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そこにフルタはいません (上)  作者: 美祢林太郎
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4 かつ丼代払うんですか

 「昨夜はぐっすりと寝られたか?」

 「寝られるわけないでしょ。そんなに図太い神経は持ち合わせていません」

 「会社に電話したのか」

 「はい、させてもらいました。電話に出た女の子は、休むと言っただけで驚いていました。これまでわたしは無遅刻無欠席でしたからね。警察にいるなんてことは言っていませんよ」

 「家宅捜索の結果、おまえの部屋からは何も出てこなかったそうだ」

 「そりゃあ、そうでしょう。何もしていないんですから。これで無罪放免ですね」

 「そういうわけにはいかないだろう。おまえあの防犯カメラの映像見ただろう。自分でもそっくりだと思っただろう。ありゃ、おまえだよ」

 「たしかに似ていると思いましたよ。でも、断じてあれはわたしじゃありません」

 「もう少しあのビデオを見てみるか。こんなにアップにすることもできるんだぞ。科捜研に手伝ってもらってな」

 「えっ、この顔はどう見てもわたしじゃないですか」

 「そうだろう。おまえだろう。おまえなんだよ」

 「きっと、他人の空似ですよ」

 「他人の空似でこれだけ似るか? 似るわけないだろう」

 「そんなことはないですよ。現にここにいるじゃありませんか」

 「おまえこいつに会ったことあるのか? ないだろう」

 「ありませんよ。でも、わたしじゃありません。これは誰かの罠かもしれない。おれは罠にはめられたんだ」

 「そう来たか。どこまでも白を切るんだな」

 「警察がおれを犯人に仕立てようとしているのですか。警察の陰謀じゃないんですか」

 「今度は陰謀説か。そんなにおまえは大物じゃないだろう。それにこれは陰謀渦巻く凄い事件でもないけどな」

 「たしかにわたしは大物ではありません。平々凡々と生きてきた人間です。そんなわたしを陥れて誰も利益を得る者はいないはずです。わたし、犯人じゃありません。何もしていません」

 「金はどこに隠した。それともすでに競馬やパチンコに使ってしまったのか」

 「わたし、競馬もパチンコもしたことがありませんから」

 「街金融に借金をしているのか? 奪った金をそのまま街金融に返しに行くってことはよくある話だからな。よっぽど取り立てが厳しいんだろうな」

 「借金もありません。派手な生活はしていないんですから。部屋を見たならばわかるでしょう。この時計、2千円ですよ。質素な生活をしているんですよ」

 「そんな真面目な男に女ができて、貢ぐために犯罪犯すってことはよくある話なんだよ。女か? 会社の金、使いこんでいるんじゃないだろうな。会社にも聞き取り調査に行かなくっちゃな」

 「待ってくださいよ。会社に行かないでくださいよ。変な評判が立つじゃないですか。わたしこれでも客商売なんですから」

 「それなら白状するか?」

 「どうしてそうなるんですか。何もしていないって言っているじゃないですか。わたしの無実はどうすれば証明できるんですか?」

 「前にも言っただろう。アリバイがあるか、真犯人が見つかるか、のどちらかだよ」

 「アリバイは一人で寝ていたんだから無理でしょう。わたしが真犯人を見つけるわけにもいかないでしょう。テレビドラマの主人公じゃないんですから」

 「真犯人がいたら、おれたち警察が捕まえてやるよ。それがおれたちの仕事だ。だからおまえを調べているんだろう。とりあえず、物証が必要なんだよ。自白だけだとあとから否定されると厄介なことになるからな。でも、自白もしろよな」

 「なんでわたしが疑われないといけないんだ。あの防犯カメラの映像か。おれに似た奴があんなところを歩いていたからいけないんだ。でも、あいつが犯人なのかもしれないな」

 「そうだよ、あの時間帯に歩いている奴なんて、あいつ以外にはいなかったからな。おまえに瓜二つのな」

 「似ているのは認めます。でも、似ているだけでわたしではありません。もう一度アップの画像を見せてください。わたしとの違いが何かあるはずです。わたしのこの口元、左の下唇の下に小さなほくろがあるでしょ。ビデオの男にはこのほくろがないはずです」

 「ほら、よく見てみろ。おまえと同じほくろがあるじゃないか」

 「そんなバカな。確かにある」

 「画像が荒くて、ほくろが判別できないとでも思ったんだろう。科捜研をなめんじゃないぞ」

 「いや、これほどの解像度があるのが不自然じゃないですか? こんな小さなほくろが写ってるわけないじゃないですか」

 「おっ、居直ったな。これは自分から言い出したことだぞ」

 「そうですけど、防犯カメラに写っているのはわたしじゃないんですって。本人が言うんだから間違いないですよ」

 「そんなの信じてたら警察はいらないね。犯人は嘘をつくのが商売なんだから」

 「犯人じゃありません。神に誓って犯人ではありません」

 「おまえ、どこかの神様を信じているのか。どうせ困ったときの神頼みだろう」

 「そうですけど。でも、わたしじゃないんです。これは冤罪です。防犯カメラの映像も警察がねつ造したんじゃないですか」

 「おまえのためにわざわざそんなことをする奴がいるかよ。たしかにたかだか1,353円を盗っただけじゃ割に合わないのはわかるよ。だけど、やっちゃったんだから仕方ないだろう」

 「千三百・・・」

 「千三百五十三円。しけた金だよな。おまえ、入る家を間違ったんだよ。貧乏人の家に入るなよ」

 「千三百五十三円ですか。でも、わたしじゃないんですよ」

 「おまえにもプライドっちゅうもんがあるよな。こんなはした金で人まで刺したなんて言えないよな」

 「額の問題じゃないんです。あっ、それならわたしの指紋は現場から出たんですか?」

 「さすがにテレビで刑事物をよく見ているだけあるな。おまえだけじゃなく、怪しい指紋は全然出なかったよ。手袋をしていたんだな。あっ、しゃべっちゃった。これ忘れろよな。おれが喋ったって言ったら、上司に叱られるからさ。いいか、忘れろよ」

 「忘れますから、わたしを家に帰してくださいよ。任意の取り調べなんでしょ」

 「おまえが悪いんだよ。おまえがゲロしてくれれば逮捕できるのに。それだけで検察は逮捕状を出してくれるんだぜ。ナイフを捨てた場所、教えてくれないかな。物証が出れば強いから」

 「冤罪を生みますよ。わたし、犯人ではないんですから。わたしを相手にしていたら真犯人を取り逃がしますよ」

 「千三百五十三円盗った人間はそんなに賢くないって。すでにラーメン食って、餃子を食べて、ビール一杯飲んで使い切ってしまっただろうさ。おまえラーメン食っただろう」

 「ラーメンと餃子を食べましたけど、ビールは飲んでいません」

 「それならまだ三百三円残っているはずだ」

 「そんなばかな。あなた以外に警官はいないのですか? もうあなたの取り調べを受けるのはいやですよ」

 「おれ、あんた専用なんだよね。一年前からの付き合いだから、おれが良いだろうってことになったんだよね。かなりフランクに話合っているものね」

 「いや、わたしはあんたとじゃない方がいいです。あなたとはどうも馬が合わない」

 「そんなことはありませんよ。他の警察官、たとえばヨシモトさん、わたしの先輩なんですが、かれはすぐ被疑者を殴りますよ。ぼこぼこですよ。最後はスリーパーホールドを決めて、失神させちゃいますからね。ヨシモトさんの方がいいですか?」

 「いえ、あなたの方が」

 「昼ご飯はかつ丼がいいですか。テレビをよく見ているようですから、ここはかつ丼でしょう」

 「かつ丼以外何かあるんですか? メニューがあったら見せてください」

 「メニューがあるわけないじゃないですか。かつ丼だけです。警察の中で作っているんですよ。かつ丼に決まっているじゃないですか」

 「外からの仕出しじゃないんですか?」

 「えっ、素人ですね。あまい、あまい。もし毒が盛られていたらどうするんですか。あなたのような小物だけじゃないんですよ。マフィア、いや、やくざや政財界の大物だって来ることがあるんですよ。毒殺の可能性だってあるじゃないですか」

 「そんなバカな。こんなところに政財界の大物が来るわけないじゃないですか」

「地方議会の大物だっているんだよ。こいつら結構利権に絡んでいるんだ」

「おお、そうですね。わたしが甘かった。それではどうしてテレビでは仕出しのかつ丼なのでしょう」

 「仕出しの方がフレンドリーでいいんじゃないかな。結局かつ丼なのに、「何にする」なんて聞いちゃってね。それにスパゲッティじゃ様にならないでしょ。スパゲッティはありえないな。そもそもスパゲティが食べたくても、ステンレスのフォークは使えないよ。凶器になるから。プラスチックでできた小さなフォークだよ。あんた、それでもスパゲッティが食べたいの? なんなら外から取ってあげてもいいけど、毒殺されるかもしれないよ」

 「かつ丼で結構です」

 「うちのかつ丼美味しいから。福神漬けもついているからさ。上層部は、今度、桜印のカップかつ丼を売り出そうと考えているそうなんだ。最近、交通違反の反則金が伸びていないからさ。昔だったら、宴会の金が集まらなかったら、昼間にちょこっとネズミ捕りをやればよかったんだけど。市民警察はそうもいかなくなったんだよね。市民警察という名は捨てた方が生きやすいと思うんだけどね」

 「そういうもんですか。とにかく市民警察としてわたしを釈放してくださいよ」

 「ここは釈放じゃないわよ。言葉遣い間違っているわよ」

 「いつの間におねえ言葉になったんですか」

 「あら、いつからかしら。とにかくかつ丼食って、午後からまた頑張りましょう」


 午後に取り調べが再会された。

 「はい、ご苦労様でした」

 「え、何がご苦労様なんですか?」

 「お帰りになっていただいて構いません」

 「いや、帰れるのは嬉しいけど、いったい何があったんですか」

 「犯人が捕まったんです。職務質問に引っかかったんです」

 「だから、初めからわたしは犯人じゃないと言ったじゃないですか。それでどんな奴なんですか」

 「そんなの本官の口から喋るわけにはいかないけど、迷惑をかけたから教えてあげましょう。あなたとは似ても似つかないデブで背の低い奴でした。歳も60過ぎているでしょう」

 「あのビデオに写っている人とも全然違うのですね」

 「そうですね。あのビデオがややこしかったんですよ。あの防犯カメラがなかったらあなたに話を聞くこともなかったのに」

 「話を聞く? わたしを犯人と決めつけていたじゃないですか」

 「まあ、いい経験になったじゃないですか。細かいことは言わないでください。こんな経験普通じゃあできないですよ。パトカーにも乗ったでしょ。留置場にも入ったし、かつ丼も食べたし。後で請求書行きますから」

 「請求書? ただじゃないんですか」

「何を言っているんですか。犯人だったらただですよ。犯人じゃないあなたからは実費をいただきます。パトカー代はタクシーと同じ料金体系なので890円です。留置場は朝飯付きで1,320円。かつ丼は550円です。すべて消費税込の値段になっています。安いでしょう」

「ひどい警察だな」

「市民警察なので、税金の無駄遣いにうるさいんですよ。これは必要経費では落ちません」

「わかりました。払えばいいんでしょう」

「期限を守ってくださいね。延滞しますと、利子として・・・」

「期日までに払いますから、安心してください」

 「まあ、これからも仲良くしていきましょう。そのうちまたあなたのアパートに遊びに行きますから」

 「結構です」

 「じゃあ、しっかりアリバイを作っておいてくださいね。アリバイの作り方については、いつでもご相談に乗りますので」

 「余計なお世話です」

 外は雨が降っていた。


                 つづく

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