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世界最後の英雄達よ ~The Last Storytellers~  作者: 晦日 朔日
一章  アエルとアルエ
18/28

十七話

 少女(アエル)少年(アルエ)が出逢って七年目の春。

 終わりの足音が、直ぐそこまで近付いてきた。

 日暮れ、騎士団での訓練を終えた青年は、いつも通りバフロス公爵邸へとやってきた。

 だが、何かがおかしい。

 まず、いつもは無条件で通れる筈の門で、一度止められた。

 門番はどこか殺気立っていて、言葉の節々が荒くなっていた。

 無事に門を通った後、少女が待っている筈の中庭へ向かおうとする。

 廊下を歩いているメイドたちも剣呑で、目つきが鋭くなり、射殺さんばかりの眼光を必死に押さえているのが簡単に見て取れた。

 そして中庭。


 少女は、居なかった。


 青年はそれだけで慌てるようなことはしなかった。

 今までに少女が居ないことは何度かあった――大抵レッスンが長引いた事が原因だった――から。

 少女がいつも居る華奢なカフェテーブルとチェアの組。

 出逢った頃は白い塗装がきっちりと施されていたそれだったが、今では所々剥げ、錆びた鉄が見えている。日除け傘は畳まれていた。

 封筒。

 桃色の、青年の片手に収まるくらい、小さな封筒が、机の上に置かれていた。風に飛ばないように、上に重しを載せて。

「え?」

 重しを見てしまい、青年は少なからず動揺する。

 それは、青年が一昨年、初めて自分の力で手に入れたお金で少女に送った、小さな指輪だった。封筒が風で飛んでしまいそうな。あるいはそれを望むかのような。

 ずっと大切にすると、言っていたのに。

 震える手で重しを摘んで横に置き、下の封筒を手に取る。

 封筒の裏には、『アルエ・テルンムス様へ』とある。

 蝋がされていなかった封筒の中には、一枚の紙が入っていた。

 三つに折り畳まれたそれを、青年はゆっくりと、目を逸らしながら開いた。


『わたしの騎士 アルエへ


 この手紙は、きちんと最後まで読んで下さい。

 元気ですか? っていっても今朝会ったばかりだから、多分大丈夫よね。

 ごめんなさい。今のは忘れて。書き直す時間もないみたいだから、このまま続けるわ。

 わたしもちょっと動揺しているみたいです。

 でももう落ち着きました。

 だから大丈夫。

 はい、じゃあアルエに伝えたい事を一つだけ。

 今日をもって、わたしの騎士を辞めてもらいます。』

 は。

 その一文を見ただけで、手が勝手に握りしめられた。爪が皮膚に食い込み、薄皮が破

れた。薄っすらと血が滲む。

 でも、最初の言葉を思い出し、逸る気持ちを抑え、続きを読む。

『こら、ちゃんと最後まで読んでって言ったでしょう?』

 はは。

 すっかり予見されていた。

 笑える心なんて、どこにもない筈なのに、口から乾いた声が漏れた。

『話を戻すわよ。アルエには、わたしの騎士を辞めてもらいます。それで、これからは好きな事をして下さい。

 騎士がしたいなら、このまま王国騎士団に入ればいい。

 どこかへ行きたいなら、わたしのお金を全部あげます。』

 違う。それは違う。

 俺は騎士になりたいんじゃなくて、アエルの騎士になりたいんだ。

 悔しくて、目元をくしゃくしゃにする。

 声を届ける相手がここには居ないのに、思い切り叫びたい。

 それは違う。

『この話はここで終わりよ。

 これからはわたしの事について話します。

 わたしは、帝国のとある公爵家へ嫁ぐことになりました。』

 …………………………………………。

 ギリッ

『ほら、最近市井に不穏な空気が漂っているでしょう?

 アルエは知らなかったかもしれないけれど、あれは帝国が再び戦争の準備を始めたからなんです。

 それをわたしが嫁ぐ事で、回避しようって、そういう戦略です。

 とても光■な事ですね。

 わたし一人で、この国を救■るんですから。』

 …………………………………………。

『心配しないで。

 わた■はバフロス公爵家の娘です。

 その務めを、果たすだ■だわ。

 だから、とても、嬉しい。』

 …………………………………………。

『わたしは明日にも帝国に向け■出発します。

 明日からわたしが居なくなっ■も、ちゃんと■張ってね』

 …………………………………………。

『ああ、もうこんな時■よ。

 この■紙はここでおわ■。

 ■までありがとう。


 アエ■・バフロスより』

 …………………………………………。



 堅く閉ざされた扉を激しく叩く音。

 きっと彼だ。

 彼以外には、ちゃんと『納得』させたから。

 手紙で納得してくれたらよかったんだけど、さすがにそうはいかなかったみたい。

 ほら、彼ってちょっと頑固なところがあるから。

 でも扉は開けてあげない。

 会ったら、会ってしまったらきっとだめになってしまうから。

「おい! アエル! 出てきてちゃんと説明しろ!」

 胸が締め付けられる。

 扉越しのくぐもった声を聞くだけでこれなのだ。だから、きっとだめだ。

「話すことは無いわ。あの手紙に書いた通りよ。わかったら帰って」

 彼が扉を挟んで絶句しているのが分かった。

「……俺は帰らねえぞ」

 ほうら。やっぱり頑固だ。

「なんで?」

 あれ。

 口を開いたらだめなのに、言葉が唇の端からぽろりと漏れた。

 当惑するわたしを余所に、口だけが勝手に言葉を吐いていく。

「なんで、帰ってくれないの?」

「俺がアエルの騎士だからだ」

 喋ってしまったら、もう。

「わたしに騎士なんてもう居ないっ! わたしはあなたをくびにしたわ!」

 ああ、だから厭なんだ。

 そんな風に客観的に見れる冷静な頭がある一方、もう片方は感情的になってしまう。どんどん、加熱していく。

「俺が騎士になったのは、俺がそうだと決めたからだ! だからアエルがなんと言おうが、俺はアエルの騎士だ!」

「わたしの騎士ならわたじのっ、言うことをっ、聞きなざいっ!」

 めちゃくちゃだ。

 もう、何を言っているのか分からない。

 だから、冷静なわたしがわたしを制止する。

「だからッ」

「……もう終わり」

 彼の言葉を叩き斬る。

 わたしの『本当の気持ち』をぶつける。

「ッ!?」

 急に冷えたわたしの声に、扉の向こうで息を呑んだのがわかった。

「ずっとあなたが嫌いだったわ」

 わたしの、本当の、気持ち。

「あなたが楽しそうに故郷のことを話すのが嫌いだった」

「え」

「わたしは生まれたときからずっとここに居たわ。だから楽しそうに外のことを語るあなたが嫌いだった」

「だって」

「ずっとあなたが鬱陶しかったわ」

「…………」

「しつこくわたしに纏わりついてくるあなたが鬱陶しかった」

「………………」

「わたしはひとりが好きだったのに、突然静かだった毎日に割り込んできたあなたが鬱陶しかった」

「……………………」

「だからもう、帰って」

「…………………………」

「二度とわたしに顔を見せないで」

「………………………………」

「さようなら」



 青年は諦めた。

 青年は、諦めた。



 コトコトコト、ガタン。カラカラ、コトコトコトコト、ガタン。

 車輪の乾いた音が鳴っている。

 一行が王都を出てからもう、十分は経っている。

 もう、いいかな。

 アエルは馬車の窓に掛かったカーテンを開け、更に窓も開ける。

「風が気持ち良いわね」

 遠くを、来た方向を見ないようにアエルが呟くと、対面に座っていたメイド、アリアがにこやかに相づちを打つ。

「そうですね、お嬢様」

 年を経て少しは落ち着いたのか、こんな状況でもきちんと応対する様は、熟練のメイドさながらだ。

 アエルは風に揺れる麦わら帽子を手で軽く押さえながら、御者台を見る。

 御者台には一人の老人の姿がある。彼は少女と少年が出逢ったころから、あまり年をとっていないように見える。

 たった三人だけの旅。

 公爵家が王より許されたアエルの供は二人だけだった。

 アエルは長閑な草原を眺めながら、心をそれと同化させていく。

 そうすれば何も考えなくて……いいから。

 道中、見覚えのある一本の丘の上の木を見るまでは。

「あぁ」

 『おもいで』がフラッシュバックする。

 だから王都の近くでは窓を閉めていたのに。

 何も考えたくなかったのに。

 アエルは否応なしに『おもいで』に意識を流される。



 その日は週に一度の学院が無い日。陽の日だった。

 陽が出てからかなり経ち、次第に春の陽気が辺りを暖め始めていたが、ここは異常に暑くなっていた。

「退屈」

 少女が椅子にだらーっともたれ掛かり、近くで木剣を振っていた少年に言葉を投げた。

「何がっ、だっ?」

 呼吸で言葉が途切れながら、少年が返す。

 彼の周りでは熱気が漏れ汗が蒸気となるのが幻視出来るくらいには熱が発されている。

「ねぇ、どこか行かない? わたしは退屈でーす」

「またっ、食物っ、通りにっ、でもっ、行くかっ?」

「新しい店が出来たって話もないし、もう全部食べ尽くしちゃったのよねぇ」

「本当っ、そのっ、身体のっ、どこにっ、入ってっ、んだっ?」

「ねー、どこかに連れていってよ」

「どこにっ、行くって、言うんだっ?」

「……一度休憩したら? わたしまでしんどくなってきた気がするわ」

 呆れた少女に言われて、少年は最後にもう一度木剣を振って、少女に向き直る。

「……了解。で、ええと、アエルはどこに行きたいんだ?」

「えーっとね。わたしは広いところに行きたいわ」

「広い所って、そんな適当な……」

 少年が呻くように頭を押さえる。

 少年はしばらく悩んだ後、一つの場所を思いついた。

「じゃあ王都の外はどうだ?」

「それ、良いわね!」

 少女がそれを聞いて、真昼の花のような笑顔を浮かべた。



 そういう訳で、二人とメイドは変装して王都の大きな門までやってきた。

 今、彼らの見かけはどこにでも居る普通の市民だ。アリアが見繕った服は、二人に違和感無く着られている。

 まあ普通というには、少女の方は少し気品が溢れすぎている気もするが。

 王都の玄関は、入るのは少し手間だが出るのは案外簡単だ。変なことをしていなかったら、まず咎められない。

 二人|(と一人)は王都を出て、しばらく歩くことにした。付近は多くの人や馬車が列んでいたので、それを嫌ったのだ。偶には人が殆ど居ない所に行きたい、というのが少女の希望だった。

 緑の風が彼らの鼻腔を擽る。

 青々しい草原が緩やかに揺れ、葉が擦れ合う音がどこまでも続いていく。

 二羽の鳥が天高く飛び、小さな影を原に落とす。

 そんな人の気配が全くない場所に来た少女と少年は、丘の頂上に立つ、直径三メートル程の一本の木の下に座った――メイドが敷いた布の上に、だが。

 草原を駆け抜ける小さな獣を見て、少女は目を細めた。

 それは彼女が初めて見た光景であった。

 口元が自虐的に笑ってしまったが、少年は彼女の顔を見て、

「可愛いな」

 ひえっ、と少女は心の中で悲鳴をあげ、心臓が高鳴ったが、一瞬で冷める。

「あいつら」

 少女は隣の少年に気付かれないように嘆息し、ふっと笑って、

「……ええ。そうね」

 力んでいたわたしが馬鹿らしい。

 そう思った少女は、少年の次の言葉に戸惑った。

「い、いやっ、アエルの方が可愛いぞ!」

「は?」

 少女は思わず素で反応した。

「えっ」

「…………?」

「い、いや。何でもない」

 首を傾げた少女を見て、少年はやっちまった、と空を仰いで嘆いた。

 それからぽつぽつと言葉が交わされ、陽が段々と高くなってきた。

 陽気が膨らみ、眠気を誘う。

 少女は口元に手を当て、

「ふわぁ。少し眠たくなってきたわ。お昼寝をするわよ」

「……了解」

 目尻の涙を軽く拭いた少女は、木にもたれ掛かった。

 その隣に、腰に佩いた剣を鞘ごと立てかけ、少年も同様にして目を瞑った。



 記憶がそこで途切れる。

 思い出さないようにと、気にしないようにと、せき止めていた感情が――

 ぴたりと止んだ。

 もう、大丈夫。



 王都を出てから三日。

 次第にすれ違う馬車の数も少なくなり、自然が喧しい。



 王都を出てから七日。

 もう、人の影は全くない。

 おかしい。

 この街道は王国と帝国を結ぶ主要なものの筈なのに、何かがおかしい。



 王都を出てから十日。

 やっと理由がわかった。

「お嬢様、決して馬車の外に出てこないで下さい」

 剣呑な空気を纏ったフィンじいが、わたしに話しかけてきた。

「何があったの?」

 目を細めたフィンじいが、

「賊に取り囲まれてます」

「フィンじい一人で勝てるかしら?」

 ちょっとやそっとの賊程度、フィンじいなら軽くあしらえる筈だ。だから大丈夫だろうと思って一応訊いてみた。しかし、フィンじいは重々しく首を振った。

「……少々、厳しいかと」

「あら、そう。じゃあわたしも手伝うわね」

「しかしッ」

 お嬢様の手を汚させるわけには、と食い下がる。

 問題ないわ。そう言おうとした時、虚空から声が聞こえてきた。

「そろそろ作戦会議は終わりましたかねぇ? 老害とお嬢様ぁ?」

 何もなかった空中から、暗い色の外套を纏った男が現れる。

 何の特徴もない顔。でもわたしは覚えている。

「あなた……あの時の……!」

 たしか、アルエが暁闇、と呼んでいた連中だ。

「覚えておいて下さったようで、光栄ですねえ」

 男は気味悪く笑い、そして腕を外套に絡め、翻させる。

「今回は、貴女を仕留めさせていただきます」

 瞬間、影が次々に現れる。その数、三十以上。

 全員一様に暗い色の外套を纏っており、乾きった笑みの仮面を張り付けている。

 その光景を見て、わたしは薄ら寒く思う。

「アリアさんはわたしの隣に居て。フィンじい、時間稼ぎ、お願いね」

「……承知」

 その会話を聞いた男は、唇の両端を細く吊り上げて、手を二回叩き、

「さぁ、みなさん、殺しましょう」

 高まっていた緊張が弾ける。




 あかいふんすい。

 ひとのはながさく。

 もう、だれも、たっていない。


 ごめんなさい。


 人間大の灰の山が三十。

 中心からへし折られた馬車が一台。

 それにもたれ掛かるように息を引き取ったメイドが一人。

 誰かを庇うように倒れ、背中に十本以上の短剣が刺された老人が一人。

 そして血を吸い上げた麦わら帽子が一つ、

 虚ろな目の少女の隣に転がっていた。




 それは、彼女が居なくなってしまってから七日後の昼。

 アルエは騎士団の訓練場で、何も考えずに独りで剣を振っていた。

 何かを断ち切るように振られていたそれは、駆け込んできた男によって中断される。

「おい! テルンムス!」

 アルエは額の汗を無造作に垂らしながら、顔をゆっくりと声のした方へ向けた。

「何だ? ティービー」

 血相を変えていた彼は、ごくりと唾を呑み、

「――――」



 軍馬を一頭、一日で潰した。

 それから先は、自分の脚で駆けた。

 眠らず、休息を一切摂らず、水を一滴も飲まず、パンのひとかけらも口にせず、

 ただひたすらに駆けた。

 王都を出てから三日だった。

 少女たちが十日かけて通った道を、青年が行ったのは。

「あ」

 白い布が三枚、掛けられていた。

「ああ」

 丁寧にも、防腐の為、凍らされていた。

「ああああ」

 おぞましいほどの冷気が身体を蝕む。

「ああああああああ」

 別れはいつだって一瞬だ。

 気付けば既に、取り返しのつかないことになってしまう。

「ああああああああああああああああ」

 布を一枚震える手でゆっくりと捲る。

 少女の空ろな眼孔が青年を捉えた。

 青年はないた。泣いた。哭いた。啼いた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 人目も憚らず、ないた。

 そして、灰の山の片隅に、燃え残った暗い色を見つけ、全てを悟り、

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」



 青年は全てを諦めた。

 青年は、全てを、諦めた。


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