世の中から希望が少し損なわれたことを意味している。
それを弔わなければ、次に進めない。今日を諦め、昨日を終わりにしなければ、明日を迎えられない。
俺はどうだろうか。
俺は、大原いずみが好きだ。
俺の希望は叶うのだろうか。
だけど、今はその言葉を口にできない。いや、告白ならすでにしている。大原にその気がないだけだ。俺がこの関係に満足してしまっただけだ。
つまりは、にっちもさっちもいかないデッドロック。もしかしたら、来年の今頃もこうやって、一緒に海を眺めているだけの関係かもしれない。
それでも。今は離れずにいたい。チャンスはきっとくる。そう信じたい。
「ねぇ、劇のタイトル。なんで、『誰がために君の鐘は鳴る』、だったの?」
大原が突然聞いてきた。
「劇のストーリーはヘミングウェイの小説を模してるし、劇中では、ジョン・ダンの詩も引用してるけど、意味が少し違うよね」と笑いながら問う。
「小説の『誰がために鐘は鳴る』は、自分のために行動するのではなく、誰かのために命をかけて行動する物語だ。そのテーマから、ヘミングウェイは、ジョン・ダンの『瞑想録』の中の特に有名な17番目の一節を、自分の小説の題名とした。
戦場では誰かが死ぬ。その人のために鳴り響く鐘の音は、戦火に斃れた者のためだけに鳴るわけじゃない。それを聞いた者すべての人のために鳴るのだという意味を込めているらしい。
だけど、その鐘の音を聞いている人は、それが自分のために鳴っていることに気づいていない。それでも、鐘は聞く者すべてに知らせている。
今日、あなたの、そして私の一部が喪われたのだと。
だから、詩人は言うんだ。
問わないでほしいと。君が鳴らしてきた鐘は、誰のために鳴っているのかとは。
それは、すべて、聞く者、皆のために鳴り続けているのだから。
……まあ、そんなところ」
大原は、この言葉の意味をわかってくれただろうか。この劇に託した俺の感謝の気持ちに気づいてくれただろうか。
だけど。
「そうなんだ。てっきり、90年代の古いアルバムのタイトルから借りてきたのかと思ってた」
そう言って大原は笑う。
俺は渋い顔を見られまいと背を向ける。
それだけで通じたようだ。
大原がささやくように口ずさみはじめた。
「♪鐘が鳴〜ってる〜」
俺達が生まれる前、二十年以上も昔、いや、はるか昔から鐘は鳴らされていた。
けして、ラブソングじゃない。
無慈悲な現実を突きつけるハードな詩。
それなのに、スローバラードに乗せてこいつが歌うフレーズは甘く、祈りのように聞こえてくる。
まるで今日を弔うかのように。
寄せては返す波を見ながら、俺は、母が大切にしているCDのブックレットに引用されているジョン・ダンの詩を思い浮かべていた。
"For Whom the Bell Tolls"《誰がために鐘は鳴る》の訳詩を。
これは、その詩人が訳した詩に触発されて、大原、お前のために作った訳詩だ。いつか、伝えられる日がくればいいと思う。
No man is an island, entire of itself;
《君は絶海の孤島ではない》
every man is a piece of the continent,a part of the main.
《誰もが大陸のひとかけらで》
《大河の一滴だ》
If a clod be washed away by the sea,
《もしも海に洗い流されたなら》
Europe is the less,
《大地は削られてゆく》
as well as if a promontorywere,
《それは、まるで岬が波に削られていくように》
as well as if a manor of thy friend's or of thine own were:
《それは、まるで君の友人や君の希望が波に流されていくように》
any man's death diminishes me,
《誰かの死も君を削っていくのだ》
because I am involved in mankind,
《なぜなら君も俺も人類の一人》
and therefore never send to know
《だから問わないでほしい》
for whom the bells tolls;
《誰の死を弔ってその鐘は鳴るのかと》
it tolls for thee.
《鳴っているのは君のためだから》
John Donne Meditation XVII. "Devotions upon Emergent Occasions"
《ジョン・ダン瞑想録17番
「死に臨んでの祈り」》の一節から。
「もう帰ろうか」
大原の声に、俺達は浜辺を背にして歩き始めた。
時刻はもうすぐ5時。葛西渚橋の入り口が閉鎖される時間だ。俺達はしっかりした大地とつながる橋へと向かう。
人工の明かりがきらめき、砂浜を白く照らしている。
濃い灰色だったはずの雲は、青黒く染まった空の下、白さを取り戻して浮いていた。
一 おわり 一