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空と海が交わるセカイで  作者: 酔っ払ぱらみんと
1/1

序章


挿絵(By みてみん)



 ――


 ――――


「はぁ、はぁ、……くそ、しつこいな」


 荒く吐き出される白い息。肩を並べて追手から逃げている双子の片割れカイは、恨めしそうに後ろを見やる。

 カイの隣を走るのは、彼の双子の姉にあたるソラ。森の中にある道とも言えないような道を進む二人。幼い歩幅で、けれども木やら岩やらの障害物を上手く使い、後ろからやってくる追っ手たちを引き離しつつあった。


 空がぴかっと白く眩しく光ったかと思うと、その数秒後にがなり声をたてる。普段は小さな雷ひとつで肩をすくめるカイだったが、このときまではただ走ることに夢中で、時折後ろを確認する仕草を見せるのみである。


「あれ!ミズ様の洞窟」


 どのくらい走ったのだろうか。ふとソラが、包帯をぐるぐる巻きにしている左の手でカイの背中を叩き、指をさす。その指の先には、二人が見慣れた洞窟があった。


 夕焼けが木漏れ日となって洞窟の上に降り注ぐ。中は仄暗く見えはっきりとは分からないが、二人にとっては「秘密の遊び場」、何度も訪れたことのある勝手知ったる洞窟である。

 緊張に塗れた逃走劇もようやく終わりが見え始め、カイはやっと安堵の表情を見せた。


 この洞窟は、家の大人たちからは「水蛇(みずへび)の祠」と呼ばれている場所で、洞窟の奥に「水蛇様」を祀る祠がある。祠を含めた洞窟の内部は神聖視されているが故に、古くからその立ち入りを禁止されている。一方で彼ら大人たちには内緒で、二人は人目を忍びこの洞窟によく遊びにきていた。その経験から、洞窟自体は迷路のように入り組んだ構造になってはいるが、二人は地図がなくとも道に迷うことなく祠まで辿り着くことができる。

 ソラもカイも慣れた様子で、入口にこしらえられた古びた縄を掻い潜り洞窟の中へと入った。


 二人がこの水蛇の祠に逃げ込んだことにまだ気づいていない追っ手たちは、洞窟周囲の木々の枝をガシガシとかき分けながら、必死に捜索を続けているようだった。しかし二人が洞窟を進むにつれ、後方の、枝をかき分ける音も徐々に小さくなっていく。


 やがて何も聞こえなくなったとき、カイは大きくため息をついた。つられて、ソラの頬もわずかに緩む。


「とりあえず、祠まで行ってから休もう」


 ソラがカイに声をかけると、カイは小さく頷いた。


 ひたひた、ひたひたと、二人の子供が歩いていく。洞窟内は外よりも冷たく、湿っぽい空気で満たされている。自分たちの水っぽい足音と、密かな呼吸音だけが空間内に響いていた。


 ――


 ――――


 それは、歩みを進め祠の手前の道に差し掛かったときだった。

 洞窟に入ってから少しずつ、ほんの少しずつ増していく妙な不安感。ひしひしと場を侵食するような空気。カイはやがて我慢できなくなり、ソラに話しかけた。


「なあ。何か、変じゃないか?」


「……やっぱりそう思う?」


 ソラも、カイの言いたいことを察し同調する。

 遊びで訪れたときには感じることのなかった言い知れない「何か」を感じているのは、カイだけではなかった。更に歩みを進めると、ついに二人は全身が総毛立つような感覚に襲われる。


 祠はそこの角を曲がった先にある。そして、この感覚は明らかにその祠のある空間から漂ってくるものだった。


「引き返した方がいい、かな?」


 ソラが立ち止まり、カイに尋ねる。

 僅かに震えるソラの手に気づくも、カイは首を横に振る。


「だめだ。祠の裏からじゃないと、安全に森の果てには行けない」


「……時間が経てば、この感じも収まるかもしれないよ」


「それもだめだ。こんなところで夜を過ごして、魔獣が寄ってきたらどうするんだよ」


 ソラの案を、再びカイが一蹴する。

 水蛇様の祠が立入禁止だというのは、あくまでも人間にとっての話である。夜になり森の魔獣が目を覚ますと、この洞窟の中であっても安全だとは言い切れないのだ。


「……行くぞ。ここを越えれば、俺たちは自由なんだ」


 カイが、祠に向かって再び歩き始める。ソラは慌ててその後を追った。


 しかしふと。

 カイの足が突然止まった。カイの目線の先には、水蛇様の祠があるはずである。

 勢い余ってカイの背中にぶつかるソラ。何事かと、カイの目線を追う――



 ――――「見るな!」



 カイが素早く、ソラの目を手で覆い隠した。ソラはカイの大声に驚き、そして戸惑いの表情を見せながらカイに訳を問うが、カイは何も答えない。


「ソラ。目を瞑ったまま、左手を出して」


「え?でも……」


「いいから、早く!」


「でも、なんで……」


「ソラ、大丈夫。大丈夫だから、俺の言うことを聞いて」


 カイの緊迫した声に気圧される形で、そろそろと目を瞑り左手を差し出すソラ。

 ソラが目を瞑っていることを確認したカイは、自身の手をソラの目から離し、彼女のその左手に巻かれた包帯を慎重に解き始める。


「え……」


「大丈夫だから」


 強張ったその体に反して、優しい声音でソラに告げるカイ。強がりにも思えるソラのその様子に対して、訝しげに眉を潜めるソラ。


 カイは包帯を解き終わると彼女の左掌を自身の右掌に重ねた。


「……!」





 ―― そう、それは、包帯を介さず二人が手を重ねた、その、一瞬の出来事だった。

    重ねた両の手を中心に、波のような光が辺りを包む。 ――




 ソラは、全身の血がすべて左手に流れ込むかのような錯覚、そして、閉じたままの瞼の裏に閃光のような白がばちばちと弾けるのが見えたような気がした。また、それはカイも同じだった。


 カイは眩しい光に目を細め、しかし目を瞑ったままのソラとは違い、祠の方を真っすぐと見据えた――




 ――カイの目は、祠の前に折り重なって倒れている自身の父母の死体と、


 ――それを贄にして現れたのであろう、黒い、真っ黒な、影のようなものの姿を捉えていた。




 ソラとカイの手から発せられる光を受け、微かに身をすくめるような動きを見せる正体不明の影。しかしそれも一瞬のこと、すぐに影は、のこのことやってきた子供二人を食らいつくそうと、その闇のような体を大きく伸ばしカイに飛びかかろうとする。


「―――!」


 咄嗟に、しかしタイミングよく、カイの唇が何かを紡ぐ。

 それは詠唱のようなもの。名前のようなもの。契約の言葉。


 カイに呼ばれた「何か」がソラの背後から突如飛び出し、影の手を弾き返して二人を守るような様子を見せる。


 異様な雰囲気を感じとったソラがとうとう目を開けると、そこには二人の前に背中を向け立ちはだかる、水色の大蛇のような魔獣の姿があった。


「ミズ……様……?」


 魔獣―――水蛇は、ソラの言葉に反応し鳴き声をあげる。その声は水晶が輝くような、どこまでも透き通った海のような、そんな様々を連想させる尊いものだ。

 鱗は仄暗い洞窟の中で、自ら光を発するかのように虹色に煌めき、ふんだんに雫を纏っている。その雫がまた鱗の色を反射するものだから、あまりの美しさにソラは声を失い、ただその大蛇を見上げるばかりだった。


「水蛇様。俺たちを……いや、俺は、いい。

ソラを、外の世界につれ出して!」


 一方、カイが水蛇にそう告げると、水蛇は影に向けて尾を薙ぎ払った。長い尾は空気をも切るかのような短い、しかし鋭い音を発して影を後ろの祠ごと真っ二つに切断した。

 まるで紙のように、ひらひらと落ちてゆく2つに分かれた影。


 ゆっくりとその色は薄くなっていき、やがて、影の足元にあった2つの死体と共に消滅した。後には、少しひらけた空間に、壊れた祠が残るのみであった。


 洞窟の天井にも届こうかという巨大な水蛇の姿に隠れ、影の存在も壊れた祠も、そして両親の死体さえも見ることなく状況を把握しきれていないソラは、まだ呆然とした様子で眼前にそびえる水蛇を見つめている。


 そんなソラの隣で、カイの足がぐらりと揺れ、突如その場に崩れ落ちた。同時に、水蛇の姿もソラの視界から消える――



「……カイ!」



 我に返り、慌ててカイに呼びかけるソラ。カイは眠るように気絶しており、数度揺さぶっても意識が戻る様子はない。


「ねえ、カイ!起きて!」


 何が何だか分からなかった。しかし、カイの先ほどまでの行動が、すべてソラを守るために行ったことだというのは直観で理解していた。一拍遅れて、ソラの目が潤んでいく。


 思えば、カイはいつもそうである。比較的大人しいソラとは違い、思い立ったら即行動といった様子を見せていた。双子とはいえ弟という立場であるにも関わらず、「男の子だから強くあれ」と育てられた彼は、ソラのことを守るべき存在として強く認識していた。

 何事も信者たちに任せきりだった彼らの両親は、あまり二人の前に姿を見せることはなかった。一方でソラはカイの一番の理解者であったし、唯一の信頼のおける肉親であり、カイはソラを失うことを過度に恐れていた。


 ソラも同様である。カイはいつもソラを引っ張っていってくれた。新しい遊びを見つけては、彼はソラに教えてくれた。そしてカイが教えてくれるその遊びは、どれもソラを夢中にさせるものばかりだった。

 人見知りから、カイ以外の人――それがたとえ両親や、身の回りの世話をしてくれる乳母であっても、ソラは心を開くことができなかった。彼女にとって、弟のカイだけが絶対的な存在だった。


 ソラにとって訳の分からない事態が起こり、カイが倒れた。もし、このまま目を覚まさなかったら。このままカイがいなくなったら。そんな考えが脳裏をよぎるパニック状態の中、ソラは頬に雫が伝うのを感じた。


 やがて二人を包み込む静けさをかき消すように、ソラの後ろ――洞窟の入口の方から、ひたひたとした人の足音のようなものが聞こえ始める。

 彼女は一向に目を覚ます様子のないカイの傍を離れられず、止まらない涙を拭うばかりで、追っ手がすぐ近くまで迫っていることには気づかず、そして――



 ――ソラが、あっと思ったときにはもう遅かった。


 すぐ後ろに忍び寄った追っ手の一人が、手を伸ばしてソラの右腕を掴み引っ張ったのだ。


「やっと見つけましたよ。……カイ様は、どうされたのです?」


 それは、ひょろっとした長身の男だった。目の下のクマが、男の相貌をより不気味な印象にしている。彼は倒れたままのカイに一瞥をくれるが、特に狼狽する様子もない。

 皮肉なことだ。幼い子供らを大の大人が様付けで呼ぶことで崇拝している体を見せてはいるが、その態度はあまりにもぞんざいであり、男に彼女たちを敬う気持ちなど微塵もないことは明らかだった。


 質問に答えないソラを見て、男は軽く舌打ちをする。彼女の腕を握る手が、僅かに力を増した。


「痛、いっ」


「帰りましょうか、ソラ様。カイ様も私が運びます」


 小さく悲鳴をあげるソラを無視し、ソラの腕を引っ張りあげる。

 たくましい腕とは言えないが、紛れもない成人男性の力。かたや、ソラはまだ10歳を少し超えたばかりの子供であり、その力の差は歴然だった。


 しかしながら、ソラは思う。カイと一所懸命に計画を立て、子供ながらに多くを費やしながらようやくここまで辿り着けたのだ。そしてその果てに、カイはソラを守るために気を失った。この状況でまんまと捕まってなるものかと彼女は足を踏ん張り、ちっぽけだが強固な意志をみせる。


「……?」


 ほんの僅かな拮抗の後、男は違和感を覚えてソラの手を離した。ソラは、突如行き場を失った自身の足の力によりその場によろけてしまい、そして今、彼女の目線の先には、自らの影――


 ――影、が、ゆらりと蜃気楼のように蠢く。


 ソラは目を瞑った。

 唐突に浮かんだイメージ。先ほど瞼の裏に見えた白が頭に浮かび、その眩しさを予感したのだ。



「……!」



 しかし。


 予想に反してその時はやってこない。代わりに現れたのは、ソラの影をその身にまとった水蛇の、鼻先。影の差す地面から突き出た黒い鼻先、という方が正しいだろうか。その鼻先が、ソラを下から支えるようにして、左腕と脇の間から彼女の体を持ち上げた。

 ぐん、と体が浮遊する感覚。ソラは、壊れた祠の向こう――カイと共に行くはずだった森の果てへと、自身の影に潜む水蛇によって運ばれようとしていた。


「お、おい!待て!」


「だ……だめ!カイが、まだそこに!」


 カイを捕まえようと手を伸ばす男と、水蛇に呼びかけるソラ。水蛇は男の手をひらりとかわすと、ソラの願いも無視してカイをその場に捨て置いたまま、彼女を運び洞窟の出口へと向かう。



「カイ――――――――――――!」



 ぴくりとも動かないカイと、目の前で起こった出来事に驚いて立ち尽くしたままの男。

 ソラは遠ざかっていく何もかもに手を伸ばしたまま水蛇に運ばれ、ついには、森の果てへと一人たどり着いたのだった。



 ――


 ――――



 これらは、物語の序章である。

 この事件の直後、召喚士の血を継ぐ家の双子の、()()()()()()が行方不明となったという話が麓の村の人々の間で囁かれるようになった。


 そして時は進み、現在へと至る――――



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