第2話 その生徒会長、ハーレム王につき
「申し訳、ありませんでしたーっ!」
今、俺は土下座している。
それはそれは、もう見事な土下座。
許していただけるまで長時間に耐えられるよう上履きを横に並べて正座をし、両手を八の字を描くよう床につけて、伸ばした背筋のまま頭を真っ直ぐ下ろす。額は床から1センチの高さでキープ。
そして、相手が根負けして「もういいよ」と言うまで、30秒おきに謝罪の言葉を口にする。
「申し訳、ありませんでしたーっ!」
怒りとは感情のはけ口だ。
不誠実かもしれないが、誰かの感情にいつまでも付き合ってはいられない。次の段階に進むには、明確な謝罪を示す態度と許しが必要なのだ。
どうせ、人の心など誰にもわからない。俺にとって、土下座はツールの一つにすぎない。
謝罪したことで相手がかさにきて理不尽な要求をしてきたらどうするって? それこそこちらの思うつぼ。社会は被害者に有利にできている。出るところに出て、相手に謝罪を求めるのみ。
それはさておき。
ここは体育館。ステージ下で土下座する俺をステージ上から見下ろしているのは、クラスの女子達。
男子達はステージ下で、囲むように俺を見ている。
ステージから身を乗り出すように座って、足を組んでいるのは、生徒会長役の大原いずみ。さま。
長いお御脚を惜しげもなく晒して、この上ない眼福の極みである。
土下座していたら見えない?
見えるんだよ。最初に見たワンショットを脳裏に焼き付けている。何度でも再生できるんだよ。俺は。
午前中は陸上部の練習だったようで、着ている青シャツは汗でにじみ、ポニーテールが揺れるうなじには、玉の汗が浮いていたのを俺は見逃していない。
悲しいことに、死んだ後、あのシャツに生まれ変わることはできない。ポニーテールを結ぶ髪ひもに転生することもできない。……神は死んだ。
でも、できることなら。
あの汗、いや、聖水を思い切り鼻と口に吸い込んで溺死したい。
聖水をオシッコと思ってるやつがいるけど、俺は違うと思う。
好きな女の子の体から出てくるのはすべて聖水なんだ。オシッコを聖水に限定するやつらの心には、オシッコの聖水たる由来を血の老廃物に求めるカニバリズムが宿っている。
そんな吸血鬼みたいなことを俺は認めない。聖水は神聖なものなんだ。つばもそうだけど、誰のでもいいってわけじゃない。
ただの体液を聖水に変えるのは愛だ。
その女の子に対する愛情が、つばも、汗も、…………。オシッコですらも聖水に変えるのだ。
大原、俺はお前のオシッコなら飲める。
オシッコを飲みたがる変態ではない。大原に対してそういうことのできる、そういうことの許された、ただ一人の男でありたいのだ。俺は。
ファーストキス? 関係ないね。ファーストオシッコこそが男の本懐。
あれ? オシッコの話だったっけ? まあいいや。
ただ。
俺が今謝罪している理由は、そんな不埒な考えとはまったく関係がない。だって、ご褒美だからね。それは。
書き直した台本が、生徒会長役の至高の御方のお気に召さず、守護者筆頭たる副会長役の清水優子が率いる大原いずみハーレム軍団の叱責を受けたからだ。
おかしいな。
大原いずみの魅力を余すところなく書き込んだはずなのに。わからん。
「山崎、台本を書き直してくれとは言ったけど、まさか、ひどくなるなんてね。どういうこと?」
やっと至高の御方から声をかけていただけた。「どのあたりでしょうか?」と俺は顔を上げる。
興に乗って書いたから、おかしなところがあることは自分でもわかっている。けど、今は大原いずみとの会話を楽しみたい。
「……まず、冒頭の銃撃戦ね。渋谷生徒会長が目黒副会長を庇いながら、襲いくる敵を撃破して生徒会室に現れる。そして『やぁ、みんな、おはよう』って言うところ」
冒頭の戦闘シーンからでしたか。
「これはお芝居だからな。冒頭で観客を引き込むインパクトは必要だろ。
これでも抑えたつもりなんだ。俺が考えた中で一番インパクトがあったのは、会長と副会長が腕を組んでイチャイチャしながら入ってくるシーン。
副会長が言うんだ。
『会長、昨夜は素敵でした。まだ、わたくしの中に入ってるみたいです』、会長は『目黒くんの中をかきわけて進むのは最高だった。俺のは大きいからな。目黒くんのメスいき、今夜も見せてくれよ』と言って、ゲボォッ!」
大原がステージから飛び降りて、俺の頭を踏みつけたのだ。
そのまま「このゲスがっ!」とか言いながらシューズで頭をぐりぐりと床に押しつける。
床の冷たさが頬に伝わり、頭はぐりぐり。デートと書いて「戦争」と読むアニメがあったが、これはもうデートじゃね?
さっきから俺と大原しか会話してないし。ハードなボディタッチまでしてしまった。
今はまだコンドーム、じゃない、シューズ越しだけど、いずれはナマ足でお願いしたい。
やばい。ヨダレが出てきた。
「「「「「「「「「「うわーっ!」
「「「「「「「「「「きゃーっ!」
俺と大原のプレイに水をさすように、クラスメイトの声が響き渡る。
「大原、さすがにそれは」とか、「何も踏みつけなくても」とか、「大原さん、もうやめてっ!」とか、「山崎、俺とかわれ」とか、「うらやましい、俺もお願いしたい」とか。
さすがに男子にはご褒美の意味を知っているやつもいる。女子どもは、まぁ、まだお子ちゃまってとこだろう。
だが、これは俺と大原のデート。誰にも邪魔はさせない。頭に大原の足の感触を刻み込むのだ。
やばい。恍惚で床を汚したヨダレが顔に付くことすら至福に思えてきた。
もう死んでもいい。
「……今のは完全にセクハラだよ。インパクトが必要だってことはわかる。でも、それにかこつけて、優子にそんなセリフを言わせるなんて許さないっ!」
そう言って俺から離れる。
顔を上げた俺をひと睨みすると、大原は、振り返ってステージ上の清水優子を見た。
「優子。ゴメンね。もっと早く、こいつの口を塞ぐべきだった」
「いずみ、わたしは何が起こったのか、よくわからないんだけど……何かいやらしいことでも言われたの?」
「うん。でも、知らなくていいこともあるから」
「いずみは知ってるのね。なら、わたしも知りたい」
「ろくなことじゃないよ」
「教えてっ!」
「ここでは無理だよ。でも、そうだな。……どうしてもと言うなら、今夜、ベッドの中でなら教えてやるけど?」
「「「「「「「「「「きゃーっ!」
女子達の黄色い声が響く。
お前はいいのか、それはセクハラじゃないのか、なんてことは言わない。
だって、セクハラは言われた相手が決めること。俺が言ったら不愉快でも、大原に言われたらうれしいなんて、よくあることじゃないか。うん。よくある、よくある。……目から水が出てきた。何でだろう。
セクハラされた清水優子は顔を赤らめてもじもじしてる。恥ずかしいわりには、腰を揺すってうれしそうだ。
「山崎、書き直し。明後日までな」と大原は言うが、俺にも譲れないものはある。
ここは一つ、はっきりと意思表示をしておかねばなるまい。こいつが譲歩してくれなければ練習が始まらない。文化祭に間に合わなくなる。
「大原、インパクトの必要性は今、認めてくれたんだよな。だったら、銃撃戦はオーケーにしてくれ。
俺達は素人だ。どんなに頑張ってもストーリーや演技力で観客を納得させることはできない。最初のインパクトでこっちの土俵に乗せることができなければ相手にもされない。
誰も見ていない体育館のステージでむなしくお芝居ごっこをするだけだ。
いいか。戦術が手段を選ぶんだ。
観客を引き込む実力もない、舞台にかけるカネもない、そして文化祭までの時間もない。
俺達にできることは、瞬速のインパクトで観客を取り込んで、芝居が終わるまでの30分、ジェットコースターのように目まぐるしくストーリーを展開させることだけなんだ。
観客の心に訴えるのは疾走感。俺達が得るのは達成感。
このやり方は、ヒット曲の傾向を参考にしている。開始0.5秒で始まるサビの部分から展開する楽曲。
もう、『ホテル・カリフォルニア』は聴かれないのかもしれない。だが、思うんだ。ディープパープルの有名な楽曲は、始まりのイントロで心をつかまなかったか。『レイラ』はどうだ。映画の予告編に心躍らされたことはなかったか。
そして、大学受験に向けて学んでいる小論文の書き方。最初に主張すべきことを書けと教わっただろ? だらだらと読ませるものを書くんじゃない、そんな無駄な時間を使わせるなと言われただろ?
ならば、俺はその教義をリアルに体現した表現者だ。大衆の尖兵だ。非難される筋合いはない」
「……何を言ってるかよくわからないけど、優子にあんなセリフは言わせられないし、わたしのセリフも聞かせたくない。
でも、確かに山崎の言うとおり初手のインパクトは効果的だと思う。だから、そこはスルーしてもいいよ。
……じゃあ、次の場面、交際破棄宣言のシーンをやめにしたのはいいとして、渋谷生徒会長が神田書記と二股をかけていたのが、目黒副会長にバレたシーン」
「何か問題が?」
「うん。生徒会室のソファで、会長と神田書記がセックスしているんだけど?」
「そうだな。そこへ副会長が入ってきて見つかってしまう」
「……」
「何か問題でも?」
いきなり大原が飛びかかってきた。
「「「「「「「「「「うわーっ!」
「「「「「「「「「「きゃーっ!」
体育館が叫び声に包まれた。大原は、正座から仰向けに倒れた俺の上に乗って、肩を抑えつけている。
騎乗位の再現に心が躍る。もう死んでもいい。というか、今死にたい。こんなうれしいことはない。大好きな女の子がこんなに喜んで抱きついてくれた。その上、疑似セックスのご褒美。
一昨日と違って、体操着のハーフパンツ同士だから肌の触れ合いがハンパない。青シャツから汗の香りも甘く漂ってきて幸せにひたる。
天国って、あったんだね。
大原の首から汗が落ちてきたのが見えたので、口をあけて受け止めようとしたが、無念にも俺の胸のあたりに落ちたようだ。慙愧の念に堪えない。
これはもう結婚するしかない。……初めてだから優しくしてね。
ただ、気になるのは。
俺の嫁の目つき。なんか睨んでいるような気がするんだけど。
……わかってました。怒ってるんだよね。セックスシーンなんか入れたから。
そう。本当は知ってました。
俺が謝罪を求められた理由。セックスシーンを詳しく書いちゃったから。インパクト云々の話が胡散臭く思えるほどのエロい台本。
たぶん、今夜、男子達の布団の中でこの台本は大活躍するはず。
だって、大原いずみと清水優子、大原いずみと神田書記役の水越まゆみのセックスシーンなんだ。色々とはかどらないはずがないじゃないか。
ん? 大原は女子なのにセックスなのか? 女子同士ならレズじゃないのかって?
いいんだよ。台本では大原いずみは渋谷生徒会長。男なんだ。しかも、……大きい。という設定だからね。
俺も書いててはかどった。もう、台本なんか書くのをやめてノクターンノベルズに投稿しようかと思ったくらい。
だから、今男子が持ってる台本はこれから回収される可能性がある。15歳で持っていていいものじゃないからな。
でも、男子達、絶望することはない。俺のパソコンにデータは残っている。希望があれば頒布するし、渋谷生徒会長シリーズものを書いたっていい。
名誉毀損?
違うね。登場人物は渋谷生徒会長、目黒副会長、神田書記だよ。大原いずみも清水優子も水越まゆみも出てこない。
テキストデータを手に入れた連中が勝手に登場人物をクラスの女子に置き換えて妄想するだけだ。
俺は悪くない。
しかも、俺の嫁はヤラれたりしない。だって、渋谷生徒会長は男だからね。
だけど、俺個人で楽しむのなら、実名もありかな。むしろ、実名で書くべきじゃないのか。外に出さないのなら。
主人公「大原いずみ」が俺「山崎浩二」に恋する物語。
……やめた。なんかむなしくなってきた。
これは賢者タイムでしょうか。ねぇ、俺の肩を抑えつけている大原いずみさん?
肩を抑えられているから首を伸ばしても大原の唇は奪えない。
ファーストキスじゃないのなら、回数で上回ろうとした俺の野望は簡単に挫かれてしまった。
「エロいシーンはなしで頼むよ。山崎」
大原の言葉に、「許せない」とか、「そんなやつ、殴っちゃえ」とか、「女子をバカにしてる」とかの罵声に紛れて「続きを読みたい」とか、「山崎センセイ」という男子の声がする。
お前ら、バカだなぁ。ほぉら、大原が眉をしかめたぞ。俺のたくらみに気づかれたじゃないか。
「台本は全部回収するから。もし、この台本のコピーや類似の作品が出回ったら、この件を生活指導の先生に報告する。山崎? 勝手にデータを誰かに渡したりしないでよね。山崎からデータをもらったやつも同罪だからね」
大原がまわりを見回す。誰もが首を縦に振っている。それを見た大原は、俺を見下ろしてニヤリと笑った。
「山崎? わたし達A組は特進クラス。特にあんたは、入学式で新入生代表として挨拶したくらいだから、成績がいいんでしょ? そうすると、他の男子達からすれば蹴落としたいライバルってことだよね? いいの? こんなことで弱味を握られたりして? いざとなったら、あんた、男子達から背中を刺されるよ」
大原の言葉に俺は怖気づいた。男子達の誰かじゃない。こいつは絶対にやる。
大切にしている友達が面白半分に穢されたら絶対に許さない。そんな目をしている。
俺も慌ててうなずく。
特進クラスの俺達は、一般クラスに入れ替えとなるのを何よりも恐れている。
特進クラスは、学年の成績上位30人で構成されたクラスだ。学年が上がってもクラス替えはないが、学年末で成績が31位以下になると、一般クラスに入れ替えとなる。
そうなると、特進クラスに与えられた年間100万円の授業料、施設使用料の免除という特典を失う。それでは、そもそもここに進学した意味がない。
特に首席入学の俺は、他のクラスメイトと違って、入学金も免除の上、制服や体操着、教科書も学校からの貸与だ。同じ特進クラス内で妬まれていてもおかしくはない。
いじめなんてしてる余裕はないはずだけど、大原いずみと清水優子、水越まゆみはクラスのオピニオンリーダーだ。こいつらを敵に回して無事で済むとは思えない。
俺は従順な羊になりきるのだ。
だけど。
こいつら、清水と水越はリアルでも大原の愛人じゃないかと俺は疑っている。だって、二人が大原を見る目つき、ヤバいくらいにトロンとしてるんだぜ。脳内でドーパミンを大量分泌しまくってるに違いない。
そこでふと気がついた。
大原がセックスという言葉をためらうことなく使ったことに。
まさか、な。……だけど。
ため息が出てしまう。
ついでに涙も。
色んな意味で可能性が一つずつ潰されていく。お先真っ暗だ。
なんか死にたい。
❑❑❑❑
その後、俺は打ち合わせと称して、大原のハーレム軍団に教室に連れて行かれた。
「ストーリーとしては、生徒会長の不義理に副会長がキレて生徒会を辞め、会長に対抗しようと裏生徒会を立ち上げるんだよね」
質問するのは大原いずみ。
清水優子と水越まゆみがその両側に座ってメモを取っている。もちろん俺も椅子に座っているけど、彼女達と違うのは、机がないこと。あと、メモも許されていない。
まるで、面接みたいだ。
裁判所の法廷だってメモが許されているぞ、と言おうとして気づいた。被告人が証言台に立つときはメモが許されていないことに。メモが許されているのは傍聴人だった。
しかも、彼女達の後ろにはクラスの女子達が座っている。
これは、俺への断罪イベントか?
でも、見ようによっては、授業中の先生みたいだな。俺の立場って。
立つことが許されればだけどね。
大原の質問にうなずいた俺に、さらに質問が続く。
「裏生徒会の最初の計画は文化祭を引っ掻き回すこと。文化祭実行委員を巻き込んで活動しているのを、生徒会長が知って止めようとする。だけど、副会長を切った生徒会長に従う者はおらず、文化祭は混乱し始める、だったかな?」
「そうだね」
「やがて学校側が知るところとなり、副会長が処分されそうになる。それを知った神田書記が会長に相談し、責任を感じた会長は副会長を守ろうと動く。
副会長に対する学校側の処分、神田書記に対する生徒達の非難を、会長は舞台でトンデモ発言をすることですべて引き受け、全校生徒を巻き込んだロックミュージカルで終わる。で、いいのかな?」
「そのとおり」
「文化祭まであと1か月、まずはディテールなしで台本を書いてくれるかな? それに少しずつ肉付けしていこう。これからはわたし達が管理する。うちのパソコンのアドレスを教えるから、毎日テキストデータを送ってもらえるかな」
「しかたがない。そのとおりにするよ」
こうして俺は、大原いずみのパソコンのアドレスを手に入れた。
毎日どころか、1時間置きにでも送りますよ。メールに愛情をたっぷり散りばめてね。たとえば、行の一文字目を縦に読んだら「おまえになかだし」とかね。
やったーっ!
やる気百倍。もう死んでもいい。
だけど。
教室から出ることを許された俺に大原いずみは告げたんだ。
「そのアドレス、お母さんのパソコンのだから変なメールはしないでよね」
現実は残酷だ。
なんか、もう死にたい。