3 一人で寝ていたらアリバイにならないだろう
半年後にまたあのハナヤ巡査がやってきた。
「その後、お変わりありませんか。一年ぶりになりますかね」
「いえ、半年ぶりですよ。あのポークカレー事件以来です。今回は何ですか?」
「そんなに最初から構えないでくださいよ」
「前回は危うく犯人にされそうになったんですから、あなたの顔を見たら条件反射で身構えてしまうのも仕方ないでしょう。それよりもご用件はなんでしょうか。手短にお願いします」
「フルタさん、署までご同行願えますか」
「えっ、いきなり何ですか」
「逃げられませんよ。このアパートは警察官に包囲されています。さあ、おとなしくわたしと一緒に署までご同行ください」
「逮捕状はあるんですか」
「逮捕状はありません」
「っていうことは、これって、テレビドラマで見たことのある任意同行ですよね。わたし拒否できるんですよね」
「テレビの刑事ものを見ているならば話が早い。別件逮捕という言葉をご存知ですよね」
「それって違法なんじゃないですか」
「録音も録画もしていないですね。すると、あなたの勝手な言いぐさになってしまいます。誰も認めません」
「別件逮捕って何ですか。公務執行妨害ですか」
「とりあえず、そんなところですね」
「無茶苦茶じゃないですか。それが市民警察のやり方ですか」
「市民を守る警察であるために、あなたに任意同行を求めているのです」
「有無を言わせないようですね。これが権力というものなんですね。権力と暴力は紙一重ということが今初めてわかりました」
「いったん被疑者になったら、誰でもがいっぱしのことを言うようになるんです。社会派面するんですよね。法律のこと何一つ知らないくせに。とにかく、行きましょうか。外にパトカーを待たせていますから。パトカーに乗る機会なんてそうはありませんよ」
「嬉しくありませんね」
「手錠はかけませんので、両腕は引っ込めてください。さあ、行きますか」
「当たり前でしょう。任意同行に手錠をかけるなんて聞いたことがありません」
「それも知っているのですか。困ったものです、刑事ドラマは」
警察の取り調べ室。フルタとハナヤ巡査が向かい合って座っている。
「おまえがやったんだな」
「えっ、きみ、二重人格じゃないの。なんでそんなに高飛車なの。おまえ呼ばわりはないんじゃない」
「余計なことをしゃべるんじゃない。一人住まいのおばあさんの家にナイフを持って押し入って強盗を働いただろう。知らないとは言わせないからな」
「ちょっと、それは何のことですか? もっと詳しく教えてください」
「一昨日の深夜に三丁目に住むばあさんが強盗に入られて刺されて重傷を負った事件だ。テレビや新聞で知っているだろう」
「ああ、その事件なら知っています。テレビを見ましたから。まだ犯人は見つかっていないんですか」
「それがおまえだろう」
「いえ、いえ、わたしではありません。おばあさんは重傷だということですが、命は大丈夫なんですか?」
「ああ、快方に向かっているよ」
「お金が盗まれたそうですが、いったいいくらくらい盗まれたんですか?」
「質問はこっちからだ。勘違いするんじゃない。盗んだ金はどこへ隠したんだ」
「いや、盗んでいません」
「おまえの部屋を家宅捜索させてもらっているから、そのうち金が出てくるだろう。時間の問題だ。それに犯行に使ったナイフはどこに隠したんだ。アパートか? それとも他のどこかに捨てたのか」
「ですから、知らないですって。わたしじゃないんですから。いったいどうしてわたしを犯人だと決めてかかるんですか。まさか、またあのねずみ色のジャージじゃないでしょうね。縁起でもないので、前回疑われてからすぐにジャージは捨ててしまいました。古くなっていたから捨てる頃だったんですよ」
「今回はジャージじゃないんだよ。でも、あのジャージを捨てたのか。証拠隠滅だな」
「いや、あの事件は犯人が見つかったんでしょ。わたしは犯人ではないんだから、証拠隠滅にはならないでしょう。ただのゴミ捨てですよ」
「いや、おまえのそうした迅速な行動を問題にしているんだ。まあ、昔のことはさておいて、今回は犯行現場の近くのコンビニの前に据えられている防犯カメラにおまえが写っていたんだ」
「えっ、その映像見せてもらえます」
「ほら、これおまえだろう」
「よく似ていますね。でも、これわたしじゃありませんよ。この時間は部屋で寝ていましたから。間違いありません。毎日12時前には寝ているんです。翌日の仕事にさしつかますからね。子供の頃から毎日8時間は寝ているんです。親や友人に聞いてもらえればわかります。午前2時の犯行なんでしょ。わたしではありません」
「おら、おら、おれは犯行時間は言ってないのに、おまえはぽろっと自分の口からしゃべったよ。これが何よりもおまえが犯人だということを言い当てているんだ」
「いや、テレビや新聞で犯行は午前2時頃だと繰り返し言っていたでしょ。みんな知っていますよ」
「そんなこと、マスコミが何度言っても、事件に関係ない連中はすぐに忘れるんだよ。おまえはそれを覚えていた。なぜならばおまえが犯人だからだ」
「言いがかりでしょ。わたし、翌日もきちんと出勤して働きましたから」
「そりゃあ、そうだろう。普段通りにしないと後で疑われるからな。犯行時刻におまえは何をしていた」
「だからぐっすり寝ていました。一人住まいなのでアリバイを証明する人は誰もいません」
「アリバイが証明できない? 前回、あれほど忠告しておいたのに。今日は帰すことができないな」
「いえ、任意なんでしょ。帰してくださいよ。あっ、弁護士を呼んでください。弁護士が同席しないと、これ以上何もしゃべりませんよ」
「おまえ何か勘違いしているんじゃないのか。いったいどの弁護士を呼べばいいんだ。あのテレビでやっているのを真似するんじゃないよ。あれは金持ちの顧問弁護士だぜ。おまえに顧問弁護士はいるのか。どこかに知り合いの弁護士はいるのか。弁護士を紹介してくれるような友達はいるのか? 兄弟や親戚に弁護士はいるのか? いないだろう。普通、いないんだよ。それともお母ちゃんを呼んでやろうか? 泣くぞ。それでもいいのか」
「田舎の母ちゃんに連絡するのはやめてください。驚いて卒倒するかもしれない。血圧が高いんですよ。いや、誰にも連絡しなくていいです」
「それにしても、おまえが刺したばあさんが死ななくてよかったな。死んでいたら強盗殺人だぜ。これは罪が重い。一生、刑務所から出られないかもしれないからな。生きててよかったな。15年くらいしたら出られるぜ」
「生きててよかったですね」
「やっぱりおまえが刺したんだろう」
「いえ、生きててよかったというのはあくまで一般論ですから。そうでしょ」
「まあ、とりあえずそういうことにしておいてやるか」
「明日は、会社に電話させてくださいね、休むって」
「同僚に証拠の隠ぺいを頼むんじゃないだろうな」
「頼みませんよ。わたしが犯人じゃないんですから」
「今日はゆっくり寝て、明日正直にしゃべってくれ」
つづく