第12話 その候補者、無敵につき
2学期が始まった。
8月最後の週末に、学校が生徒に登校禁止を言い渡さざるを得ないほど、張りつき賑わせていたマスコミの姿はすでにない。
生徒の誰もが拍子抜けする思いで迎えた新学期だった。
それほどまでに世の中の関心は移ろいやすい。
学校生活は元通りとなり、俺と大原いずみが会話することもなくなった。
もちろん、お食事会も終わりを告げた。
いいように利用されたとわかってなお、一緒にご飯なんて食べられるわけがない。
というのは、建前で。
完全に振られてしまった身としては、大原と顔を合わせるのがつらかったのだ。
それでも、今、このクラスにおいて、俺は大原と組んでことを成し遂げた功労者だ。
クラス内での人気はうなぎ登り。
毎日、何人もの女子から話しかけられ、メアドを交換して、俺のスマホは宝の山でザクザクだ。
確かに。
大原いずみやクラスの女子達に対して思うところがないわけではない。
しかし、谷口先生が盗撮犯である事実にかわりはないし、もう終わったことだと、俺にも受け入れることができるだけの時間が流れた。
何より居心地のいい時間の楽しさが勝っている。
そうして。
ついには、何人かの女子達から誘われ、放課後、教室に残って勉強会をすることになったのだ。
お菓子とジュースを持ち寄り、机を向かい合わせに並べて、教科を日替わりにして皆で同じ問題集を解く。
30分経ったら答え合わせをし、わからないところを俺が教える。
5分程度休憩する中で、他愛のない会話をして楽しく過ごす。
休憩が終われば、再び問題集に取り組む。そうやって、帰宅を促すチャイムが鳴る5時まで過ごすのだ。
勉強会なんて、小学生のときの学童クラブ以来のこと。でも、当時と違って胸のうちが暖かくなるのは、異性と一緒に勉強をしている、しかも複数と、だからだろうか。
6人で机を向かい合わせにして、俺の両隣、正面、斜め前に女子がいる。
気のせいかもしれないけど、何かいい香りもしている。
残暑はまだ厳しく、開放した窓から吹き込む涼風だけで暑さをしのいでいる。
彼女達の首筋には薄っすらと汗が浮いているし、それがシャツに滲むのは、なかなかに色っぽい。
たまに、後ろ髪を手で持ち上げて下敷きをうちわ代わりにあおぐのも、眼福のいったりきたりだ。
そんな俺の視線に気づいても、嫌な顔をしないで、にこりと笑いかけてくれるのを見ると、もう、死んでもいいとさえ思ってしまう。
これ以上のパラダイスはない。
そんなハーレム気分に酔いしれる時間が増えていくのと同時に、男子達との距離は確実に離れていった。
男子達とは、休憩時間に話をするぐらいには親しくしているつもりだが、学校帰りに遊びに誘われることは全くない。
終業のチャイムが鳴ると、何人かで連れだって「ボーリングに行こうぜ」とか、わいわい騒ぎながら教室から出ていくのを見送るだけだ。
俺一人が孤立しているわけでもないのだが、声をかけられない一抹のさみしさは拭いきれない。
と言っても、誘われてもたぶん俺は断わる。
明らかに俺を中心に据えてくれている勉強会。場所が喫茶店やカラオケ店ではなく、放課後の教室というだけ。
することがボウリングやカラオケではなく、勉強というだけ。
たったそれだけの違いにすぎない。
むしろ、男子に囲まれるより女子に囲まれる方が楽しい。
だって、男子の中では何かをしないと、つまらないやつと思われるけど、ここではそんなことは求められないからね。
こうして、俺の気持ちは、急速に勉強会メンバーとのつながりに傾いていった。
特に、休憩時間に交わす女子達の何気ない会話は、それが俺の知らないスイーツやカフェの話であろうと、新鮮で、ただ聞いているだけで幸せな気分にさせてくれる。
もっとも、俺はもっぱら聞くか、聞かれたことに「そうだね」「いいね」と答えるだけなのだが。
……こうして、大原に振られた傷も忘れていくのだろう。
そう思っていた。
今はまだ傷が深くて無理だけど、いずれこの子達の誰かと付き合う未来もあるのかもしれないと。
そうやって。
俺は、勉強会メンバーの田村春香、石月恵子、後藤しおり、永田由紀子、そして水越まゆみの5人と一緒に過ごす時間に癒やされていったんだ。
そんな日々がしばらく続いたころ、勉強会で休憩する合間に、石月恵子が水越まゆみに「小耳にはさんだんだけど」と心配そうに問いかけた。
「今度の生徒会長選挙に、いずみが立候補するとか、しないとか」
「それ、わたしも聞いた」と永田由紀子も相づちをうつ。
田村春香と後藤しおりも、うなずきながらじっと水越まゆみの答えを待っている。
水越まゆみが、大原いずみのシンパであり、信奉者であることは周知の事実だ。
移動授業で、理科実験室や語学リスニング教室に向かうとき、教科書を抱えて颯爽と歩く大原を先頭に、そのすぐ後ろを清水優子と水越まゆみが並んで続く様は、このクラスの真のリーダーが誰であるのかを雄弁に物語っている。
なぜなら、A組のクラス委員長は清水優子、副委員長は水越まゆみだからだ。
4月のクラス委員投票で、女子達の圧倒的多数の支持を得て、拍手をもって清水がクラス委員長に、水越が副委員長に迎えられたとき、この二人が真っ先に駆け寄ったのが大原いずみのところだった。
入学式で新入生挨拶をした俺に投票してくれたのは、男子の10票だけ。
まだ、人となりもわからない中、大原を中心としたグループは、しっかりと女子達の間にネットワークを張りめぐらせていたようだ。
影の女帝かよと、当時は思ったものだが、そのうち、大原に陸上部と勉強を両立させるためのサポート態勢をクラス女子達が組んでいるのだということがわかってきた。
俺達A組は勉強をするのが仕事だ。言い換えるなら、勉強はできて当たり前。ならば、クラス内で差別化を図るには、他の能力を示すしかない。
そこに。
大原が、体力測定で圧倒的な脚力を見せた。
受験で体が鈍っていたとはいえ、男子ですら大原の記録には遠く及ばない。
その上、クラスで唯一の運動部所属。
特進クラス生が、スポーツ特待生に混じって陸上部で戦う姿は、彼女達にとって、ジャンヌ・ダルクのように見えたのだろうか。あるいは、オスカル様のように。
そのどちらもが、最後は敗北したのだが。
しかも、そのまぶしい輝きをまとったヒーローは、この夏、クラス女子の代弁者として大きな成果をあげた。
懲戒解雇となった谷口先生に代わって、川村コーチが復職したのだ。
大原は、その大逆転のドラマを演出した立役者として、クラスで絶対的な信頼を得た。
その方法は、陰湿で、手放しで賛同できるものではない。
けれど。
犯罪者を表に引きずり出し、パワハラを受けていた女性コーチを救った勇者であることは間違いない。
このクラスの女子達にとって、大原いずみは、大人の理不尽に立ち向かい、捻じ伏せて正義を断行する姿を見せた憧れの存在なのだ。
そんな大原が生徒会長選挙に立候補しようとしている。
それは、クラス女子にとって他人事とはいえないくらいに重大なことだった。
「それで、わたしも優子も困ってるの」
そう言って、水越は目を伏せる。
「……そもそも、いずみは選挙なんか出るつもりはなかったのよ。それを、菅原会長が」
「生徒会長?」
石月恵子の疑問に水越は手を振りながら答える。
「生徒会長がいずみを立候補者に指名してきたの。本来なら、次の生徒会長は陸上部の篠崎先輩で決まりでしょ? でも、それだと、対立候補がいなくて選挙にならないから立候補してくれって」
「それって」と永田由紀子が「かませ犬ってことっ?!」と憤慨する。
水越は黙ってうなずく。
「そんな」、「ひどいよ」と田村晴香と後藤しおりも顔を曇らせる。
「そうなのよね。負けるのが確実の選挙戦。負けるだけならまだしも、たぶん、陸上部では、篠崎先輩に歯向かう不穏分子みたいに言われるわ。1年生が立候補することで上級生からは、身の程知らずって笑われるかもしれない」
「なら、どうしてっ!」
水越の答えに永田は納得しない。「そんなの、断わればいいのにっ!」と。
「そこなのよね。これは、わたしの憶測なんだけど」と声をひそめて水越は言う。
「たぶん、篠崎先輩って、いずみの初恋の人なんだと思うのよ」
「「「「「えーっ!」」」」」
女子達の声に混じって俺の声も響く。
おい、水越。
あんたいたの? って目で俺を見るな。
最初からいたからな。なんなら、この勉強会では教える側だからな。
……そんな、いたことに初めて気づいたような顔はしないでくれ。あと、他の4人も目をそらすのはやめろ。
確かに、俺は大原いずみに公開告白した。そして、先日、とうとう完全に振られてしまった。
俺が大原に話しかけなくなったことで、彼女達も薄々感じているのだろうけど。
俺の前で大原の話題が出るのは、これが初めてのこと。
だからと言って、憐れまれる覚えはないぞ。特に、水越。お前は大原と同性という時点で、俺とおんなじ立場なんだからな。
いや、ホントやめて。
痛いから。心が痛くて、泣き出しそうだから。
だけど。
いやでもあの日の光景が思いおこされる。
あの雨上がりの夕刻、まだ太陽の輝きが残る学校の玄関で、大原の隣に立つ頭一つ背の高い男子の背中。
スポーツ特待生の、大原の中学時代の先輩。
そして、何より。
その男に向けた大原の笑う横顔。
あれが、篠崎京介。
そんな俺の姿を心配したのか。隣に座る後藤しおりが肩を叩いた。
「どんまい」と笑って。
田村晴香もサムズアップで俺を励ます。
いや、なんかもうね。
いたたまれないんだけど。
あと。
腕組みをして、ふんすと胸を張るのはやめろ。水越まゆみ!
お前が、焼肉パーティーのとき、大原のために野菜を焼きながら、俺とメアドを交換しようか、野菜を焼くのを優先しようか悩んだあげく、トングを手放すことなく野菜を焼き続けたことを俺は忘れてないからな。
その水越まゆみが大原をかばう。
「いずみのことだから、自分がどう思われようと、篠崎先輩のために何かしたいんじゃないかな」
「だとしても、そこまでするっ?」と永田由紀子の怒りはおさまらない。
「篠崎先輩ね。いずみが東京に引っ越してくる前の中学の先輩なのよ。地方から出てきて、親元を離れてスポーツ特待生で頑張ってるのを応援したいって思ってるんじゃないかな」
「いずみは、もう立候補するって決めたのかな?」
田村晴香の問いに、水越は黙って首を縦に振った。
「そっかあ」と後藤しおりの力ない声が他に誰もいない教室に響いて消えていく。
大原本人が望まない選挙戦。しかも、相手は当選確実の大本命。
争う者がいない選挙戦にあえて立候補するなど、学校中を敵に回す愚かな行為だ。
それが、選挙を成立させるために生徒会が仕組んだものだとしても、いっときの感情に流されて下す決断にしては、あまりにデメリットが大きすぎる。少なくとも大原にメリットなどない。
その無意味な選挙戦に、大原が巻き込まれようとしている──
そのことが、大原いずみに対する心配となって女子達の顔に表れている。
せめて、あと1年あったなら、相手が誰であろうと絶対に負けさせたりしないのにと。
だが。
生徒会長選挙は、実質、学校の人気投票みたいなものだ。
本当のところ、候補者がどういう人間なのかよく知っている人間は少ない。そんな中で、スポーツ特待生が全国大会で残した成績には抜群の知名度をもたらす効果がある。
自分が通っている高校の名前が新聞を飾り、ニュースに流れたという誇らしさも含めて。
次の生徒会長は、陸上部の2年生、篠崎京介で決まりだと、誰もが思っていた。
それ以外の名前を誰も思いつかないくらいに。
篠崎先輩の名前が知られるようになったのは、昨年のインターハイ出場からだ。
あと一歩の差で決勝を逃したことも、悲運として校内のファンの語り草になっている。その後も1年生としては目覚ましい活躍をしてきた。
そして、迎えた今年のインターハイ。
開催されたのは北部九州。篠崎先輩が出場する陸上競技が行われたのは大分県。
篠崎先輩はそこで短距離走に出場し、ついに、100メートル競走では決勝に進出した。
優勝は逃したものの、3年生選手に混じって健闘した。もしかしたら、来年はインターハイ優勝も夢じゃないと、校内新聞は新学期早々から煽っていた。
この学校に5人しかいない全国大会出場経験者のうちの4人は3月に卒業する。
たった一人残る全国区。
つまりは、生徒会長選挙において、揺るぎようのない絶対的存在。
そんなやつを相手に、大原は戦いを挑まなければならない。
とうてい納得できない話だった。
夏休み、食堂にいた大原と清水をめぐって野球部とサッカー部が争い始めたとき、間に入った柔道部の菅原会長が言った言葉を思い返す。
『こいつは大原いずみ。陸上部の篠崎京介が順当に生徒会長に選ばれたら生徒会役員になる』
大原だって否定はしなかった。
『クラブ予算は成績に応じて付けます。わたしは、単に気に入らないというだけで予算を減らしたりはしません。たぶん』
確か、そう言っていたはずだ。
あのとき、すでに、生徒会役員になったら、野球部の予算を減らすつもりでいたはずなんだ。
今年も早々に地区予選で敗退し、引退した3年生がいない野球場で、のびのびと楽しそうにゲートボールのまねごとをしていた野球部にかける情けなど、大原いずみは持ち合わせていない。
コンマ1秒を争う厳しい世界に身を置いている陸上部の大原なら「はぁ? 横浜で練習試合? 走っていけますよ? 陸続きでよかったですね」とか平気で言いそうだ。
いや、あの専用野球場についても「遠征費用を捻出するのにいい土地をお持ちでしたよね。野菜を作って市場に出荷したらいかがですか?」とか言いだしかねない。
なんせ、泥だらけのユニフォームを誇らしげに着ている姿を見ている。泥にまみれることを惜しまない人達だと認識しているはずだ。
かわいそうに。
いや、野球部のことだよ?
アスリートの世界の厳しさを考えるとね。
特に、篠崎京介の主戦場である100メートル競走。
陸上競技の中でも、非常に高い人気を誇る花形競技だ。
男子の世界記録保持者は「人類最速の男」、オリンピックの優勝者は「世界一速い男」と呼ばれることは俺だって知っている。
世界最高速は、2009年にウサイン・ボルトが刻んだ9秒58。
日本人にはいまだ遠い世界だけど、いつか誰かがその頂に立つことを夢みて、陸上競技界全体が切磋琢磨してきた。
その様相は、数ある短距離走の中で、唯一、100メートル競走のみが直線を走り抜けることに似ている。
スタートダッシュに駆け引きはあるだろうが、走り始めたら関係ない。前だけを見て、自分のレーンをまっすぐ走って速さを証明する。単純に脚力の強さだけを追及する。
100メートル競走で勝つために必要な骨格が生み出す最高速と、より早く最高速に到達する加速を手に入れようと、試行錯誤を繰り返し、今日の失敗を明日の糧にしてくれと、次の代に夢を託す。
ああ、ドーピングはなしだ。それを許すのは、足そのものに特殊反発材の加工を施すのと同じことだからな。
恵まれた体躯と鍛えた筋肉が繰り出すその黄金の一歩の連続で、正しくは、類まれなストライドの大きさとピッチの速さの連続で、勝利をもぎ取ろうと足掻く。
最速で走り抜けるのに、四十何歩で走るのが最適なのか、競技者と指導者はそこまで理想を追い求めるのだ。
彼らが目指す体作りの差は、加速力の差となって表れる。
走り方に、前半逃げ切り型と後半追い込み型に分かれるものの、いずれにしても、わずか10秒、時速36キロで直線を駆け抜けなければ勝てない。
この競技における日本人の闘いは、1911年から始まった。
男子100メートル競走の初の日本記録は手動計測で12秒0。
記録したのは、三島弥彦。
1911年、スウェーデンのストックホルムで開かれる第5回国際オリンピック大会代表を決める大会で1位となったときのものだ。
そのオリンピックに日本から出場したのは、金栗四三と三島弥彦の二人だけ。
しかしながら、オリンピックの予選で惨敗を喫した三島弥彦は、金栗四三にこんな言葉を残したと言われている。
「金栗君。日本人にはやはり短距離は無理なようだ」と。
それから100年。
1968年 飯島秀雄 10秒34
1984年 不破弘樹 10秒34
1991年 井上悟 10秒20
1993年 朝原宣治 10秒19
1998年 伊東浩司 10秒00
長い時間をかけて、コンマ1秒の単位で10秒台を削ってきた。
こうして、日本人の100メートル競走への飽くなき挑戦は続く。
コンマ1秒への執念は、もはや個人のものではない。後進を導く指導の中で日本人のDNAを神の領域に刻み込もうと、十代前半から才能を見つけては挑戦を繰り返してきた。
今となっては、この競技で11秒を切れない高校生はインターハイの決勝に進むことはできない。
もっとも、いまだ9秒台で走った日本人もいないのだけれど。
つまりは、日本人にとって、100メートル競走とは、10秒台前半をコンマ1秒で争う競技なのだ。
今年のインターハイで決勝を走った選手のうちの誰かは、いずれ9秒に届くのだろう。世界の扉を開ける日はきっとそう遠くない。陸上競技界がそれを期待している。
篠崎京介という選手は、その扉を叩く可能性を持った日本人の一人なのだ。
だから、知りたいと思った。
絶望しか感じられない選挙に、大原いずみが何を考えて応じたのか。なぜこんなさらし者になるしかない未来を断らなかったのか。
もう大原に関われる理由がないとわかっていても穏やかではいられない。心配しているのは、彼女達だけではない。俺も同じだ。
そして。
ついに、生徒会長選挙の告示を知らせるポスターが校内各所に掲示された。
【告 示】
平成25年9月17日(火)
【立候補受付】
平成25年9月17日(火)
午後3時30分から午後5時まで
場所 生徒会室
【届出に必要な書類】
立候補者の届出書
推薦人5名の署名のある推薦書
【選挙活動期間】
自 9月17日(火)届出時刻
至 9月20日(金)午後5時
【立会演説日】
9月18日(水)午後1時から
各候補者につき持ち時間15分以内
場所 体育館
【投票日時及び場所】
9月24日(火)午後0時10分から午後0時50分まで
場所 体育館
【開 票】
9月24日(火)午後1時
場所 体育館
平成25年9月12日
選挙管理委員会代表
生徒会長 菅 原 大 毅
それは。
実質3日しかない選挙活動期間の宣告。
この間に何ができるだろうか。
惨敗しか見えない未来を見据えて、大原いずみに何か策はあるのだろうか。心配で胸が痛くなる。
いや、違う。
大原がどういう未来を見ていようと、俺もともにありたいのだ。
惨敗するのなら、その責を一緒に引き受けたい。
無謀だと、身の程知らずだとそしりを受けるのなら、その罵声をともに浴びせられたい。
泥水をすすらなければいけないのなら、俺はその半分を飲み干したい。
たとえ振られた身だとしても、俺の助けなどいらないと拒絶されたとしても、俺は、大原の力になりたいのだ。
報われたいわけじゃない。
愛されたいわけじゃない。
見返りなど求めていない。
ただ、大原いずみの悲しそうな顔を見たくないだけだ。
精一杯やって、力及ばず敗れたときに、その身に降りかかる侮り、蔑みから守る傘になりたいだけだ。
好奇の目から守る盾になりたいだけだ。
大原いずみの決断を、行動を肯定してやりたい。誰もが二の足を踏むのならなおさらだ。
だが。
そうであるならばこそ、俺は、大原と話さなければならないと思った。
何を考えて、何を得ようとしているのか。
それが、たとえ、篠崎京介への思いから出ているのだとしても、俺は、俺だけは、大原いずみの味方でありたいと思ったんだ。最後まで。
だから。
俺は立ち上がったんだ。
女の子達が俺を見上げている。
水越まゆみは、こいつ、いきなり何って顔で。
永田由紀子は、救いを求めるように両手を組んで。
石月恵子は、やれやれと首を横に振って。
田村晴香は、期待をこめたまぶしい笑顔で。
後藤しおりは、唇に歪んだ笑みを浮かべて。
「大原が立候補するのなら、俺は応援したい。時間が足りないから、相手が強敵だから何もしないというのは、大原には似合わない。
この戦いはクラス全員で臨むべきだと思う。だから、全員で話し合おう。
勝つためにどうすればいいか、大原のストロングポイントは何なのか、篠崎先輩のウィークポイントは何なのか、全員で情報を共有して戦略を練り、勝利を目指そう。
だが、俺には人望がない。男子を取りまとめる力すらない。
それでも。
どうすれば、大原にとって最高の結果を迎えられるのか、まずは大原の考えを聞いておきたい。
皆も同じ思いなら、協力してほしい」
そう言って頭を下げる。
「そうだね」
「やってみようか」
「このままじゃいやだ」
「何もしないというのもね」
だけど。
水越が「わかってるの?」と水を差す。
「全校生徒は780人。つまり、30対750の戦いよ。ベストな戦略は撤退しかないの。わたし達がするべきことは、いずみに立候補届書を提出させないこと。たとえ妨害してもね」
二つの机を間にはさんで立ち上がった俺と水越を見上げながら、他の4人は戸惑いを隠せずにいる。
告示日まであと5日。
選挙戦を前に、俺と水越の内部抗争がこうして勃発した。
大原いずみをそっちのけにして。




