六話 咎人は断罪を望み、自ら断頭台へと上がった。
【観測者】にとって、他人のプライバシーは無いに等しい。
ソラは、テルンムスの過去を本格的に調べることにした。
【英雄】の人生を、ソラにとって最も重要なそれを知りたかったのだ。
目を閉じ、『世界の記録』に潜る。
【観測者】だけに許された経路を辿り、アルエ・テルンムスの情報に接続する。
アルエ・テルン■ス。年齢は三十五という若さでありながらも、アルカーナ王■の■二騎士団の団長を任されるほど有能。第一騎士団■近衛騎士団であることを鑑みると、■質的に王国の軍の頂点であると言える。■実剛健という言葉が似合う性格。■からの信頼は篤く、民■らの支持も強い。が、■なりの苦労人。
少し、違和感があった。
しかし、無視しても問題なさそうだったので続行する。
最近の情報だけではない。
もっと過去に。
彼の過去に…………。
ソラが彼の過去を視ようとした瞬間、ナニカに弾かれた。
痛ッ!
ここでは声を出せないはずなのに悲鳴が漏れる。苦痛に慣れているソラが悲鳴を上げるほどの痛みが彼の頭を走る。精神が壊れてしまいそうなほど、何かの感情が伝わってきた。ぐちゃぐちゃになり過ぎて、原型が残っていない感情の残滓。
強力な障壁がある!?
アルエ・テルンムスの過去には何かがあった。
ソラはそう確信する。でなければ、全てが記録され、【観測者】が自由に視られるはずの『世界の記録』で、こんな事があるはずがない。
何度接続しようとしても、その度に弾かれ、頭が痛む。それでも何度も挑戦し続けた結果――
――アエル?
一つの強い言葉を掴み取ることに成功した。
というかそれが強力すぎて、他の事象が霞むのだ。
深い思慕と、濃い執念と、昏い諦め。
それらが強く結び合っているのか。いや、絡まっていて解けない?
恐らくは人の名前。でも、この男の名は、アルエ・テルンムスだ。
非常によく似た名だ。だがきっと別人なのであろう。
殆ど掴めなかったアルエ・テルンムスの過去。
そんなことは、ソラが生きてきて初めてだった。
普通は多少なりともショックを受けるだろう。しかしソラは違った。
面白い。
彼はそう微笑む。
だから彼は、意識が現実に戻って直ぐに行動を開始しようとした。
起き上がり、揺れている視界の中、記憶を元に歩き始めた。
「ああ、早く、早く知らないと。知りたい、知りたい、知りたい」
何重にも聞こえる自分の声を奇妙に思いながらも、そんな事はお構いなしに進もうとした。
だが、
ソラが天幕から出た直後、紅い地面に顔面を打ち付ける。咄嗟に手を突くことも叶わず、鼻が鈍い音を立てて折れ、地面よりなお紅い液体が垂れた。背中にはびっしょりと脂汗を掻き、顔色は類を見ないほどに悪くなっている。
ソラが何度も『世界の記録』の中で障壁にぶつかった所為で、彼の何かが削れていた。それが顕著に、体調に現れていたのだ。
「そんな事はどうでもいい。僕は」
ソラの言葉を遮り、悲痛そうな声が飛んできた。
「だ、大丈夫ですか!?」
声の持ち主はソラの監視をテルンムスに言い渡されていた兵士。倒れこんだソラの身体を支え、大きな声で人を呼ぶ。
「だ、誰か、軍医を呼んできてくれ! 早く!」
しかし、ソラは力が抜けた腕を、関節の稼動限界を利用して無理やり起き上がる。
「い、いえ、結構です。僕は、やらなきゃ、いけないことが、あるんだ」
息も切れ切れにソラが言った。しかし、その顔を見た兵士は、決してさせられないと、確信する。
「いけません! 私たちの恩人に無理をさせるなど、ありえてはいけない!」
「恩、人?」
訳の分からない言葉を告げられたソラは、朦朧とする意識の中、困惑する。そんな彼に、兵士はそうです、と言い、言葉を続ける。
「貴方は私の弟を救ってくれた! 恩人に徒で報いるわけにはいかない!」
暗くなってきた視界。ソラはその意味について考え、思いだす。ああ、怪我を治した人のことか、と。
意識を落としたソラが最後に見たのは、魂が吸い込まれそうなほど虚ろな空だった。
鈍い微睡みの中、脳裏に浮かび上がったのは子供の頃に視た記録。
あれが僕の生き方を決定付けたのは、間違いない。
それは名前すら残っていないとある【観測者】が視た、一人の人生。
あの一瞬の輝きが、いつも僕の頭の片隅を占めていた。
人生とは一本の道だ。
往く事は出来ても戻ることは出来ない、一人だけの道。
一人につき一本だけの、取り返しがつかない道だからこそ、あれほどまでに人は美しく輝くのだろう。
僕も彼らのようになりたい。
僕も、いきたい。
強く、強く、そう願った。
彼はそれが叶わぬ願いと知っていても、願っていた。
知らない部屋だ。
ソラは瞼を開き、まず初めにそう思った。ソラの天幕は白い。他の一般の物も同様だろう。しかし、ここは純白と形容しなければならない程に真っ白だ。
背中を包むベッドはとても柔らかく、これで毎日寝たいものだとソラは思った。
ソラが目を覚ましたのに気付いた男がいた。少々草臥れた格好の彼は、目を背けながら、ぶっきら棒に訊ねた。
「体調はどうだ?」
「ええと、もう、大丈夫なようです」
ソラが若干掠れた声でそう答えると、フンと鼻を鳴らし、
「それならばいい。俺の腕はお前には及ばないかもしれんが、あれ位なら造作ないわ」
「……ありがとうございました」
男は軍医。それも治療専門の魔法使いなのだろう。彼が治せなかった負傷者をソラが治した、ということを言っているのだと察したソラは、少し決まり悪そうに答えた。ソラにだって一応人の心はある。ソラの行為が軍医を侮辱しているように見えてしまう、ということは分かったのだ。
困った顔のソラに、男は額を抑え、言葉を捻り出すように言う。
「……はぁ。こちらこそ、感謝する」
治療してもらった時は言えなかった感謝の言葉を投げかけられ、ソラは困惑する。
「……どういたしまして?」
「彼らは、笑顔だった。お前の御蔭だ」
それを聞いて、当時は無かった不思議な感動がソラの心に起こった。
この感情はなんだろうと首を捻っていると、男は苛ついたようで、
「ほら、もう帰れ。もう問題ないんだろう?」
「……わかりました。ありがとうございました」
ソラがそう言いながらベッドから身体を起こした。少しもたついた彼に男は背を向けた。
その背中は何故か微笑んでいるように、ソラには思えた。
溜まった書類を整理する。
いくら片づけても、次の瞬間には片づけた分以上の書類が積まれていく。
きっとどこの国の将軍でも、同じような目に遭っているに違いない。
テルンムスはそう確信する。
兵站についての申し立てや兵士同士の喧嘩沙汰。ありとあらゆる事の書類が彼の元に集まってくる。
彼の部下が精査した書類にサインするだけなので、目を通す必要はないのだが、彼はそういう所は真面目なので、一枚一枚目を通している。
その作業は一時間もすれば、退屈になってきて、息抜きをしたくなってくる。だから訪問者は大歓迎だった。
「テルンムスさん、ソラです。今少し良いですか?」
「……ああ、いいぞ」
あまり歓迎したくない人物だったが、来てしまった以上は仕方がない。まあ誰もいないよりは増しだろう。テルンムスの楽観は、直後に裏切られることとなる。
「ありがとうございます。失礼します」
入り口の布をかき分け入ってきたのはソラ。
「今度は何の用だ?」
「また少し訊きたいことがあるんです」
今度は質問にちゃんと答えるのだな、とテルンムスは思った。
「次は何を訊きたい?」
「ええ、では単刀直入にお訊きします」
おう、とテルンムスが気丈に返し、次の瞬間彼の頭が真っ白になる。
アエルって誰ですか?
ずっと目を逸らし続けていた。
叶わぬ願いと届かぬ想い。
いやだ。
思い出させないでくれ。
気付かさせないでくれ。
彼女から。
諦めてしまった自分の罪から。
もう、いやなんだ。
オレはもう、とっくに疲れ果てているんだ。
だからもう、許してくれ。
忘れさせてくれ。
自責の中で、幾つもの光景が浮かんでは消えていく。
彼女との出逢い。
陽の様な笑顔。
花園での誓い。
錆び付いた剣。
一瞬の憂鬱。
掛けた首飾り。
柔らかい手。
頬を伝う涙。
熱い体温。
弾けた笑い声。
机上の手紙。
冷たい夕立。
誰かの血溜まり。
何も見えない夜。
月に浮かぶ兎。
彼女との別れ。
どうか、赦してください。
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