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第26話 そのランナー、愛される者につき

 台風27号の影響で雨の日が続いている。


 もう、三日目だ。


 それは、大原についても言えることだった。


 病院からの清水の一斉メールによると、大原の捻挫は大したことはないという診断結果だったが、結局、あれから学校には登校してきていない。


 俺の立場も微妙な感じだ。


 大原いずみの彼氏と言ってもいいのか、ちょっと違うんじゃないのか、まあ、そんなところ。


 課外活動での悪目立ちからか、俺への接し方に困っているのがよくわかる。


 大原いずみが選んだ男なら信頼したいけど、こいつは、すきを見て女子の唇を奪うような卑怯で油断ならないやつだと。


 俺がクラスで示した実績など、大原の活躍の前ではゴミ同然で、むしろ、犯罪者のレッテルを貼るかどうか迷っているところだろう。


 自業自得とはいえ、なんか悲しい。


「悪いやつではないんだよな〜」「いいところもいっぱいあるんだけどね〜」と言われて、残念な目つきを向けられ、勉強会を通してやっと築いた信頼とか、友情といったものを、すべて台無しにしてしまった。


 一言で言うなら、何を考えてるかわからない、危ないやつ。


 それでも、大原が登校して普通に接してくれていたら俺への扱いも違ったはずなんだ。


 クラスの皆とは、劇の稽古があるから、それなりに会話はあるけど、親しく話をすることはなくなった。


 勉強会も文化祭が終わるまで休止しているから、仲良くなった女子達と話をすることもない。


 男子達の呼び方も「山崎」から「山崎くん」に変わった。


 それが、俺を恐れているからではないと信じたい。……俺は、男の唇を奪ったりはしないぞ。


 ちくしょう。こんなことなら、あのとき、女子達の罵声ばせいひるむことなく、キスしておけばよかった。


 大原は、うわついた噂を嫌って、俺を隠れ蓑にしようとしている。二人きりでなら無理だけど、人前で迫ったならキスくらいはオーケーしてくれたはずなんだ。


 たぶん舌を入れるのはNGだけど。


 孤立しているのか、そうでないのか、微妙なまま、俺はこの三日間を過ごしている。

 

 平穏といえば平穏だが、なんだか居心地が悪い。


 俺にとっても、大原がいないだけで、見知らぬ教室のようだ。


 こんなふうに人恋しく思うのは、何年ぶりだろうか。大原のお陰で、俺のまわりは変わり始めている。いや、俺が変わりつつあるのかもしれない。


 だからといって、何をするでもなく、こうして、授業と授業の間、頬杖(ほおづえ)をつきながら窓の向こうに垂れ込める白い雲を眺めて時間を潰しているわけだけど。


 天気予報によると、台風27号は昼過ぎには太平洋上で温帯低気圧に変わるらしい。


 晴れるなら、劇の稽古が終った夕方にでも気分転換に渋谷に寄りたい。映画でも観て気を紛らわせないと息が詰まりそうだ。


 今日、10月26日は、魔法少女の叛逆の物語 the Movie の公開初日だ。


 大原も絶対に好きなはずなんだ。だって、調理実習室での焼肉パーティーのとき「クラスのみんなには、内緒だよっ!」って、いい顔で言っていた。


 ファンじゃなきゃ言わないセリフだと思うんだ。……俺の勝手な思い込みじゃなければだけど。


 二人が好きな作品の新作映画を観て親睦を深める。映画の後、喫茶店で映画やまど☆マギの話に花を咲かせて距離を縮める。


 趣味に特化した共通の話題で、大っぴらにできない互いの秘密を分かち合い、結果として、親密さに拍車がかかる。


 最初は、そんなふうに考えて、文化祭が終わったら、大原を誘って行ってみようと思っていた。


 だけど、足を捻挫して予選会を欠場する今となっては、とてもそれどころではないだろう。


 せっかくの共通の趣味なのに、無理やりつきあわせて、心ここにあらずといった顔でスクリーンを見つめるあいつの姿を見ているなんて、俺には堪えられない。


 走れなかった。


 そのことが大原にとって、どれだけの意味があるのか、見ていれば俺にだってわかる。


 次があるよ、なんて無責任なことは言えない。ないかもしれないじゃないか。次なんて。


 胸ポケットにしまったチケットを服の上から押さえる。


 2枚買ったムビチケだけど、無駄になることはない。2回見ればいいだけのこと。


 しかも。


 大原には大原の都合がある。陸上部のこと、生徒会のこと、それに一か月後には期末試験が待っている。俺の都合を押しつけるわけにはいかない。


 デートの約束は、足が完治し、まわりが落ち着いてからでもいい。今年30周年を迎えた東京ディズニーリゾートにでも行ってみようか。


 しかし、今日は10月最後の土曜日。ただでさえ混雑しているのに、ハロウィンの人混みで駅前は大変なことになっているだろう。愚連隊ぐれんたいに絡まれるのは嫌だし、さて、どうするか。


 ちなみに、Halloween をハロウィーンと書くやつがいる。英和辞典では、発音記号が[hæ̀louí:n]となっているから、英語的にはハロウィーンが正解かもしれないが、国語辞典にはハロウィンとあるから、日本語的にはハロウィンが正解だと思うんだ。NHKを始めとする放送局には異を唱えるようだけど。


 だって、tomatoをタメイトゥ、potatoをパティトゥなんて言ってる日本人に会ったことがないし、そう書いた書籍を読んだこともない。……まだ15年しか生きていない俺の言葉だから、重みはないけどね。


 ハロウィーンが正しいなら、タメイトゥ、パティトゥと呼ぶべきだ。したがって、日本語ではハロウィンが正解。


 それにしても、ハロウィンは10月31日のはずなのに、なんでその前から集まるんだろうか。


 しかも、ただ練り歩くためだけに。


 そのことを誰も不思議に思わないのだろうか。……わからん。


 でも、まあ、お店を回って「Trick or Treat」なんて言わないだけマシか。


 そんなことを考えていると、いつの間にか清水と水越が俺の机の前に立って見下みおろしていた。


 二人とも腕を組んで、俺をにらんでいる。


 俺、何もしてないんだけど?


「なんで、あんたはっ!」

「よく平気でいられるわねっ!」


「学校には、来れるのにっ!」

「ホント、死ねばいいのにっ!」


「最低っ!」

「最悪っ!」


 怒涛どとうのツープラトン攻撃に、りそうになる。


「俺、何か、した、のか?」


「何かした、じゃないわよっ!」

「何もしないから怒ってんのよっ!」


 えっ、どういうこと?


「なんで、いずみのお見舞いに行かないのよっ!」

「いずみは、もう三日も学校に来てないのよ。心配じゃないのっ?」


「なんで、俺が?」


「「あんた、いずみの彼氏でしょっ!」」


 あっ。


 今、初めてわかりました。クラスで何となく浮いている理由。そうだね。これは俺が悪い。


 俺の認識と周囲の認識がまったく違うことに、気づいていなかった。


 仮初かりそめにも彼氏を演じるのなら、お見舞いくらい行くべきだった。


 だけど、どうせ隠れ蓑にしているだけなんだからと、メールの一本すら送っていない。


 完全に彼氏失格。

 彼氏じゃないけど。


 この二人が怒るのも無理はない。晴れたら渋谷に行こうとか、俺、馬鹿じゃないのか。何言ってるんだ。


 まるで、奥さんが病気で寝ているのに、「今日、メシ作ってないみたいだから、帰りに食ってきたわ。あと、お前の好きな映画、一人で観てきたから」とか言って、さっさとシャワーを浴びるクズ亭主みたいだ。


 離婚確定のゲス野郎でした。

 ホント、死ねばいいのに。


「ごめん。気づかなかった」


「そういうところっ!」

「いずみも、なんでこんなのがいいのか」


 そんな言葉じゃ足りない。もっと、辛辣しんらつののしってほしい。


 言われなきゃわからないなんて、ただの甘えだ。人として欠けている何かを埋めるために、俺達は、日々人間関係の中で付き合い方を学んでいく。


 面倒くさいからと、コミュニケーションを取ってこなかったこと、孤高を誇ってきたこと、それは、けして美徳ではない。


 俺は、いつの間にか、当たり前のことができない人間になっていた。


 いや、本当に一人きりで生きていくことを覚悟していたなら、こんな思いやりなんて必要なかった。


 他人に近づきすぎた罰なんだろうか。


 違う。


 誰も一人では生きていけない。


 そのことは自覚しなくちゃいけない。


 無人島でたった一人で生きてるわけじゃないんだから。


 だけど。


 まだ、間に合うはずだ。わからないことはこれから学べばいい。足りないところは、これから補えばいい。


 俺は、立ち上がって二人に頭を下げた。


「実は、大原の家を知らないんだ。頼むから教えてくれ」


「えっ、知らないの?」

「彼氏なのに?」


「……渋谷、としか」


「まあ、でも、しかたないか」

「そうだね。ストーカーとか、怖いし」


「そう、性犯罪者だからね」

「うん。危機管理は大切だからね」


 二人とも、仲いいね。


 人は共通の知人の悪口を言うことで仲が良くなると言うけれど、まさに、そう。


 でも、悪口って、陰で言うものだよ。本人の目の前で、しかも、クラスメイト全員が見ている前で言うなんて、もう、公開処刑以外のナニモノでもないんだけど。


 だからと言って、反論できるわけでもない。


「でも、そうなると、いずみの家、教えちゃっていいのかな?」


「そうだね。歩けないいずみに襲いかかる恐れもあるからね」


「大原は歩けないのか?」


「まゆみっ!」

「ごめんっ!」


「……山崎、いずみは歩けるよ。ただ、今はテーピングで足首を固定してるから歩きにくいだけ」


「そう。あんたの自由になんかさせないから」


「俺の自由って、何だよ」


 まさか、レイプするとか思ってんじゃないだろうな? 怒るぞ。いくら温厚な俺でも。


「いずみが眠ったら、キスするんじゃないの?」


 あっ。


「そ、そんなことは……」

「しないの? この前科者っ!」

「するでしょ。この性犯罪者!」


 ……


「答えないってことはそうなんだね」

「やっぱりだよ」


 ……


「どうしようか。うかつにいずみの家は教えられないよね」


「うん。狼に羊の居場所を教えるようなものだからね」


「それを言うなら、女に飢えた男に女の子の寝室のバルコニーを教えるようなもの、でしょ?」


「それより、性欲で目を血走らせた痴漢に水辺で女の子が泳いでることを教えるようなもの、というのがぴったりなんじゃない?」


 クラスメイトが俺を見る目が冷たい。こういう印象操作はやめてほしい。みんな、本気にしてるじゃないか。


「なら、大原に聞いてみてくれ。もしも、見舞いにきてほしくないのなら、俺は行かない。代わりに、お前らが見舞いの品を届けてくれ」


「そうだね」

「それしかないか」


 清水が大原に電話をかける。


「もしもし、いずみ? 今、電話いい? ……うん、稽古はこれから。……大丈夫だよ。今日もまゆみと一緒に行くから。……うん。……それでね。山崎がね、お見舞いに行きたいって言ってるんだけど? ああ、そう、そうなんだ。わかった。うん。大丈夫。じゃあ、後で」


「優子?」


「いずみがね。是非おいでくださいって」


「いいのか?」


「いずみというよりも、お母さんがね。山崎にお礼を言いたいからって」


「お礼?」


「山崎が山道を背負ったことでしょ? あと、崖から落ちたのを助けたこと」


「そっか。なら、しかたないね」


「ということで、山崎、帰りにいずみの家に寄るからね」


「わたし達が連れて行くから勝手に帰らないでよね」


「……ダメな彼氏で申し訳ない」


「いや、わたし達はあんたのこと認めてないから」


「そう。いずみの目が覚めるまでの(仮)(かっこかり)だから」


 本当に申し訳ない。


 俺の彼女(仮)(かっこかり)が、お前らをだまして。


 だって、俺達は本当の彼氏彼女じゃない。大原がそういうわずらわしさから逃れようとしているだけだから。


 だけど、いいのか? 大原。こんなふうに大切に思ってくれている友人までだまして。


 もちろん、俺も共犯者だってことはよくわかってるつもりだけど。


 それでも、人として欠けているところがあるのは、大原いずみも同じだと思わずにはいられない。


 なあ、大原、本当にいいのか?


 ❏❏❏❏


「「こんにちは〜」」


 二人に連れられてきたのは、JR渋谷駅新南口から10分程度歩いた閑静な住宅地にあるマンションだった。


 エレベーターで8階に上がり、インターホンを押して二人してマイクに向かって声をかけ、顔をカメラに向けていると、スピーカーから「は~い」という大原の声がした。


 やがて、鍵を開ける音がして、ドアが開いた。


「ようこそ。待ってたんだよ〜」


 久しぶりに見る大原の顔がまぶしい。


 このまま、抱きしめてしまいそうだ。俺の前に二人の邪魔者がいなかったらだけど。


 俺がドアを押さえ、一人ずつ玄関で靴をスリッパに履き替えて奥へと入っていく。


 最後に「やあ」と声をかけると、「いらっしゃい」と微笑む顔に心がなごむ。


「これ、お見舞いの花」


 途中の花屋で買った花束を差し出す。


「そんなの、よかったのに」


「そんなことより、大丈夫なのか? 歩いたりして」


「うん。念のために大事を取って休んでるだけだから」


 そう言って、サポーターを付けた左足首を見せてくる。


「なら、いいんだけど」


「それより、上がって」


 両手を左右に伸ばせば届くような狭い玄関。


 そこから続く廊下の先、奥にあるドアを開いて清水と水越が俺をにらんでいた。


 早くこい。そうだよね。


 ……俺は、行間だけでなく空間まで読める男。


「……おじゃまします」


 大原に花束を押しつけてスリッパに履き替えた。


 人がすれ違うのがやっとの、左右にドアのある四、五メートルほどの廊下を抜けると、だだっぴろい部屋に出た。


 フローリングの床に、ダイニングテーブルとその奥を仕切るようにソファーセットが置かれている。


 部屋の右側はふすまが4枚。おそらくは寝室になっているのだろう。もちろん、覗く気はないが。


 正面のソファーの後ろの大きな窓には、薄暗くなった空と東京の夜景が広がっている。


 マンションに住んだことのない俺にとっては、すべてが新鮮だ。あの窓の向こう、ベランダに立って、夜景を、あるいは、昼間の街並みを見下みおろしながら、コーヒーでも飲んだら最高だろうなと思ってしまう。


「いらっしゃい。どうぞ。奥のソファーに座って待っててね」


 そう言った女性は、おそらく、大原のお母さん。……なんとなく、胸から目が離せない。


「こんにちは。同じクラスの山崎です」


「山崎くん。ありがとうね。足をひねったいずみを背負って山道を歩いてくれたんでしょ?」


「ええ、まあ」

「大変だったんじゃない?」


「いえ、そんなことは」

「腰を痛めたりしなかった?」


「いいえ。全然」

「そう? お花、ありがとうございます。今、ジュースを持っていくから、みんなと一緒に座って待ってて」


「はい」


 俺は、ダイニングテーブルの横を通って手前のソファーに座る。


 フローリングの上、ソファーの下に敷かれた青いカーペットが、ここから先がリビングの部分なんだと教えてくれる。


 ローテーブルを挟んで向かい側のソファーには清水と水越。右斜め横の円柱型のスツールには大原が座っていた。


「ちょっと、山崎。失礼だよっ!」


 水越がローテーブルの上まで顔を近づけて小声でささやく。


「何が?」


「あんたの視線」と清水がぼそっと。


「人の母親をいやらしい目で見ないで」と大原も。


「おっぱい、好きなのが丸わかり」と水越がトドメを刺してくる。


 えっ? 見たのは一瞬なんだけど? なんでバレてるの?


「そういうの、困るから」と大原がお母さんの方を向いたのに、俺の目もつられる。


 ダイニングテーブルで、背を向けながら何かをしているお母さんのお尻に目が惹きつけられ、そのまま固まること数秒。


「山崎?」


 大原の低い声に正気に戻った。


「あっ、ああ、ごめん。なんだっけ?」


「まだ、何も話してないよ」


「そ、そうだっけ?」


「ねえ、山崎? 崖から落ちたわたしを助けて山小屋まで連れて行ってくれたことには感謝してる。わたしを背負って山道を最後まで登りきってくれたことも、バスまで運んでくれたことも、その前に管理棟のトイレに寄ってくれたことも、とても助かった。ありがたいと思った。でも、それとこれとは話が別だから。お願いだから、わたしのお母さんを変な目で見るのはやめて」


「そんな、俺は」

「俺は?」


「……いえ、なんでもありません。ごめんなさい」

「お願いしたからね?」


「あらあら、楽しそうね。皆さん、いつもいずみと仲良くしてくれて、ありがとう。今、チーズケーキを用意するからもう少しだけ待っててね」と、お母さんがオレンジジュースが乗ったトレイをローテーブルに置く。


 その、ひざまずいてジュースを配る所作に色気を感じて、まじまじと見てしまう。


 女子3人の視線が痛い。


 やめて。本当に違うから。

 そんなんじゃないから。


 それでも。


 お母さんが、切り分けたケーキをそれぞれにサーブし、俺と大原の間の青いカーペットの上で膝をついて座った後、話しかけられるままに答えていると、大原の目がだんだん険しくなっていく。


「山崎。このチーズケーキ、どう? わたしが作ったんだけど」


「これって、砂糖を使ってるよな。うん、おいしい」


「そう? よかった」


 と、大原が俺に話を振るけど、すぐにお母さんが。


「そう言えば、山崎君って、入学式で新入生代表としてあいさつしてなかった?」と話しかけてくる。


 それに素直に答えている俺を見て、正面に座る清水は目を閉じ、水越は食べかけのケーキを前に、持ったフォークが宙で止まっている。


 大原が「来週は文化祭だよね。準備は大丈夫?」と、学校の状況について話しかけてきて、俺がそれに答えていると、お母さんが。


「演劇をするんですって? 山崎君はどんなことをするの?」とか。


「あら、主役なのね。ご両親はお喜びでしょう? 劇を観にいらっしゃるんでしょ?」とか。


「いずみが生徒会に入ったって聞いたけど、上級生と仲良くできてるのかなって、心配しちゃうのよ。山崎君は上級生とお話することはあるの?」とか。


「いずみも人見知りで困っちゃう。こんなふうにお友達が遊びに来てくれて嬉しいわ。学校でもよく話したりするの?」とか。


「異性のお友達って、大切にしなきゃって思うのよ。男の子の考え方、女の子の考え方、両方知らないと、お互いのことがわからないでしょ?」とか。


「東京に住んでいると、便利がよくて活動的になるのね。うちの子も、弟の方なんだけど、秋葉原によく行くのよ。山崎君はどこに遊びに行くの?」とか。


「渋谷と言っても、このあたりは普通の街と変らないのね。大きなデパートとか映画館もなくて。山崎君は渋谷に詳しいの?」とか。


「うちの子は東京に来たらディズニーランドを楽しみにしていたのよ。まだ行けてないんだけど、山崎君は何度も行ってるんでしょ?」とか。


「東京って、外国人が多いわね。話しかけられて、うちの子が困ったりしないかなって、いつも心配してるのよ。山崎君は英語が得意だから平気なのかな?」とか。


 ちょいちょい口をはさんでくる。


 その都度、大原が話を戻そうとするが、俺に、大人を粗雑に扱えるスキルなどない。


 なんなの? この状況?


 お母さんは笑っている。俺もニコニコしながら気分よく話している。だけど、なぜか疲労感が積み重なっていく。


 やがて。


「まあ、もうこんな時間? わたしばかりおはなししちゃったわね。山崎君、ごめんなさい。あとはみなさんで楽しく過ごしてね。いずみ、お母さん、買い物に行ってくるから。そうそう、啓太が塾から帰ってきたら冷蔵庫にケーキがあるって教えてあげてね。じゃ、みなさん、ごゆっくり」


 そう言って財布とマイバッグを持って出かけるお母さんの後ろ姿を目で追いかけてしまう。


 ガチャリ。

 ふぅ〜。


 鍵がかかる音がすると、大原が大きく息を吐いて俺をにらんだ。


「山崎、0点(れいてん)

「な、何が」

「うん。あれはない」

「だめだよ。山崎」


「俺、なんかした?」

「気づかなかったの? あんた、お母さんから、わたしの学校の様子やあんたとの付き合いのことを聞かれて、懇切丁寧こんせつていねいに答えるだけじゃなく、余計なことまで教えてたんだけど」


「えっ? そんな……」


「だって、いずみの足が治ったらデートに誘うって言ったじゃない。ディズニーリゾートに行くって」


「まど☆マギの新作映画、今日封切りだったんだね」


「ムビチケ2枚持ってるんだって?」


「……なぜ、それを」


「「「あんたが、今、言ったっ!」」」


「えっ? いつ?」


「まったく、彼女の母親をいやらしい目で見るだけじゃなく、ペラペラとわたしとあんたの関係まで話しちゃうなんて、さすがに、ドン引きだよ」


「山崎、取り調べを受けてたんだよ」

「うん、いいように喋らされてたね」


 あれぇ?


「キスしたことを言いそうで怖いから、山崎、もううちには出禁できんね」


出禁できん?」


「当たり前でしょ。これ以上、お母さんに心配はかけられないからね」


「俺は心配の種なのか?」


「いい加減自覚してよ。自分が何をしてきたのか。これから何をするのか」


「そうそう。わたしもまゆみも聞いてなかったんだけど」と清水がにっこり笑い、水越が後を引き取る。


「いずみ、山崎とデートする約束してたんだね。……どういうこと?」


「だって、彼氏と彼女だから」


「そこがわからないのよね。コレのどこが……」

「うん。コレが彼氏というのがね」

「二人ともひどいよ。わたし、コレがいいのに」


 ……コレ?


「いずみ、まさか、課外活動のとき、山小屋で、こいつに」


「それは大丈夫。確認したけど痕跡はなかった」


 ……清水、俺達のジャージを取りに行ってくれたのは、親切心からじゃなかったんだな。


 女子達の言いたい放題に、いたたまれなくなる。彼氏(仮)(かっこかり)の役目もとりあえずは果たしたと考えてもいいはずだ。これ以上はもう聞いていたくない。


 この二人を残して先に帰るのがきち


「じゃあ、俺はそろそろ」と立ち上がる。


「じゃ、わたし達も」

「うん。いずみ、お大事に」


 そう言って後ろについてくる二人。


 えっ? なんで?


「ありがとう。二人とも。あと、山崎も。……お願いだから、山崎のこと、責めたり、問い詰めたりしないでね」


「大丈夫だよ。見えるところには傷をつけないから」

「素直に吐けばすぐに帰してあげるから」


 えっ? 俺、一人で帰れるんですけど。


「山崎、わかってるよね」


 そう言って、玄関に立つ大原の目が怖い。その目が言っている。さっさと走って逃げろと。


 俺は、行間だけでなく空間まで読める男。


 今はこのスキルがうらめしい。

 こんなのわかりたくなかった。


 だけど、にがすまいと二人が先に出てドアを押さえて待っている。これは、もう、逃げ場なんてないんじゃ?


「しかたないな。勇気を出して」


 大原がいきなり顔を寄せてきた。


 チュッ。


 柔らかい感触とそれに似合わない大きな音。俺の肩に手を置き、顔を斜めにして唇をついばむ。


 チュッ、チュッ。


 わざと二人に聞こえるように繰り返す。


 そして。


「気をつけて帰ってね~」と軽く胸を押して家から俺を追い出す。


 目の前でドアが閉まり、ガチャリと鍵がかけられた。


 救いの手はない。背中に張りつくオーラは気のせいじゃない。振り返る勇気もなく、俺はその場に立ち尽くす。


 二人が俺の両脇から腕を組んできた。


「駅前にマックがあったよね?」

「カラオケのほうがよくない?」


 時刻はすでに6時を回っている。いや、まだ6時過ぎというのが正しいか。


 どちらにせよ、大原から文字通り口止めをされたというのに、俺は、既に暗くなった道を連行されるしかないのだ。


 取り調べのために。


 見た目には、両手に花だけど。

 なんかもう、生きてるのがつらい。


 ❏❏❏❏


 結局、俺が解放されたのは1時間後だった。もちろん、本当は彼氏彼女じゃないってことは言ってない。


 カラオケが満席で、連れ込まれたマックで尋問を受けている最中に、ゾンビが大挙して押しかけ、店内が騒然としたからだ。


 あ然とする二人を見て、飛び出した俺。ナイス判断っ!


 二人が追いかけてきても見つからないように、渋谷駅を避けて、東横線の次の駅、代官山駅へと向かう。


 距離は1キロちょいだから、時間もそんなにかからないはず。むしろ、混み合っている渋谷駅のホームで、電車に乗れずに待っている時間のほうが怖い。


 公共の場所では、誰もが女子高生の味方だ。俺を見つけたやつが、指差して「きゃ〜」とか「つかまえてぇ〜」と叫ぶだけで、痴漢かスリと間違えられて正義の名のもとに取り押さえられる未来が目に浮かぶ。


 俺の身柄を引き渡した後で「こいつ、彼氏なんですぅ〜。知らない場所にわたしを置いて逃げたひどいやつなんですぅ〜」とか言えば、まわりは納得するし、自分への同情と俺へのさげすみで、やつもホクホクだ。


 やばい。


 行間と空間のほかに先の時間まで読めるようになってしまった。過酷な環境が生物を進化させるというのは、本当のことだったのか。


 うん。進化論的には間違ってるけどね。


 だけど、まあ、いい。


 俺は自由だっ!


 すきをついて逃げ出したあのタイミング。ゾンビに感謝。われながらよくやったと、ステップを刻む。


♪マックにつどうは まるで死者。

 土曜のハロウィン 告げる使者。


♪何があったか 知らないけれど、

 こんなところで ゾンビと遭遇。


♪お陰でオレは 逃げられた。

 残した二人にゃ 悪いけど。


♪言ってはいけない こともある。

 キスで封じたから じゃない。


♪親友続ける つもりなら、

 告げる役目は 本人のはず。


♪けしてデートを するまでは、

 メリットないとか 思ってない。


♪だけど今日見た 大人のやり口、

 してやられたと 今ならわかる。


♪言葉巧みに 油断を誘い、

 隠してること 喋らせる。


♪大人の色香に 気を取られ、

 調子に乗ったが 運の尽き。


♪誘導もくろむ 言葉の裏に、

 散りばめられてた 疑惑の数々。


♪娘を心配 当たり前でしょ。

 対するオレは ナニ様。


♪そんなことにも 気がつかず、

 ガードを下げて 探られ放題。


♪大原ママに 答えた数々、

 聞かれるままに 話すバカづら


♪初めて会った はずなのに、

 信頼失墜…… 損なわれていく……


♪そんなことにも 気づきもしないで……

 いい気になって……


 ……やめた。虚しい。


 立ち止まり、大きくため息をつく。


 自分の愚かさを呪いたい。いや、未熟さといったほうが正しいか。


 まったく気づかなかった。


 あの笑顔に隠された修羅の存在に。


 ちょっと考えればわかりそうなものなのに。母親が娘の男友達を家に呼ぶということの意味。


 あげく、情報をさらけ出して大原に心配をかけた。キスしたことは言わなかったけど、今日のが尋問だとすれば、感じたあの疲労感の正体は、いいかげんな付き合いは許さないという圧力だ。


 それは、娘を心配する親なら当たり前のことかもしれない。


 むしろ、問い詰められなかったのは、俺や大原への温情だったのかもしれない。


 しかし。


 あの優しい笑顔で、間違いなく釘を刺された。そのことが、今ならわかる。


 何を言うでもなく、責めるでもなく、質問しながら圧を加えることで、俺が踏み出そうとする一歩を封じ込めた。


 今、俺は初めて大人を怖いと思っている。


 親は自分の子供のためなら修羅になれるということを知った。その守ろうとするかたなで、自分の子供を害そうとする他人の子供を容赦なく斬り捨てるのだろう。


 知識や経験、人生で積み重ねてきたものは、大切なものを守るためにある。


 そのことを、今日、大原のお母さんから学んだ。


 だけど、それだけじゃない。


 大原は、お母さんに大切にされている。


 そのことが、なぜか、うらやましかった。


 俺にだって、親はいるのに。


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