君が作るお菓子は、
朝のホームルームが終わって、一限目が始まるまでの時間。この時間はあまり好きじゃない。
「翔ちゃん。はい、これ」
よく通る声がして、とす、と机の上に何の飾り気もない茶色い紙袋が置かれる。ふわりと鼻先に届いたのは、甘いココアとチョコレートの匂い。
目の前には腕を組んだ綾香が立っている。
「……懲りないな、お前も」
「今日は自信作だから!」
肩にさらりと触れる黒髪を後ろに流して綾香が言う。俺は渋々、机の上に置かれた紙袋を取る。中にはマフィンが入っている。
これは、ここ最近続いている朝の恒例行事。家がケーキ屋というだけで、綾香が作ってきたお菓子の味見をさせられている。高校に入ってからは交流なんて途絶えていたのに。
マフィンを取り出す。ココア色のマフィンの上には、銀色のアラザンと星型のホワイトチョコレートが飾られている。最初に持ってきた焦げたマドレーヌから比べたら、かなりの進歩だ。
緊張まじりの綾香の視線を受けながら、一口かじる。ほろほろ崩れるマフィンの中から、じゅるりとビターチョコレートがこぼれる。甘いココアの中にほろ苦いカカオの味が広がる。アラザンやホワイトチョコレートの食感も楽しい。
二口でマフィンを食べ終わると、口元についたチョコレートをぬぐう。
「……まだまだだな」
「えー! また?」
綾香を見上げれば不服そうに尖らせた唇が目に入る。慌てて視線をそらし、壁の時計を見る。もうすぐ一限目が始まる時間だ。
「とにかく、まだ合格は出せん。もう授業始まるから席に戻れよ」
綾香は不満そうにしながらも、ドアが開く音に大人しく席に戻っていく。
「さっきの、うまそうだったじゃん」
綾香がいなくなると隣の席の男子が話しかけてきた。
「そんなの当たり前だろ?」
実際に見たわけではないけれど、綾香の努力を俺は知っている。毎日作ってくるお菓子の味がどんどん洗練されていくから。
「じゃあ、なんでうまいって言ってやらないの?」
「だって……」
席に着いた綾香は真っ直ぐ斜め前の席を眺めている。その横顔は、俺に向けるものとは全く違う。さっき食べたほろ苦いマフィンの味を思い出す。
「だって何だよ?」
そいつの言葉を無視して、机に突っ伏す。
(……だって、うまいって言ったらもう、あいつのお菓子、食えないじゃん)
それに、きっと俺のところにも来なくなる。
だから、絶対に認めてやらない。
そっと綾香を盗み見る。最近よく見るその表情に小さく唇を噛み、視線をそらした。