第15話 その候補者、無頼につき
勉強会メンバーが俺を見ていた。
その心配そうな表情に、彼女達に駆け寄り話しかける。
「4時半から用事があるんだ。勉強会は1時間しかできないけど、それでもいいか?」
田村晴香が「選挙はいいの?」と不安げに聞いてくるが、今はクラスの支持が得られただけで十分だ。
ポスターにせよ、立会演説会にせよ、菅原会長の話を聞いた後で、あらためて方向づけをしたい。
室付がどういう立場なのかわからないまま選挙活動をするのは、危険な気がする。
今はそれよりも──
永田由紀子、石月恵子、田村晴香、後藤しおりという勉強会メンバー。
この4人は、大原が生徒会長に指名されて立候補したことを知っている。大原が渋々引き受けたことも、水越と清水が立候補に反対していたことも知っている。
水越がぺらぺらと内情を話したせいだが、クラスが一枚岩となるためには、この4人の認識を変えておく必要があった。
大原は生徒会長の言いなりになったのではなく、自分の意思で無謀な選挙に挑むのだと。
そうでなければ、ただの茶番にクラスメイトを巻き込むことになる。
事実は確かにそうなのだが、そんなことを明らかにしてこのクラスの良好な関係を壊したくない。
せっかく盛り上がった雰囲気なんだ。このままキープして、クラスの30票を取りにいきたいじゃないか。
衝撃の全教科満点という妬ましい事実を、俺達1Aの挑戦という炎の薪にくべて、優れたリーダーが掲げる松明へと大きく意識を塗り替えるのだ。
教室の隅で机を並べて化学の問題集を広げる。大原と話し込んでいる水越まゆみのことは放っておくことにする。
今は、邪魔だ。
答え合わせを終えた後の休憩で、雑談をしながら「俺、1学期の期末の化学、95点だったんだよな〜。一生懸命勉強したんだけどな〜」と愚痴をこぼした。
後藤しおりがそれを聞きつけて「すごいじゃない。普通はそんな点を取れないわよ」と慰めてくれたのを皮切りに、どんな勉強方法が効果的なのかで皆の話に花が咲く。
そして。
時間を見計らって「やっぱ、勉強って、努力が必要なんだよな。ここまでやればもういいとかじゃなくて、空いている時間を全部使う。脇目もふらずに勉強に集中する。そういうやつじゃないと100点は取れない」と残念がって。
「いや、100点を取るということは、高度な問題に備えて150点を目指した証しだと俺は思うんだ。俺が100点に届かなかったのは、自分に甘さがあったからだと思う」と締めた。
彼女達もうんうんとうなずいている。
この言葉で、彼女達が持っているわだかまりが溶ければいいと思いながら、「じゃあ、次は英語の問題集にしようか」と、にっこり笑いながら、顔を見回す。
うん。大丈夫そうだ。
みんな、笑っている。これなら。
やがて、教室の時計が4時20分を指すころ、「そろそろ時間になるから」と答え合わせを促した。
教室に残っているのは俺達だけ。水越は勉強会メンバーに声をかけることもなく帰ったみたいだ。
いや、違うな。
休暇明けが告示日、その翌日が立会演説会だ。あまりにも時間がない。今ごろは、大原と打ち合わせでもしているに違いない。
演説の原稿を書いていることだってありうる。だとすれば、帰ったことを責めるわけにはいかないだろう。
それでも。
水越、お前、勉強会メンバーの責任者じゃなかったのかよ。ひと言くらい声をかけて帰れよ。
仲間を蔑ろにする行動に、わずかながらに抱いていた罪悪感が消え失せる。
遠慮なくこの状況を利用させてもらうことにしよう。
答え合わせを終え、教科書をかばんに詰め込みながら、俺は本題に入った。
「昨日、水越から、大原が立候補することになった経緯を聞かされたけど」と、あくまで何気ないそぶりで嘘をつく。
「あれから話し合って、どうせなら楽しんで戦おうぜってことになったんだ。
無投票当選よりも選挙のほうが盛り上がるしさ。
それに、最初のきっかけはどうであれ、ジャイアントキリングとか、下剋上とか、どんでん返しとか、なんかわくわくしないか? 無敵の上級生に無名の1年生が挑む。戦うことにこそ意味がある。
そうと決めた以上、負けることを恐れたってしょうがない。負けたら、『残念っ!』って笑いとばしてやればいいんだ。
これほどの大舞台に大原というタレント、俺達はまたとないチャンスを得たんだ。最強の挑戦者として胸を張って戦おうってね。
……だから、昨日、水越が言ったことは忘れてくれないか」
「いいよ。わたし達も、いずみとまゆみが仲違いさえしなけりゃ立候補に反対なんかしないんだから。ねえ」
永田由紀子の言葉に他の3人もうなずく。
「ありがとう。じゃ、俺は行くから」
「「「「さよなら」」」」
「ああ、またな」
種はまいた。後は俺の言葉が、彼女達の中で自分の考えとして育つのを祈るだけだ。
その上で。
俺は、彼女達に期待したいのだ。
全教科満点という衝撃にクラスが揺れたとき、クラスをまとめる方向で彼女達が行動してくれることを。
さあ、次は生徒会長だ。
❏❏❏❏
生徒会室のドアを叩き「どうぞ」という言葉にしたがって中に入った。
そこにいたのはソファに座る4人。菅原会長と向かい合うようにして、3人がドアを背に立つ俺を見ていた。
ローテーブルに積まれた書類を前に浮かない顔で。
どうやら、歓迎されているわけではなさそうだ。
「来たな、室付。櫻井、服部、福本、こいつが新しい生徒会役員の山崎だ」
「山崎浩二です。よろしくお願いします」
俺はかしこまったようにひょいと頭を下げる。俺が相手を知らないのと同様、相手も俺のことは知らないはずだ。
世慣れていない従順な後輩を演じるくらいの演技は心得ている。これでも演劇部だからな。
「俺は櫻井洋平。2年A組、副会長をしている。室付、よろしくな」
「わたしは服部千鶴。3A、書記です。よろしくね」
「同じく3A、福本美咲。会計を担当しています。よろしく」
「さて、室付、まずは座れ」
菅原会長が自分の隣を勧める。
「さて、室付という仕事についてだが……櫻井、説明してやってくれ」
「わかりました。山崎君、いや、室付。君は今日から生徒会のメンバーになる。
しかし、君の名前が記録に残ることはない。室付というのは、表に出ない部分を担当するからだ。
したがって、俺達が君のことを名前で呼ぶことはないし、何かあったときに生徒会役員を名乗ることは許さない。そこまではいいか?」
「いや、待ってください。聞いてませんよ。そんなことっ!」
「会長〜、そんなことも説明しないで任命したんですか?」
「え〜と、何かあったときに生徒会役員を名乗るのはだめなのか? 櫻井」
「当たり前じゃないですか。生徒会の目や耳として情報を運んでくる……いわば、スパイなんですから」
「「えーっ!」」
いや、俺はともかく、菅原会長、あんたが驚くのはおかしいだろっ!
「俺、スパイとか無理ですよ。今からでも辞められますよね。大事なことを聞かされてなかったんだし」
「君は会長から見返りに何かを得てないか? 得ていたらだめだぞ。逃げ得は許さない」
「……まだ何も。ていうか、ここに来たのは、生徒会長選挙に大原いずみが立候補しなきゃいけない理由を教えてもらえると思ったからなんですが」
「なるほど。それと交換に室付を引き受けたわけだな。どうする? 知りたかったら室付を続けるしかないが、君のリスクはあまりにも大きい。見返りと釣り合いが取れていない。このまま帰るという選択肢もあるんだが」
「非合法的なこともするんですよね?」
「犯罪行為を命じることはない。だが、生徒会にクラスメイトの情報を流すんだ。バレたらこの学校に居づらくなるだろうな」
「それ、危険度マックスじゃないですか」
「代わりに、生徒会役員しか知らない情報に接することができる。たとえば。
……そうだな。大原いずみの住所とか家族構成、お父さんがどこの会社に勤めていて役職は何なのか、お母さんが専業主婦で、中学2年生の弟がいるとか」
「やりますっ! やらせてください」
「さすがだな。櫻井」と菅原会長がつぶやくが、振られたとはいえ、好意を持ってる女の子の個人情報をちらつかされて飛びつかないやつはいないよね?
俺の名誉のために言わせてもらうと、ストーカーとかしたいわけじゃないよ。あくまで気になるからであって、行動に移したりはしない。せいぜいがストリートビューで見るくらいで。ホントだよ。
最寄りのスーパーで偶然会えたらとか、全然思ってないから。
「いいのか? ここでオーケーしたら、もう引き返せないぞ」
今なら悪魔とだって取引する。
契約してくれと言われたら魔法少女にだってなってやる。だが、俺のスカート姿を見たやつは全員殺す。
「櫻井副会長、いえ、師匠と呼ばせてくださいっ!」
「会長、大丈夫ですか? こいつ、条件次第で誰にでもしっぽを振るタイプですよ」
「櫻井、俺も驚いた。生徒会はそんな個人情報を入手できるのか?」
「会長はもっと仕事してください。で、本当にいいのか?」
「不肖山崎浩二、今日から櫻井副会長の犬になりますっ!」
「いや、犬じゃなくて、室付な」
「イエス、マイロードッ!」
「その忠誠は会長に向けてくれ。君の上司は会長だ」
「よろしくお願いします。菅原会長っ!」
「お、おう。こちらこそな」
それを見て櫻井さんが俺に命じる。
「じゃあ、君は正式に生徒会室付として、これから大原いずみの選挙情報をすべて俺に報告してくれ。
連絡方法はメール。後でメアドを交換しよう。スマホにはパスワードを設定して、紛失しても情報が漏れないようにしてくれ。
朝は俺からのメールを確認し、夜は何もなくても必ず報告すること。いいか?」
「わかりました」
「それから、学校で生徒会メンバーを見かけても声はかけないように。これは、君を守るためだ。用心するにこしたことはないからな」
「副会長のことは何と呼べば?」
「櫻井さんと呼んでくれ。先輩はつけるな。服部先輩と福本先輩のことも、服部さん、福本さんと呼ぶこと。
君が役職で呼んでいいのは会長だけだ。
それで、室付は、大原いずみの選挙参謀だという話だったな。選挙方針は固まったのか?」
「キャッチフレーズは文武両道です。特進クラスで運動部員という肩書と大原の容姿を生かして、1年生一般生徒と上級生の浮動票を狙います」
「ポスターで仕掛けると聞いたが」
「これをバックに大原の写真でポスターを作ります」
俺は、かばんから大原の答案のコピーを取り出すと櫻井さんに手渡した。「問題はないですよね?」と確認を求めながら。
「すごいな。全教科満点なんて、俺も初めて見た。大原いずみは優秀なんだな。……ポスターは見てから判断するが、まあ、大丈夫だろう」と言いながら、服部さんと福本さんに渡す。
「まあ」
「これだけ100点が並ぶと壮観ね」
と、ひととおり見ると、俺にコピーを返してきた。
「あとは?」と櫻井さんが続きを促す。
「立会演説会での大原のパフォーマンスを考えていますが、こちらはまだ詰めてなくて」
「わかった。引き続き報告を頼む。……どうですか? 会長」
「う〜ん、立会演説会次第だが、やっぱり過半数は取れないだろうな」
「ですね」
「大原、壇上で転ばないかな? それで、スカートがまくれたら票が伸びるのに」
「「「会長ーっ!」」」
「いや、悪かった」
「まったく。セクハラですよ」
もしかしてこの二人、大原の当選を望んでいる?
「菅原会長も櫻井さんも大原が勝ったほうがいいと思ってるんですか?」
「いや、そういうことではなくて」
「待て、櫻井。室付、これから話すことはトップシークレットだ。絶対に誰にも漏らすなよ」
「……もし、漏らしたら?」
「退学処分が待っている」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないぞ? ただし、理由は秘密を漏らしたことじゃない。
……8月19日午後2時ころ、体育館でクラスの演劇の練習中、室付は、大原いずみに無理矢理キスをした。覚えているか?
それは刑法176条、強制わいせつ罪に該当する非違行為だ。それが退学処分の理由となる」
「なぜ、それを」
「そういう情報が入ってくるんだ。生徒会には。……で、どうだった? 大原の唇は柔らかかったか?」
「「「会長ーっ!」」」
「すまん。すまん。なんせ、俺はまだしたことがないからな」
「大原は初めてじゃないって言ってましたよ」
「なにーっ? そこんとこ、詳しくっ!」
「「「会長ーっ?!」」」
「室付、個人情報をしゃべりすぎだ」と注意をしつつ、櫻井さんは菅原会長を見ながら言う。
「まあ、大原があの場でそう言ったことはここにいる者は皆知っているはずなんですが」
「そーなのっ?」は菅原会長で。
「そうなんですか?」は俺。
「会長がちゃんと報告書を読んでいたら知っていたはずの情報です。むしろ、知らなかったことに驚いてます。服部さん、一生懸命報告書を書いたのに」
「なんだ、と?」「それって、うちのクラスに」「つまり、あの書類の中に」「生徒会のスパイがいると」「書いてあると!」「いうことですか?」
「会長、いいかげんにしてください。室付もだ。今は、そんなことより、トップシークレットの件です」
「そうだったな。……これから話すことは、絶対に誰にも漏らすなよ」
それは、もう聞いた。
「立会演説会で、篠崎京介が立候補辞退を宣言する可能性がある」
えっ!
「もしかして、それが?」
「大原いずみを立候補させる理由だ。そして、室付が知りたがっていた答えだ」
「それって、篠崎先輩が立候補しなかったらどうしようもないんじゃ? あるいは、大原が立候補しないで篠崎先輩の無投票当選になったら立会演説会もないわけだし、防げるんじゃ?」
「優秀な成績を残したスポーツ特待生は、学校の顔として生徒会に入る義務がある。だから、篠崎も立候補には同意した。推薦人もこちらで用意した。
だが、仮に無投票当選となっても、10月の就任演説で生徒会長の辞任表明でもされたら水の泡だ。
新会長の辞任にともない生徒会は解散。今の生徒会はすでに解散しているからすぐには選挙管理委員会を組めない。
そして、生徒会不在が長引くと影響が出てくる学校行事がある。つまり」
「文化祭が中止になる」と、俺が引き取り、菅原会長はうなずく。
そうか。
ここで繋がってくるのか。
あらためて思い知らされた。
大原が責任を取ると言った言葉の重さを。
対立候補なんかじゃない。
篠崎京介。
まじ、自爆テロリスト。
無頼がすぎるぞ。
つまり、生徒会は篠崎先輩を生徒会長にしたいが、コントロールからはずれて辞退とか辞任する可能性もある。だから、保険として対立候補を用意することにした。そして、白羽の矢が立ったのが。
大原いずみ。
「このことを大原は知ってるんですか?」と菅原会長に問う。
「もちろん言ってある。どういうわけか、選挙のことより、文化祭のことをやたら気にしていたけどな」
そうすると、大原の考えは。
立会演説会での篠崎先輩の立候補辞退を受けて、無投票当選で生徒会長になり、文化祭を実行する。
同床異夢とはこのことだ。大原と俺や水越達とでは見えている未来がまったく違う。
そして、室付になったことで、俺の立ち位置はさらに微妙なものになった。
大原は何もしなくても選挙に勝てる。選挙対策なんて必要ない。選挙参謀など無用の存在。
大原からすれば、俺のすることに付き合ってあげてる程度の認識でしかなかったのだろう。
そんな時間があるのなら、早期に文化祭を実現するプランを考えてろとでも思っていたに違いない。
だが、篠崎先輩が立候補を辞退しない場合はどうなる?
「選挙をしたら篠崎先輩が勝ちますよね。辞任させない方法でもあるんですか? ……篠崎先輩の弱みを握っているとか?」
「室付の発想、ヤバいんだけど」と菅原会長が顔をしかめるのに対し、櫻井さんが。
「俺達もそれは考えた。服部さんと福本さんにお願いして、カラオケや映画に誘ってもらった。二人きりになったら、何か起きるんじゃないかと思って」
と言ってため息をつく。服部さんと福本さんも遠い目をしている。
「俺、聞いてないんだけど?」と言う菅原会長を無視して櫻井さんがうなだれたまま声を絞りだす。
「……全部断られた。食事もデートも」
「マジか? 俺なら付いていくぞ」
「「「会長ーっ!」」」
「えーっ、なんでー?」
「……篠崎は、毎日のルーティンを崩したくないそうですよ。食事も寮の栄養士が考えた献立の料理しか食べないそうです」
「えーっ! 寮のご飯、超少ねーのに。俺なんか足りなくて、毎晩カップラーメンを食ってるぞ」
「それ、会長だけじゃないんですか」
「そんなわけないだろ。他の寮生も俺の部屋にカップラーメンを食べに来てるぞ」
「だめですよ。それ。寮の管理人に報告してただちに没収してもらいます」
「そんな〜あ!」
俺の上司、大丈夫なんだろうか。
頭を抱える菅原会長を放っておいて、櫻井さんと俺は話を続ける。
「そんなことはどうでもいいが、先程の室付の質問、篠崎が勝った場合だが、ウルトラCを考えている。けれど、そのためには、大原が篠崎と接戦してくれないと話にならない」
「ウルトラC?」
「それについては、今教えることはできない。大原が善戦してくれなければ絵に描いた餅だからな」
今となっては、勢いで室付なんてものになってしまったことが悔やまれる。
好奇心は猫を殺す。
飛んで火に入る夏の虫。
それが俺だ。
だが、ここに至ってはしかたがない。するべき仕事を淡々とこなしてゆるゆるとフェードアウトしていこう。
大原が勝てるとわかった以上、生徒会からは距離を置きたいからな。
ただ、櫻井さんは危険だ。敵に回してはいけない人だ。
だから、俺の仕事の内容だけは意思の一致をしておきたい。これ以上深入りしないで済むように。
「わかりました。そうすると、俺の仕事は大原の票集めと櫻井さんへの報告ということでいいですか?」
「そうだ。遠慮せずに徹底的にやってくれ。結果、篠崎が負けてもしかたがない。まあ、そんなことにはならないだろうが」
「櫻井さん、もう一つ聞きたいんですが、どうして、大原を選んだんですか?」
「室付は、もう気がついてるかもしれないが、生徒会長以外の役員は特進クラスから選ばれている。
形式上は生徒会長が任意の生徒を指名することになっているが、実際は学校側が1、2年のA組から選んだ生徒の中から生徒会長が選んでいる。
次の生徒会で、大原はその最有力候補であり、かつ、スポーツ特待生を押しのけて駅伝の代表に選ばれた選手だ。
もしかすると、全国大会に出て学校の顔になるかもしれない。俺達はそう思ったんだ」
「櫻井さんは2年ですよね。次の生徒会には?」
「会長が誰になろうと、俺は副会長として留任が決まっている。服部さんと福本さんの後任は1Aから選ぶことになるだろう。室付も候補に入っていたが、今回ははずさせてもらった」
「それは、強制わいせつの件があるからですか?」
「それもあるが、……新生徒会に変な噂が立つと困るんだ。実際に生徒会室で乳繰り合うとは俺も思ってないが。
……これ、室付が書いた演劇の台本、そうだよな?」
そう言って、ローテーブルに積まれた書類を人差し指でとんとんと叩く。
……これは、伝説の第二稿。エロいやつ。
なぜこれがここに? 大原達に全部回収されたはずじゃ?
クラスの中に裏切者がいるのか?
額から落ちる冷や汗を手でぬぐいながら、無駄と知りつつも一応聞いてみる。
「最後にもう一つだけ。室付って、今は俺一人ですか?」
「……その質問は無意味だな。仮にそのとおりだとしたら、そうだと答えるだろうし、もし君一人じゃなかったなら、その人を守るためにそうだと答える。つまり、答えはイエスしかない」
「すいません、あと、もう一つだけいいですか? これで本当に最後にしますから」
「別にいいけど。なんだ?」
「わいせつ文書とか強制わいせつの非違行為を犯した俺が、今まで何の咎めも受けていなかったのは、どうしてですか?」
「この程度の表現をわいせつだと咎めるつもりはない。問題なのは生徒会役員が生徒会室で……という点だけだ。
それから、強制わいせつの件は、親告罪だからだ。大原が被害を訴えない限り君を処分することはない。
だが、覚えておけ。平成22年の刑法改正の際、衆参両議院の附帯決議で、性犯罪の罰則のあり方について検討を要するとされた。また、同年末に閣議決定があった第3次男女共同参画基本計画では、女性に対するあらゆる暴力の根絶に重点を置くことになり、平成27年度末までには具体的な施策として、強姦罪の非親告罪化という見直しが検討されることになっている」
櫻井さんが俺をにらみつけて言った。
「つまり、刑法が改正され、強制わいせつ罪が非親告罪になっていたら、君は、今日この学校にはいない」
「あっ、いないと言うのは、休んでるからという意味じゃないぞ」
「「「会長ーっ!」」」
「すいません。更に疑問が増えちゃいました。もう一ついいですか?」
「最後とか言わずに、いくつでも聞いていいよ。どうぞ」
「篠崎先輩がそこまで生徒会長を嫌がるのはどうしてですか? 何か難しい仕事でも?」
これには櫻井さんも腕を組んで黙りこんでしまった。その代わりに菅原会長が教えてくれる。
「生徒会長の主な仕事は、お昼休みに生徒会室にいることだ。俺は前任の近藤さんからそう引き継いでいる。
だが、誰も来ないし、暇だから、置いてあった書類をながめて、ポストイットが貼ってあるところに印鑑を押して時間をつぶしてる。
あと、生徒会室の掃除。これは毎日。暇だからな。それから、昼休みに誰かが来てくれたら、コーヒーを淹れてごちそうする。一人ぼっちは寂しいからな」
「「「会長〜っ」」」
3人の弱々しい声が響く中、午後5時をしらせるチャイムが鳴り響く。
「まあ、篠崎のことは俺達に任せて、室付は大原の面倒を見てやってくれ」
微塵も信頼できない菅原会長の言葉を最後に、俺は生徒会室を後にした。
なんか、どっと疲れた。
だけど、櫻井洋平。
頼りになる副会長。この人が生徒会を率いている。これまでの1年間、そしてこれからの1年間。
もしも、大原が生徒会長になったら、この人と……
そのことが、どす黒く俺の心に染み込んでくるような気がした。
❏❏❏❏
翌日の土曜日。
昼食を食べ終えた俺達は、クラスメイトが帰った教室で、壁に白いシーツを張って大原の立ち姿を撮影していた。
「いーね、いーねぇ~。いずみちゃん、かわいーよ」と言いながら、清水優子がスマホで何枚も写真を撮る。
「顔、そのままで、目線だけちょーだい」とか言いながらポーズを取らせてパシャパシャと。
絶対、こいつの趣味だろ。これ。
選挙ポスターをダシに、ここぞとばかりに自分用の写真を撮っているとしか思えない。
「シャツのボタン、はずしてみよーか」とか、それ絶対にアウトだから。ぐへへ。
ヤバい。よだれが出てきた。
レフ板代わりに百均で買ったホワイトボードを大原に向ける俺に、照明としてデスクスタンドを向ける水越。
怪しげなカメラワークで左右に回り込んだり下から見上げて撮影をする清水。
髪をかきあげたり、煽情的なポーズを取らされて、最初こそ恥ずかしそうにしていたものの、次第に大胆になっていく大原。
時間が経つにつれ、写真の枚数が増えていくにしたがって、大原も興奮してきているようだ。
大原の顔が上気して見えるのは、たぶん気のせいじゃない。
だから、俺は待つ。
すでに上履きも靴下も脱いで裸足になっている。
もしかしたら、シャツとかスカートも脱いでくれるかもしれない。その場に立ち会える幸運に巡りあえるかもしれない。
せめて、それくらいのご褒美でもないとやってられない。生徒会での話を聞いた後では。
いいぞぉ。清水〜っ、もっとやれぇ〜っ。
「もっと、自由になっちゃお〜か〜。い〜よ、い〜よ、スカート、少しだけ持ち上げてね〜。うん、そうそう。い〜ね、セクシーだね〜。もう、サイッコ〜」
大原の手がスカートを少しずつめくりあげていく。
その瞬間、とろんとした目が俺の目を捉えた。
「ひぃっ!」
慄くような声に、皆が正気に戻る。
だが、しゃがみ込んだ大原のかわいさから目が離せない。
最高だ。もう、死んでもいい。
清水と水越が大原に駆け寄り、俺をキッとにらむけど、俺、何も悪くないからね。
「ゴ、ゴブリン」と大原がつぶやいたのが聞こえたけど、そんなのどこにも見当たらない。清水の甘い声に浮かされて幻覚でも見たんだろう。
そうして撮影会は終了し、ポスターの宣材は集まった。
あとは、これをもとに、週明けまでに大原と清水、水越の3人でうまく背景を加工してポスターを作ってくれるだろう。
ひと仕事終えた俺達は、モスへと移動した。
撮影の慰労会名目で、演説の進捗状況を確認し、演説会での立ち居振る舞いを伝えるためだ。
正確には、櫻井さんに報告する内容を確認し、指示されたとおり原稿に修整を加えるためだが。
「公約は文化祭の早期実現一本に絞ったんだな」
原稿を見ながら大原に感想を伝える。
3人で一緒に考えたのだろう。清水も水越も神妙な顔で聞いていた。
「でも、これじゃ弱い」
俺の言葉にハッとした顔になる。
「そうなのよね。でも、公約と言っても」と清水が大原の顔を見る。
「学校に不満があるわけじゃない。変えたいなんて思ったことはないし、伝えたいこともない。わたしができることは、文化祭を元通り実現するだけだよ」
「でも、それすら怪しいな。この原稿だけじゃ」
「どういうこと?」
「文化祭を実現する具体的なプランがないってことだよ。それに、文化祭が終わったらどうするんだ? まさか、辞任とか考えてるわけじゃないだろ」
「山崎、いずみはそんな無責任な子じゃないっ!」と清水が気色ばむけど、肝心の大原は目を逸している。
……こいつ。
「そこで、提案だ。付け加える公約は危機管理態勢の構築。今回のように突発的な事態で学校行事が延期、中止となったときに代替イベントを検討できるよう学校側と連絡会を作る。その内容は新聞部を通じて適宜生徒に情報公開する」
「学校が乗ってきてくれるかな」と水越は懐疑的だが、いけるはずだ。
なぜなら。
これは、櫻井さんからの指示。
今回、理事会が期限を定めることなく文化祭を延期したことに、生徒会も教師の多くも納得していない。
しかも、理事会案件は生徒会の権限を超えている。連絡会の設置と情報公開は教師側の希望でもあるのだ。
篠崎先輩の演説原稿を書いている櫻井さんは、その部分を削って、大原の公約に入れるよう俺に指示してきた。
「それに、言葉だけじゃ足りない。大原の本気度が見えてこない」
3人を見渡して告げる。
「そこでだ。演壇のマイクに向かって原稿を読むのはやめよう。原稿は見ない。演壇の前に立って生徒一人ひとりの目を見ながらマイクを持って話すんだ」
「いやだよ。そんな恥ずかしいこと」と大原は言うが、清水と水越はすでに乗り気でいる。目の輝き方が違う。
この選挙、大原が二人を巻き込んだ形になっている。大原は何もしなくても勝てると思っているのだろうが、それを清水と水越に伝えないのなら、最終的には大原が折れるしかない。
俺にしても、上司から大原の票を伸ばすように言われている。ここで手を抜くことは許さない。
俺はずずっとコーヒーをすする。
3人が結論を出すのをゆっくりと待つ。
だけど、4人で囲むはずのテーブルに、俺と相対するように大原、その左右に清水と水越って、変じゃないか?
誰か一人が俺の隣に座るのが自然だよね? そこまで嫌われてるのかな。
なんか、つらい。
他の生徒が来るかもしれないファストフード店。誰かに見られても誤解されることのないように明らかに距離を置こうとしている。それが自然に振る舞われている俺という存在が惨めだ。
俺、なんか悪いことしたのかな?
うん。わかってる。
警戒されてるんだよね。知ってる。
セクハラ、いっぱいしてきたからね。
その間も大原への説得は続いている。
そんな二人に、大原は「恥ずかしいよ」と、まだ拒もうとしている。
ならば、と。
俺は、とどめの爆弾を投げつけた。
「文化祭、まさに今、やってたのかな?」
本来だったら、二日間の文化祭の初日になるはずだった土曜日の今日。
その土曜日の午後を俺達はこうして過ごしている。大原の声がやんだ。決着はついた。
撮影会から尾を引いていた熱はいつしか消えて、テーブルの上のドリンクを口にする者もいない。
誰一人口を開くことはなく、ただ時間だけが過ぎていく。
それはまるで、お通夜に集まった親友達の声に出せない嘆きのようにも思えたんだ。
❏❏❏❏
休暇明けの火曜日の放課後。
今日は告示日だ。
大原が立候補届を書く横で、俺達も推薦書に名前を書いている。
立候補に推薦人を求めているのは、面白半分で無責任に立候補するのを防ぐためだが、それ以外にも、この学校の生徒会長選挙では、この段階で6票が期日前投票されたことを意味する。
ほかにも、体育館で行われる投票と開票に立ち会う義務が生まれる。
推薦人として署名したのは、俺と清水と水越、それに勉強会メンバーの石月と永田だ。
これから、立候補届と推薦人5名の署名のある推薦書を生徒会室に届けるのだ。ポスター持ち込みと併せて。
ただ、俺は同行を遠慮した。
室付に任命され、それを大原達に隠している。選挙参謀とか言いながら、生徒会の犬に成り果てた。
そして、俺に大切な思い出をくれた大原達をいいように動かしている。
その後ろめたさが顔に出て、櫻井さんに不審に思われるのを恐れたからだ。
なんでこんなことになったんだろう。
俺が得るものなんか何もないのに。
櫻井さんの言葉がよみがえる。
『こいつ、条件次第で誰にでもしっぽを振るタイプですよ』
そのとおりだ。
いつまで経っても、俺は自分のことしか考えていない。
いや、何をしたいのか、もうわからなくなっている。
最低だ。もう、死んでしまいたい。
そんな勇気さえないのだけれど。