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第22話 そのランナー、先導する者につき

 やりきった〜っ!


 10月14日月曜日、中間試験が終了した。


 もちろん、採点はこれからだし、学校の試験とは、そもそもが理解度の確認に過ぎない。


 ここで誰かに勝ったことが何かを保証してくれるわけでもない。


 だけど。


 精一杯やりきった。


 具体的に言うなら、初見の問題がなかった。時間に余裕があった。ケアレスミスがないか、何度も確認した。


 現時点で言うなら、負ける気がしない。


 そんな俺に対するご褒美は、女子達が作ってきたお弁当だ。


 昨夜、清水からメールがきて、今日の午後は劇の稽古があるから、お昼はお弁当を用意すると伝えられたのだ。


 クラス全員分を用意するわけだから、俺のためというわけじゃないけど、俺にとっては、前祝いみたいなものだ。


 だって、頑張ったからね。


 それだけは、誰にも負けないと鼻息を荒くしていたら。


「やっべ。今回、俺、全教科満点かも」という声が聞こえてきた。


 なんだと?


 しかも。


「俺も、俺も」「だよね」「うん。簡単だった」「間違えようがないよね」「猿でも解ける」


 さすがに、猿は言い過ぎだ。


 でも。


 これって、満点の自信があるのが俺だけじゃないってことだ。たしかに、みんな頑張っていた。放課後の勉強会にはクラスの全員が参加した。互いに教えあって、わからないところを潰していった。


 その中で、俺にも友達が増えていった。女子だけじゃなく、男子も。もう、木本のことを木村と間違えないし、木村のことを木本とは言わない。上村かみむらのことを上村うえむらと呼ぶこともない。


 俺のことを、陰で「もっこり」と呼んでいたことを、男子の皆から謝られた。夏休みのホテルのプール。その更衣室で、黒のビキニブリーフ越しに見えた存在感からそう呼ばれていたらしい。


 俺としては、謝られても困ってしまう。むしろ、知りたくなかった。……というか、知らないうちに黒歴史が増えてんじゃねーかっ!


 でも、互いに苦手な科目をさらけ出し、勉強を教え合うことで、距離が近くなった。


 それもこれも、クラス全員がたった一人のライバルを追いかけるという共通の目標から生まれたものだ。


 目指すべきライバルは、いつも目の前にいる。


 特に何かを言うわけでも、指し示すわけでもない。ただ、まっすぐ教科書と問題集に、そしてときどき辞書に向き合って、黙々と自分のサブノートを作っていくだけ。


 そうして、俺達の視線に気づくと、恥ずかしそうに微笑むんだ。


 その、はにかんだ笑顔に、俺達は、彼女の隣に並び立ちたいと強く願った。


 その背中を追いかけ、いつの間にか一緒に走っていた。


 大原いずみとともに走る。


 そのことに夢中になっていた。勉強をするということが、こんなにも楽しい。


 たぶん、俺達はランナーズハイになっていたんだ。


 そうやって、一つの節目を乗り越えた連帯感がある。


 学校の成績は、勝ち負けを決めるためのものじゃない。あくまで自分の達成度、次の目標を定める指針とするためにある。


 なのに。


 勝ち負けという現実の中で、達成度とか目標を置き去りにし、点数を、順位を、優劣だけを追ってしまう。


 それらだけを見て、満足し、絶望し、足りない何かを振り返ることをしなくなる。


 その結果、成績が上がった下がったということに一喜一憂し、基礎学力の定着という大切な目標を忘れてしまう。


 そして。


 この成績が大学入試に直結しない現実の前に、混乱が生まれる。


 入試問題には、大学ごとに傾向と対策というものがあるのだから、と。


 それを口にするのは、ただの言い訳であり、逃げ道に過ぎないのに。


 それでも、その口実は、点数と順位に満足した者を不安におとしいれ、そうでない者に安堵をもたらす効果がある。


 だが、こと勉強において、知らないことを知ろうとするのに、無駄なことなど何一つない。


 地道な努力の先、着実な歩みの果てにしか、目指す場所はないのだから。


 そんな当たり前のことすら、俺は忘れていたんだ。


 入学式で、新入生代表として挨拶したことでいい気になっていた。特進クラス生という閉ざされた競争社会の中で、優越感に浸っていた。


 それを、大原いずみが目を覚まさせてくれた。


 いや、俺だけじゃない。


 今、このクラスの全員が目標としたのは、誰かに勝つことじゃなく、満点を目指すことだ。


 順位も優劣も関係ない。


 戦った相手は、試験問題そのもの。


 教科書も、問題集も、自分達で作り上げたサブノートも、すべては満点を目指すためにある。


 試験問題の正答はいつだって俺達の手の内にあるのだから。


 だけど、今は。

 戦士の休息。


 お昼ごはんの時間だ。

 午後の劇の稽古に向けて。


 腹が減ってはいくさはできぬと言うからね。


 誰かから指図されたわけでもないのに、各自、手早く机を向かい合わせにして班の形にしていく。


 お昼には少し早いけど、弁当を食べる準備を始める。


 今日の日程は、試験のため3時間目で終わりだ。普通なら帰宅するか、4時間目の授業が始まる時間だ。


 その時間に食事をする──


 校則違反ではないけれど、ちょっとした背徳感。


 女子達がおにぎりとおかずの入ったお重を各班の机に置いていく。男子達が紙皿と紙コップに割り箸、2リットルのペットボトルを並べていく。


 その連携に、いつの間にか、女子と男子の垣根もなくなっていることがわかる。


 来年の4月、今のクラスメイトでこのまま2年生の特進クラスに上がれたらいいなと思ってしまう。


 それが、特進クラス生にあと一歩届かなかった学年31位の誰かの希望を打ち砕くことだとわかっていても。


 この輪を、つながりを失いたくない。


 そう思ってしまう。


 やがて、目の前にお昼ごはんが並んだ。


 もう、食べていいのかな? と、まわりを見る。その視線は自然と大原いずみに集まる。大原は、清水を見ている。清水が困ったような顔をしているのを、大原がうなずいて催促をする。


「じゃあ、いただきます」


「「「「「「いただきますっ!」


 清水優子の声にクラスの全員で唱和し、昼食会が始まった。


 おにぎりに手を伸ばし、おかずを取り分ける。ペットボトルから紙コップにお茶を注ぐ。


 アスパラベーコンに、きんぴらごぼう、インゲンとオクラ、ほうれん草の胡麻和ごまあえにナスとこんにゃくの味噌炒め。そして、玉子焼き。


「俺、こんにゃく苦手なんだけど、これはうまいな」


 思わず2個目に箸を伸ばしてしまった。


「それね。いずみのお母さんに習ったんだ」と清水が言う。


「どういうこと?」「なんで?」「いつ習ったの?」と女子達がかしましくなった。


「昨日ね。いずみの家に泊まって一緒に勉強したの。今朝は早起きしてお母さんに教えてもらいながら料理をしたんだよっ!」


 胸を張る清水を、皆がうらやましそうに見る。


 だけど、男子ども、お前らにその機会はないからなっ!


「このお弁当もそう。お母さんに手伝ってもらって、いずみと一緒に作りました!」


 おおーっと、感嘆の声があがる。


 だけど、それ、さっき言ったよね。どこに驚くところがあった? みんな、何に驚いてるの?


 まさかと思うけど、清水って、料理が苦手なのか?


 そんなこと、とても口には出せないけれど。


 でも、皆、男も女も、うらやましそうに清水を見ている。


 ……だから、男子には、その機会はないって言ってるだろっ!


 ……いや、言ってなかったね。俺の心のツッコミだった。


 だけど、それで納得した。どうりで、野菜多めの肉極少(ごくしょう)メニューのはずだ。


「朝ごはんは、味見をしながら、ナス田楽でんがくをいただいちゃったっ! こんがりと焼きあがって皮を剥いたナスに甘い味噌だれがたっぷりとかかっておいしかった♡」


 男子達の口からよだれが垂れている。


 くぅ。俺も見たい。大原と清水が黒光りするナスの先っぽをくわえているところ。


 違う? うん。違った。俺も食べたい、だよね。


「ナス田楽はないの?」「せめて味噌だれだけでも……」「俺は箸を舐めさせてほしい」「なすぅ〜」と、恨めしそうに見ているが、味噌もナスも目の前にあるからね。……箸もだけど、その場合、命の保証はない。


「でね。お母さんから色々教えてもらっちゃった。レンジを使った時短レシピに、麺つゆを使った簡単味付け! それに、焼きナスの皮の剥き方。


 焼く前にね。ナスのヘタのほうを持って両手でナスとナスを叩くの。くるくる回しながら全体的にね。それから、焼いたときに空気で破裂しないように、つまようじで何か所か穴をあけるんだ。


 最後に、ヘタのところに切り込みを一周入れておく。焼き上がったら、ヘタのほうから皮を剥くと、あら、不思議、つるんと……」


 どうにも止まりそうにない。


 だけど、このままここに並んでいない料理のことを説明されても不満がたまるだけだ。


 俺は、目の前の料理に話を戻す。


「この、ナスとこんにゃくの味噌炒め、うまいな。どうやって作ったんだ?」


「まずね。麺つゆと味噌でタレを作るの。味見をして、味が決まったら、こんにゃくをスプーンで一口サイズに切って、レンジで2分加熱して下処理をする。


 その間に、ナスも一口サイズに切って、フライパンで炒めて、そこに下処理の終わったこんにゃくを入れる。


 ナスがしんなりしてきたら、タレを入れて味を馴染ませ、最後に一味を一振りして完成。ほらね。簡単でしょ?」


 こんな饒舌な清水を見るのは初めてだ。俺は戸惑いながら、話の着地点を探す。


「そ、そうか。……ありがとうな。朝早くから。……昨夜ゆうべも勉強してたんならあまり寝てないんじゃないのか?」


昨夜ゆうべ? 早く寝たよ? いずみと一緒にお風呂に入ってから、すぐに」


「お風呂っ!」「そこんとこ、詳しく」「あ、洗いっこ、とか?」「ふ、二人で?」


「あっ、お布団の中で、おしゃべりしてたから、ちょっとだけ遅くなったかも」


「パ、パジャマ?」「恋バナとか?」「お、おしゃぶり?」


 おい、男子ども。いくら親しくなったとしても、礼節は忘れるな。股間を押さえている時点でアウトだからな。


 俺は再び話題転換を試みる。


「ナスと言えば、『秋ナスは嫁に食わすな』という言葉があるよな」


「知ってる。封建社会の嫁いびりを表す言葉だよね」


「そうそう、お嫁さんにおいしいものを食べさせたくないって」


「でも、それって、諸説あるよね。たくさん食べると体を壊すとか」


「それ、わたしも聞いた。ナスには、カリウムが含まれているから、利尿効果で水分が体外に排出されると、体の熱が奪われて冷えるからって」


「あと、毒性のアルカロイドを含んでいるからたくさん食べるのは良くないって」


 ……ふ、ふうん。みんな、博識だね。俺が言おうと思っていたのに。


 こんな科学的な話をされた後で、ナスは種が少ないから子宝に恵まれないとか、嫁は夜目よめの言い換えで、夜目よめ、すなわち、ネズミが食い散らかすから気をつけろと昔から言われていたとか、言えないじゃん。……まあ、命名には諸説あるんだけどね。


 しかも。


 確かに含まれているとはいえ、カリウムも、アルカロイドも微量で、その効果で体調不良になる前にお腹が破裂しちゃうんだけどね、というオチすら、今となってはイヤミでしかない。


 ならば、秋ナスがおいしい理由を科学的に説明しようか──


「でも、どうして秋ナスはおいしいの?」という誰かの問いに、「それはね」と水越まゆみが口を挟む。


「涼しくなると、旨み成分のアミノ酸や糖が増えるからなの。


 暑い夏は、花が咲いても正常な花粉をうまく作れなくて、養分をたくわえた実ができないんだけど、秋になったら、養分をたっぷりとたくわえたおいしい実をつけることができるのよ」


「「「「「なるほど〜」


 皆が感心しているが、俺の出番、また取られてしまった。


 しかたない。こんな日もあるさ。

 

「でも、ナス、俺は好きだな。おいしいし」


 そう、大原に向けて言う。

 感謝をこめて。


 この時間をありがとうな。


 そんな俺の気持ちが伝わったのか、大原はうつむいて言った。


「なすび、今は安いからね」

「はあっ?」


 俺の声が大きくなったのは許してほしい。だが、なすび、だと?


 けれど、みんな、責めるような目で俺を見ている。


 俺は、ただ、その呼び方に懐かしさを感じただけなのに。


 そもそも、ナスもなすびも、同じ野菜だ。


 だけど、なすびと呼ぶのは西日本。ここ東京ではナスと呼ばれている。


 なすびが日本に伝わってきたのは、奈良時代。その語源はともかくとして、これを最初にナスと呼んだのは徳川家康らしい。


「物事を成す」に「なす」をかけたとか。


 ナス、縁起物だからね。


 めでたい初夢に、一富士いちふじ二鷹にたか三茄子さんなすびとも言うし。


 ……あれぇ? なすび、だ。俺もそう呼んでいる。……不思議。何でだ?


 そうか。広島出身の俺の母がなすびって呼んでたんだ。


 それにつられて、小学生の頃は俺もなすびって呼んでいた。それをとがめたのは兄だった。


 東京ではナスって言うから、そう呼べって。


 それを聞いていた母の悲しそうな顔を見て、それでも、兄がそう言うのならと、呼び方を変えた。


 そのことを思い出した。


 でも、女子の目がなんとなく冷たい。


 違うんだ。別に東京人をひけらかしたわけじゃない。大原のことを田舎者だと言ったわけでもない。


 ただ、なすびなんて言葉は東京では聞きなれないから。……って、だめだな。一富士いちふじ二鷹にたか三茄子さんなすびって言うだろって、指摘されたら逃げられない。


 詰んだ。


 俺は差別主義者なんかじゃないって言っても、もう遅い。


 クラスメイト全員に、俺が大原の言葉尻を捉えて非難したように思われてる。


 せっかくできた友人もここまでか。


「あはは。たしかに、おかしいよね。なすびとナスってね。そう思わない? 優子」


「そ、そうだね」


 大原の言葉に清水が返事をにごす。


「なんで同じ野菜なのに、なすびとナスって、言葉が違うんだろうね。漢字にするとどちらも同じ文字なのに。……山崎、その由来を知ってる?」


 そう言って、俺に振ってくれる。


 俺だって馬鹿じゃない。挽回のチャンスを与えてくれたってわかってる。


 俺は、茄子なすびの伝来と徳川家康の命名について、知識を披露する。


 皆が俺の話を聞いてくれていた。


 ご飯を食べながらの雑談。


 たったそれだけのことなのに、特別な時間のような気がする。これが、今日限りのことだとしても、いや、今日限りの特別だから、たぶん、忘れることはない。


 そう思っているのが、俺だけではないと信じたい。


 世の中、何があるかわからないから。


 景気は低迷し、給料は上がらない。超低金利時代といううたい文句に誘われて、うちの両親が1億円を超えるローンを組んで建てた家も、今となっては、仕事を辞めたくても辞められないかせでしかない。


 会社での立場が上がるにつれて、やりたくない仕事が増えてくる。目指していた目標から離れていく。


 心機一転、転職や起業しようにも、ローンを払えるだけの収入は見込めない。


 会社で過ごす時間が長くなるほど、上司や部下と顔を合わせる時間が長くなるほど、こんなはずじゃなかったと、理想から離れていく現実をさかなに、酒量だけが増えていく。


 ……誰の話でもない。俺の父が酔った勢いでこぼした愚痴だ。


 お前は、そんな人生を歩むなと。


 うちの両親は共働きだが、給料の多くは家のローンの返済にあてられている。


 教育費に回せる余裕なんてない。子供二人を私立大学に通わせるなんて無理だ。一人につき年間百万円を超える授業料とか、話にならない。俺も兄も塾に通ったことすらない。


 兄は、そういった事情から国立大学を目指した。第一志望だった東京大学を諦めて、少しだけ受験生の少ない京都の国立大学を受験したのも、浪人して予備校に通う費用が捻出できないからだ。


 今の俺は、自宅から大学に通うつもりで、東京、横浜の国公立大学を目指している。その大学の偏差値を気にしなければ、通える国公立大学はいくつもある。


 東京大学に進学した同級生のことを、あいつは俺よりも成績が悪かったのにと、ねたましい目で見ている兄とは違う。


 大学の友人に負けたくないと、車を買おうとして、親にカネをねだった兄とは違うんだ。


 ……駐車場の賃料はどうするんだとか、毎年の自動車税、自動車保険、2年に一度の車検料は当然バイト代から出すんだよなと父から言われて、「少し考えてみる」と言い残して部屋から出ていったきり、話が蒸し返されることはなかったらしいが。


 だけど。


 カネの事情に関していうなら、この学校にしても同じこと。


 俺は、学年が上がる際に特進クラスへの進級が見込まれなくなった時点で、退学して都立高校の編入試験を受けることになる。


 年間百万円という、この学校の授業料、施設使用料なんて払えるわけがない。


 これからの半年、生き残るための戦いが始まる。それなのに。


 ここにいるのは皆生存を賭けた敵。そのはずなのに。


 俺は、誰一人として失いたくないと思いながら、食後のお茶をのどに流し込んでいたんだ。


 ❏❏❏❏


「終わりの時間だよ〜っ!」


 劇の稽古の終了を伝える声が響く。


 時刻は4時半。机とイスはまとめて教室の後ろに片付けられ、黒板を背に舞台を仮想して稽古は進められた。


 俺も、演出補佐として、気になったところで声をかけていた。


 もっとも、演出は台本を仕上げた清水が担当しているから、俺の役割は、舞台特有のオーバーアクションと声の張りを教室のすみから指導するだけ。


 それでも、台本を片手に読みあげる通し稽古は終わった。


 あとは、指摘された反省点を各自が修整し、セリフを覚えていくことと、それから、教室を掃除して、机とイス、教卓を元通りにすること。


 そのために、5時までに片付けが終わるようスケジュールを組んだのだから。


 皆で手際よく室内用ほうきとちりとり、モップを分担し、男子達はきれいになった床の上に机とイスを並べていく。


 誰かに指図されなくても、自分の役割を理解し、自然と行動することができている。


 ごみ捨てと机のぞうきん掛けが終わると、清水委員長が黒板の前から声をかけた。


「みんな、お疲れ〜っ! 今日の様子なら文化祭には間に合いそうだね。あとは、セリフを覚えることと、音響のタイミングだけど、こればかりは教室では限界があるからね。……そこで、相談なんだけど」


 と、こうべめぐらせて大原を見る。


 大原がうなずいて、口を開く。


「これは、現時点での提案なんだ。もちろん、いつでも異議を述べることもできるし、別のやり方を考えてもいいんだけど」


 そう言って、大原は一度言葉を切った。


「セリフを覚えるって、大変だよね。


 それに、毎年、文化祭のために新しい劇を用意するのも負担が大きい。


 だけど、特進クラス生は学年30位以内であれば来年も再来年も顔ぶれは変わらない。


 ……だから、これからの3年間、このクラスの出し物は、この劇を繰り返すことにしたいと思うんだ。その上で、全部の配役をダブルキャストにして、不測の事態に備えたい」


「「「ダブルキャスト?」


 誰かの声がそろう。


「そう。一つの配役に二人をつける」


「劇は文化祭の一度しか上演しないよね?」


「今年はね。もちろん、来年もそうかもしれないけれど」


 大原は、クラスメイトの質問にていねいに答えていく。このまま、手をあげたやつの質問に順番に答えるつもりのようだ。


「だったら、なぜ?」


「体調が悪いとか、に備えて」


「それは、代役を用意するということ?」


「ただの代役じゃないよ。舞台に立たないほうは、セリフが出てこないようなら暗幕裏から教えあげてほしいんだ」


 次から次へと変わる質問者に大原はわかりやすいように答えていく。


「セリフを覚えなくてもいいってこと?」


「セリフは覚えてね。あくまで忘れたときのサポートだよ」


「どんなふうに?」


「忘れたときの合言葉を決めておくといいかもね。たとえば、『困ったな』とか『やれやれ』とか言ったら、裏から次のセリフを教えるとか」


「それって、何のため?」


「舞台の上で誰かが恥ずかしい思いをするなんて、わたしがいやだからだよ」


「今決まってるキャストはどうなるの?」


「そのままだよ。二人目のキャストは、舞台に立たない裏方から決めていくことにしたい」


「それは、どうやって決めるの? オーディション?」


「今まで見てきた中から、わたしが勝手に候補を決めてきた。


 ここに書いてあるから、後で見て。もし、どうしてもその役がいやな場合は再検討するから、言ってきて」


 そう言って、黒板横の壁にA4の紙を貼りつける。


「気に入らなければ断ってもいいの?」


「うん。こういうのって、本人の意思が大切だからね。無理に押し付けるつもりはないよ」


「裏方には負担が増えるんだよね」


「だから、これから3年間、同じ劇をしようって提案したんだ」


「2年生で特進クラスに入れなかったら無駄になるよね」


「そこは、頑張ってね、としか言えない。でも、無理な話じゃないでしょ?」


「確認したいんだけど」と、俺も手をあげた。


「音響担当とか、照明係、舞台全体を見る演出担当にも配役はあるのか?」


「音響と照明にはサブをつけるけど、配役は割り当てない。でも、演出担当には配役の割り当てがあるよ。今回演出を担当した優子は目黒副会長役もしていたんだからね。


 ちなみに、山崎の配役は、わたしと同じ渋谷生徒会長」


 なん、だ、と? あの、性格破綻者の役を、俺がやる、だと?


「元は、山崎が書いた台本ほんだからね。文句はないでしょ?」


 ふざけんなっ! 大いに異議ありだっ! むしろ、異議しかないっ!


 お前が演じるから、そんな展開にしたんだ。俺は、あんな役を演じられるほど、恥知らずじゃないっ!


 とは、言えないよな。


「もちろんだよ」と、笑いながら、「でも、今からの台本の書き直しとか、まだ、大丈夫だよね」と、とりあえず言ってみる。


「ダ〜メ♡」


 大原のいい笑顔が憎い。


 こんなことなら、あんな台本、書かなきゃよかった。


「山崎はセリフを全部覚えてね。元々が自分で書いたんだから大丈夫だよね。うふっ」


 なんだよ。うふって。


 ぐう〜。


 誰かのお腹が鳴った。


 そう言えば、今日のお昼ごはんはいつもより早かった。もう、夕方になっている。空腹になってもしかたがない。


 俺達は、最終的な結論は先延ばしにし、当面は大原の提案に従うことにして帰り支度を始める。


 だって、お腹が空いてるんだ。腹が減ってはいくさはできない。兵站へいたんは戦局を左右する。


 当たり前のことだからね。


 だけど、忘れちゃいけないのは、そんな当たり前のことが当たり前じゃなかった時代のこと。


 太平洋戦争における日本軍の軍人、軍属の戦没者は、230万人にのぼるらしい。


 だけど、その半数以上の死亡原因は、飢え死にだったという。


 特にひどかったのは、ガダルカナル島、東ニューギニア、フィリピン、中国本土。そして、インパール作戦と聞く。


 餓死と栄養失調。


 衰弱死と病死が戦死の多くを占めるという事実。


 補給がなければ戦いは続けられない。


 こんな簡単なことに、戦争指導者が気づいていなかったはずがない。


 我が国は、豊臣秀吉の時代から兵糧攻めを幾度となく経験し、その効果の大きさを知っていたのだから。


 だから。


 注目すべきは、そこまで追い込まれた過程と予兆。


 すでに詰んでいるのに、足掻あがこうとした愚かな戦争指導者など、どうだっていい。


 今の状況はどうだ? 当たり前のことが当たり前でなくなってはいないか?


 ちょっとした違和感はないか?


 普段と違う、微妙な違和感が匂ってこないか?


 当たり前のことが当たり前じゃなくなっているとき、敗北は静かに忍び寄っている。


 大原の突然の提案は、そんなあやうい匂いを漂わせていた。


【あとがき】


いずみ「『がために君の鐘は鳴る』の『第22話 そのランナー、先導する者につき』を読んでいただきありがとうございます」


浩二「このあとがきは、作者に代わって副音声ふうに俺達でお送りします」


いずみ「司会進行の大原いずみと」


浩二「主人公の山崎浩二です。今週は新作ラッシュだったな」


いずみ「1話からスッキリしたのは、『陰の実力者になりたくて!』。陰に潜んで悪を討つ! バールの二丁使いで元軍人の誘拐犯相手に大暴れの回」


浩二「本人は、ただのスタイリッシュ暴漢スレイヤーだと名乗ってる。さすがに目出し帽で顔を隠さないと名乗れない二つ名だった」


いずみ「『バールはいいぞ』って、バール最強を力説。『頑丈で壊れない。持ち運びもしやすいし、職質されても言い訳できるかもしれない』」


浩二「はい。アウト〜っ!」


いずみ「はへっ?」


浩二「バールは、特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律4条で、正当な理由なく持ち歩くことが禁止されている指定侵入工具に該当する。職質される前に逃げるしかない」


いずみ「ダメなの? バールなんて簡単に手に入る物なのに?」


浩二「夜中に持ち歩いているヤツがいるとしたら、そいつは間違いなく自販機あらし。1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられます。……違法だよ。ミノルくん」


いずみ「アゲルくんじゃなくて、ミノルくん?」


浩二「そう、影野ミノルくん。享年18歳」


いずみ「ところで、開錠って、解錠の誤字なんじゃ?」


浩二「解錠は鍵であけること、開錠は手段を選ばずこじあけること。……捕まるよ。マジで」


いずみ「なるほど。それで、元軍人の頭をこじあけようとしたんだね。『俺はバールに可能性を見出した』って、言ってたくらいだから」


浩二「その可能性は、見いだしちゃいけないヤツ」


いずみ「L字のほうで殴るのがコツなんだって。衝撃が吸収されるから」


浩二「その発言の衝撃を、俺が吸収できないんだけど」


いずみ「あと、『俺の青春、これでいいんだろうか』で始まった『不徳のギルド』。主人公、二十歳はたちなのに、女の子と交際すらしたことないってことに今更気づくなんて」


浩二「やめろ。二十歳はたちなら、勉強に明け暮れて交際経験のないやつなんて、山程いるぞ」


いずみ「主人公のオトモダチは、大学の狩人かりゅうどサークルで、日夜、異性をハントしてるんだよぉ?」


浩二「大丈夫。主人公も思いっきり青春してるから。武道家の女の子とスライム遊びで」


いずみ「おっぱいとスライムの区別もつかないシチュとか、楽しそうだね」


浩二「問題は、その楽しさに主人公が気づいてないってこと」


いずみ「このアニメ、主人公がひたすらツッコんでるけど、それを視聴者がツッコむスタイルなんだ。……新しい」


浩二「主人公の青春が正直うらやましい」


いずみ「魔物相手の狩人かりゅうどの仕事を辞めて、大学に行き、かりサーで女の子をハントするキャンパスライフを満喫したい男子の切ないお話でした」


浩二「まあ、概要はだいたい合ってる。合ってるん、だけどな〜」


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