四話 嘘に嘘を重ねれば、いずれは真実に近づくだろう。
ソラはどこかから聞こえてくる質問に、心の中で答える。
あなたは生きていますか?
いいえ。
あなたは生きている人が羨ましいですか?
はい。
あなたも、生きたいですか?
…………はい。
誰も、このやり取りを知ることは出来ない。
脚から泥に埋まっていく。次第に泥は胸の辺りまで上がってきて、最後には息が詰まるのだ。
テルンムスは少し眠っていた所為で、天幕の中心に吊り下げられている明かりがとても眩しく感じた。
「ええと、何をしていたんだったか」
頭が不明瞭で、よく思い出せない。
「ああ、そうだ」
嘗ての友と語らった後に、日頃の疲れが祟りうたた寝をしてしまったのだ。
いけない。溜まっている書類を片づけなければ。
そう思い、手を動かそうとするも、何故か動かない。
何かがつっかえていて、気持ちが悪い。
テルンムスは頭を押さえ、眼の周りをほぐす。
そうしていると、外からいつもは中に待機している筈の兵士の声が聞こえてきた。
「申し訳ありません、今は誰も入れるなと言われているので……」
「あー、それなら仕方ないか。一旦帰ります」
テルンムスは彼らが何を話しているのか殆ど聞き取れなかったが、辛うじて後の「一旦帰ります」という言葉だけ聞き取れたので、
「誰だ?」
入り口に向かって少し声を大きくして問いかける。
「僕です。ソラです」
聞き覚えのある若い男……子供の声に、しばらくして名前と顔を一致させ、
「入っていいぞ」
「失礼します」
テルンムスは何故兵士が外にいたのかは頭の隅に追いやって、ソラが入ってくる入り口を見やった。
ソラの後ろに続いて兵士が入ってきた。
「昨日はありがとうございました。『詠唱魔法』を観させて下さって」
表情が読みとれない不思議な顔で、ソラはそう切り出した。それに少し恐怖心がわき起こったテルンムスは、慣れているように感情を振り払い、首を横に振る。
「いや、あれは私が望んだから行っただけで、言うなればついでだ」
そういえば、とテルンムスは何かを思い出し、
「君の目的は『詠唱魔法』を見ることだったのだろう? もう出ていくのか?」
彼は期待を込めて、そう訊ねる。訊ねている途中に、自分が、【英雄】である自分が目の前の少年に怯えていることに気付き、呆然とした。あり得てはならないのだ。だって彼は【英雄】なのだから。誰からも畏敬される、アルエ・テルンムスなのだから。
そんな彼の様子に気付いた様子もなく、ソラは淡々と、
「今日はその事で話があって来たんです」
「……聞こう」
テルンムスは目の前の【観測者】が何を言い出すのか、聞きたいとは思わなかったが、聞かざるを得ない状況だったので、話すよう促した。
「ええと、もう少しだけ、僕をここに居させてくれませんか?」
何故今になってそんな事を言い出したのか、発言の意図を知りたいテルンムスだったが、結局は訊ねなかった。
無意識の内に少年に対する忌避感を覚えてしまっていた。その事実を少年が知れば、愕然とするだろうか。いや、きっと黙って受け入れる。だって彼は【観測者】に生まれたのだから。
【観測者】というのは、そういう者だ。
「もう少しだけ、僕をここに居させてくれませんか? 勿論これまでのようにただでとは言いません。僕も何か手伝います」
テルンムスはずっと黙っていたが、ソラの手伝うという言葉を聞いて興味を示した。
「具体的には?」
そうですね、とソラは少し考える。三秒ほど顎に手をやった後、
「負傷者の治療、でどうでしょう。どんな怪我でも僕が治しますよ。例えどれだけ前に負った傷でも。腕だって生やして見せましょう。死人は無理ですが」
その言葉を聞いて、テルンムスは暫し瞠目する。信じていいものか。それが本当なら、眼前の少年は王国で、いや、世界でもトップレベルの回復魔法の使い手だ。
否定したい頭の中で、だが納得もしてしまう。これが【観測者】か、と。こんなのがゴロゴロと居るならば、それは敵にしたくないだろう。
少年が【観測者】であるという事を踏まえて、テルンムスは決断する。
「ああ、いいだろう」
元々不利益は殆どなかったのだ。居てほしくないという、一個人の感情だ。それを無視するだけで、苦しんでいる兵士たちを癒すことができる。得しかない。
ソラも断られることは無いと確信していた――テルンムスがソラを苦手にしていることには気付いていない――ので、驚くことなく頷く。
「ありがとうございました。じゃあ直ぐに終わらせるので、負傷者たちが居る所へ連れていってもらっていいですか?」
「ああ、彼を案内してやってくれ」
テルンムスがソラの後ろ、入り口付近にいた兵士に頼んだ。
魔法というのは、世界のありとあらゆる事象を『魔』で理解し、再現すること。
縦十メートル、横三十メートルほどの天幕全てを覆う純白の魔法陣が展開された。その場にいる誰も見たことがない大きさのそれを目にして、口々に感嘆の声を上げる。更に構成している図形は非常に細かく、顔を近づけてようやく何が描かれているのかが判る、といったレベルだ。
あらゆる事象を『魔』で理解し、それを幾何学図形で表現する。それが魔法陣であり、魔法陣はその全てを理解し、覚えて初めて展開できる。一般的によく使われる魔法は、図形の数が非常に少ない。それらは大半の者が理解し、覚え、使用できるのだが、これほどの魔法陣を覚えるのは、人の身では不可能に近い。こんな大きさともなると、恐らく第九位階以上だろう。
因みに、魔法の位階は魔法陣の大きさによって決まる。神話級ともなれば、半径千メートル以上という、膨大な大きさだ。その中に小さく緻密な図形を書き込むなんて、人の身では不可能に違いない。
神秘の光が魔法陣から発され、その上に居る者たちを癒していく。
『聖』とはつまり、信じることだ。そのエネルギーそのもののことだ。純粋故に何物にも染まれる。彼らの元の身体を形造っていく。
「腕が……腕が生えてきた!」
「潰れてた右目が戻った! ちゃんと見える!」
「腹の傷が治っていく! 凄え!」
口々に上がった歓喜と驚愕の声。
ある者は愛しい人をまた両手で抱きしめられると喜び、またある者は美しい世界を両目でしっかりと見られることに感動した。
スピーディーな治療をするためには健全な頃の『記録』が必要なので、彼らの『記録』を大まかに読みとっていたから、そういう理由で喜んでいるのだろうと察したソラは、微笑みながら痛む頭を押さえる。
ソラは『世界の記録』から『汎用魔法』を引き出さない。引き出すことは出来るし、そうした方が圧倒的に楽で簡単だということは理解している。しかし、彼は全ての既造の魔法陣を自身の頭で理解し覚え、その上で新しい魔法陣を即興で造る。彼の同僚の一人が『お前の趣味は異常だ』と言ったことは間違いなく正しい。
彼は独りの道を行く。誰にも理解はされないかもしれないが、それでも彼は独りで歩む。
感謝の言葉に送られながら、ソラは自らの天幕へと帰り、思う。
人を殺すのは、ちゃんと『生かした』後じゃないと駄目だ。
一見矛盾しているような、究極の自己満足。独善的で、傲慢なそれを、ソラは平然と掲げる。
『世界の記録』にきちんと記録した人は殺せると、そんな異常な価値観は、誰にも理解されない。
・『汎用魔法』
この魔法の位階は魔方陣のサイズによって変わります。
魔法の位階が変わるからサイズが変わるのではありません。
少しややこしいですかね。
数字が大きければ規模が大きい、という程度に捉えていただければ幸いです。一応数字は下に残しておきますが、正確なサイズは覚える必要がありません。
第一位階が6~36㎠程度
第二位階が36~216㎠程度
第三位階が216~1296㎠程度、ここから飛ばして、
ソラが使った第九位階が約170万~約1000万㎠、
第十位階までが数字で、そこから先が順番に、
逸話級
伝説級
神話級
創世級
となっています。創世級に上限はありません。
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